2021年、JAXAが13年ぶりに宇宙飛行士の選抜試験を実施します。

2008年に行われた前回の応募者は963名。わずか10名のファイナリストまで残った内山崇さん(当時33歳)は、厳しい試験の内容とその後の葛藤を、著書『宇宙飛行士選抜試験 ファイナリストの消えない記憶』(SB新書)で明かしています。

試験はどんな内容だったのか? 別の仕事を持ちながら、夢に挑戦することの醍醐味とは? 人生を賭けた試験で「不合格」という挫折を、どのように乗り越えていったのか……。

ファイナリスト・内山さんのお話には、夢を持つ人みんなに響く“情熱”がありました!

宇宙飛行士の選抜試験ってどんなもの?

内山崇(うちやま・たかし)。2008(〜9)年 第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。

──今日はよろしくお願いします。最初に、2008年の試験がどんな内容だったのかを聞かせてください!

内山:試験は大きく4つあって、試験期間は10カ月にも及びました。

──10カ月! 仕事もあるし、中途半端な気持ちでは受けられませんね

内山:そうなんです。応募書類と英語試験の選抜を経て、第一次~第三次選抜と進みます。応募書類をそろえる段階から、かなり骨が折れるのが特徴ですね。

出典:平成20年度 国際宇宙ステーション搭乗 宇宙飛行士候補者 募集要項

──どれくらいの書類が必要なんですか?

内山A4サイズ8ページにもなる志願書や医療機関に出してもらう健康診断書、大学証明書類などを、もれなく提出しないといけません。面倒すぎて、本気でなければとても応募できないんです。

──応募だけでも大変なのに、10カ月もかかる選抜試験ってどんな内容なんでしょう?

内山:第一次は、一般教養や基礎的な専門知識を測るペーパーテスト。半日程度の人間ドックに近い医学検査や心理検査もあって。書類選抜と英語で963名から230名に絞られ、第一次でさらに50名まで足切りされました。

宇宙飛行士選抜試験について教えてくれる内山さん。

──書類選抜、第一次選抜の段階でかなり絞り込まれるんですね。

内山:いざ宇宙に行くとき、健康に問題があってはならないため、医学検査はとても大事なんです。第二次は1週間がかりで、より詳細な医学検査や英語面接、ディスカッションなどを実施。ここで残り10名までしぼられました。

──1週間がかりというだけで驚きますが、最終の第三次選抜は「約2週間」と書かれていてさらに驚きです。

内山実際には18日間でした。第三次のメインは「長期滞在適性検査」です。宇宙ステーションを模した閉鎖施設に1週間寝泊まりして、カメラに監視されながらさまざまなタスクをこなします。模擬的な宇宙生活によって、飛行士としての資質を見るわけですね。

難関を乗り越え、内山さんはファイナリストに。

──ああ! 「宇宙兄弟」を思い出します。

内山:そうですよね。ヒューストンにあるNASAジョンソン宇宙センターに行って、宇宙飛行士面接やロボットアームの操作試験なども受けました。

「仕事」と「夢」は、どう両立したの?

──大変な試験を働きながら受けることに、迷いはなかったんですか?

内山:昔からの夢なので、ありませんでした。でも、実は当時、JAXAに転職したばかりだったんですよね。仕事は、ISS(国際宇宙ステーション)に物資を運ぶ宇宙船「こうのとり」の、運用を統括するフライトディレクタ候補。自分のなかでは「宇宙開発」という仕事の延長線上に宇宙飛行士があったから、迷わず応募を決めたのですが……。

JAXAに転職したばかりでの挑戦だった。(©JAXA)

──ですが?

内山:「こうのとり」の打ち上げまで1年を切っており、いわば全集中で頑張らないといけない時期だったので、現場からの反発は多少ありました。もちろん、応援してくれる人もたくさんいましたよ!

──合格すれば現場からいなくなるのはもちろん、まず試験で長く休むからには、勤務先に迷惑がかかってしまいますもんね……。どうやって乗り切ったんですか?

