予想しようがない、カオスなネタが人気の天竺鼠。2008年の第1回キングオブコントで、無名ながらも決勝進出を果たしたものの、その後は長年「あと一歩」というところでタイトルを獲り逃してきました。
「ネクストブレイク芸人」と言われながら10年の月日が経ちましたが、川原さんは「好きなことをしているだけで、売れたいとは思っていない」と話します。やりたいことを貫くための原動力は、どこにあるのでしょうか。
大の絵本好きで、自身の絵本『ららら』を出版したばかりの川原さんに、聞いてみました。
テーマもターゲットも一切考えない絵本『ららら』を出版

──川原さん初の絵本『ららら』、読んでびっくりしたんです。絵本ということで「ちょっといい話」とか「子どもに対して学びになる内容」があると思いきや、内容は摩訶不思議というか。ページをめくってもカオスが続きます。
川原克己さん(以下、川原):テーマとか、誰向けとか、一切考えてないんですよ。描きたいものを、描いて、絵本にしてもらっただけなんです。

──川原さんは大の絵本好きで、自宅にも数百冊持っているんですよね。自分が好きなものだからこそ、「結果出さなきゃ」とか、身構えなかったですか?
川原:出そうと思って身構えても売れないですからねえ。天竺鼠のお笑いもそうですけど、好きなことをやっていたら、いつの間にかお客さんがついてくる状態。それが僕の幸せだし、ありがたいことですよね。
──天竺鼠のネタも、今回の絵本も「あれ、これどう受け止めればいいんだ?」「どういう意味だ?」と、試されているような面白さがあるんです。
川原:僕は何も決めずに投げているだけ。お笑いに正解はないから、それぞれどう受け止めてもらってもいいと思うんです。ひとりひとり、心に浮かんだものが正解。僕が絵本が好きなのも、同じ理由なんですよ。赤ちゃん向けの擬音だけの絵本とか、自由に楽しめる。受け手が完成させてくれるところに、面白さがあるんですよね。

川原:今回は絵本と個展をやりましたが、自分のベースはあくまでお笑いです。でも、「新しい何か」を見つけたい気持ちは常にありました。表現の幅を広げていきたいですし、将来は自分の美術館を作って、そこでネタをやれたら最高ですね。
人はいつか死ぬ。そう思えば恥ずかしいことなんてない

──世の中のコンテンツって、「共感」「あるある」「社会のお悩み」をベースにうまれることが多いと思うんです。でも、川原さんの作品にはそれが一切ない。そこが支持されているのは、すごいことだと思うんです。
川原:ネタもそうだけど、僕は「みんなが思い描いてたのとちょっと違う、予想外のもの」を作り続けたいんですよ。普通に、次が予測できるものじゃなくて「脳が混乱する」みたいな、非日常的な作品をどんどん出していきたいです。
──生み出す作品だけでなく、川原さん自身も、我を貫くスタイルですよね。これは小さい頃からですか?
川原:小さい頃から仲良しグループに入らず、外れていましたね。はしゃぐ同級生を横目に、「全然おもろないな」「あいつ、もっとああやったらいいのに」って隅っこで思っていたんですよ。同級生がふざけて、先生に怒られているところに「突然バケモノがやってきたらいいのに」って空想して、ひとりで笑ってたんです。それが笑いのベースになっていますし、漫才よりコント派。会話の流れで誰かを笑わそうとは、一切思ってないんですよ。
──周囲に流されない強さは、どこにあるのでしょうか。
川原:絶望じゃなくて、前向きなしょうもなさ、ですかね。「人は、いつか死ぬ」ってのが僕のベースにあるんですよ。自分も、周りの人たちも、100年後には誰もいなくなるでしょう? 自分をとりまく状況なんて、ちっぽけなことなんです。だから、恥ずかしいとか、ダメなことなんて何もないと思うんですよ。

