すこしお高いお寿司屋さんにいった。カウンターの中には3人の板さんがいる。ぼくの目の前にいる板さんが、おそらく一番えらい大将だ。大将はそういうキャラクターで売っているのか、すこしイライラしている様子だった。

一見の客が自分の店へ来たことに、ムカついたのかもしれない。もしかしたらこのお店ならではのマナー違反をしていたのかもしれない。まず最初に名刺を出すとか、切り身に挨拶をするとか、なんにしても初めてのお店なのでよくわからない。

本日のおすすめを見ると、北陸のカニを入荷しているようだった。あぁ、いいなぁとおもいカニを刺身で注文する。「オスとメスがあるけど、どっちにする?」と大将にぶっきらぼうに聞かれる。

ぼくは東京生まれ東京育ち、東京っぽい人はだいたい友達だけど、北陸のカニのことなんかまったくわからない。カニの性別なんて人生で一度も気にしたことがない。「おすすめはどっちですか?」と質問をすると「どっちも美味しいけどね。」とちょっとキツめの口調で切り返される。

なんだよ、あんた。カニの父親かよ。ぼくはカニとの結婚の許しをもらいに来たんじゃないんだよ。いいんだよ、入荷とか在庫の都合や大将の経験でおすすめしてくれれば。なにも考えずに「じゃあ、メスでお願いします。」と返すと「オスのほうが美味いけどね。」とまた強い口調で切り返される。

大将、今日はどんな嫌なことがあったんだ? あんたはカニのなんなんだ? ぼくのことがどんだけ嫌いなんだ……。オスがおすすめなら、最初にそれを笑顔で答えてくれればいいじゃないか。本日のおすすめにカニって書くなら、オスをおすすめしきってくれ。こっちはもう心が折れそうだ。

オスのカニは、たしカニ美味しかった。カニだけにね。焼き魚もにぎりも美味しかった。お茶もガリも美味しかった。怖い大将だったけど、おなじプロとして学ぶこともある。ぼくは写真のプロだ、下積み時代はそれなりに苦労もあった。カニの性別で大将にちょっとイジワルされても、それを反面教師にすればいい。

写真家というのは、他の写真家と撮影現場が一緒になることが基本的にはない。あるとすれば記者会見のような、報道系の人がたくさん集まる状況ぐらいしかパッと浮かばない。だから他の人が撮影した写真を見ることはあっても、他の人がどうやって撮影しているのか案外知らないものだ。

テレビドラマに出てくるような「いいよ、いいよ、いいねぇ。」みたいにしゃべりながら撮影する人はあんまりいない。華やかな世界に見えるかもしれないけど、わりと地味な世界だ。ただ、めちゃくちゃたのしい世界なだけだ。

アシスタント時代とは違って、プロとして独り立ちしてしまうと他の写真家のスタイルを間近で見れないので、数年もすると井の中の蛙になってしまいがちだ。それを防ぐために写真ではない、他のジャンルのプロのスタイルを見ることが大切だったりする。

たとえばデザイナーさんと一緒に仕事をする機会があるので、デザインの仕事を観察する。他にもタレントさんだったり、メイクさんや印刷所の人や営業さんだったり、たくさんのプロが集まっているのが撮影現場だ。

日常生活の中でも電車に乗れば駅員さんが、コンビニには店員さんが、タクシーに乗ればドライバーさんがいる。映画はたくさんのプロが結集している作品だ。この原稿はカフェで書いているけど、美味しいカフェラテを提供してくれる人がいる。社会はいろいろなプロの仕事であふれている。もちろんお寿司屋さんの大将だってそうだ。

いま手にしているスマホだって、開発する人がいて、製造する人や物流や販売のプロの仕事によってぼくたちの手にある。充電ができているのはインフラを支えている人がいるからだ。

社会にいるたくさんのプロたちだって、最初からプロであったわけじゃない。誰にだって下積み時代や、不慣れな時代があったはずだ。会社に入ったばかりというのは、誰だって右も左もわからないものだ。ぼくは美味しいカニの性別も知らなかった。

