クリエイティブカンパニー東京ピストルの代表で、編集者の草彅洋平さんは、雑誌・本やWebメディアだけでなく、美術館のカフェや歌舞伎町のホストクラブ本屋など、あらゆるもの・ことを編集する「次世代型編集者」だ。

徹底的にクリエイティブにこだわる草彅さんの「ものづくり」の原点とは何か? 彼の行動力はどこから来るのか? お話を聞きに行ってきた。

草彅洋平
草彅洋平(くさなぎ・ようへい)。クリエイティブカンパニー・東京ピストル代表。編集を軸にデザインディレクション、プロデュース、コンサルティング等を行う。最近は、店舗のプロデュースも精力的に手がけている。

あらゆるものを編集する次世代型編集者

新宿歌舞伎町に、異色の書店がある。

そこでは、書店員でもあるホストがお客さんの要望を聞き、おすすめの恋愛本を選んでくれるのだ。その名も「歌舞伎町ブックセンター」。プロデュースしたのは、次世代編集者と注目されている、草彅洋平さんだ。

「歌舞伎町という街に合った本屋さんを考えました。ここにいる人たちは、みんな恋愛の達人のように見えて、意外と恋愛で悩んでいる人が多いんです。だから恋愛の本だけに絞りました。一般の書店はだいたい3000冊くらい置いていますが、ここでは400冊。ホスト書店員が自信を持っておすすめするには、あまり多すぎないほうがいいと思ったんです」

歌舞伎町ブックセンター
「歌舞伎町ブックセンター」。ここに来れば、読みたい恋愛本が見つかるという。ホスト書店員に恋愛相談をする人もちらほらいるらしい。※ビルの取り壊しにより、10月7日にいったん閉店。現在、移転準備中(写真提供:歌舞伎町ブックセンター)

草彅さんは、クリエイティブカンパニー・東京ピストルの代表であり、現在、ももクロのツアーパンフの編集長をはじめ雑誌・本・Webメディアの編集、そして店舗のプロデュースまで手がける。

そもそも、編集者なのに、なぜ店舗プロデュースをしているのか?

「僕は、元々「本だけ」なんて考えていなかったです。雑誌全盛期だった20代の頃から、いずれ紙媒体も失速するだろう、と気づいていた。だから、本だけじゃなくて、いろんなことを編集するようになった。結果的に、多角化しただけなんです。

文学は好きだったけど、ビジネス的には難しいので、いろいろな可能性を模索しました。未来を完全に予測することはできないけど、アンテナを張っておくことは大切です」

でも、メディアの編集と、店舗をプロデュースするのとでは、かなり違うのではないだろうか。

「店のコンセプトを考えて作りこんでいくのも、実際の本や雑誌を作るのも、おなじ編集作業なんです。僕の中では、店作りと実際の編集の間にはそんなに距離はない。これまで作ってきた雑誌・本の編集経験やIDEEで働いたことが生きていると思います」。

初めてのものづくり経験とIDEEへの就職

そう語る草彅さんだが、もともと今のようにバリバリ仕事をこなすイメージとは違い、学生時代には意外にもやりたいことが見つかっていなかった。

「学生のときは、本当にまったく何をしていいのかわからず不安しかなかったです。みんなと同じように就職活動に流れても良かったけど、そもそも就職活動に乗っかる流れを快く思わないタイプでした。大学三年までは遊んでばかりいるのに大学四年になったら急にモードが切り替わる友人を斜めに見たりして(当時は大学四年が就職活動の主流)。どちらかといえば社会になじめず、鬱屈して本ばかり読んでいました(笑)」

やりたいことが見つからず、まったく就職活動もしなかった学生時代の草彅さん。しかし、初めての「ものづくり」から今につながるきっかけが生まれた。

草彅洋平

「学生時代、たまたま知り合った現代詩作家の荒川洋治先生のアドバイスもあって、雑誌を作りはじめました。これが初めてのものづくり。0ベースからだったから、本づくりの基礎的な部分を印刷所の人に教えてもらったり、雑誌を作ることで仲間ができたり。ちょうど入稿方法が時期的にアナログからデジタルに移行する過渡期で、そのときに製版で入稿できたのは、今になって思えば貴重な体験でしたね」

