『私についてくれば間違いないから』
これはイガリさんが25歳の時に、モデルの梨花さんに言われた言葉です。そこからイガリさんの仕事人生は劇的に変わっていくことに――。
「イガリメイク」や「おフェロメイク」などの流行を生み出し、「“かわいい”の伝道師」の異名も持つ、売れっ子ヘアメイク・イガリシノブさん。イガリさんがここに至るまでには、いくつかの大きな転機がありました。それを振り返りながら、彼女の成功を根底で支える、あるポリシーを紹介します。
人との相乗効果によって自分の可能性が広がる

イガリさんがヘアメイクを志したのは、高校生の時でした。
「『Zipper』『FRUiT』『CUTiE』などの原宿系ファッションが好きで、読者モデルとして誌面にも出させてもらっていました。ただ私はほこりアレルギーなので、布に囲まれる洋服のスタイリストは無理だろうということで、ヘアメイクを目指したんです」
高校卒業後、ファッション専門学校のヘアメイク科に入学。ところが授業にあまりなじめず1年で中退し、19歳でロンドンに留学します。そこでの生活が、一つめの転機となりました。
「それまで私は、日本の女の子同士の派閥みたいなのが得意じゃなかったんです。でもロンドンでは全然そういったことがなく、現地の日本人も外国人も垣根なく接してくれ、いろいろな人とどんどんつながっていけました。それがすごく心地よかったんです」
そしてイガリさんはこう決意します。
「やっぱり人ってこんなふうにどんどん周りとつながって互いに相乗効果を生んでこそ、自分の可能性を広げていけるんだなと。それまではけっこう自分の殻に閉じこもりがちでしたが、今後はこういうふうに生きていこうと思ったんです」
イガリさんは約1年半のロンドン滞在を終えて帰国。そこから3~4年ほどは美容系のアルバイトやヘアメイクのアシスタントを務めた後、ビュートリアムに所属します。そこで次なる大きな転機が待っていました。冒頭で紹介した、梨花さんとの出会いです。
収録10分前なのに、ハプニングでヘアがぐちゃぐちゃ…
「梨花さんのヘアメイクをビュートリアムが担当していた関係で、ある日私が梨花さんの現場に呼ばれたんです。テレビの収録でした」
そこで思いもよらぬ事態が待っていました。
「ちょっとしたハプニングが起こっていて、収録10分前なのに梨花さんのヘアがぐちゃぐちゃの状態だったんです。かなり焦りましたが、私はアルバイト時代にスピードが求められるヘアセットをよくしていて、緊急対応にも慣れていました。だから『私がなんとかしますので、梨花さんは休んでてください。後ろでお団子にしますね』と、なんとか乗り切ったんです」
こうして信頼を得たイガリさんはその後、梨花さんの現場にたびたび呼ばれるようになります。そしてある現場で、梨花さんに誘われてランチに行ってみると…。
「梨花さんが、『イガリは根性があるし、とにかく私についてくれば間違いないから、がんばりなよ』と言ってくれたんです。私は25歳で、梨花さんもまだ30歳ちょっとでした。そんなに歳の差はないのに、なんでこの人はこんなかっこいいことを言えるんだろうと感動し、すかさず『はい、がんばります!』と答えました」
イガリさんはその後10年間、梨花さんの仕事を最優先し、様々な現場を体験。さらに梨花さんを担当したことをきっかけに、歌手の加藤ミリヤさんやタレントのマリエさんなど、多くの売れっ子のヘアメイクを担当するようになります。こうして25~29歳くらいまでは仕事が仕事を呼ぶ状態でどんどん増えていったといいます。
イガリさんはあらためて、梨花さんを担当した10年間をこう振り返ります。
「梨花さんには技術面でも精神面でもあらゆることを学ばせてもらったし、雑誌の表紙や大御所クリエーターとの仕事もさせてもらいました。そして、『10年先の自分を考えて、そのために今をがんばる』という話を毎日のように聞かされ、仕事に対する考え方が変わりました。梨花さんと出会ったからこそ今の自分があります」
美容雑誌を拠点に「“かわいい”の伝道師」に
そして30歳の頃、もう一つの大きな転機が訪れます。
「約5年間続けた加藤ミリヤさんの担当から外れたことが一つのきっかけになりました。正直ショックでしたが、その時にふと気づいたんです。自分はこれまでモデルさんやタレントさん、女優さんとはつきあってきたけれど、仕事自体を作ってくれる雑誌の編集さんとかクライアントさんとはきちんとつきあってこなかったなと」
そう気づいてからイガリさんは、それまでのモデルやタレントのヘアメイクの仕事だけでなく、『ar』や『VOCE』といった美容系の雑誌の仕事を本格的に始めたのです。
