蛍光灯で殴り合う。大量の画鋲やガラスが散らばったリングでプロレス技をかける。カミソリを何本もくっつけたボードに相手を投げ飛ばす。——プロレスの中でも最も過酷な “デスマッチ”のリングに広がる凄惨な景色は、圧倒的な非日常そのもの。観客は息を呑み、そして熱狂する。
試合を見たことがない人にとっては、「なぜ血みどろになってデスマッチなんてやるのか」理解できないかもしれません。そこにはどんな理由があるのでしょうか。
今回、Dybe!は過酷なデスマッチを20年間も続けている人にお話を伺いました。「デスマッチのカリスマ」と呼ばれるプロレスラーの葛西純選手(FREEDOMS所属)です。2009年に東京・後楽園ホールで行った試合でプロレス大賞の年間最高試合賞を獲得。その試合で伝説となったのが、高さ6mにも及ぶバルコニーからのダイブでした。
後楽園ホールでのバルコニーダイブ。
何故、あんな高い場所から飛べるのかって???それは………
「怖い」と思う前に飛ぶ!!これに尽きる!!
あとは観客の歓声がオレっちの背中を押してくれるのさ。 pic.twitter.com/vq4GnQawff— 葛西 純 (@crazymonkey0901) October 27, 2014
怖いもの知らずなのかと思いきや、実は大きな試合の前は怖くて眠れなくなるという葛西選手。なぜ過酷なデスマッチを続け、なぜ危険を承知で地上6mからダイブできるのでしょうか。そこには損得勘定はもちろん「プロレスが好き」とか「お客さんのため」という理由だけでは語れない、葛西純という人間の生き様がありました。
プロレスを知らない人にこそ読んでほしい葛西選手のロングインタビューです。
デスマッチの醍醐味は「生きている」という実感

──かつてデスマッチは「邪道」と言われていたそうですね。
葛西純さん(以下、葛西):デスマッチは普通のプロレスをやれない人が、会場を盛り上げるために凶器を使って血を流すんだという見られ方をされてましたね。今もそういう風潮はあると感じますよ。
──そういう風潮があることをどう感じていらっしゃいますか?
葛西:今のデスマッチファイターは普通のプロレスもできて、その上であえてデスマッチをやっている人たちです。だから技術も演出も求められるレベルは普通のプロレスよりデスマッチが上というのが僕の考え。デスマッチファイターであることにプライドを持ってます。
──凶器を使ったり、地上何mもの高さからダイブしたり、体はボロボロになるのでは?
葛西:普通のプロレスは何もないリング上で技をかけ合うけど、僕たちはガラスボードや画鋲、蛍光灯なんかがあるリング上で闘いますから、それは当然ハードですよ。
──なぜ、あえて危険なデスマッチで闘うのでしょうか。
葛西:デスマッチには「生きてる」って実感があるんです。必ず痛い思いをするし、大怪我するかもしれない。その恐怖心に打ち勝ってリングに上がり、血だらけで試合をして自分の脚でリングを降りる。
──凄まじい世界ですね。
葛西:その時に感じるんです。ああ、今日も生きて帰ってきたぞって。これぞデスマッチの醍醐味なんです。この感覚は麻薬です。一度知ってしまったら、もう止められません。
──麻薬ですか。「生きている実感」という麻薬……。
葛西:普段の生活をしていて「生きてる」って、そんな実感ありますか?
──ありません……。リングの上には想像を超えた緊張感があるんでしょうね。
葛西:大きな試合の1週間前くらいになると、毎晩布団に入って目を閉じても、怖くて眠れなくなります。「もし試合中に頭を打って死んだら……」とか考えますし。でも、やっちゃうんです。やらないと後悔する、ってわかってるから。
やっぱりプロレスラーになりたいと一度はあきらめた道へ

──やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい、と。
葛西:人生もそうじゃないですか? 僕は子どもの頃からプロレスラーになりたかったんですけど、体があまり大きくなくてあきらめたんです。高卒で就職して、3年くらいガードマンの仕事をしていました。ガードマンって、ほとんど男性だけの職場で。
──ですよね。
葛西:周りに女性がいないから、給料もらうとプロの女性がいるお店に行くわけですよ。そういう生活を続けていて、ある日たまたま見ていた雑誌に、「君は大丈夫? エイズチェックリスト」みたいな記事があって。何気なくチェックすると、全部当てはまったんです。
──それは怖い……。
葛西:「俺、エイズかも。どうしよう……」と恐怖が湧き上がりました。その時に、一度はあきらめたけど、やっぱりレスラーになりたい、と強く思ったんです。それからすぐにエイズ検査を受けにいって。
──行動が早いですね!
葛西:検査結果を待つ約2週間は気が気でなかったです。意外とマイナス思考なので「絶対にエイズだ」と落ち込んでました。22〜23年で終わる俺の人生、いったいなんだったんだろう、って。結果は陰性だったので、会社には即辞表を出して、レスラーになる準備をしました。
──その時から考え方が変わったのでしょうか。
葛西:人生一度きりですからね。いい人生だったか、悪い人生だったかなんて、死ぬ時までわかりません。ただ、「やりたいことやったな」と思って死んでいく人が勝ちだと思う。そうなりたいから、僕はやらずに後悔というのはしたくない。だから、今も好き勝手にやりたいことをして生きてます。
6mの高さからダイブ、気がつけば大コールが起こっていた

──後楽園ホールのバルコニーダイブも、やらないと後悔するという思いがあったのでしょうか?
葛西:6mの高さからのダイブなんて本当はやらないに越したことはないんですよ。これまで5〜6回飛んでますけど、飛ぶとだいたい負けます(笑)。勝ち負けを重視するならやらないほうがいい。でも、やってしまうんです。
──葛西選手自身にも相当なダメージがありますよね。
葛西:でもね、飛ぶ前に会場から地鳴りのような「ウオー!」っていう大歓声が聞こえるんです。あれを聞くと気分は高揚しますよね。その時点で下を見ずに飛ぶんです。下を見ちゃうと飛べなくなりますから。
──飛んでいる瞬間はどんな感覚ですか?
葛西:降りていく時のゴーッというものすごい音を感じた後、大きな衝撃を受けて、気づけば「葛西! 葛西!」と大コールが起きています。その瞬間、「ああ、膝痛ぇ……」って痛みを感じてるんですけど(笑)。
──そこまで葛西選手を突き動かすのは「生きている実感」の他にも何かあるのでしょうか。
葛西:何よりお客さんの声援が効きますよね。お客さんの声が背中を押してくれるんです。血みどろになりながら技をくらって、カウントを取られている時、「葛西、返せー!(※)」って聞こえると肩を上げちゃう。限界を超えていても体が勝手に反応するんですよ。
※「腕を上げる」などして、3カウントを取らせるなという意味のプロレス特有の声援。
──試合中もお客さんの声は葛西選手にしっかり届いているんですね。
葛西:どれだけ興奮して、アドレナリンが出ていても、どこかに冷静沈着な自分がいるんです。だから「これ以上は無理」という時でも、声が聞こえたら肩を上げちゃう。後で「上げなきゃ良かったな」と思うこともありますけど(笑)。
お客さん第一主義じゃない。好きなことを好きなようにやる

──「誰もいない会場で同じことをやれと言われても無理」と別のインタビューでお話しされていましたね。
葛西:お客さんの声援がないと、絶対にできません。時々、「葛西さんは痛みを感じない性質なんですか?」って聞かれるんです。私生活では注射や歯医者も嫌いな僕が、血みどろになって闘えるのは、お客さんが喜んでくれるから。それに尽きます。
──お客さんのため、ということでしょうか。
葛西:だからと言って「お客さん第一主義」というわけでもないんです。お客さんに媚びて、自分がやりたくないことをするのは違うと思うので。デスマッチという大好きなことを自分の好きなようにやって、その結果、お客さんが喜んでくれるのが一番の幸せです。
──葛西選手のもとにはファンからどんな声が届いていますか?
葛西:試合後に売店に立っていると、よく声をかけられますよ。たとえば、あるお母さんからは、「息子がいじめを受けているけど、試合を見て『(葛西選手が)あんなに痛い思いをして頑張って勝ってるから、僕も頑張って学校に行く』と話していた」と聞きました。
──葛西選手の闘いが、生きる支えになっている人は多いと思います。大人のファンも多いですよね。
葛西:会社員の人には「仕事は嫌だけど、今日の試合見たら明日も頑張って出社するしかないな」とか「また葛西さんの試合を見にきたいから頑張って働きます」なんて言ってもらえますね。
──サラリーマンはレスラーと違って上司や社長を殴れません。だから、試合を見てストレス解消している人も少なくないようです。
葛西:アハハ(笑)。昔、先輩から「プロレスラーっていうのは、なくてもいい職業なんだ。なくてもみんな普通に生活できるし、困らないんだから」と言われて、嫌な気持ちになったのを思い出しました。まあ、そうだなとは思います。なくても生きられる。
──それでもプロレスがなくならないのはなぜなんでしょうか。
葛西:レスラーは試合でお客さんを喜ばせるだけじゃない。リングで自分の生き様を見せることで、お客さんに「明日も頑張ろう」「明日も生きよう」と思わせて、その人生に何らかの影響を与えることだってできますから。実際、そういう生の声をもらうと、僕が痛みを引き受けながら、リングで生きる意味があるなと思えるんです。
親不孝なことをしてると思います。でも止められません

