筆者が会社を辞める決意をした台風の日

人の悩みのほとんどは、人間関係に由来していると言われている。あの人は自分のことをどう思っているのだろうか、この前の失敗をまだ許してくれていないのではないか、どうしてもあの人の言い方が気に食わない。そういった人間関係に対するストレスを抱えながら、誰もが生きている。そうでない人がいたとしたら、よっぽどおめでたい人物だ。

嫌なら付き合うのをやめればいいプライベートの友人と違って、特に会社での人間関係は悩みのタネになりやすい。筆者は現在、フリーランスとして働いているが、1社目の会社を辞めたのは上司との折り合いが悪かったせいである。上司は決して悪い人物ではなかったものの、典型的な体育会系で集団主義。筆者がノルマを達成できても、「他の人がまだ達成できていない」という理由で、繁忙期の週末に休みを取らせてくれなかった。

しかも、その日は、筆者が大好きで楽しみにしていたバンドのライブがあったのである。

その日、関東地方には台風が近づいていた。意味のない出社をさせられ疲弊して帰る途中、信号待ちをしながら、放心状態に陥っていた。見通しがよい、直線の二車線道路。信号待ちといっても、台風で外出を控えているのか、一台もクルマが走っていない。にもかかわらず、雨の中、たたずむ自分に「いかにも規律を守る日本人らしいな」と苦笑いしていた。

まさに、そんな時である。強風で何かが飛んでくるのが見えた。その何かは足元の水たまりに落ち、泥だらけになって、また強風で転がっていった。ブラジャーだった。誰かが干していた洗濯物が、飛ばされてきたのだろう。筆者はその瞬間、会社を辞めることを心に決めたのだ。

今考えればもう少し我慢して勤めればよかったとも思うが、泥だらけで転がっていったあの日のブラジャーの姿は、15年近く経った今でも筆者の心に深く刻まれ続けている。

会社の飲み会は業務の一環?

さて、話がそれまくってしまったが、会社勤めはとにかくフラストレーションが溜まる。そのフラストレーションを和らげ、人間関係を円滑にしてくれるのがお酒の席、つまり飲み会だ。一昔前までは、「飲みニケーション」と言われ、昭和の企業戦士たちにとっては、飲み会は重要な社交場の一つだった。社外だけではなく、社内の飲み会も同じだ。

お酒を飲めば、気分がリラックスできて、普段話をしない人とも本音で会話できる。ちょっと苦手な上司にも、悩みが打ち明けられる。ライバル関係にあった同期の、意外な一面を知ることができる。「無礼講」という言葉が象徴するように、いつもの職場の空気とは違った、ノリのよい砕けた雰囲気の中、人間関係を築いていくことができるのだ。

しかし、今はお酒を飲まない若者が増えていると言われ、プライベートを優先し、仕事上の付き合いは最低限にしたいという人もいる。「飲みニケーション」に不満を持つ人も多く、人間関係を円滑にするはずの飲み会が軋轢(あつれき)の元になることも多い。特に、筆者が取材した中で意見が分かれたのが、「自腹での職場の飲み会は許せるか」という問題である。

景気がいいアゲアゲの時代とは違い、会社の経費や上司のおごりで飲み会が開かれるケースが減っていることが背景にあるのだろうか。「職場の飲み会は業務の一環」と考える人も多く、「仕事として参加しているのに、自腹は納得いかない」という意見もよく聞かれる。「自腹での職場の飲み会は許せるか」という問題は、現代的なモヤモヤの種なのである。

自腹で会社の飲み会に参加することを、世間の人々はどのように感じているのだろうか。ウェブアンケートや周辺取材によって集めた声をもとに、この問題について考えていきたい。

先輩の武勇伝を聞く場に、お金を払う理不尽さ

さっそく、「自腹は納得いかない派」の意見をチェックしていこう。

「歓送迎会の場合は仕方ないと思いますが、プロジェクトの打ち上げ、忘年会、そのほか定期の飲み会などは仕事の一環と感じるので、自腹は絶対にナシです」(30代男性

「自ら行きたいわけでもなく、会社の人間の世話をするような飲み会にお金を払わなければいけないのが納得できない」(20代男性)