最初は誰だって何もわからないということは、忘れてはいけない大切なことだ。自分が知っていることは、相手が知っているとは限らない。それが専門性の高いプロになればなるほど、わからないものだ。

よく新人や新卒の人にたいして「最近の若いヤツは仕事ができない」なんてことをいったりする人がいる。あたりまえだ。もしも新人や新卒がめちゃくちゃ仕事ができたら、給料の高いおじさんは駆逐をされるだけだ。仕事がまだ不慣れな新人によって成り立っている、井の中のおじさんやおばさんもいる。

社会は何かのことに詳しい人たちの集まりのおかげで成り立っているし、自分の仕事も支えられてる。写真家はカメラとパソコンがないと仕事にはならない。そして自分の分野以外のプロの仕事を見ていると、付加価値についてとても勉強になる。

ぼくはもう大将のお店にはいくことはないだろう。生意気な意見かもしれないけど、美味しいお寿司屋さんは他にもたくさんある。ましてやすこし高いお金を出すのだ。好きなお店や、応援したいお店にお金を落としたいものだ。

「メスは卵に栄養がいくから身が細くなるんです、オスは身がギッシリ詰まってて、オスがおすすめなんですよ。」と笑顔でおすすめしてくれれば、ぼくは誰かに大将のお店をおすすめするのだ。(大将にカニマウンティングされたのが悔しくて、オスが美味しい理由を調べた。)

プロとして技術があれば、プロの世界では通用するけど、お客さんの世界で通用するとはかぎらない。結局のところ技術だけでなく人柄も大切だったりする。技術がすこし落ちようが、ぼくはたのしい大将がいい。写真が下手なのに仕事が絶えない写真家の存在が、アシスタント時代や駆け出しの頃は本当に謎だった。だけどきっとこういうことなんだとおもう。

何かを知らない人に、何かを教えるのは技術がいる。説教くさくなってもいけないし、マウンティングになっても、嫌味っぽくなってもいけない。相手の心を折ったり遠ざけずに、それでいて適切なことを伝えなければならない。

教育というのはできないことを、できるように成長させることだとおもう。これは子育ても新人教育もおなじことだ。できないことを親がやってあげることが子育てではない。できないことを親が子どもにかわってやってあげてたら、子どもは一生できない子どもになる。

イライラしながら、自分が知っていることをマウンティングするような態度ではダメなのだ。とういうか友達にだってやられたら嫌だろ。逆にいえば相手の心を遠ざけたり、折ったりすることはとても容易だったりする。新人教育も子育ても時間がかかる、時間がかかるので待ってあげることが大切だ。

趣味の世界だっておなじことだ、写真が好きになって趣味にしようとはじめた人の心を折るには、その人の撮った写真をバカにして、マウンティングをとればいいだけだ。どんな趣味でもその人の好きな気持ちを継続させて、成長させることのほうがずっと有益だ。

何かを教えるには理解していない人の目線にまで、グググっと下がって教えてあげる必要がある。時間がかかったり、イライラすることもあるだろうし、望んでいる結果にならないかもしれない。でもその教える態度を相手は見ている。

どんなに仕事ができて優秀な人だろうと、いずれおなじように優秀な若い人に追い抜かされて、井の中のおじさんになる。そのときに教え方も下手だったり、性格まで悪かったりすると存在意義が怪しくなる。人には付加価値があったほうがいい。

自分の仕事が一人前になったと自覚ができてきたら、次のステップは教えることの一人前になることだったりする。自分に言い聞かせるように、カニを食べながら感じたことだ。

この記事を書いた人

幡野広志

幡野広志(はたの・ひろし)

1983年 東京生まれ。著書に『僕が子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)、『僕たちが選べなかったものを、選びなおすために。』(ポプラ社)、『なんで僕に聞くんだろう。』『『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。#なんで僕に聞くんだろう。』(幻冬舎)がある。

Twitter:@hatanohiroshi

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