「これはまずいと思い、それからはきちんと編集さんたちとつきあうようにしたんです。頻繁だったモデルさんたちとの夜遊びも一切やめ、住まいも東京から湘南の方に移しました。やっぱり東京にいると遊びたくなってしまうので、そこは自分で自分の手綱を締めようと(笑)」
そしてこれらの美容雑誌の仕事が、現在のイガリさんの「“かわいい”の伝道師」的なポジションを生むことになります。
「美容雑誌では撮影時に編集さんやライターさんにメイクの説明をするんですが、読んだ女の子たちが『こんなのできないよ』とならないよう、面倒臭がらずにできるだけ詳しく理論的に説明するようにしたんです。ただし言葉にするのが得意ではないので、擬音を多用することになります(笑)」
こうした中で生まれていったのが、「イガリメイク」「おフェロメイク」「色っぽメイク」など。おフェロメイクのおフェロとは、おしゃれとフェロモンを組合せた造語で雑誌「ar」が考案した表現方法。
透明感のある肌、上気した頬、ぽってりした唇が特徴。化粧は濃すぎずに健康的、だけどセクシー、という絶妙のバランス感で巷で大人気となります。
イガリさん流のメイクには、従来のメイクのセオリーを覆す斬新な手法も多く含まれます。そうした目からウロコのメイク術は、どのように生まれるのでしょう。
「結局は人間以外に興味がないというか、そのぶん人間が本当に好きなんだと思います。人間の顔の仕組みとか、なんでこの顔はこういう印象になっているんだろうとか、こっちから見るとこうでそっちから見るとこうなるというのを考えるのがすごく好きなんですよね」
自分のためより、人のために
そして2018年2月。イガリさんは自らがプロデュースするコスメブランド「WHOMEE(フーミー)」をスタート。下地から口紅、化粧道具までをトータルで揃え、価格は「若い女の子たちも気軽に買えるように」とプチプライスに設定。早くも売り切れが続出するほどの人気となっています。

また、2018年9月には、ドキュメンタリー番組『情熱大陸』に出演。イガリシノブの名が、かわいいを追求する女性のみならず全国のお茶の間に知れ渡った瞬間でした。
「『情熱大陸』でも発言しましたが、私は一つのことを続けることができないんです。学生時代にやっていいところまで行った水泳も剣道もやめているし、専門学校も中退した。でもヘアメイクだけは、14年間も続けてこれました。やっぱり“継続は力なり”だなと」
ヘアメイクとしての14年間を振り返ってそう言うイガリさんですが、では、彼女みたいに大きな成果を出せる人と、そこそこ以下の成果で終わってしまう人、その差はどこにあるのでしょう?
「自分のためにやるか、人のためにやるかの違いだと思います。たとえば女優さんでも本当に一流といわれる人は、自分がこう演技することで観た人にこんな気持ちになってもらいたい、だからこういうメイクをしてほしいと思うでしょう。でも人気が下火気味の人は、自分がこう見られたいからこういうメイクをしてほしいと思っています」
人のためにと思って取り組むことが自分のポテンシャルを広げ、周りもどんどん巻き込み、結果的に大きな成果を生む。イガリさんはこれまでいろいろな芸能人やアスリートと接してきて、それを実感していると言います。
「自分のエネルギーを人に分け与えるくらいの気持ちでやらないと、なかなか上には上がれないと思うんです。その点、歌手の方のエネルギーはものすごいですよね。その歌によって人に涙を流させ、生きる力を与えられる。それに比べれば私の力は小さいですが、それでも常に自分のエネルギーを人のために活かすことを考えて仕事をしています」
自分のエネルギーを人のために費やすことこそが、成果を生み出す最大の秘訣であり、それが結果的に自分も幸せにする。どんな仕事にも通じる普遍の真理が、そこにはあるのではないでしょうか。
最後に、イガリさんにこの先の野望を聞きました。
「梨花さんに『10年先の自分を考えて、そのために今をがんばる』と言われたのがきっかけとなり、私もいつも10年先のことを考えて行動しています。具体的には、今はヘアメイクに乗っかっている人生ですが、10年後の40代後半の頃にはもっと自分主導になって、自分の人生にヘアメイクが乗っかる感じになればいいなと思っています」
イガリシノブ(BEAUTRIUM)
女性誌を拠点に流行メイクを発信する超人気ヘアメイクアップアーティスト。また多くのモデル、女優、アーティストのヘアメイクも手がける。2018年にコスメブランド「WHOMEE(フーミー)」を立ち上げ、売り切れが続出するほどの人気に。10月25日に著書「裏イガリメイク、はいどうぞ」(宝島社)を発売し、イガリ流メイク理論が話題となっている。
Instagram:@gari_shinobu
取材・文/田嶋章博(@tajimacho)
撮影/シオヤミク