「上司の機嫌をとらなければいけないのに、なぜお金を払う羽目になるのか……」(30代女性)

「気を使わなければいけない上司がいる場合、飲み会は楽しめません。プライベートの時間を拘束されるため、仕事の一部と感じる(結局、行きますが)」(20代男性)

「先輩の武勇伝を聞く飲み会にお金を払わなければいけない理由がわからない」(20代男性)

「職場の飲み会は、財産権の侵害だと思う」(40代男性)

「個人的かつ自主的にやる飲み会は負担します。でも、会社都合のものは、歓送迎会でも定期の飲み会でも負担したくありません」(40代女性)

「飲み会自体が嫌。仕事以外でのコミュニケーションは必要ないからです。お金を払う価値がない。美味しい焼肉を奢りで食べさせてくれるなら行きます!」(20代女性)

やはり、職場での飲み会を「業務の一環」「仕事の一部」と考える人が一定数いるようだ。しかも、会社ではどうしても上下関係が発生する。「無礼講」とはいえ、立場が下の人がお酌をしたり、愛想笑いをしたり、お世辞を言ったりしなければいけない場合が多く、特に若い層は自腹での飲み会参加に不満を持つことが多い。「財産権の侵害」だけならまだしも、お金も心も時間もすり減らす飲み会なんて、たしかに御免である。

上司の機嫌をとる時間に、お金を払う理不尽さ

さらに、こんな意見もある。

「会社の人と飲むのは(特定の人と行きたいと思う場合は別ですが)、生産的じゃないと思う。飲み会に出た時間分の手当をもらいたい。そして、どうせ同じ経費を使うなら社外の人と話したいです」(30代男性)

「その分のお金と時間を、自分が本当に会いたい人との飲み会に使いたい」(30代女性)

仕事の飲み会自体は否定しないが、社内の人と飲むよりは、社外の人と飲んで見聞を深めたい、ということだろう。こう思っている人は多いのではないか。積極的に社外の人と交流し、情報を得て、自社に知見を還元する。そういう行動に、もっと経費が出るようになればいいのだが。

そして、筆者が取材する前に予想していたとおり、下記のような声も当然、噴出した。

「アルコールが好きじゃないので、酔っ払って生産性のない会話に時間を費やすことが苦痛。本来なら業務内でのちょっとした会話で補完できるし、(お酒を飲まなくても)コミュニケーションを円滑にする取り組みをつくる工夫をすべき」(30代女性)

「アルコール自体が苦手です。『飲みニケーション』は前時代の遺物であり、コミュニケーションは仕事の中で高めるべきものであると思っています」(30代男性)

「禁酒をされている方、もともとお酒の飲めない方は、飲む方に比べて割に合わないと思います。せめて、会費に差額を設けたらいかがでしょうか」(60代男性)

これら気持ちはよく理解できる。筆者は、30歳を過ぎてから体を壊し、医者に飲酒を止められて以来、お酒を飲んでいないからだ(それまでは、大のお酒好きだった)。

お酒を飲んでいた時にはあまり意識しなかったが、世の中には飲み会の場が嫌いだったり、もともと体質でアルコールが飲めなかったりする人がいる。そういう人に、「お酒はコミュニケーションや人間関係を円滑にする」と言ったところで、ただの一方的な価値観の押し付けである。

そして、60代の男性が指摘したとおり、飲める人と飲めない人とでは、使っている金額に差があることは明白だ。好きで参加しているプラベートでの飲み会や、職場の飲み会でも会社の経費や上司のおごりで参加できる場合はいいのだが、職場の飲み会が自己負担で、しかも割り勘の場合は不満を持つ人もいるだろう。幹事を任された人は、気を使いたいところだ。

経費で飲むくらいなら、給料を上げてほしい!

