愛書家から絶大な信頼を集める書評ブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」の中の人、Dainさんは、「自己正当化」という「モヤモヤ」を感じてきたといいます。では、そのモヤモヤの解決に示唆を与えた書籍とは。

「自己正当化する人」とは

若いころ、職場で最もモヤモヤさせられたのは、「自己正当化する人」である。

ここでいう「自己正当化する人」とは、「自分が正しい」ことを最重要視し、あらゆる問題の原因を他者に求める人のことだ。自己正当化そのものは悪ではないが、「自分が100%正しい」ことを証明するために生きるような人は危うい。これは当人だけでなく、周りに悪影響を及ぼすからだ。

もちろん、「自分が100%正しい」なんてことはありえない。しかし、同時に「100%間違っている」もないので、自己正当化する人の主張は、たとえそれが詭弁であっても覆されることはない。

わたしの経験に照らせば、自己正当化する人はある程度の社会人経験があり、リーダーや課長といった「それなりの立場」にいることが多い。部下からは恐れられる一方、大ボスからは「仕事はできる」と評価されやすい。なぜなら、「それなりの立場」で考え、モノを言い、「それなりの立場」をゴリ押しするため、大ボスからすれば、自身の意志を実現する駒として有用だからである。

自己正当化のロジック

そして、なにか問題が起きたときの、自己正当化する人の理屈はこう、「私は悪くない」したがって、「あなたは間違っている」という立論だ。「私は悪くない」は言葉にせず―――おそらく、意識にすら上がらないはずだ―――原因分析するところがポイントだ。自分に不利な点はあらかじめ排除するか矮小化し、その上で、「あなた」の間違い探しを始める。

ひとたび自己正当化する人の標的になると、あなたが、「私が間違っていました、申し訳ありません」と完全降伏するまで攻撃は終わらない。あるいは、あなたが他のスケープゴートを見つけるまで。自己正当化する人から見れば、「あなたが間違っていないのなら、他の誰が間違っているのか、”あなた”が見つけ出して証明せよ」という筋立てである。

自己正当化という仮面

めちゃめちゃだと思うだろ? でも、ときにこれがまかり通るんだ。自己正当化する人は、この「100%正しい自分」を守るために壁を築き、仮面を被り、そのポジションそのものと一体化する。仮面を批判されることは、一体化した仮面を引きはがされること、すなわち自己否定を受けるに等しい。したがって、仮面を守るためには全力で抗う。

まるで、「謝ったら死ぬ病」に罹(かか)っている人のように。攻撃するどころか、どう考えても謝罪するべきようなことをしているのに、自己正当化する人は自身に向けられた反論をガン無視するか、のらりくらり言い逃れするか、逆ギレを起こすかの3択から行動を選び取る。

その人にとって、「謝る」と「誤る」は同一で、「謝る」とは即ち自分に一体化している仮面の間違いを認めることになる。つまり、謝ることは自己否定につながるのだ。めちゃくちゃだと思うだろ? でも、自己正当化する人の内側では、理屈としては通っているんだ。

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』で気づく

自分の小さな「箱」から脱出する方法-著:アービンジャー インスティチュート 監修:金森重樹 訳:冨永 星 刊:大和書房
自分の小さな「箱」から脱出する方法(著:アービンジャー インスティチュート/監修:金森重樹/訳:冨永 星/刊:大和書房)

自己正当化する人について、やたら詳しいと思うだろう? 実は、わたし自身がそうだったのだ。「自分が100%正しい」ことを守るために、自分の周りに壁を築き、仮面を被り、自己正当化を目的として生きてきたのである。

この、自分の仮面に気づかされたのが、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』である。自己正当化した自分を守るための壁や仮面のことを、本書では、「箱」と呼んでいる。そして、人は時に「箱の中に入る」と。

説明しよう。やるべきなのにやりたくないことについて、人は自分の心の中で言い訳をするが、こうした心の動きを本書では「箱の中に入る」と表現する。

たとえば、電車内で席に座っている時、妊婦が乗ってきたら譲るべきだろう。だが、自分が疲れているとか、声をかけるのが恥ずかしくて、譲れないとする。その時、「疲れている」「恥ずかしい」という理由ではなく、「あの妊婦はそのうち誰かに席を譲ってもらえるからいいんだ」とか「妊娠は病気ではないから、立っていたほうが運動になる」と自分に言い訳をし、その言い訳にかなう事実を探し始めるのだ。そして、誰も譲らなかった時、自分のことは棚に上げて「席を譲らないのは冷たい」とか「いい運動になっただろう」と自己満足する。この時、すでに箱の中に入っているのである。