草彅さんが初めてのものづくりで作った雑誌は、書店を一軒一軒回って、置いてもらえるようにお願いしたとのことだ。その頃、インテリアショップで有名なIDEEが、雑誌を創刊することを発表、学生だった草彅さんがその雑誌の副編集長に呼ばれた。きっかけは草彅さんが初めて作った雑誌が、IDEEにも置かれたことからだった。

「それで作った雑誌が『sputnik:whole life catalogue』なんですが、いきなり2000万の予算がつきました。ノマドとかコワーキングの概念がない時代に、世界中を衛星のように飛び回って、会いたい人に会って雑誌を作りました。ふつうに考えてこれだけ刺激的な雑誌を創る経験なんて学生はなかなかもらえない。その意味でもこの経験はすごくラッキーで、ちょうど自分が将来に迷っているタイミングでチャンスを得たのは大きかったですね。学業をほったらかしにして編集部に飛び込んだ。この雑誌は、今、古書値で状態が良ければ9万以上と高騰している伝説の雑誌になりました」

結局、雑誌『sputnik:whole life catalogue』は売上としての結果が出なかった。草彅さんもまだ学生だったこともあって思うように仕事ができず、そこで仕事の難しさを経験する。面白いものを作ろうと試みたものの、結果、自分の作るものに絶望しか感じなかったという。しかし、意外にもその仕事ぶりが認められ、IDEEから草彅さんに入社オファーがあり、そのまま入社につながる。

「IDEEではヘマばっかりするし、コミュニケーションも苦手だったし、ダメな社員でしたね。自分の力量がなかったので、本当につらかったです。でも今は正直IDEEは生意気な僕をよくぞ雇ってくれて、飼い慣らしてくれたと感謝しているくらいです。IDEE在籍時に唯一褒められていたのが、『草彅は絶対に逃げない。そして何が何でも落とし込もうとしてくる』ってことでした。いまだにそれはそうだと思っていて、僕のポリシーは、何が起きても絶対に逃げないことですからね。」

東京ピストルを立ち上げと、転機になった「BUNDAN」

IDEEに数年勤めて退社した後、独立して編集の仕事を始める。すでにいろいろな仕事の相談が直接来ていたからだ。その延長線上で2006年に東京ピストルを立ち上げた。現在では、東京ピストルのHPに「世界を編集する」とあるように、メディアや店舗やさまざまなものを編集している。

駒場東大前にある、文学の総本山である近代文学館。この敷地内に、草彅さんがプロデュースする「BUNDAN COFFEE&BEER」がある。

実は、店内にある2万冊の本はすべて草彅さんの私物だという。

「たまたまこの物件が空いていると知って『僕がやります』と手を挙げたんです。普通のカフェじゃなくて、やっぱりこの場所ならではのカフェを作りたいと思った。それで、家にあった2万冊の本をここへ持ってきたんです。メニューも、文学作品にちなんだものにしています。正直、手を挙げたとき、どんな店をやるかはまったく決めていなかった。でも、「今」を逃してはならないと思ったんです。こんなチャンスはもう二度と来ないかもしれないと思ったから

BUNDAN CAFÉ&BARの店内写真
「BUNDAN COFFEE&BEER」店内。2万冊の中には、超レアな本も混じっているとか…

「BUNDAN」がきっかけとなり、その土地ならではの店舗のプロデュースをすることに、俄然興味を抱いた。現在、先に紹介した新宿歌舞伎町にある「歌舞伎町ブックセンター」や下北沢のイベントスペース「下北沢ケージ」、渋谷のシェアオフィス「ホルスター」などもプロデュースしている。いずれも、その土地を生かした店舗だ。今後、さらに2、3店舗、プロデュースを手がけたお店がオープンする予定だという。

「僕はチェーン店には興味がない。オンリーワンにしか興味がないんです。「BUNDAN」を日本近代文学館という近代文学の総本山に作ったように、歌舞伎町だからこそ、ホストが本を選んでくれる「歌舞伎町ブックセンター」を作った。その場所にしか成立できないものに惹かれますね。どの土地にも、その土地ならではのストーリーがあると思うし、それを大切にしたいんです」

