「あの夜、私は感染した」と性感染症(STD)にかかった経験を告白したり、「マドジャススク水作戦」と称してスクール水着で渋谷に出没したり、セックス中の脳波を測定したり……。インパクトの強い尖った記事でネットを席巻する女性ライター「マドカ・ジャスミン」。

その認知度が高まるにつれ、彼女は仕事のために作り出した「マドカ・ジャスミン」というペルソナと本当の自分とのギャップに悩むようになり、ついに心と身体のバランスを崩してしまいました。その時の体験を振り返って「生きづらさに悩む人たちへのメッセージ」を言葉にしていただきます。

マドカ・ジャスミンは追われている

「ぶっ殺すぞ!!!!!!!!!」

ドスの利いた声で目が覚める。声の主は自分自身。横で寝ていたパートナーが驚きを孕んだ瞳で私を見ていた。

私はよく夢を見る。それは眠りが浅いことを証明していた。夢は、8割の確率で何かしらに追われて、逃げているものだった。ある日はテロリストから、ある日は様子がおかしい友人から、ある日はおぞましい怪物から。言ってしまえば、危機回避シミュレーションを行っているわけだ。そんな夢が伴う眠りで、疲れなんて取れやしない。

現実でも、私は追われている。走り続けている。フリーランスという仕事上、自分が立ち止まってしまえば食べることも、家を借りることも、お風呂も、お洒落も、何もかもできなくなってしまう。

仕事がコンスタントにあれど、毎月一定額が入金されるわけではない。案件の翌々月振り込みなんてザラで、とにかく仕事を途絶えさせてしまった瞬間にTHE ENDだ。

走っているとは言えど、その道も道と言えば怪しく、正確に表現するならば綱渡りに近い。止まっても落ちる、進め方を間違えても落ちる。執筆した記事のPV数やシェア率が高ければ、継続的に執筆依頼は舞い込む。イコール定期的な収入を得ることが可能だ。しかし、その逆もまた然り。

自分の性格的にそういうギリギリの状態は、100%嫌いではなかった。ギャンブラーは言い過ぎだけど、生きるか死ぬかのメーターが小刻みに揺れ動き、ある時に生きるに振り切った時の凄まじい快感。それに魅了されているからだ。

だから、ピンチを自分で呼び込んでいるとも思う。

自主イベントを行った際、様々な要素が重なって赤字化した。だが、その数週間後にその赤字分を回収できる案件が舞い込んだこともあった。

結果は御の字であったが、その数週間は地獄のような精神状態であったのもまた事実。一発逆転劇をやりたいが故に神経を擦り減らす。これも一種のワーカホリックなのかもしれない、と苦笑したところでそれが治ることはなかった。

マドカ・ジャスミンの認知度と引き換えに失ったもの

神経を擦り減らした回数を重ねる毎に“マドカ・ジャスミン”の認知度は上がっていった。友達からの「知り合いが君に会いたいって言ってたよ!」や、初対面の人に自分の説明をしなくとも、私がどんな仕事をしているかを前もって知られていることも増えた。

元をたどれば、“マドカ・ジャスミン”を始めようとした理由が『有名になりたい』だったので、この状況は願ったり叶ったり。だったはず。

しかし、いざ実際にそのような状況になってみたら、窮屈で窮屈でしかたない。仕事で神経を擦り減らし、有ること無いことを噂され、プライベートでも自分ではない“自分”が求められる。

本来の自分は、性格が暗く人見知りだったり、争いごとを避けたかったり、夜通しで遊ぶこともあまりしたくなかったり、自宅で手料理を彼と食すことに幸福を感じたり、さらに言えば自分が好きじゃない人と仕事でもプライベートでも関わりたくなかったり……。

周りが私に抱いている“人間が大好き。破天荒。いつもドンちゃん騒ぎをしている。キラキラした日常を送っている”といったイメージとは、お腹を抱えて笑ってしまうほど真逆なわけだ。

自分の意思によって生み出したペルソナによって、いつしか自分が蝕まれているような感覚に陥っていった。過去の自分の理想は、今の私にとっては悪夢以外の何物でもなかったのだ。