「席を譲らない」という事実は変わらないが、その事実を、自分への言い訳に満ちたフィルター越しに眺める。これが、「箱の中に入る」の典型例である。ここで重要なのは、「席を譲らない」ことではない。その事実を歪んだ目で見ようとしたことなのだ。そして、「歪んだ目で見る」という行為を、わたしはほぼ日常的にやっていたことに気づいたのである。

ショックだった。もともと本書は、「人間関係のイライラを解消したい」という動機で手にしたのだが、そこで明らかにされたのは、まさに「わたし自身」が壁を築き仮面を被り、自分で自分にウソを吐き続けてきたという事実である。

ずっと隠し続けてきたことが、皆の前であばかかれたような、非常に気まずい読後感だった。だが、人間関係の問題の原因を相手に求めるのか、自分に問うのかによって、解決の難易度は大きく違う。

本書は、タイトル通り、「箱」すなわち仮面から抜け出す方法が書いてある。これは、レジュメで知識を得るようなものではなく、実際に読みながら自分で考えることで、「箱」を体験することができる。

「自分の嘘に自分で気づく」は一種の恐怖体験だが、箱から出ることで、とても楽に生きられることを請け合う。そして、仮面がいかに自分を息苦しくさせていたことに気づくだろう。

『怒らないこと』から、怒りのない人生を選ぶ

怒らないこと〜役立つ初期仏教法話1〜-著:アルボムッレ・スマナサーラ 刊:サンガ
怒らないこと〜役立つ初期仏教法話1〜(著:アルボムッレ・スマナサーラ/刊:サンガ)

自己正当化する人は、職場に「怒り」を持ち込む。議論の方向を怒りによってコントロールしようとする。いきなり怒りだし、威圧感でゴリ押しする人を、昔は「瞬間湯沸かし器」と揶揄していたが、今は「沸点が低い人」になる。

わたし自身、「沸点が低い人」だったのでわかる。怒るのは、「自分が100%正しい」自分を守るための行為である。すなわち壁や仮面を脅かす可能性があるものに敵対的になり、他人の追求を避ける牽制なのである。

そして、「怒るのは当たり前だ」と正当化したり、「怒って何が悪い?」と開き直ったり、「本当は怒りたくないのに怒らせている」と、怒りの原因を他人に向けていた。こうした行為は、仮面を守るための怒りを正当化しているから、二重の意味での自己正当化だ。

怒りをあらわにすることで自分の言い分は通る。本当に怒っているか否かは関係なく、そんな言動がデフォルトになる。これが日常になると、生活に変化が訪れる。腹の中のムカムカが苦い唾液になる。ムカムカを晴らすためにぶつける先を探すようになる。寝るときも一日の不満を思い出しては、また怒りだすので寝られない。文字通り「怒りに支配された」のである。これをなんとかしたくて、わたしは『怒らないこと』を手に取ったのである。

本書を読むと、怒りとは、「自分で毒を飲むようなこと」だと分かる。自分を守るための怒りが、自分にダメージを与えてしまう。わたし自身、まさにこれだ。怒ってしまったことを悔み、相手を傷つけてしまったことに悲しむのだが、怒りの理由を自分に求めたくないから、「あいつが悪い」とさらに自分にウソを吐く。毒の上塗りやね。

あらゆる怒りの根っこには必ず、「自分が正しい」という思いが存在すると本書は指摘する。つまり、「私にとって正しい何か」があって、それと現実がずれているときに怒るのだ。この、「自分が正しい」という思いを手放した時、わたしはずいぶん楽になれた。怒らなくなったかというと、それは嘘になる。だが、より怒りの少ない人生を選べるようになった。

『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』で自己正当化を利用する

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている-著:ふろむだ 刊:ダイヤモンド社
人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている(著:ふろむだ/刊:ダイヤモンド社)

自己正当化する人は、自信に満ちている(ように見える)。この「(ように見える)」が重要で、本心がどうあれ、被った仮面が組織内での立場と一体化した場合、まさに「自分を守る=組織内での責務をまっとうする」ことになってしまう。

そのため、自己正当化する人の仮面に似合ったポストを割り当てると、実にうまく役職をまっとうしてくれる。「リーダー」という役、「課長」という役を演じるのがとても上手なのである。そして、ますます自信に満ちた態度をとるようになる。本来の「リーダーの仕事」や「課長の仕事」ではなく、「その役柄を演じるための自信や態度」が強化されるのである。

『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』を読むと、このカラクリがわかる。自己正当化する人は、本来の実力以上に「自信に満ちあふれている自分」によって「自分の正しさ」を強化している。自信たっぷりに「リーダー」や「課長」を演じる態度は、人に「本当にスゴいのかも……」と思わせることができる。

