山本は泣いていた。

もう10年くらい前になるだろうか。この季節になると必ず思い出すことがある。この年になると誰かに褒められたり怒られたりすることはほとんどない。直接的に評価されることがほとんどないのだ。ただ、確かにあの時はそれがまるで人生のすべてと考え、欲していた。誰かに評価されたかった。だから山本は泣いていたのだ。

笑い声と喧騒、そして過剰なまでに元気な店員の声とで満たされた居酒屋で、山本は泣いていた。通路向こうのテーブルで女の肩を抱き、緩みきった情けない表情を見せているロック歌手風の男が見せるその笑顔とは対照的に、山本はただ泣いていた。

居酒屋
(写真:naka/PIXTA)

「俺、もう辛いわ」

山本はそう切り出すと、ジョッキの生ビールを空にし、また泣いた。久々に会うことになった山本は僕の知っている山本ではなかった。彼は自信に満ち溢れていたし、受験や就活といった人生の節目において、常に理想を実現していた男だった。早い話、誰の目から見ても「成功者」だったのだ。

そんな山本から久々に会おうという声がかかり、どうせ「一流企業とは」だとか「仕事のできる男とは」みたいな面白くもない仕事論と自慢話を聞かされるのだろうと予想し、ウンザリしながら待ち合わせ場所に向かった。新宿三丁目の小さな居酒屋だった。

「俺さ、奨励賞がもらえなかったんだ」

おかわりのビールが到着すると同時に、山本はそう言った。その瞳はまだ泣き足りない様子だった。

なんでも山本の職場では1年に1回だけ社員を対象に「奨励賞」なるものが授与されるそうだ。これは1年間で最も頑張った、もしくは会社に貢献した社員に贈られるもので、大勢の社員の前で会社トップから表彰されるものらしい。お金や賞品はもらえないが、受賞することは大変名誉なことであり、出世における登竜門的なものでもあるらしい。当然ながら野心的な社員は全員これを目指しているとのことだった。

「今年こそはと意気込んでいた。色々なことに挑戦した。査定基準になることならなんだってやった。露骨にポイント稼ぎもしたさ。でも、それでもダメだった」

そう言って山本はまた泣いた。もしかすると、彼が初めて味わう挫折ってやつなのかもしれない。順調に推移してきた彼の人生の中で、初めて思い通りにいかないことだったのかもしれない。山本はまるでこの世の終わりのように嘆き悲しみ、悔しさを滲ませていた。

「もう会社を辞めたい。何年経ってもあの賞を取れるとは思えない。俺は負け犬なんだ。あんなやつに負けるなんて!」

悪いことに奨励賞を逃したどころか、ライバルと目していた同期の男がそれを受賞したようだった。山本はテーブルの木目でも数えているのかと思うほどにうつむいていた。「仕事とは」から始まり「PDCAサイクル回さなきゃ」などといった話ばかりをされると思い込んでいた僕は、予想外の展開に少し拍子抜けしてしまった。

とにかく、泣いているものはしかたがない。まさか山本も僕に泣いているところを見てほしくて呼んだわけでもなかろう。つまり、彼は僕に励ましてほしいのだ。それを期待されているに違いないのだ。では、どうやって励ますか。考え始めた瞬間にふと浮かんだのは、あの日の山本のことだった。少年のあの日のことだった。

僕は店内の喧騒に負けないように少し大きな声で話し始めた。

「俺はね、山本が転校してきた時のこと今でも覚えているよ」

そう言ってジョッキのビールを飲み干した。そして、通りがかった元気のいい店員さんにおかわりのビールとおつまみを頼むと、ゆっくりとあの時の話を始めたのだ。

小学校
(写真:チンク/PIXTA)

小学校高学年に差し掛かった時、僕らのクラスに転校生がやってくることになった。この田舎町の小汚い小学校に、東京という大都会から転校生がやってくる、そんな噂話で持ち切りだった。小汚い田舎町に住む小汚いガキどもは沸き上がった。当時のアニメでは謎の転校生がやってくる回が必ずあったものだが、僕らはそれくらいのテンションだった。

やってきたのは本当に品の良い男の子だった。売っているところすら見たことないような真っ白なシャツを着て、綺麗にカットされた艶々しい髪型をした男の子が黒いランドセルを背負って立っていた。それが山本だった。学校指定の汚いナップサックを持たされていた僕らにとって、彼が背負うランドセルは異世界からの何かに見えたほどだった。

