2018年、8月17日。

29歳の誕生日前日。

この日私は、20代最後の年齢を迎えることに絶望しながら、ディズニーランドを楽しんでいた。

閉園差し迫る22時頃、携帯電話が鳴る。母からだった。

「今ディズニーで友達が祝ってくれてる。急ぎじゃないなら、電話は後で」

手短にすませようとすると、母は、

「どんなに遅くなっても良いから、後で必ずかけ直して」

と、念を押してくる。その神妙さは、身内が危篤なのではないか? と疑うほどだった。

不穏に感じたが、私はその時、夢の国のすべてが楽しくてしかたなかった。

限られた時間を1秒も無駄にはしたくない。結局、生返事をして電話を切った。

今年も私を祝ってくれる男は現れなかった

母との電話を終え友人のもとへ戻ろうとすると、LINE通知が鳴った。

今度は、食事の席で会ったことのある商社マンの男性からだった。

「もしかして明日、誕生日? とうとう大台に乗っちゃった? あ、まだギリギリ20代か。良かったね。じゃ、また飲みに行きましょう!」

30代以降の女性を自然と軽視したような、皮肉な連絡だった。

不意打ちのテロにウンザリしながら、適当なスタンプを返す。

雑踏の中で、ふと思う。

今年も、私を祝ってくれる男性は現れなかった。

でも、いいじゃん。いなくてもホラ優しい友人がいて、私は恵まれている。

仕事だって楽しくなりつつある。モテないわけじゃないよ。頑張ってるもん。今は出会いがないだけ。

男の人から連絡だってくるじゃん。今は、たまたま相性が良くない人が周囲にいるだけ……。

いくつもの声が脳内で叫び終わると、得体の知れない絶望が襲ってきた。

誕生日の数週間前からついていた嘘

誕生日を迎えるにあたり、私はその数週間前から「自分の年齢は29歳である」と周囲に嘘をついていた。

昔からの知人に嘘はつけないが、新規の仕事や飲み会で初めて会う人は、簡単に騙せる。

何故そんなことをしたかというと、早く29歳の自分に慣れたかったからである。

10代から子役として活動し、20代前半はアイドルとして駆け抜けた。

そして20代半ばからは会社員として働き、“周囲からキラキラに見られたい自分”がメキメキと心の中で育っていた。

周りから、「あの人は順調に歳を重ねている」と思われるよう、命をかけて充実した生活を演じていた。

そんな自分が、もし他人から「もう29歳か……」と心ないセリフを言われれば、傷つくことはわかっている。

どうせ傷つくならば、あとで傷つくよりも今傷ついたほうがマシ。

そんな思いで「1歳逆サバ生活」を行い、身体を29歳に慣らすインターバル期間を設けていた。

自分でも、アホらしいことをしている実感はある。

「29歳、まだまだ若いじゃないか」と、ツッコミを入れたくなる人もいるだろう。

だが、私が言いたいことは、そういうことじゃない。

ひとつ年齢を重ねる事実に、私はそれだけデリケートになり、焦っていた。

鏡に写る自分の姿をふと見れば……

友達のもとに戻る。私を見つけて笑顔で手を振ってくれている2人の姿が、とても愛おしい。

女3人、土産物コーナーでぬいぐるみやカチューシャを選ぶ時間だけは、少女に戻れた気がした。

しかしその時、再び脳内から自分の声が聞こえた。

「彼女たちだって、決まった男ができたら、私の前から姿を消すに決まっている」

そんな声だった。もしそうであるならば、その時、私はどうするだろうか。

ひとりで婆さんになり、自力で自分をセルフ介護していくのか。

老後の資金は貯まるだろうか。

ここから一生、セックスすることはないのか。

そんな思考を打ち消しては、残酷なほど可愛いキャラクターカチューシャをフィッティングする。

鏡に写る自分の姿をふと見れば、丸々太った熊のようだった。

生活習慣からくる不摂生で顔はむくみ、髪はパサついている。

さらに酒の飲み過ぎで腹が出ている。

しかし、わかっていても、止められない。きっと何も変えられない。

隠していれば、誰にも気づかれないだろう。

自撮りする時だけは、顎を引き小顔に見せればよい。

裸を見せる機会も、もうきっと、ないだろう。

その時、身長155センチ、体重62キロ。体脂肪35%。

アイドルとして活動していた時から、実に、20kg以上増量していた。

午前0時、スクランブル交差点の中央で

閉園後、夜の渋谷へ移動すると、友人たちはいよいよ私の「誕生日カウントダウン」を行ってくれた。

スクランブル交差点の中央で0時を迎えると、2人は「おめでとう〜!」と大きな声で叫んでくれる。

恥ずかしくて、嬉しかった。

未来をつかむには、ぼんやりと心と身体の準備が足りなくて。

けれど、こうして大好きな友達に祝ってもらっていて、私、幸せ。私、幸せ。私、幸せ?

