今やタレントとしてすっかりおなじみとなった元衆議院議員・杉村太蔵さん。大きな声で中身の薄い発言をする愛されキャラ。そんなポジションで様々なメディアから引く手あまたとなっている。

ところが意外にも彼はこう言う。今のポジションには「なりたくてなったわけではない」と。さらには「仕事選びは、お金がすべて。今の仕事だって、お金をきちんともらえなければ絶対にやってない」とまで言い切る。

確かに、仕事とお金は切っても切り離せない。とはいえここまでドライに割り切り、それを公言する著名人も珍しい。

実は杉村さんが今これだけ活躍しているのは、そうした仕事哲学が大きな原動力となっている。そしてその根底には、彼が20代と30代で迎えた大きな“ピンチ体験”がある。

働かないなら死ね! それがすべての始まりだった

杉村太蔵
杉村太蔵(すぎむら・たいぞう)。1979年生まれ。派遣社員から外資系証券会社勤務を経て、2005年に26歳で衆議院議員に当選。その任期を満了後、2010年に参議院選挙に立候補し落選。以降はタレント活動の他、さまざまな事業を展開する。

現在の“杉村太蔵”像を形作る大きなきっかけとなるできごとが、2003年12月に起こった。24歳で迎えた冬のことだ。

「僕はテニスで高校3年生時に国体で優勝していて、スポーツ推薦で大学に入りました。入学後は弁護士を目指し、司法試験の勉強に取り組みました。ところが合格のめどはなかなか立たず、気づけば留年を重ねて大学6年生に…。そしてこの冬もすでに単位が足りず、さらなる留年が決定していました」

就職活動はまったくしておらず、時は超就職氷河期。焦った杉村さんは、北海道で歯科医を開く父親に提案した。

「このままいても卒業できないし、家に戻って仕事を手伝うよ」

しかし父親からは「資格もないのに歯医者の仕事ができるか」と突き放される。さらに、面と向かって言い放たれた。

「働かないなら、死ね!」

ただちに仕送りも止められた。貯金はゼロ。すぐに働かなければ、家賃さえ支払えない。この父親からの強烈な一言が、杉村さんの人生を大きく変えることになる。

「それまで僕は夢ばかり追っていて、甘ちゃんどころか“大甘”でした。でもあそこで実の父親から『死ね!』と言われ、目が覚めました。僕も子どもが3人いるのでわかりますが、なかなか自分の子どもにそこまで言えるものではありません。父も僕のことで相当にせっぱつまっていたのでしょう」

杉村さんは、すぐに行動を起こした。

「就職情報誌を片っ端からチェックし、職探しを始めました。でも履歴書を送っても、のき並み書類選考で落とされる。『自分は社会から必要とされていないんだ』という大きな挫折感が募るばかりでした」

年が明けてからは、派遣会社数社に登録。すると、その一つから「ビルの清掃のお仕事があります」と連絡が入る。杉村さんは二つ返事で引き受ける。

「『こんな自分でも必要としてくれる所があるんだ!』と大きなやりがいを感じました。だからオフィスもトイレもピカピカに掃除したんです」

ここから、杉村さんの人生が大きく変わっていく。

1年半前まで派遣の清掃員だった26歳が、国会議員に

杉村太蔵

「清掃仕事に就いて2~3カ月が経った頃、フロアに入居する外資系証券会社の社員に『きみは将来必ず出世するだろう。うちの試験を受けてみないか』と誘われました。一週間みっちり勉強して試験にのぞんだところ、なんと合格。晴れて証券会社の契約社員となりました。初めはお茶くみやコピー取りなど雑用業務が主でしたが、無我夢中でこなすうちに、だんだん重要度の高い仕事も任されるようになっていきました」

では、どうやって重要度の高い仕事を任されるようになったのだろうか。

「頼まれたことだけをやってちゃだめですよ。たとえば、上司に接待用の店を抑えろ、と頼まれた場合、上司にどの店がいいか聞くのは最悪です。僕は、経理に行って、過去の上司の伝票のコピーを見せてもらい、そこで上司の好みを把握する。お店の予算や上司の好みのテイストなどは、伝票を見ればわかりますから。そこで、前回は中華か。じゃあ、続けて中華はないな、と和食か洋食を候補にする。さらに、テイストを把握したので、上司が好きそうな最近話題のお店をランチなどで下見に行く。接待のお店を予約するという雑用でも僕はそこまでやる。そういう姿勢が大事なんです」

雑用でも手を抜かない杉村さんだが、さらなる驚きの展開が待っていた。

「ある日、仕事中にネットで、自由民主党が次の衆議院議員選挙の立候補者を公募しているのをふと見つけたんです。しかも提出する論文課題が、ちょうどその時自分が上司に頼まれレポートをまとめていた『郵政民営化』についてでした。そこで、小泉(純一郎)さんへのファンレターの意味も込めて応募してみたんです。もちろん選ばれるなんてまったく期待していませんでしたが、論文自体は投資現場のリアルな声を存分に盛り込みながら真摯に郵政民営化を論じました。するとその論文が気に入られ、自民党から『すぐに来てくれないか』と連絡がきたんです」

以降、5度の面接を経て、杉村さんは党公認の立候補者に正式決定。そして2005年9月、選挙で自民党は圧勝し、比例区だった杉村さんも見事に当選を果たす。会社にはすぐさま辞表を提出。たった1年半前には派遣で清掃員をしていた26歳の青年が国会議員にまで昇り詰めるという、まさにシンデレラストーリーだった。