「おい、転校生を誘おうぜ」

クラスのボス的存在だった谷岡がそう言った。その意図は、転校生も来たばかりで不安だろうから遊びに誘って安心させてやろうぜ、歓迎会だ! みんな仲良くだぜ! というものではなく、明らかにバカにする意図があった。谷岡はそういう男だった。

都会から来た男がどれほどのものか知らないが、ちょっと俺たちがもんでやろう、という意図が確かにあった。あんなもやしっ子、俺たちの遊びに耐えられるわけがない。谷岡には妙な自信があった。そんな陰湿なことしなくても一緒に遊べばいいじゃん、と誰もが思っていたが、谷岡に意見することはできなかった。僕たちグループは山本を誘い出し、放課後の市民公園で遊ぶことになったのだ。

市民公園は自然あふれる公園で、僕らはいつものように野を駆け山を駆け、木に登ったり川を渡ったりと野蛮に遊んだ。都会育ちのもやしっ子山本にはついてこれまい、そんな思いが谷岡にはあったはずだった。

しかし、山本はもともとの基本スペックが高かった。早い話が、何でもできるやつだった。僕らの遊びについてくるどころか、僕らを軽く凌駕し、自然を利用した上で僕らが考えもしなかった遊びを発案したほどだった。東京人はすごい、こいつはやばい、そう思った。山本はたった一日で田舎の民の人心を掌握しつつあったのだ。

それを面白く思わなかったのは野蛮の王である谷岡だった。自らの玉座が危ないと感じたのか、それとも普段の遊びが通用しないと感じたのか、谷岡はとにかく暴れた。具体的にはよくわからないイチャモンから切り出し、暴力を伴って山本を屈服させたのだった。さすが野蛮の王である。怖かった。周囲の誰もが谷岡に意見できなかった。そして野蛮なる王はさらにこう言ったのだ。

「ファミコンで勝負だ」

谷岡はなぜかファミコンなら勝てると思ったようだった。当時、僕らは外を駆け巡る遊びもしていたがファミコンにも夢中だった。中でも「スーパーマリオブラザーズ3」というゲームに夢中で、皆で集まっては、ああでもないこうでもないと言いながら順番にプレイしていた。谷岡はその「マリオ3」なら勝てると踏んだようだった。

僕は思った。僕らのほうが有利と思われたフィールドワークですらまったく歯が立たなかったのに、なぜコンピューターを用いたゲームで勝てると思うのか。東京から来た山本はスペックが違う。きっとゲームだって上手いに違いない。東京にはすごいゲームがあるに違いない。勝ち目なんかあるわけがない。

谷岡に殴られた山本は少しショックを受けているようだった。初めて野蛮な部族に巡り合った時みたいな顔をしていた。それでも山本は逃げず、舞台を谷岡の家に移してマリオ3大会をやることとなったのだ。

ブラウン管テレビ
(写真:Graphs/PIXTA)

谷岡の家には鉄の掟があった。谷岡家において、ファミコンがあるテレビの部屋にはワンカップ大関をまるで大切な宝石のように握りしめて眠っている親父が常駐していた。そして、あまりに長時間ファミコンをやっているとその親父がぶち切れ、そこにいる全員が地獄のような折檻を受けることになっていたのだ。

だいたいそのリミットが30分程度であり、谷岡の家でファミコンをやる際は30分を超えてはいけないというルールが形成されていた。その時間内ですべてを終わらせる必要があったのだ。

山本は下手だった。

谷岡の家に移動し、お手並み拝見とばかりに山本にマリオ3をやらせてみた。谷岡の「東京のマリオを見せてみろや」という謎のセリフが印象的だった。そうして見せられた彼のプレイは容赦なく下手だった。何でもできる男も、マリオ3だけは下手だったのだ。たぶんやったことがないとかそんなレベルだったように思う。

谷岡は笑った。勝ったと思ったのだろう。それどころか自分が出るまでもないと言い切り、僕にプレイするように言ってきたのだ。僕はファミコンを所有していなかったので谷岡に比べてかなり腕が落ちるのだけど、それでも勝てると踏んだのだろう。手下にすら勝てない、そう思わせる意図があったのだ。谷岡はそういう大物ぶった行動をとることが多々あった。