さらに、自腹の金額についてこだわる層もいて、

「強制参加で6,000円を超えてくると、ご勘弁願いたく思います」(20代女性)

「金額は高くても1回5000円以下(よくある飲み会コース程度)、頻度は月1~2回程度までなら、自腹でもオッケー」(20代男性)

という意見があった。たしかに3000〜4000円程度なら我慢できるが、5000円を越えると懐にダメージが大きいと感じる人が多いのではないか。

なかには、こんなエピソードを披露してくれた人もいる。

「以前勤めていた10~20名程度の会社では、私が入社する以前は毎晩のように社長の奢りの飲み会があって、晩ごはん代は浮くものの、給料は安かったそう。それに不満があった人が、『飲み会をなくして、その分、数千円でも給料を上げてほしい』という交渉をしたと聞きました。飲み代で無駄な経費を使われるくらいなら、しっかりと賃金をもらって、たまに自腹で飲み会をするほうが健全だと思う」(30代女性)

会社が飲み会代を出してくれるのはありがたいが、それならば自腹でもいいから給料を上げてほしい、という意見だ。この意見には、「なるほど」と思わせる合理性があるように思う。

それでも「自腹での飲み会」に参加するとしたら?

一方で、もちろん自腹での職場の飲み会に積極的な層もいる。

「小さい職場なので会社が出すほうが珍しい。会社の飲み会は普段話さない他部署の人と話せる機会でもあるので、交流の場として考えれば気にならない」(40代男性)

「学生までは飲み会は、仲良くなるためのコミュニケーションの場であったので、逆に社会人になってから、飲み会という私的なものに会社からお金が出る場合もあることに対して驚いた。お酒の場はいろいろな方の本音が聞ける重要な場だと思うため、定期的に開かれる慰労会のようなものでも必要だと思う」(20代女性)

「会社の人とコミュニケーションをとることは、自分自身の財産になる」(30代女性)

さて、ここまで見てきて、世の人たちの「自腹での職場の飲み会」に対する意識がだいぶ浮き彫りになってきたように思う。筆者が取材した限りでは、自腹を「許せる/許せない」の線引きは、主に下記のようなポイントにあることがわかった。

  • 強制参加かどうか(断ることができるか。できなければ許せない)
  • 生産的な話ができるかどうか(上司の気ばかりを使う飲み会は許せない)
  • 個人的に、お酒が好きかどうか
  • 飲み会の金額が高額かそうでないか
  • そもそも職場の雰囲気が良いか悪いか

何度もいうが、お酒の場のコミュニケーションは、うまくいけば職場の人間関係の潤滑油にもなる。しかし、そうでないと考える人もいるし、そういうタイプの人にとっては自腹での参加は理不尽に感じる。

つまり、いくら会社や上司の懐事情が厳しい時代だとは言っても、「自腹は納得いかない派」が一定数いることをきちんと意識しなければならないということだ。「飲みニケーション」は自腹でも参加すべき、という考え方を押し付けるのは、誘いを断りにくい会社組織の中では特にご法度である。でないと、職場にモヤモヤがたまり、雰囲気を余計に悪くしてしまう。

筆者が、1社目の会社を辞めた日、体育会系で集団主義の上司は、少し寂しそうな顔をしていた。まだ健康でお酒が飲める時期だった筆者と上司が、同じ酒を飲み交わし、腹を割って話すことができていたら、結果は変わっていたのだろうか。それは誰にもわからない。

しかし、一つだけ言えるのは、その飲み会が自腹だったら、筆者はやっぱり辞めていたということだ。その考え自体が甘えだと批判を受けそうだが、筆者のようなひねくれたタイプの社員は、絶対にそう思うに違いない。

そう考えれば、飲み会を経費や上司のおごりで開催するか、それとも自腹での参加を基本とするか。その判断自体が、社会人に必要な高度なコミュニケーションの一つなのである。