本当かどうかはともかく、「スゴいのかも……」と思わせる力のことを、本書では「勘違いさせる力」すなわち「錯覚資産」と呼んでいる。そして、運や実力よりも、人にそう思わせる錯覚資産のほうが、実は成功する上で重要だったりするという。本書にはこの錯覚資産を作り出し、運用する方法が書いてある。

自己正当化を目的とした人生は、怒りと欺瞞に満ちたものとなる。だが、自己正当化の「箱」なり「仮面」を自覚し、今度は利用してやるのだ。具体的には、何かのポジションを与えられ、そこでイニシアチブを取って行動することが求められた時だ。そのポジションの「役」を意識して、自信に満ちたように演ずるのである。「器が人をつくる」というが、器に適任だと人に思わせるのである。

自己正当化の根本にある問題を解決する『問題解決大全』

問題解決大全〜ビジネスや人生のハードルを乗り越える37のツール〜-著:読書猿 刊:フォレスト出版
問題解決大全〜ビジネスや人生のハードルを乗り越える37のツール〜(著:読書猿/刊:フォレスト出版)

「自分が100%正しい」という仮面に気づき、自己欺瞞の罠から脱出し、自己正当化からくる自信を資産として運用する。これでモヤモヤは解決するだろうか? 違うよね。そう、自分以外にも「自己正当化する人」はいるのだ。

自己正当化そのものは人の仕様だが、自己正当化を生きる目的とし、仮面と一体化した他者と、どのように接するか? 仮面と一体化した人に対し、ここまで挙げた本は役立たない。なぜなら、それを読む動機が存在しないからだ。むしろ、こうした本を薦める行為は、仮面に対する攻撃=自己否定ととらえられかねない。

ではどうするか?

この問題は、一筋縄でゆかぬ。解決したい「自己正当化」は、その人の中だけでなく、わたしの中にもあって、なおかつ、それぞれの立場やポジションの中に組み込まれているからだ。これは、学校のテストやビジネス書のソリューションといった、与えられたテーマ(=解決)を前提に問題が書いてあるものではない。むしろ、問題の中にわたしたちがいるのだ。

外から与えられた問題ではなく、「問題の中」から問題を解く。これはかなり難しい。わたしは相手を傷つけ、自分も傷つきながら、手探りするほかなかった。ほとんどの手立ては失敗したものの、上手くいったものもある。自分の経験の中で見つけ出した手立てなのだから、わたしのオリジナルだと思っていた。ところが、同じ手法が2017年に刊行された『問題解決大全』にまとめらていたのである。

わたしが直面したような問題を本書では「サーキュラーな問題」と呼ぶ。原因と結果の関係がニワトリとタマゴのような状態で、因果を辿ろうとしても、ぐるぐる循環してしまう。自己正当化する人からの「怒り」の攻撃を解決したいと思い、その「怒り」を指摘したりしても火に油だろう(いわんや「自己正当化」そのものや、それを生みだすポジションを批判すると、手痛いしっぺ返しを食らうことになる)。その人は上司であるため、排除するわけにもゆかぬ。自己正当化からくる「怒り」が問題なのであって、「人」そのものではないのだからね。

わたしの場合、本書で紹介されている37の問題解決技法のうちの2つ、「問題への相談」「推論の梯子」を使った。前者は問題を擬人化し、そのキャラクターにインタビューすることで、人と問題を切り離して考える手法だ。後者は互いの認識のズレが生じているところまで事実の積み重ねを戻ることで、対立的な悪循環から逃れる。

わたしは「問題への相談」により、自己正当化する人が怒りをあらわにする理由として、「恐怖」があることを理解した。自分の立場と一体化した仮面を守るために「怒る」という反応をしているのだが、その裏側には、自己欺瞞を暴かれ、メンツを潰されることに、強い恐怖感を抱いているからなのである。

自己正当化する人を排除するのが目的ではなく、「怒り」を抑えてもらうことが目的なのだが、仮面が暴かれる「恐怖」が根本にある。ここまでわかったら、後は比較的楽だった。「推論の梯子」を用いて、どの段階の事実認識で、その人の「恐怖」が刺激されたかを推論する。アタリがついたら、その認識のズレを修正する。その人にとって「仮面を剥がされる脅威」から「単なる認識違い」へと問題が変わったので、怒る理由はなくなったのである。

先ほど「『問題解決大全』の技法を使った」と書いたが、当然のことながら、わたしが若かりし頃、本書は無かった。だいたい、「サーキュラーな問題」をまとめた技法集なんて、世界初じゃなかろうか。わたしが試行錯誤した方法は、先人たちが既に取り組んでおり、技法として確立されていたのだ。