その日も食べて飲んで、帰って、汚いシーツの上で豚のように寝た。

深夜1時、再び母からの電話

実家の母からの電話は、逃げ切れなかった。

翌日深夜1時、ひとり遅めの風呂に入っていると、再び電話が鳴った。

母「誕生日おめでとう」

私「ありがとう」

母「あんまり構えず聞いてほしいんだけど」

私「うん」

母「あなたを産んだ日のこと、今でも覚えてる」

私「なに、急に」

母「29年前の暑い日。昼11時50分。未熟児だった。退院する日、小さなバスケットの中に体がすっぽり収まったから、それに入れて自宅に持ち帰った。それが、こんなに大きくなるとは。ここまで育ってくれて、ありがとう」

鼓動が早まる。一体、なにを言い出すのか。

私「用件は何?」

母「お願いがある」

私「うん」

母「痩せてほしい。本来の姿に戻ってほしい」

私「え?」

思い描いていた未来は、もうわからなくなっていた

私がSDN48というグループで活動していた頃、体重は41kgだった。

体脂肪は正確に記憶していないが、おそらく18%程度だったと思う。

日頃のダンスレッスンにより足首は締まり、ヘソ出し衣装を着ても腹はぺこりとへこんでおり、一度にいくつ弁当を食べても太らなかった。

正しく言うならば、忙しくて「太る暇が与えられなかった」のかもしれない。

そこからグループを卒業し、一般企業で記者として働きだすと一気に増量した。

仕事は充実しており、やり甲斐も、使命感もある。

周囲も私に、さまざまなことを親切に教えてくれる。

私はすでに十分、他人へ感謝しているつもりだった。

「アイドルを卒業しセカンドキャリアを歩む女性の中では、上手くいっているほうなのではないか」という優越感に浸っていたくらいだ。

だが、芸能界の競争を終えたら、今度は「ハイスペ男性と付き合わなくてはいけない」、「充実している生活をSNSで発信していかなくてはいけない」という焦りが蝕むようになった。