──デスマッチから離れていた時期もあったとお聞きしました。
葛西:僕がデビューした団体は選手に給料を払えないほど苦しい状況に陥った時がありました。そんな時に急成長中の人気団体から声がかかったんです。移籍先では毎月給料をもらえて、練習も試合もできて……最初は「移籍してよかった」と思っていました。
──働く環境は大事だと思います。生活もありますし。
葛西:でも、そこで求められたのはデスマッチではなくて、バナナの皮を踏んでわざと滑ったりするコミカルな試合。そんな試合が続くうちに、俺がやりたいのはこれじゃない、とフラストレーションがたまっていきました。生活は安定しても心は苦しかったですよ。
──そして移籍先を辞めて、再びデスマッチに出るようになったんですね。
葛西:久々にデスマッチ、しかもメインイベントのリングに上がることになって。これが俺のやりたいことなんだ、と実感しました。ロープの代わりに有刺鉄線を使ったとんでもない状況下で、血だらけになって試合をしていたわけですけど(笑)。
──そもそもデスマッチの道に進もうと決めたのは、お父さまの影響が大きかったとか。
葛西:デスマッチファイターになろうと決めたきっかけはそこですね。子どもの頃、親父がプロレスを観ながら「今の技、当たってねえな」「あれは効いてねえな」とか、言わなくてもいいことをいちいち言うのが嫌でたまらなくて。子ども心に、親父にそういうことを言わせない、痛みが伝わるプロレスをやりたいと思っていました。
──デスマッチファイターになった葛西選手をお父さまはどう見ていましたか?
葛西:僕、地元が北海道帯広市なんです。巡業で帯広に行く時は見に来てくれて。その度に「やめて北海道に帰ってこい。あんなこと続けてたら死ぬぞ」と言われていました。
──心配されていたんですね。
葛西:父は3年前に亡くなりましたが、その少し前にも「純、血だらけになることはもうやめて北海道に戻ってこい」と言われました。そう考えると、親父との勝負は僕が勝ちましたね。血みどろになって体を傷めつけて、親不孝なことをしているとは思います。でも、止められないです。
いくら稼ごうが死ぬ時に「虚しい人生だった」と思ったら負け

──そこまで熱狂的に好きなれることを仕事にしたいと憧れる人は「Dybe!」世代にも多いです。一方で、好きではない仕事を続けることに引け目を感じる人もいます。
葛西:いきなり、やりたいことを仕事にしようとするよりも、まずは自分がやりたいこと、楽しいと思えることを見つけてほしい。それを続けていくことで、仕事も頑張れるようになると思います。
──いきなり「好きを仕事に」でなくてもいいんですね。
葛西:もし具体的にやりたい仕事があるならすぐにチャレンジしたほうがいいですよ。人生一度きりですから。だからといって僕は一切の責任は持ちませんが(笑)。
いくら稼ごうが、いい家を買おうが、いい車に乗ろうが、死ぬ時に「虚しい人生だったな」と思ったら負けじゃないですか? たとえ裕福ではなくても、やりたいことをやって、「我が人生に悔いなし」と言って死んでいく人が勝ちだと僕は思ってます。やらずに後悔するよりは、やって後悔したほうがいい。自分の人生ですからね。
葛西純(かさい・じゅん)
プロレスラー。1974年、北海道帯広市生まれ。1998年、大日本プロレスでデビュー。ZERO-ONE、ハッスルなどを経て、アパッチプロレス軍に所属。09年、佐々木貴とともにFREEDOMSを旗揚げ。「デスマッチのカリスマ」としてカルト的な人気を集める。173.5cm。91.5kg。
Twitter:@crazymonkey0901
【修正履歴】エイズについての注釈を追記しました。(2019年1月7日10時30分)