転職×天職 > 転職ノウハウ・コラム > 戸田奈津子のあきらめなければ狭き門でも開く 前編

戸田 奈津子

戸田 奈津子

プロフィール
東京都出身。お茶の水女子大学付属高校から津田塾大学英文科卒。初の字幕翻訳作品は「野生の少年」。その後、数多くの名作、大作の翻訳を担当する。著書に「スターと私の映会話!」「男と女のスリリング」「字幕の中の人生」など。映画翻訳家協会元会長。第1回淀川長治賞受賞。

「スターと私の映会話」
集英社文庫/560円(税別)

第一人者が語る「天職への道」(前編)

映画好きの人ならなおのこと、それほど映画を見ないという人でも、この人の翻訳した映画を1本は見ているだろう。また、字幕翻訳という職業を世間一般に知らしめた功労者であり、同時にその世界の第一人者である。

戸田さんが映画に初めて触れたのは、戦後まだ間もないころ。会社勤めをしていた母親と会社帰りに待ち合わせをして、新宿の映画館で観た洋画だった。実は戦争中、父親の故郷である愛媛県へ疎開していたときに、「蚊から肌を守るため」という理由で、母親に映画館へ連れて行かれたことがある。しかしそのときに観た映画の記憶はほとんど残っていない。

子どものころから本が好きで、「イメージしていた外国の世界が、現実の映像となって夢のように広がった」。まだ小学生だったが、「子鹿物語」を観た後は、「恥ずかしさも忘れて、座席で泣きじゃくった」こともある。

中学に入ると、今度は英語に興味をもつ。戦争中、敵国語である英語は禁止されていたが、「あの俳優たちがしゃべっている言葉を習うのだと思うと胸がときめいた」。

高校へ行っても映画好きに変わりはなかったが、小遣いの額を考えると、ロードショーには行けず、二本立て、三本立て、もしくは名画座に通った。
大学は津田塾大学。専攻は英文科だ。通学に使っていた中央線沿線には映画館が多い。友だちに「代返」を頼み、映画を観にいくこともしばしばあった。

当時の英文科の学生に人気のあった職業はスチュワーデス。公務員や教員を希望する学生も多かった。しかし、どれにも魅力を感じられなかった。その迷いの中から浮かんだのが、字幕翻訳だった。
「自分の好きな映画と英語を両方満足させられる。映画もただで観られそうだし」というのが理由だ。

しかし、どうしたら字幕翻訳家になれるのか、情報はまったくない。映画で観た翻訳家・清水俊二氏の住所を電話帳で調べ、手紙を書いた。数週間後、清水氏から返事が来て、同氏の事務所を訪ねると、「とにかく難しい世界だから」と諭された。その意味は後にいやというほど知らされることになる。

「パンのために」雑誌記事や単行本の翻訳などのアルバイトをしながらチャンスが来るのを待った。洋画界へのとっかかりができたのは10年ほどたったころだった。配給会社からシノプシス(あらすじ)作りや通訳の仕事が入ってきたのだ。

そして、とうとう字幕翻訳の仕事が入ってきた。それでも食べていける量ではなかった。

その後、コッポラ監督の指名によって「地獄の黙示録」を担当することになる。この超大作は当時社会的にも大きな話題となり、各社から仕事が舞い込むようになった。字幕翻訳を目指してから20年の時がたっていた。

どれほどの人が天職に出会えるのだろうか。天職を求めて転職を繰り返す人もいる。戸田さんの場合、大学卒業後、いったん就職するが、それも1年半で辞め、それ以降、ずっとフリーとして仕事をしてきた。

「(字幕翻訳という仕事を)天職だと思います。私はわがままなので、子どものころの通知表に『協調性がない』とよく書かれていました。だから、一人でやるフリーの仕事がいい、組織には向いていないと考えていました。

もともとお芝居が好きだったのですが、字幕の翻訳は台詞を作るようなもので、芝居っ気があるのです。いわばお芝居を作っているようなもので、実際やってみてそのとおりでした。

私は一人っ子で、遊び相手は本だったのです。本を読んでは、主人公の気分になったりしていろいろとイマジネーションを広げていました。映画もまさしくその延長線上にあったので、今の仕事は自分にとても合っているのです。

天職が見つからないとき、他人のせいにしたり、まわりがいけないと責任を転嫁したりする人がいますが、それには怒りを感じます。まず何よりも自分を知ることです。自分が好きなことがわかります。それでも好きなことが見つからないとは信じられません。この世に生まれてきて、好きなことがない人なんて。

ただし、天職を見つけるのが難しいことも現実。現代はいろんな情報があふれているので、選びにくいということもあるでしょう。私たちのときは何にもなかったから、かえってラッキーだったのかもしれません。今の若い方々の迷いには同情しますが、それでも自分は何が好きか、それくらいはわかるはずです。

顔面術で有名なジム・キャリーは、皮膚がゴムのように自由に動くのですが、子どものころから、暇さえあればバスルームで百面相をしていたのです。

親は心配して、『止めろ』と注意しました。でも彼は止めなかった。

そうしたら、いつのころからか、逆に親が勇気づけるようになったのです。彼はうれしくなり、バスルームにこもり、いろいろなことを試してみました。それが今に活きているのです。彼は私に言いました。
『あなたの才能は親が心配するようなことの中にあるかもしれない』と。

子どものころを振り返ってみれば、誰にでも好きだったことはあるはずで、例えくだらないことでも、それが才能かもしれません。 好きな仕事は向こうから来ません。招いてもくれません」

サラリーマンも生き残りをかけて仕事をする時代となった。企業側がスペシャリストを求める傾向もあり、資格取得を目指す人も増えている。果たして、生き残れるのはスペシャリストかゼネラリストか。

「社会ではゼネラルは基本です。人間として必要なことを知っておくのは当たり前のことでしょう。その上で、その道を選んだからには、そこで必要とされるプロフェッショナルなスキルというものはできるかぎり完成させなければなりません。(スペシャルかゼネラルか)どっちがどういう割合という問題ではないと思います。

初めて通訳の仕事をしたときは記者会見だったのですが、それまで外国人としゃべったこともありませんでしたし、英語もしゃべれませんでした。コミュニケーションは言葉も必要ですが、その背景にある知識も欠かせません。英語力はまったくダメでしたが、映画が好きだったし、映画のことはよく知っていたので、話が通じてしまうのです。それで重宝がられたのでしょう。英語はメチャ下手ですよ」

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