いきなりおじさんっぽいことをいってしまうけど、最近の若い人は失敗を恐れすぎだ。なにがおじさんっぽいかというと、若い人と主語を大きく一括りにして、コロナ禍でよく耳にするようになったエビデンス(科学的根拠やデータのこと)が“失敗を恐れすぎ”という部分にまったくない。

つまり主語を大きくしてエビデンスのエビもない、ただの感想の話をしているからおじさんっぽい。完全に若い人への偏見というものだ。しかもぼくは37歳。40代や50代からすればまだ若いだろうっていわれつつ、そんなにおじさんって年齢ではないと思っているのは自分だけで20代からすればやっぱりおじさんなのだ。

繰り返すけれど当の本人からすれば、まだ若いだろうって自己認識しているところも、現実的にはやはりおじさんなのだ。20代の若い人は「うちらもう、若くないからなぁ」なんてことを居酒屋でいったりする。これが若い証拠だ、若い人は年齢を背伸びをしたがる。

そしておじさんは「まだ、若いからナ」と急に身の丈を小さくする。悲しいことにこれは日本国誕生以来きっと何度も何度も日本人が繰り返してきたことなのだろう。また主語を大きくエビのない話をしてしまった。

人類が同じことを何度も繰り返すことは、人類が成長をしていないというわけじゃない。人が生まれて成長して寿命を迎えるまで、現代の日本では84年ぐらい。中部アフリカにあるサッカーが強いカメルーンでは平均寿命が55歳だ、老後の感覚がちがう。1950年の日本人男性の平均寿命も55歳だ。

それくらいの人生を大勢で何度も繰り返しているのが、人類の歴史だ。2021歳の長老がいて知識を蓄えているわけじゃない。時代や地域がちがうだけで、きっと過去と似たようなことを繰り返している。

だから後世に残すことが大切だったりする。車輪の再発明を防ぐためだったり、おなじ過ちを繰り返さないためだ。後世に残されたものはエビデンスのないものがたくさんある。なんだ大安や仏滅って、エビもデンスもまったくないじゃないか。福島第一原発の3号機が爆発して吹き飛んだ日は大安だぞ。

クドクドと酔っ払ったおじさんっぽいことをいってしまったけど、つまり最近の若い人は失敗を恐れすぎということをぼくはいいたいだけだ。20代後半ぐらいから大学生ぐらいまで、とにかく失敗を恐れている。若い人に責任があるようにいっているけど、これはおじさんとおばさんにも責任はあるだろう。失敗を怒るからだ、場合によっては失敗を許さなかったりする。

失敗をした人がみんなの前で叱責をされたり、長時間の説教などの公開処刑をされるのを見ていれば、失敗がめちゃくちゃ怖くなるだろう。だって処刑だもん。パワハラに当たるので最近ではずいぶんと無くなってきただろうけど、国によっては報復されて殺人事件に発展するような行為だ。

失敗を防ぐ唯一無二の方法は挑戦をしないということに限る。挑戦をしなければ失敗はありえない。でもこの方法がいいわけじゃない。人の評価が0点から始まって評価をされることで加点されるパターンと、100点から始まって失敗されることで減点されるパターンがある。お役所仕事と揶揄されてしまうのはコレが原因だ、減点主義をとっていれば、挑戦をするメリットが薄く、リスクだけが存在し成長は見込めないのだ。

挑戦をしないという方法以外で失敗を防ぐ方法はないけど、ダメージを軽減する方法はある。それは失敗を認めるということだ。失敗を認めてゴメンなさい……ということじゃない。人は失敗をするもので、失敗をゼロにすることができないと認識することだ。失敗はありえない……ではなく失敗はありえるのだ。

航空業界はおもしろい。失敗をゼロにすることができないと認識している。もしも大失敗したら墜落して何百人と亡くなる可能性があり、はたからみれば失敗なんかありえないだろうっておもうかもしれないけど、ちゃんと失敗を折り込んでいる。

そもそも失敗をミスではなくエラーと認識している。もちろんエラーをおこしてもいいとおもっているわけじゃない。本当に失敗が許されない業界ほど、失敗を折り込んでいるから、失敗に対応できるのだ。