内山:なにより、仕事を100%以上で頑張るのは必須。そのうえで、試験の準備も淡々とこなしていきました。幸いにもフライトディレクタって、宇宙飛行士やNASAとのやりとりも多い仕事なんです。目の前の仕事に一生懸命取り組むことが、そのまま夢へのスキルを磨くことにもつながっていました。

「仕事を100%以上で頑張るのは必須です」と語る内山さん。

──なるほど。もし宇宙にまったく関係のない仕事をしていたら、両立を頑張るのは難しかったと思いますか?

内山:でも、宇宙飛行士にいちばん大切なのは、総合的な「人間力」なんです。そういう力って、どんな仕事をしていても培われるもの。選抜試験でも実際に、宇宙とはまったく関係のない職種だけど、なんらかの実績や専門分野を持っている人たちがたくさん選ばれていました。

失敗した時の切り替え

──試験中は、どんなことを心がけていましたか?

内山:まずはシンプルに、目標に向かって必要なタスクを洗い出し、こつこつ努力すること。それから、失敗を引きずらないことです。反省することは山のようにあるけれど、さっと気持ちを切り替える。悔やむなら、次にうまくやるための材料にします。

宇宙ステーションの観測窓から撮影された「こうのとり」7号機。(©JAXA/NASA)

──日常生活でも大切だけど、なかなかできないやつですね……。

内山:でも、僕も第三次選抜の初日に大きな失敗をしたときは、かなり落ち込みましたよ(笑)。回転する椅子に座って、身体の平衡機能を測る適正検査があったんです。多くの人は30分以上座り続けられるのに、乗り物酔いしやすい僕は10分でリタイア。オフィスチェアでぐるぐる回る自主練もしていったのに、散々な結果で、さすがにへこみました。

──どうやって気持ちを切り替えたんですか?

内山第二次選抜で同じグループだった仲間たちのメーリングリストに、失敗したことを報告したんです。自分だけで抱えないことと、安易な励ましではなく、寄り添った応援の言葉をもらえたことで、気持ちをリセットできました。

失敗を一人で抱え込まないことで、気持ちをリセットできたそう。

──しかし、全力投球した試験で、最終的には不合格に……。

内山:そうですね。でも、受験したことはまったく後悔していません。むしろこの経験が、人生の大きな財産になったと思っています。

──と言いますと?

内山:宇宙飛行士になりたくてチャレンジすること自体、普通はできない体験です。その過程で、同じ志を持ったたくさんの仲間に出会い、少しずつ夢の扉が開いていく……。

残念ながら僕は、夢に指先がふれたところで終わってしまったけれど、一緒に試験を頑張った仲間たちからは3名の宇宙飛行士が生まれました。こんなものすごいこと、なかなかありません。落ちた仲間たちも各方面で活躍していて、今でも刺激を受けています

「こうのとり」7号機/H-IIBロケット7号機の打ち上げ。(©JAXA)

ファイナリストになった経験が仕事でもプラスに

──人生最大のチャレンジを経て、自分の意識や生き方に変化はありましたか?

内山「僕はもう少しで宇宙飛行士になれたんだから、もっと頑張れるはずだ」というプライドが生まれました。たとえば仕事で大きな壁にぶち当たっても、「もう少しで宇宙飛行士になれたかもしれない僕なら、頑張れる……!」「宇宙飛行士だったら、もっとうまく切り抜けるはずだ」と、気持ちを奮い立たせられるようになったんです。

──ファイナリストとしての矜持ですね。それでたとえば、どんな壁を乗り越えたんですか?

内山:NASAに怒られたり、とか?(笑)

挑戦した経験から、仕事で壁にぶちあたっても自分を奮い立たせられるようになったそう(©JAXA)

──そんな壁、あります!?

内山:(笑)。フライトディレクタって、結構大変な仕事なんですよね。国内の運用チームを取りまとめながら、NASAとやりとりして、宇宙でのミッションをやり遂げないといけないんです。

で、まだ実力も全然ないときにJAXAから「2号機、3号機と続くわけだから、まず経験してみたほうがいい」と言われて、宇宙での「こうのとり」ミッションのNASA/JAXA統合シミュレーション訓練に参加したんです。

──まずは一回やってみろ、ということですね。

内山:そう。僕をはじめとする日本の運用チームは、みんな「次号機以降もにらんで経験値を積みに来た二軍のメンバー」だった。もちろん結果は散々ですよ。そしたら運の悪いことに、ヒューストンではその訓練をたまたまNASAのお偉いさんたちが視察していたらしく……!