点数勝負なのか、それともどこまで進めるかの勝負なのか、その辺の基準がよくわからないまま、漠然としたマリオ3勝負に参戦することになってしまったのだ。

「俺たちのマリオを見せてやれ」

仲間たちのそんな声援にも、「俺たちのマリオ? それは何だろう」と翻弄されることとなった。しかしながら、ここで下手なプレイを見せるわけにはいかない。おそらく谷岡の逆鱗に触れてしまうことになるだろう。そう思うと緊張で少し手が震えてきた。

それでも実際にゲームが始まると、そつなくプレイすることができた。山本が進んだ場所を超えることができたし、点数だって超えることができた。何が勝負基準であっても負けではないと言えるプレイができたのだ。もう安泰だ。そう思った瞬間、ある地点で異変が起きた。

それは隠しアイテムが出る場所だった。このマリオというゲームでは、主人公のマリオが奥深くへと進んでいきクリアを目指すのだが、その攻略が楽になる便利アイテムが隠されているのだ。マリオ自身を強化するキノコや、火を扱えるようになるフラワー、空を飛べるようになる木の葉、一定時間だけ無敵になるスターなど、さまざまだった。そして、その中でも最上位にあるアイテムが1UPキノコだった。

マリオには残機という概念があった。ゲーム開始時は確か3機くらいあって、マリオが穴に落ちたり敵に触れたりして死ぬたび、残機が減ってステージやり直しとなる。その残機がなくなるとゲームオーバーとなるのだ。1UPキノコはその残機を増やしてくれる優秀なアイテムだった。かなりテクニカルな場所に厳かに隠されていることが多く、その扱い的に見てみても数あるアイテムの中で最上位であることは間違いなかった。

問題の個所はその最上位アイテムである1UPキノコが出る場所だった。隠しブロックを叩いて1UPキノコが出てきたが、僕はそれを取るのは少し無理筋な感じがして、見送るような素振りを見せたのだ。ちょっと取るの難しそう、やめとこう、と思ったのだ。

「早く取れ!」

谷岡の怒号が響いた。「俺たちのマリオ」では最上位アイテムである1UPキノコを取り逃すことなどありえない、すべてを完璧に取る、そう言わんばかりの怒号だった。焦った僕はすぐにその1UPキノコを追いかけたが、パニックのあまりそのまま敵に突っ込んでしまい、あっけなくマリオを死なせてしまったのだった。

「何をやっているんだ、信じられない」

谷岡の怒りは相当なものだった。“怒り狂う”の用例として辞書とかに乗せるべきと思うほどに怒り狂った。「俺たちのマリオ」を踏みにじられた思いがしたのだろうか。とにかく怒った。周りのメンツも同調し、あれを取り逃すのはありえない、という論調だった。

「ごめん」

とんでもないことをしてしまったと僕が謝った時、山本が口を開いた。

「そもそも1UPキノコ、取る必要ある?」

その言葉に時が止まった。僕ら田舎の民は、最上位のアイテムである1UPキノコは必ず取らなければならないもの、そう思っていたのだ。けれども山本はそれを根底から覆す発言をしたのだ。

「あたりまえだろ、1UPキノコだぞ」

誰かが反論した。最も価値あるアイテムを取らないなんてとんでもないという論調だ。

「いや、どう考えてもいらないじゃん」

山本はきっぱりとそう言った。まるで僕を庇うようにそう言ったのだ。

山本の言い分はこうだった。そもそも何を基準とした勝負だったかわからないけど、とりあえず死んだら交代という今の流れで言うとマリオ1機で勝負していたはずだ。そんな状態で残機を増やす1UPキノコに何の意味があるのか。そして、30分しかプレイできないという縛りがある中でいたずらに残機を増やすことに何の意味があるのか。そもそも1機増やそうとして死の危険を増やして何が何やらわからない。そういった主張だった。大変説得力がある、そう思った。

「1UPキノコなんていらない」

山本は再度そう言い切った。ついさっき市民公園で谷岡に殴られたばかりなのに、その谷岡ににらまれながらも臆することなくハッキリとそう言い切ったのだ。僕はハッとした。まったくもって彼の言う通りだと再認識したのだ。