そして私は、とうとう身体と心のバランスを崩した。

不安・苛立ち・焦り・恐怖・怒り……ネガティブな感情に支配された

マドカ・ジャスミン

2018年5月末から6月前半。まさにそれは、地獄そのものだった。原稿を書きたいのに書けない。打ち合わせや集まりに行きたいのに行けない。近所を一人で歩くだけで心臓がザワザワし、涙が出てくる。ほんの少しのストレスで吐き気がする。

元からメンタルは強いほうではない。けれど、ここまで日常生活に支障を来すことは今までなかった。行動だけではなく、食べ物の味がしない、眠いのに寝られないといった症状も併発していた。今まで当たり前にできていたことができなくなっていたのだ。

外出ができない、人と会いたくない。それらによって、相次ぐ仕事のリスケジュール。そして、それが原因でまた気分が底に着く。まさに負の連鎖。

不安・苛立ち・焦り・恐怖・怒り……ありとあらゆるネガティヴな感情が心を滅茶苦茶に支配し、とうとう一番身近にいた彼が矛先となってしまった。

「どこにも行かないで。置いていかないで」「死ね! お前のせいだ!」

矛盾する言葉を交互に彼へぶつける日々。今思い出すと、自分がゴミ屑でしかない。けれど、当時はそんな基本的な理性すら働かない。

世間がまぶしい夏を待ちわびる中、私と彼は真っ暗で先が見えず、ジメっとして気持ちの悪いトンネルをひたすらさまよっているようだった。

東京から離れ、緩やかな時間の流れの中で

秋田の風景

窓から見える街並みが移り変わっていく。まるで映画『千と千尋の神隠し』の冒頭シーンのような秋田への道中。段ボールの荷物がパンパンに詰め込まれ、居心地がいいとはいえない車内。私は運転する彼の横顔を見ながらずーっと考えていた。「私の今までは何だったんだろう。私は何になりたいんだろう。何者なんだろう」と。

彼がこれ以上一緒に過ごしていたら、共倒れになると判断し、秋田にある彼の実家で静養することとなった。二泊三日の滞在を終えた彼は、私を残し帰京する。東京と違い、静かすぎる地域の静かすぎる部屋で見慣れない天井を見つめながら思いを馳せる。

6月に予定されていた仕事はもちろんすべてリスケ。かろうじて、電話取材可能な案件のみはこなすことができた。それでも、膨大に有り余る時間。「車の免許を所持していないと移動手段に困る」、そんな彼からの前情報の通り、近所の自転車で行ける範囲でしか行動ができなかった。

秋田の風景

秋田に到着して購入した本、東京で購入したものの読めずにいた本は最初の三日で読み終えた。Twitterをのぞけば、いつもの日常だったものがそこにはある。秋田の緩やかな時間の流れの中から見るトウキョウの人たちは、激流の中を逆走しているように思えた。自分が今の状態になったことをごく一部の人間に話す度、「実は自分も……」という反応に、唖然とするほど、身近に多くいた激流に溺れ苦しんでいる人の存在を知る。

私たちは、何を理由に激流へ向かうのか。

穏やかな川のような環境は、今まで気づこうともしなかったさまざまなことに気づかせてくれた。猫の気ままな姿、採れたての美味しい魚、いつもより広いベッド、誰にも邪魔されないDVD鑑賞に読書時間、身体が喜ぶ新鮮な水、澄み渡る空気、神々しく生い茂る緑たち、恐ろしいほど美しい海。これで、十分じゃないか。生きるにおける“幸せ”が溢れていた。

自分自身についても。必死の思いで秋田へ私を届けた彼、突然にもかかわらず私を受け容れてくれたご家族、気にかけてくれる彼の地元の友人たち、遠くで心配してくれる父親と母親、帰京を待ちわびてくれている友人たち、リスケに快く応じてくれたクライアント様方……、「何だよ、私って幸せじゃない」。

