人生は映画にたとえられることがある。それは誰でも、人生で何度かは、映画のようなドラマティックな出来事に出くわすからだ。

僕にもある。かつて、クソ上司から「俺の代わりはいないが、お前らの代わりはいくらでもいる……」と言われた時、僕はその言葉があまりに現実離れしていて、映画みたいだと思ってしまったものだ。

端的に言えば「社員は捨て駒」。ハラスメント要素しか見出せず、しかるべき窓口に訴えていいレベルの酷い言葉。だが、今は、この言葉に感謝すらしている。なぜなら、上司=会社という組織の本質の一端を見事にあらわしているからだ。会社は、どれだけそこで働く社員を大切にしていたとしても、時と場合によっては、会社を守るために見捨てることがある、ということを。

上司の言葉こそ「会社の本音」だった

「お前らの代わりはいくらでもいる……」

このクソ上司の言葉は、《絶対にしくじってはいけない》とされていたトップ案件でものの見事にしくじった時のものだ。

会社という組織は、時に理不尽で残酷なものへ化してしまう。チーム全員が全力で働き、それぞれがベストを尽くしたとしても、結果が伴わなければ、誰かが何らかのカタチで責任を取らなければならない時がある。

「では誰が?」というクエスチョンは愚問だろう。責任を取るために上司は存在している。それゆえ上司は、高い給料をもらい、普段、部下たちからチヤホヤされている。

そう考え、信じ切っていた自分がバカでした。

「俺の代わりはいないが、お前等の代わりはいくらでもいる……」というクソ上司の言葉は、「責任を取るのが上司の仕事」だと考えていた僕の常識を木端微塵に粉砕したのだ。

追い討ちをかけるように「責任を取るためにお前たち部下がいる……」とも言われた。

「ふざけているのか」「きっつー」「何のための上司だよ」「ホント辞めてほしい」と同僚たちは文句を言っていた。

その一方で、僕は、これほど明確に部下をスケープゴートにしようとする人間を初めて目撃したことに、感動していた。映画みたいだ、と。

感動したのは、これこそが会社の本音だと思ったからでもある。そして会社の本音というものを、これだけ明確なカタチで提示されたことに心を打たれたのだ。

会社とは、基本的に本音を明らかにしない組織である。

長年、従業員第一主義を打ち出していた企業が、ある日を境に、従業員を雇止めしたり人員削減を始めるのも、現場主義を掲げた企業が現場をかえりみない事業運営をしているのも、珍しいことではない。

つまり、会社にとって、事業継続が第一であり、社員などは二の次なのである。「会社>社員」が本音なのである。会社がうまくいっている時、または、余裕がある時は、都合の悪い本音が露見していないだけのことなのだ。

会社員は「会社の経営方針」にひれふすしかない?!

数年前、当時勤めていた食品会社で、海の家の店長代理をやらされたことがある。海の家の運営は、トップの完全な思いつきである(知人から権利を譲ってもらったらしい)。海の家運営が決まったのは、海開きのひと月前。もちろん、社内には海の家運営ノウハウはゼロ。「外部から経験者を招聘しよう」というもっともな意見は、乗っ取りを恐れたトップによって却下された。そこで白羽の矢が立ったのが、僕だった。

不本意だったので、上に対して文句を言い、会社の姿勢を問いただしたりしたが、結果的に、海の家で、丸々1ヵ月間、焼きそばを焼き続けるハメになった。なぜか。上層部が「海の家経営は会社の経営方針」というパワー・フレーズを使ったからである。

会社員にとって「会社の経営方針」とは抗えない言葉だ。会社方針の旗のもと、会社方針を信じて、僕とスタッフたちは休みも、ノウハウもない悪条件下で、焼きそばを炒め、生ビールを注ぎ続けた。だが、その先にあったのは、海の家はひと夏かぎりで撤退、という経営陣が出した哀しい結論だった。その時も会社経営方針という言葉の前に僕たちはひれ伏したのだ。

このように会社とは、従業員の意思など関係なく勝手にやる恐ろしい組織なのである。

つまり、会社の言うことを信じ、仕事に自分のもっている力を全振りしていると取り返しのつかないことになりうるのだ。僕の経験上、7~8割の本気で仕事をするのが最適な力配分ではないだろうか。その配分を見極めることが仕事の上で重要なのだ。

僕らはなぜ会社の言うことを信じてしまうのか

そもそも、なぜ、僕らは会社の言うことを信じてしまうのだろう?