さいきん読んだ田端信太郎さんの『これからのお金の教科書』という本の中でも失敗に関することでおもしろい記述があった。モノクロの粗い映像で一度は見たことがあるかもしれないけど、ライト兄弟は飛行実験をするときに平坦で柔らかそうな土地でやっている。それは失敗をする可能性があって、もしも失敗をしたときにダメージを軽減するというものだ。

ライト兄弟以外の名も無い飛行実験は近所のおっさんがノリで出た鳥人間コンテストのように、崖の上から明らかに飛べないだろう装備で飛んで死んでいる。失敗を認めずに折り込まなかった結果だ。失敗をゼロにすることはできないのだ。

仕事には加点も減点もある。挑戦しなきゃ失敗はないかもしれないけど、成功も存在しない。そもそも若い人は気づいているのか、気づいていないのかわからないけど、上司や先輩は若い人に大きな挑戦はさせない。もちろんそれは失敗を折り込んでいるからだ。

身の丈にあった挑戦をさせている。上司や先輩からすればそんなに大きな挑戦ではない。つまりそんなに大きな成功でもないのだ。もっといえばそんなに大きな失敗ですらない。もちろんそこで能力がわかれるのは事実だ。簡単にスイスイっとできる人もいれば、できない人もいる。若い人もおじさんも能力に差がある事実も認めなくてはいけない。100mを9秒台で走れる人もいれば、100mを全力疾走したことで心臓が停止してAEDが必要になる人もいる。

ちなみに航空業界では身の丈にあっていない挑戦をして、失敗をした場合はそもそもエラーですらない。メタボなおじさんが100mを10秒きれなかった場合、それはエラーでないのだ。期待値を下回ることはエラーだけど、期待値を上回らなかったことはエラーではない。

だから若い人にこそどんどん挑戦をして失敗も成功もしてほしい。若いうちの失敗など大したことはないのだ。成長すればどんどん失敗の大きさも成長してくる。25歳の平社員の失敗と60歳の役員の失敗のレベルはちがう。これは仕事だけじゃなく、人生においてもおなじことがいえる。子どもの頃の失敗なんて大したことがないものばかりだ。

恋愛だってそうだ。街にいる恋人同士は口から胃が出るおもいをして挑戦をしたから、成功を手に入れている。もちろん失敗だって存在する。恋愛で失敗しない方法はやはり挑戦しないことだ。

でも小さな失敗をクヨクヨと引きずる人もいる。それは小さな失敗をしてから挑戦をしないで、すこし大きな失敗で上書きをしないからだ。これは成功にもおなじことがいえる、学歴だけ優秀なおじさんが挑戦をせずに、成功の上書きをしなければ学歴だけが武器になる。つまり過去の栄光にしがみつく。やはり恋愛にもおなじことがいえる、おじさんの昔はモテた自慢だ。

だいたい直近の失敗がいちばん大きなものだ、それは失敗を上書きしているからで、成長している証だったりする。若いうちに失敗の経験値を積むのが一番コスパがいい。本人はそりゃ浅いとはおもわんだろうけど、浅いダメージで成長ができるのだ。順調に成長をすれば数年で確実に浅いダメージになる。

挑戦をしないおじさんとおばさんを追い抜くのは、挑戦しかない。おじさんとおばさんを追い抜いてくれるから、人類は成長する。また主語を大きくエビのない話をしてしまった。挑戦して失敗した人を笑うのは、ただの挑戦しない人だ。自分が挑戦している人は、人の挑戦を笑うことはしない。というか自分も失敗のリスクと直面しているから笑えない。

おじさんとおばさんの存在意義は、車輪の再発明を防ぐことと、若い人の失敗のカバーだ。

公開処刑の執行人にならないように、若い人にはどんどん挑戦をして、失敗も成功もしてほしい。

この記事を書いた人

幡野広志

幡野広志(はたの・ひろし)

1983年 東京生まれ。著書に『僕が子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)、『僕たちが選べなかったものを、選びなおすために。』(ポプラ社)、『なんで僕に聞くんだろう。』『『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。#なんで僕に聞くんだろう。』(幻冬舎)がある。

Twitter:@hatanohiroshi

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