人類の全ての悩みは、誰かが既に悩んでいる。重要なのは、自分で試行錯誤するよりも、まず先人の例に倣(なら)う。車輪の再発明じゃないけれど、同じ苦労をするくらいなら真似しよう。学ぶことは真似ることなのだから。そのための問題解決ツールボックスとして『問題解決大全』お薦めしたい。

自己正当化する人が自己欺瞞に気づいたら『春にして君を離れ』

春にして君を離れ-著:アガサ・クリスティー 訳:中村妙子 刊:早川書房
春にして君を離れ(著:アガサ・クリスティー/訳:中村妙子/刊:早川書房)

最後は最恐の小説を。

昔の上司を例に挙げたが、自己正当化する人の「怒り」を発動させている動機は「恐怖」である。怒りの根っこに「自分が100%正しい」という思いがあり、その思いが揺さぶられることに恐怖を感じる。仮面と一体化した自己防衛本能と言ってよい。自己正当化する人にとって、自分の誤りを認めることは自殺に等しい。

では、自己正当化する人が、自分の嘘に気づいてしまったら何が起きるか? どのような結末が待っているか? これを疑似体験できるのが、『春にして君を離れ』である。

クリスティーといえば、ミステリーの女王であり、数々の名探偵を生みだしたベストセラー作家である。本書では、探偵も犯人もいないので、クリスティーとしては異色作と言われている。だが、わたしは本書こそ、クリスティー最高&最恐の一冊としてお薦めしたい。

何か突飛な事件が起きるわけでもない。中年の女性が旅先で交通手段を失い、数日間の暇をもてあます話だ。

日常から離れ、宙ぶらりんの状態が続く。読む本も話す相手もいないところで、ひたすら自分と向き合うことを余儀なくされる。最初は直近の出来事を思い出し、過去、誰かに投げかけられた何気ないひとことに込められた真の意味を吟味しはじめる。それは次第に過去へとさかのぼり、ついに自己満足そのものに及ぶ。

「いろいろあったが、自分の人生はうまくいっている」

「夫のダメな部分はわたしが正してやらないと」

「いつだって子どものことを考えてきた」

「わたしこそ良妻賢母の鑑だ」

「あいつがああなったのは、自業自得だ」

このように書くと、主人公の中年女の自己正当化がよく見える。しかし、こうした反芻は「ほんとう」なのだろうか? 疑いはじめるとキリがなくなり、自分の人生が蜃気楼のようなものだったことに気づく恐ろしい瞬間が待ち構えている。

自己正当化する人は、生まれた時からそうであったわけではない。長年の習慣が凝り固まり、自己正当化的な思考しかできなくなった人なのだ。ある立場「で」ものを言っているうちに、その立場に乗っ取られ、その立場「が」ものを言うようになる。だが、それが実は嘘であったことがわかる時、人生まるごと否定せざるを得なくなる。

読み手は彼女になぞらえながら読むだろう。そして、「私はこんなんじゃない」と呟くだろう。まさにこの中年女が呟いているように。そのとき、読み手は自らの中に「自己正当化する自分」を見出して慄(おのの)く。

ラストは、わたしが考えられる限り、一番イヤなものだった。ただし、この「イヤ」がわからない人がいるかもしれない。実は、それこそが、最恐なのだと申し添えておく。

「自己正当化する人」は、わたしであり、あなたである

自己正当化は人の仕様であるため、わたしもあなたも「自己正当化」する。しかし、自己正当化を目的とした人生は厳しいものとなる。常に自分の嘘との整合性を保ちつつ、嘘で塗り固めた仮面を守るために、その脅威となるものを攻撃せざるを得ない。

もし、あなたが仕事や生活の場で「モヤモヤ」を感じているのであれば、それはあなたや相手が「自己正当化」を発動させているからかもしれない。怒りや恐怖といった極端なものから、何らかの圧迫感や不安に近い感覚まで、自己正当化の具体は様々だろう。

ここでは、わたしが書籍から示唆を受け学んだ、自己正当化の罠から脱出する方法や、逆に利用する方法をお伝えした。さらに「自己正当化する自分」に気づいてしまった作品を紹介した。どれもお薦めしたいが、実際にどの一冊を手にするかは、あなたが自身の抱える「モヤモヤ」についてどこまでわかっているかによる。

つまり、自分の中にある「モヤモヤ」に取り組みたいのであれば『箱』と『怒らないこと』だし、そこに相手がいるならば『勘違い』『大全』になる。怖いもの知らずなら『春』から読むという手もある。

自己正当化を理解し、もっと楽に生きるために役立ててほしい。