会社と自分との関係性に着目すると、大きく分けて二つのパターンがあるのではないだろうか。ひとつは「会社の言いなりになっていれば、切られることはないだろう」という一時的な安心感が得られるからだろう。

「一時的な」としたのは、会社が苦しくなった時には、その判断や命令で切られてしまってもしかたがないという諦めがベースにあるからだ。ほとんどの会社員がこうした諦めをベースにした安心感に生きている。実際、「しかたないよね。上の言うことだから」「リストラされたらそこまで」というフレーズを会社生活で何千回も耳にしてきた。その究極形が「社畜」だろう。

もうひとつは、会社と我々社員は対等な存在であり、「対等な存在である社員に、酷い仕打ちをすることなどありえない」とどこかで信じているからではないだろうか。

上に物言う社員というのは上から一目置かれることがあるが、その一目は、「あいつやるな……」という評価であることより、要注意社員としてマークされていることのほうがずっと多い。会社とは扱いにくい社員を嫌う組織なのだ。なぜか。会社と社員が対等関係にあるという前提が妄想だからだ。

会社と社員は対等? 僕はそんなこと信じない

労使対等という言葉がある。使用者と労働者は対等の立場で労働条件等を決定しなければならないという原則である。それは、労働者が労働力を提供し、その対価として、使用者は賃金を支払うという関係の上に成立している。

実に素晴らしい概念で、現実がそうであればいい。だが、実際問題、会社と労働者(社員)は対等だろうか。僕は悲しいが労働者が弱い立場であり続けるのはしかたがないと考えている。なぜなら、僕の偏見にまみれた目からは、働く機会を与えるのも、賃金を支払うのも、一方的に使用者(会社)に見えるのだ。

もちろん、法律等で労働者の保護はなされているが、実際に、僕の20年の会社員生活において、会社と対等の立場だと感じたことはない。だが、希望はある。労働者(社員)が会社と対等という幻想を持たずに、自分は会社よりも弱い立場だと自覚をすればいいのだ。要するに「弱者なりの戦い方」をすればいいのだ。

この言葉が使われ出したら逃げる準備をしよう

会社員にとっての弱者の戦い方とは「いつでも逃げられる体勢を取っておくこと」である。その前提として会社の変化に対するアンテナを張っておくのが必要となる。僕が経験上で学んだ会社のヤバい徴候をいくつかあげておく。

(1)「経営者感覚」は身を切る覚悟を持てという意味

「経営者感覚」という言葉を上層部が用い出したら、ただちに命を守る行動をとってほしい。特に、それまで上層部が「キミたち社員は、安心して、会社の方針に従ってくれればいい」といっていた会社が、「社員ひとりひとりが経営者感覚をもって、日頃の業務にあたってほしい」と言い出したときはシグナル赤が点滅しているといっていい。
このフレーズにおける経営者感覚は、経営的な視野を持つ、という意味ではなく、経営者なら身を切る覚悟を持て、という意味であるからである。実に都合のいい言葉の使い方である。

(2)「社員一丸」は社員もろとも自爆する覚悟の表明

「社員一丸」という言葉も要注意だ。本来、リーダーシップを発揮すべき上層部がそれを放棄しているという点では、先に述べた経営者感覚よりも注意が必要といえる。ワンマン経営のボスが社員一丸というときは、社員に心を開いたのではなく、むしろ逆でワンマン思想から自分ひとりは寂しいけれど社員もろとも自爆なら寂しくないという迷惑な覚悟の表明であることが実に多いのだ。

その他にもいくつかあるが、基本的にそれまでの経営スタンスを翻して、表面上は綺麗な言葉で飾って、社員を巻き込もうとするパターンがほとんどである。あなたの会社の上層部がそのようなフレーズを使い始めたら、弱者の戦い、逃げる準備を進めてもらいたい。

「会社に使われてやってる」くらいの気持ちでちょうどいい

会社という残酷な存在にとって、地位など関係ない。変わるときは変わり、切り捨てるのだ。冒頭にご紹介した「俺の代わりはいないが、お前らの代わりはいくらでもいる……」とイキっていたクソ上司も最後は会社から戦力外通告を受けて切り捨てられた。

彼は誰よりも会社という存在を信じすぎていた。会社の経営が芳しくなくなり、まともに仕事をしない、高給取り、そのうえ60才を超えていた彼は、彼以外の人間から見れば、立派なリストラ対象だった。ところが「会社は功労者の自分を切るはずがない」と高をくくっていた彼は、逃げるタイミングを完全に逸してしまった。会社を信じすぎたからだ。

あれから何年もたったけれど、彼が散り際の言葉「今度会う時は……客だ…」で見せた強がりは今でも哀しい。

大事なのは会社を信じすぎた結果、会社の都合に巻き込まれて、あなたの素晴らしく大事な人生を浪費しないようにすることなのだ。

会社には使われてやっているくらいの気持ちでちょうどいい。一度しかないあなたの人生の主役は、会社ではなく、まぎれもなく、あなた自身なのだ(所要時間50分)

この記事を書いた人

フミコフミオ

フミコフミオ

海辺の町で働く不惑の会社員。普通の人の働き方や飲食業や給食について日々考えている。現在の立場は営業部長。90年代末からWeb日記で恥を綴り続けて20年弱、主戦場は、はてなブログ。

ブログ:Everything you've ever Dreamed

Twitter:@Delete_All