マドカ・ジャスミンとは何だったのか

マドジャスの後ろ姿

正直、自分で何もかもできると思って、いや、できなきゃいけないと思って、ここ十数年を生きてきた。高校を中退して中卒という肩書きを背負い、「それを払拭するためには仕事で結果を残さなければ!」と、兎にも角にもがむしゃらで、時には寝ず、プライベートを削り、ただただひたすら目の前の仕事をこなしてきた。1日15時間も働いていたことさえあった。

弱みを出せばつけこまれる、背伸びをしなければ舐められる、相手が欲しい言葉を与えなきゃ離れられる。それなら、強く勇ましくいなきゃいけない。かっこよくいなければいけない。親の離婚、去っていった好きだった人、離れていった友人たち。私が無力でちっぽけだったせいで引き起こされたのだと、いつのまにか私は自分を自分で呪っていたのだ。

もしかすると、その呪いの具現化こそがペルソナであるマドカ・ジャスミン……なのかもしれない。本当は、完璧でも何でもないのに、そう見えるよう振る舞い、自分の抱く幸せのイメージすら呪いに蝕まれ、偽りの“幸せ”が生まれてしまったわけだ。

虚勢によって得られるものだってあるけれど、それの限界値はとんでもなく早い。人は自分が求めているものしか手に入らないし、自分がなりたいと思うものにしかなれない。即ち、願望と行動が一致しなければ、遅かれ早かれ不均衡が起きる。

私が私のためにマドカ・ジャスミンを創り出したのは紛れもない事実で、“彼女”によって私は言葉では言い尽くせないほどに救われた。広すぎるほどの世界を与えてくれた。だから、恨んでなんかいない。むしろ、感謝しかしていない。

でも、私が本当に欲しかったのは、ヒリヒリして、ギラギラした生活じゃなくて、好きな人たちと笑い合って、自分の好きなものに囲まれるという生活。たったのそれだけなのだ。勝ち負けを競ったり、他人と比べたりして心が疲弊しない状態。本当はそれらを求めているのに、自分は真逆なものを求めていると勘違いした結果が、私が陥った状態なのだ。

強さが正義ではないように、弱さが悪でもない

マドジャスとパートナーが手を繋いでいる写真

強さが正義でないように、弱さが悪でもない。人より抜きん出る能力があったとしても、その人が正義であるかといえばそうじゃない。物事には何事においても、二面性がある。私にしても、個人で仕事をする上でメリットになっても、集団の中ではデメリットとなる要素をたくさん持っている。

デメリットを否定するのは簡単だが、果たしてそれで本当の意味での進展を望めるのか? 自分自身で否定をしてしまったら、自分ではない人間になるのではないか? 長所が正義で、短所が悪なんて一体誰が決めつけた? この世は、異なる正義が存在するだけじゃないのか? 不偏的な真理から目をそらし続けるそんな生き方、私は嫌だ。

ならば、否定するのではなく、先ずは認める。次に補う。つまり、愛だ。私の得意で、誰かの不得意を埋める。逆も然り。こんなにもたやすく、生産的なことがあるのか。どうしてもできないことがあれば、誰かに泣きつけばいい。一瞬の迷惑だけで自分の人生が豊かになるのなら、安いどころの騒ぎではない。いつか自分のできることが増えた時、その恩を返せばいいだけなのだ。

私、マドカ・ジャスミンも同じ。

弱いし、足りないし、不得意も多い。たくさんの迷惑も掛けている。

でも、自分でそれを認め、周りに認められれば、行き着く先は明るい未来そのものだ。

自分が幸せじゃない未来に誰かの幸せなんてない。

<あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない>

激流の中にいて、“貴方”は本当に幸せですか?

この記事を書いた人

マドカ・ジャスミン

マドカ・ジャスミン

エバンジェリスト。多種多様な人脈や行動力を武器としたライティング、またSTD(性感染症)やHIV防止啓蒙活動も行う。その豊富な経験とユニークな着眼点から人間模様を中心とした執筆内容が支持されている。雑誌や地上波TV番組への出演多数。

ブログ: マドカ・ジャスミン オフィシャルブログ

Twitter: @mdk_jasmine