中村さんは、いつも元気で礼儀正しい営業マン

ちょっと前のこと。中村さん(仮名)とタクシーに乗った。

中村さんは同じ会社で働く30代半ばの中堅営業マン。いつも元気がいい。

常に忙しそうにしていて、バリバリ働き、大きな仕事も動かしている(ように見えた)。

中村さんはいつも私に礼儀正しい。

私の荷物が多いときには「荷物持ちましょうか」と声をかけてくれる。

得意先とのアポイントの時間が迫っており、やや焦っている中村さん。

「急ぎましょう。ギリギリです。タクシー捕まえますね」

私も同意する。

「そうしましょう」

運良く、すぐにタクシーが捕まったので急いで乗り込んだ。彼と一緒にタクシーに乗るのは初めてだ。

シートに腰を下ろしながら中村さんが甲高い声で言う。

「渋谷の◯◯ビル」

えっ、今のは中村さん? いつもの中村さんと違って、すごく偉そうな態度に見える。

◯◯ビルがどうした? ◯◯ビルをどうしてほしいのだろう?

車内で見る中村さんは、いつもとは別人の中村さんだった

運悪く、ドライバーはそのビルを知らなかった。

「あの、◯◯ビル、どこでしょう?」

すると中村さんがさらに高い声で言う。

「知らないのかよ」

これまでに見たこともない形相の中村さんに私はびっくりした。

「はい。すみません。」と慌てて謝るドライバー。

車内の空気が悪くなっていく。

それでも中村さんの怒りはおさまらない。

「最悪。◯◯ビルも知らないのか。とりあえず渋谷駅目指してよ」

「あのね、ビルの名前を覚えるのも仕事だろ」

「おい、そこ右回ったほうが早くない?」

「プロなんだから、機転利かせろよ。プ・ロ・なんだから」

「何分くらいかかるの?」

「この先、混んでる?」

「これ知ってる?」

「俺なんかさ」

・・・・

ドライバーは萎縮し、運転はぎこちなくなっていく。

一緒に乗っているこっちも怒られている気分だ。

中村さんは怒り慣れているようだ

いつもこうなのだろうか。

ドライバーの緊張が高まっていくのが手に取るようにわかる。車内の空気は重たく、張り詰めていく。

それでも中村さんは怒るのを止めない。

ドライバーは明らかに中村さんより年上だ。あー、年上の人に「運ちゃん」とか言ってるよ。いろいろと説教してるよ。

中村さんが説教するたびに「はい、すみません」。ドライバーはどんどん萎縮していく。

車内で、得意先で、中村さんは「変身」を繰り返す

突然、こちらを向いた中村さん。

「あ、良月満さん。今日、先方は……」

声の調子が戻った。いつもの丁寧な中村さんだ。

なんだろう、この変わり方。

さっきまでの中村さんと別人だ。一瞬で別人だ。

いつもの中村さんと話しながら渋谷に向かう。

しかし、目的地が近づくと中村さんはまた別人に変身した。

「そこ左」

「あー、そこそこ」

まるで自動車教習所の悪い教官のようにぶっきらぼう。中村教官だ。

車内に再びいやな空気が充満していく。

ようやく目的地に着くと、中村さんは無言で料金を支払い、降りていった。

タクシーに乗れたおかげで約束の時間に間に合ったのに。

感謝の気持ちはないのかい?