その後はよく知られるように、「早く料亭に行きたい」「国会議員の年収、2500万円ですよ!」「これでBMWが買える」などの不用意な発言を連発し、議員就任早々、大バッシングを浴びる。ただしそれが落ち着いて以降は、国会議員の業務にがむしゃらに励んだ。とりわけ労働問題に力を注ぎ、ニート・フリーター問題など若者の雇用環境改善に力を尽くした。

こうしてすっかり人生の波に乗ったかと思われた杉村さん。しかしその先にもう一つ、大きなピンチが待っていたのだ。

妻子を抱えて無職。それを救った予想外のポジション

杉村太蔵

杉村さんは衆議院議員として4年の任期をまっとうした後、2010年7月に今度は参議院議員選挙に立候補。しかし全力を尽くしての選挙活動もむなしく落選。こうして妻子を抱える30歳・杉村さんの“無職生活”がスタートする。

「選挙活動に貯金の大半を使い、この先何をすればいいかもわからない。まったく先が見えないまま、悶々と家に引きこもっていました。今思い返しても、あの頃はめちゃくちゃつらかったですね。人から『今何をしているんですか?』と聞かれるのが本当につらかった…。でも結果的にあの時の経験があったからこそ、今こうして仕事を得られているんです」

ピンチの杉村さんを救ったのが、テレビの仕事だった。無職となって3カ月ほど経った頃、TBS『サンデージャポン』から出演オファーが舞い込む。杉村さんが求めていたのは、1回限りの仕事ではなく定期収入となる仕事だったが、せっかくの話だからと記念のつもりで出演すると…。

「番組出演後、スタッフが『よかったです!』と駆け寄ってきました。何がよかったのかと聞くと、なんと“薄さ”がよかったと言います。『あんな誰でも言えるようなことを、こんなに大声で言う人はいません。だから来週も再来週も来てください』と。人間、何が評価されるかなんて本当にわかりませんよね。それからは、そうした部分を前面に出していくようになりました」

こうして今に続く“薄口政治評論家”のキャラクターを確立した杉村さん。以降はサンデージャポンに準レギュラーで出演するようになり、次第に他の番組からも声がかかるようになる。今ではそのちょっとおバカで、時に真面目で熱いキャラを活かしながら、テレビのみならずラジオ、雑誌、ウェブ、講演などと活躍の幅を広げている。

こうした稀有な体験を経た杉村さんだからこそ、冒頭の言葉「仕事選びはお金がすべて」につながるのだ。

「仕事がない大変な時代を経たことで、お金の大切さが身にしみてわかりました。だからこそ当然といえば当然ですが、仕事は利益を上げることを何よりもの目的としています」

そして、このように仕事をビジネスと割り切ることでこそ得られた視点があった。

求められるものを突きつめれば道は開ける

杉村太蔵

「仕事で利益を上げるには、とにかくいただいた目の前の仕事に全力を注ぐこと。もう本当にこれに尽きるんですが、実はその際に重要なポイントが一つあります。それは売りたいものではなく、売れるものを売ること。両者は似ているように見え、まったく違います。たとえばマクドナルドの社長は、もしかしたら健康に特化したオーガニック食品を売りたいかもしれない。でもマックで売れるのは、やっぱり大衆的なハンバーガーですよね。そうした視点はビジネスにおいて何より大切です。僕の場合それは、自分にお金を払ってくれる番組のプロデューサーやディレクターの要求にとことん応えること。だから薄口と言われようが馬鹿と言われようが、お金をきちんともらえるのであれば僕は何でもします

こういう合理的な考え方に慣れていない日本人には正直、”そんなふうに自分を殺して仕事は楽しいの? “と感じられることもあるかもしれない。

「もちろん夢ややりたいことを追い、それを貫き通すのはすばらしいことだと思います。それを続けられるのであれば、続ければいいと思う。でも残念ながら人生は夢・目標に届かないことや、やりたいことだけでは行き詰まる場面が往々にしてあります。そんな時は自分のやりたいことはいったん横に置き、今度は周りが自分へ期待することにとことん応えてみる。そういう生き方にシフトしてみる。それにより、一つ道が大きく開けると思うんです」

それを突きつめたからこそ得られた、今の杉村さんのポジション。最後に彼は明かしてくれた。

「正直僕は、タレント活動をするなんて夢にも思っていなかったし、今のポジションにもつきたくてついたわけではないというのが本音です。でも実際にやってみて、一つ確信したことがあります。それは、今のように仕事があること、人から求められるものがあるというのが、ものすごーーーく幸せだということです」

杉村太蔵(すぎむら・たいぞう)

1979年生まれ、北海道出身。筑波大学中退後​、派遣社員から外資系証券会社勤務を経て、2005年に26歳で衆議院議員に当選。その任期を満了後、2010年に参議院選挙に立候補し落選。以降はタレントとして活動し、TBS『サンデージャポン』をはじめ多数のメディアに出演する。並行して証券会社時代の経験を活かした投資活動や、ベンチャー企業支援事業、地域活性化事業も展開。著書に『バカでも資産1億円』(小学館)。私生活では三児の父。趣味のテニスは国体で優勝したほどの腕前。

<取材・文/田嶋章博(@tajimacho) 撮影/奥本昭久(kili office)>