挫折から学び、意識して変えていく。

草彅洋平

一見華やかな経歴の草彅さんだが、失敗をしたことはないのだろうか。

失敗? もう数えきれないくらいです。意外とさまざまなサービスを手がけては、お蔵入りしたり、失敗を重ねています。もう数年前のことなんですけど、Googleの方に『面白い外国人がいるから紹介したい』と言われて、フリーWi-Fi事業のサービスをはじめた時は、大炎上して死にかけました」。

なんと共同経営者になった外国人のプログラミングミスにより大炎上。マスコミ各局に取り上げられ、事業が立ちいかなくなった。そのときは生きた心地がしなかったそうだ。

「そういう時に、人の価値はわかりますよ。どんどん人が離れていきますから。その時に応援してくれた人とは今も続いてます。だから、この前のコインチェックの事件なんかの時にも、たまたま知人にコインチェックの社員がいたので、『今、社長を見捨てちゃだめだよ。こういう局面だからこそ助けてあげたほうがいいよ』とアドバイスしました」。

東京ピストルを運営するに当たっても、いくつか挫折を味わった。

「2013年に一緒にやっていた創業メンバーが辞めてしまった時で、このまま会社をたたんでどこかに就職し直そうかと思うくらい衝撃が大きかったです。それから新体制を作って2014年からカフェのプロデュースを始めたり、今の路線に近いことをはじめました。その時、優秀な編集者たちに入社してもらったものの、お互いの個性がぶつかり、チームとしては動かなかった」。

現在、草彅さんはこれまでの反省から、会社の体制を立て直している状況だと語る。そのなかで、不思議と今まで以上に業績は伸びたという。

「意識してこれまでのやり方を変えたんですよね。例えば毎週金曜日にランチ会をやったり、社員旅行に行ったり。会社としては当たり前のことをするようになった。一編集者という自分の立ち位置から、会社経営に徹するように意識したんです。

自分の中でいろいろ反省点も出して、僕は僕で成長していると思うし、大人になりましたね(笑)。それでも基本的にやっていることは昔からほとんど変わってなくて、そのとき自分が本気でやりたいことをやっている、刹那的な起業家だと自分のことを思っています。」

「やりたい」じゃなくて、実際に「やる」

草彅洋平

業種や大小を問わずさまざまな仕事を手掛けている草彅さんの元には、たとえばカフェがやりたいとか、雑誌が作りたいとか、いろいろな人が相談にやって来る。

「相談があると必ず『作ればいいじゃん!』とか、『やったらいいじゃん』と背中を押すんです。でも結局相談に来た人のほとんどがやらないんですよね。僕に話して満足してしまう。実行に移さないんですよ。特に20代の人に多い。話すだけじゃ物足りなくて、強い意志を持って実行に移せる人は、それだけで才能があると思います」

それでも、なかなか踏み切れない人はいる。そういう人たちに向けて、最後にアドバイスをお願いした。

「リスクを取りたくないんだろうし、傷つくのが嫌なのはわかります。

でも、どんなことでも、一度勇気を出してやってみたらいい。そうすると自分の実力がわかるから。自分のことを優秀だと思っていても、作ってみると意外としょぼかったなんてことは結構あるし、もしかしたら「俺、天才かも?」的なすごいものができることだってある。やってみないとわかんないです。そして、チャンスは“今”しかないと思ったほうがいい。僕だって、“今”このチャンスを逃したら次がないと思って絶対に“今”やることにしています。

失敗しても、命まで取られるわけじゃないです」

草彅洋平(くさなぎ・ようへい)

1976年東京都生まれ。2006年にクリエイティブカンパニーの株式会社 東京ピストルを設立。代表取締役社長として、編集を軸にデザインディレクション、プロデュース、コンサルティング等幅広い業務をこなす。ももいろクローバーZ の一連の公式ツアーパンフレットの編集長(2012年から現在まで)や、日本近代文学館内の文学カフェ「BUNDAN COFFEE & BEER」(2012)、渋谷のシェアオフィス「HOLSTER(ホルスター)」(2014)などのプロデュース&運営を行う。

Twitter:@TP_kusanagi

東京ピストルHP:東京ピストル

<取材・文/「Dybe!」編集部 撮影/ケニア・ドイ>