そして、◯◯ビルに入った瞬間、また中村さんは別人に変身する。

たいして早くならないのに、小走りでお得意先の受付に駆け寄る。

「お世話になりまーーす」

「仕事ができない忙しい人」はこうして生まれていく

取引先と打ち合わせをしている男性のイラスト

得意先との会議が始まった。

中村さんは、ここでも変身する。さっきとは違う中村さんだ。

今度は、ずっとペコペコしている。

「なるほど、なるほど、なるほど」

「そうですね」

「おっしゃるとおりです」

タクシーの中での偉そうな中村さんはどこに行ったのだろう。

得意先の担当者に、どんなに不条理なことを言われても無理難題を言われても、笑顔で頷いている。

言われっぱなし、頷きっぱなしだ。

横で見ていると、頷きすぎて頭がクラクラしてしまうのではないかとハラハラする。

何回、頭を下げているのだろう。首が痛くならないのか。

少なくとも、見ているこっちの頭がクラクラして気持ち悪くなってきた。

何を言われても「ありがとうございまーす」。

余計なことまで抱え込む。

断っていいこと、断るべきことまで抱え込んでいる。

中村さんは、言われたことを忠実にこなすことが仕事だと思っているようだ。

中村さんがいつも「忙しい、忙しい」と言っていた理由がわかった気がした。

言われたことに忠実であろうとするから、無理な注文を抱え込んでしまう。やらなきゃいけないことがどんどん増えていく。

でも、それは本当の意味での「仕事」ではない。ただの「作業」だ。

何でも「はいはい」と言いなりになる相手に、大きな仕事を頼む人はいない。頼まれた小さい仕事も、彼がやるとさらに小さくなる。何も考えずに、ただ言われたことだけをやるからだ。

だから彼にはチャンスがやってこない。大きな仕事を任せてもらって、大きく成長することもない。

相手によって極端に態度を変える人の心理

取引先を神様に見立てて跪く男性のイラスト

中村さんを見ていてわかるのは、相手によって極端に態度を変える癖のある人は成長しないということだ。

そんな癖を持っているかどうか、それがよくわかるのがタクシーの乗り方だ。

そこにその「人」が見えるのだ。

なぜ相手によって極端に態度を変えてしまうのだろうか。

それは、「お金の流れ」を「人の上下」にしてしまうからだ。

お金を支払う側と受け取る側、その流れを上下ととらえ、態度を変えるのだ。

中村さんはドライバーを「下」に見ている

料金を支払う自分が「上」だからだ

そういう人に注意すると「俺は客だよ」と言い返してくる。

でも、相手が得意先であれば立場は逆転する。

お金を支払う得意先は「上」で、自分は「下」だ。

だから、何でも言うことを聞いてしまう。

本来、サービスとお金は等価交換のはず。だから、お互いの立場は対等でなければならない

それなのに、勘違いしている。

「お客様は神様」の意味を間違えている。

もともとは、「神様に対峙するように、誠心誠意サービスを提供する」という仕事に対する姿勢を表す言葉だ。

それに、神様は威張らないはずだし、人を下に見ないはずだ。

客だからこそ、偉そうにしてはいけないのだ

でも、中村さんは、お客は無理難題を言ってもいいと思っている。

自分が上の立場なら、威張ってもいいと信じている。

タクシーで威張る部下を、「こいつは将来期待できるぞ」と思う上司がいたらまずい。

目の前でドライバーに威張り散らしていた上司や先輩が、得意先の前に出た瞬間ぺこぺこし出す姿を見て、「あんな人になりたい」と思う部下や後輩はもっとまずい。

だから、中村さんは偉くなれない。

中村さんを見て「この人のために頑張ろう」とか、「この人と一緒に仕事がしたい」と思う人はどこにもいない

中村さんは、今日も居酒屋で愚痴をこぼしている

中村さんは、今日も居酒屋で後輩に愚痴をこぼす。後輩は自分よりも「下」だから、自分の話を聞くのが当たり前だと思っているようだ。

「俺ほど、忙しい人間はいないよな。でも、全然認められないんだよ。ヒマなやつは俺が忙しいことに気づかないんだな」

そしてお店の人にも威張る。

「おい、ビール」

ビールがどうした? ビールをどうしてほしいのだろう?

中村さん、上司はあなたが忙しいことに気づいていないわけじゃない。それどころか、なぜあなたがそんなに忙しいのか、あなたの忙しさが膨らむ構造についても、よくわかっているんだよ。

わかっているから認めてもらえないのだ。

愚痴を言う前に、後輩に信頼される先輩になったほうがいい。

忙しいのだから。

<イラスト/土車大八>