次第に、思い描いていた「アラサーキラキラ女子」とかけ離れていく自分に満足できない状態になっていた。

気がつけば体調を崩し、恋愛も失敗し、朝も起き上がることができなくなって、今春、会社は辞めた。

しかしフリーランスになったからといってひとつも仕事は決まっておらず、実質ニート同然の私は、すぐに稼がなくてはいけなくなった。

急いでアルバイトに入った会社でダンボール梱包作業をしている時、ふと、訳のわからない涙が出てきた。

思い描いていた未来は、一体、どんな形だったっけ。わからない。もう何も。

こうして始まった私のダイエット戦争

幸いにも、その会社は非常に居心地が良く、周囲も良くしてくれて、私は数カ月間に渡り少しずつ人生に活力を取り戻していく。

フリーランスライターとしても必死に複数の媒体へ売り込みをかけ、仕事は軌道に乗った。

ところが、それでも痩せはしなかった。

母はそんな私を近くで見ており、頼むからそのサイクルから脱しろ、と言う。

「本来の自分の体重に戻れば、必ず良いサイクルが舞い込んでくる。母として断言する」

その声音は世界中のどのカウンセラーよりも優しかった。

だが、急に変わろうとしても変われない。

それに、痩せることでマインドが変わる確証もない。

人生は十分良い方向へ向かっており、減量にベクトルを持っていくのは違うのではないかと思った。

しかし、母からの最後の一言で気持ちを押される。

「私に、痩せた姿をもう一度みせて。痩せることが目標というより、マインドを変えてほしい。自分が変われば、他人を妬んだりしなくなる」

とうとう目の前が揺らいだ。

そうか。今、変わらなければいけないのか。

私のダイエット戦争が、29歳誕生日の翌日に、始まった。

「そんなに食べてないよ」が口癖だった私が気づいたこと

まず始めたことは、家族(母・姉)に食べたものをLINEで報告するということ。

そんなことか、と思うかもしれない。だが、これが効果てきめんだった。

さっそく食べたものを記録したところ、「親子丼に温かいうどん」という炭水化物ON炭水化物を、平気で飲食店で注文していたことに気がつく。

「そんなに食べてないよ?」

太ったことを指摘されるたび、そう返すのが、少し前まで私の口癖だった。

本当に甘い物も好きではないし、1日3食以外は食べていないつもりだったが、食べる組み合わせが尋常ではなかった。

そしてコンビニで、ガムや飴、生理前には「無意識レベル」でチョコを購入していたことに気がついた。それもすべて報告した。

口寂しい時は、市販のプロテインバーに走ったが、冷静に考えればそれもまた、運動を伴わない場合にカロリーが高いケースがあった。

食生活で知らずに行っている小さな失敗や、実践しても意味の無いこと。

そういったことをたびたび家族から指摘され、ハッと気がついては止めていった。

減量には「自分と向き合う心」が必要だった

また、フィットネスコンサルタントの村上晃平さんにも助けを求めた。

彼とは元々友人で、「減量」という言葉を切り離しても、親しい間柄でご飯に行くことが何度もあった。

あまり、どういう人なのか知らずに仲良くなった。

ところが彼は、よく調べるとパーソナルトレーナーとして2012年ミス・インターナショナル世界一を輩出していた人物だった。

さらに企業向けのヘルスフィットネスプログラムを開発し指導するなど、フィットネスコンサルタントとしてめちゃくちゃ活躍していた。

彼に、ボディメンテナンスのコンサルティングを依頼できる経済力はない。

友人としてリスペクトしているからこそ、「友達なんだから、雑で良いから身体みてよ」とも言えない。

でも……私は思い切って減量の意思をLINEで伝えると、彼は精一杯、持ち得る知識を沢山私に与えてくれた。

食生活のアドバイスだけでなく、「自分と向き合う心」についても教えてくれた。

どうやら減量は、心の影響が非常に大きく、食事制限をしたり、運動をすることでは叶わないらしい。

また、これは後から知ったことだが、彼はセラピストやメンタルトレーナーの資格も持っていて、プロアスリートの指導や企業でリーダー研修をおこなったりもしていた。

彼からは色々なことを学んだが、その中で、とくに印象に残った言葉がある。

それは、「本物と偽物の食欲を、見極めてから食べるようにしたほうが良い」ということ。

私はその言葉を教わってから、どんな時も食べ物を口にする瞬間、「これは惰性で食べてないか?」自問自答する癖をつけた。

鏡に写る自分を見ても、もう落ち込まない

家族や村上さん、そして見守ってくれた友人のおかげで、私は、3カ月で15kg程度痩せた。

体脂肪も20%代まで落ちた。

この数字が健康的に痩せている指標になるのか、とか、リバウンドするリスクがないか、とか色々言い出せば、当然、精査が必要である。

だから、上記の減量法をオススメしたいわけでもないし、鵜呑みにして自分も見失わないでほしい。

でも、私は実践的な「ダイエットの方法」をお伝えするより、新しいマインドを手に入れた喜びを、ここに記したい。

それだけだ。

痩せて思考がクリアになった翌日も日常は続き、当然、悩みは尽きない。

「綺麗になった身体で何をしよう」と思った瞬間も、昔好きだった男性が近頃結婚し一児の父になっていたことを知り、普通に心が死んだ。

フリーランスライターは月収も不安定だし、彼氏はできないし、これからどんな仕事が舞い込んでくるかもわからない。

しかし、逆に急激に「ウルトラミラクルスマイルハッピー」みたいな明るい現象ばかりが起きたら、それはもう怪しいから。

そして、それでも本当に良いことがびっくりするくらい起き始めている。

仕事と人生が動き始めているのを、追い風が吹いているのを、今、身を持って実感している。

その具体的な内容は、私の仕事を持って世の中に発信していくことが正解だと思うから、ここでは言いません。

そして太っていた頃は、自然とベースの感情がネガティブになっていたけれど、今は鏡に写る自分を見ても、もう落ち込みません。

私は今日も、この身体とこの顔とこのメンタルで、深呼吸して生きていく。

その覚悟はもう、出来ている。

現在の体重、46kg。体脂肪23%。臆することなく、水着が着られるようになった。

まだ理想には、あと一歩。だけど、嬉しい。

ある時、痩せた私を見て、母がこう言った。

「もう、落ち込んでいた時のあなたは、どこにもいません!」

母に親孝行できたことが、私はいちばん嬉しいことなのかもしれない。

<撮影/佐野 円香>

この記事を書いた人

大木亜希子

大木亜希子(おおき・あきこ)

東京都在住フリーライター/タレント。2005年、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』で女優デビュー。数々のドラマ・映画に出演後、2010年、秋元康氏プロデュースSDN48として活動開始。その後、タレント活動と平行しライター業を開始。Webの取材記事をメインに活動し、2015年、NEWSY(しらべぇ編集部)に入社。PR記事作成(企画~編集)を担当する。2018年、フリーライターとして独立。

Twitter:@akiko_twins

note:大木 亜希子|note