このマリオ3には1UPキノコではないが、無限に残機を増やせる裏技が序盤に用意されていた。20機でも30機でも、際限なくマリオの残機を増やすことができたのだ。僕らは面白がって40機とか50機まで増やしていたけど、そこまで増やしたマリオを使い切ったことはなかった。飽きてしまうか時間が来て途中でやめてしまうのだ。そう、増やしたマリオを使い切ったことはない。いたずらにマリオを増やすことにあまり意味がないのだ。

「うるせえ!」

反論できなくなった谷岡は暴れた。

「うるせえ!」

その声で起きた谷岡の親父もワンカップ大関を握りしめて暴れた。

結果、僕らは谷岡の家を追い出されるのだった。そして僕と山本はまた市民公園に移動し、谷岡に殴られることとなった。理不尽な思いを感じつつも、それでもこの山本って男はたいしたやつだ。そう思ったのだった。

ビールに手をかける男性
(写真:Graphs/PIXTA)

「あの時は、こんなすごいやつがいるんだって驚愕したよ。俺たちが信じて疑わなかった1UPキノコをいらないって言い切れる男がいるんだ。そんな男が都会からやってきたんだって。都会ってのはすげえんだなって思ったもんだよ」

頼んでいたビールが運ばれてきた。僕がそう言うと山本はそんなことあったっけ? という表情をしていた。

あの時の僕らにとって確かに1UPキノコは必要なかった。そんな必要ないものを最も価値のあるアイテムだからと信奉していた僕らは愚かだった。けれども、人は愚かであることを自分自身で気づくことはなかなか難しい。信じ切っている価値観が揺らぐことを何よりも怖いと思うからだ。

「1UPキノコ、必要ないじゃん」

僕がそう言ってジョッキを傾けると山本はさらに不思議そうな顔をした。

この世の中には沢山の価値あるものがあふれている。単純に値段が高いもの、希少価値があるもの、役に立つもの、美しいもの、名誉あるもの、それらはすべて価値あるもので間違いないのだろう。ただ、それがその時の自分にとって価値があるのかというと、それは完全に別次元の話なのだ。

砂漠で水を求める男にとって美しい宝石に何の価値があるだろうか。宝石を求める貴婦人にオアシスの水が何の価値があるだろうか。大切で価値があるとされているものであっても、その時の自分に必要ない物ならば、それはあの日の1UPキノコなのだ。

山本の会社で贈られる奨励賞がどんなものなのか、その細部を僕は知らない。ただ、こういった内部での褒賞は、評価基準があいまいであったり、忖度の賜物であったり、単純に権力者の好き嫌いに帰結してしまう場合も少なくない。また、社外ではまったく通用しないものであることが多い。それらは本当に必要なものなのだろうか。最も価値がある扱いをされているからといって、本当に必要なものなのだろうか。

勘違いしてはいけないのだが、良い成績を出し、会社に貢献し、誰かに褒められてそういった褒賞を貰うことは、十分に尊くて立派なことだ。獲得した人を称賛するべきであろう。ただ、もらえなかったからといって嘆き悲しむ必要はないのだ。あくまでもあれは「もう1機やるからさらに頑張ってプレイしろ」という1UPキノコでしかないのだから。

「僕らは1UPキノコなんて必要なかった」

僕らの住むこの世界は、本来はあまり価値のないものを価値あるように見せかけ、熱狂させる仕組みに満ちあふれている。そんな現代社会で働く僕たちの眼前に吊るされた1UPキノコ、まるで人参のようにぶら下げられたそれを夢中で追いかけるよう仕向けられる。でも、果たして本当に必要なものであるのだろうか。

「あの時さ、山本は言ったんだよ。殴られた後に二人で帰ったろ。俺が『1UPキノコ確かにいらないな』っていったら、『今は痛くて死にそうだから欲しいよ、1UPキノコ』ってさ。こいつは大したヤツだと思ったよ」

「そんなこと言ったかな」

山本が笑う。またあの日のかっこいい山本に再会できたような気がした。

注文したおつまみが届く。キノコの包み焼きだった。僕らは笑いながらそれを食べ、いつまでもマリオ3の話をしていた。いつのまにか僕らの笑い声は店内の喧騒に染み込んでいったのだった。

あれから10年、彼からくる年賀状を見ると、家族との幸せな笑顔に満ちていた。きっと本当に必要な1UPキノコをいくつも取ったのだろうと思った。