ミッション成功を喜ぶ内山さん(©JAXA)

──最悪のタイミング。

内山:「打ち上げまであと半年ほどしかないのに、こんなんじゃやばいだろ! 対策を考えろ!」みたいに、思いっきり怒られました。

──むしろその状態から半年後の本番で、ちゃんと任務を遂行できたことがすごいです。

内山宇宙飛行士にもなれず、そのまま何者でもない状態で終わるのはいやだったんで、頑張りました。

NASAに怒られた経験も乗り越え、無事にミッション完了の記者会見を迎えた。(©JAXA)

ずっと宇宙飛行士に未練があった。でも今は、自分の仕事も誇れる

──しかし、試験に落ちたあともずっと宇宙開発に携わり、宇宙飛行士とも一緒に仕事をしているわけですよね。そんな環境で、すんなり夢をあきらめられたんですか?

内山また試験があったら受けたいという気持ちは残っていましたよ。でもなかなか次は実施されなかったし、年齢的なタイムリミットが近づいてくるにつれて、焦りもあった。「こうのとり」はすごくやりがいのある仕事だったけれど、心のどこかで、モヤモヤは消えませんでした

宇宙飛行士になる夢は簡単にあきらめられなかったという。

──どうやって折り合いをつけたんでしょう。

内山:試験から10年が経ったタイミングで書籍執筆という挑戦をしたことが大きかったですね。本が出るまでに2年かかりましたが、試験のことを丁寧に思い出したり、そのときの感情を見つめ直したり……最初は抵抗があったけれど、最終的にはかっこつけずに書ききって、気持ちが整理されていきました

──書籍も書き終えた今は「宇宙飛行士」という職業について、どう思っていますか?

内山:自分がなりたいとはもう思っていませんね。今はフライトディレクタとして、宇宙飛行士たちとも協力しながら、日本の宇宙開発をもっと進めていきたいです。そんなふうに素直に思えるところまで、自分も「こうのとり」で確かな成果を残してこられました

──今は内山さんも宇宙飛行士も、日本の宇宙開発を支えていくチームの一員ということですね。

内山:はい。それに、宇宙飛行士になっていたら経験できなかったようなすばらしい仕事を、地上からいくつもやれました。今回の書籍だって、受かった人には書けない文章が書けたと思います。

──最後に、内山さんがいま目標にしていることを聞いてみたいです。

内山:今は「こうのとり」に次ぐ、新型宇宙船の開発に携わっているんですよ。まずは国際宇宙ステーションへの物資補給ですが、その後は月周回軌道上にできる月ステーションに、地球から物資を補給することも視野に入れたプロジェクトです。それを成功させることがひとつと……。

──もうひとつは?

内山:今年秋、ひさしぶりの宇宙飛行士選抜試験があるということで、夢を追いかける次の世代を応援していきたいと思っています。宇宙飛行士に限らず、もし何かやりたいことがあって迷っている人がいるなら、ぜひ頑張ってみてほしいですね。

たとえ結果がどうなっても、本気でアクションすることは、自分を成長させてくれる。そのなかで培われた人間力は、そこからどんな道を進むにしても、かならず役に立つと思います。

内山崇(うちやま・たかし)

1975年生まれ。2000年東京大学大学院修士課程終了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(〜9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト(10名)。宇宙船「こうのとり」フライトディレクタ。2009年初号期〜2020年最終9号機までフライトディレクタとして、ISS輸送ミッションの9機連続成功に貢献。現在は、日本の有人宇宙開発をさらに前進させるべく新型宇宙船の開発に携わる。

Twitter:@HTVFD_Uchiyama

Note:Takashi UCHIYAMA/内山崇|note

取材・文/菅原さくら(@sakura011626