──そこにたどり着いたのは、いつですか?
川原:「グループに入らないと、学校生活がつまらなくなるんじゃないか」って選択に迫られたこともあるんですよ。でも、「どうせ、いつか死ぬからいいや」「無理してグループで生活したほうが、その間はすごい苦しいよな」と思って。
──小さい頃から意志が強いですね。そう思えたきっかけは?
川原:鹿児島の田舎の、廃墟になったみかん工場のすみっこでぼんやり「なぜ自分はグループに入らないと選択したのか」を自分自身で考えてみたんですよ。「ひとりって寂しいことなのかな? 小学生らしく泣いてみようか」なんて思って、泣こうと試してみたんだけど、なんか違って。「ああ、涙が出るほどつらいことでもないし、強がって我慢しているわけでもないんだな」って。その時、「この先、人に嫌われても平気だな」って思えたんです。
売れる・売れないはあっても、お笑いに上とか下はない

──天竺鼠って、一度活動休止しているんですよね。川原さんから切り出して、地元鹿児島で働いていた時期があったのだとか。
川原:結成してすぐの頃ですね。本気でお笑いを始めちゃったら、僕はホームレスになっても芸人を辞めないだろうと思ったんです。その前に1回、社会人をやってみたかったんです。
──その経験を笑いに活かすとか?
川原:全然! 単純に、社会に対する興味でしたね。早く売れたいっていう欲求もなかったので。
──売れたい欲求がない……! なぜ、そんなどっしりいられたんでしょうか。
川原:同期が売れても「一緒に頑張ってきたヤツらが評価されて、うれしい」って感情しかないです。彼らはみんな、僕ができないことをやってるし、僕は同じ土俵に乗ってないから。

──すごい。一切嫉妬はしないんですね。天竺鼠は、賞レースもあと一息というところで逃してきました。「ネクストブレイク芸人」と呼ばれ続けて10年、アドバイスをしてくる人とか、たくさんいたと思うんです。「マスに向けてネタを変えよう」とか、思わなかったのでしょうか。
川原:それをやったら、みんなと同じになってしまいますからね。「M-1グランプリ」や「キングオブコント」で勝つための笑いになっちゃうし、その領域にはプロがいっぱいいる。「好きなことをやって、彼らの土俵に立たせてもらえたらラッキー」って温度感で続けてきました。
──そんな人がいるんだ、と驚いています。ギラギラした人が多い世界だと思っていたので。
川原:小さい頃からずっとひとりでいたから、ドライなのかもしれませんね。僕は好きなことを淡々としているだけ。それを「かっこいい」と言われることもあるけど、僕からしたらちゃんと「TVで求められる」ネタに照準を合わせている人も、かっこいいと思うんです。「M-1グランプリ」に人生をかけてきた同期が勝つと、やっぱりうれしいし。
──川原さん自身は周りからの評価を気にしないけど、周りからはどんなことを言われますか? 「強がっちゃって」みたいなこと、言われて悔しい思いをしたことはないですか?
川原:散々言われてきましたよ。でも、ずっとこのスタンスだから、だんだんとみんなもわかってくれるようになりました。先輩にも「もっとTVで川原を観たい。もっと笑いのレベルを下げたらどう?」と、丁寧に言ってくれる方もいらっしゃいます。でも、僕の目標はTVに出ることではないです。売れる・売れないはあるけど、お笑いには上とか下とか、ないと思うんです。
しんどいなら辞めていい。反対する親なら縁を切ってもいい

──軸がブレない川原さんは素敵ですが、なかなかそうなれないビジネスマンに向けて、なにか簡単にできることはないでしょうか。
川原:普通に良いこと言うのは苦手ですけど、「自分がしんどいことは、ひとつもするな」かな。我慢して得ることなんて、ひとつもないです。人づきあいも、仕事も。「我慢して頑張ったら、何かご褒美が降ってくるんじゃないか」っていう人いると思うけど、絶対にないです。
──力強い言葉です。
川原:「会社での仕事がしんどい」って相談をよく受けるんですよ。でも、しんどいなら辞めていい。親が会社を辞めることに反対してるなら、親と縁を切ったっていいと思う。「我慢し続けて死ぬのか?」って思うんですよ。好きなことだけを大切にしたら、しんどいことや、自分にとっていらないことを排除できるんです。その結果、仕事がうまくいかなくなったら、自分にとってその仕事自体が意味がなかったということ。手放していいことなんです。
──今後仕事にしたいことや、自分が好きなものがわからない段階の場合はどうしたらいいでしょうか?
川原:誰でも「コーヒー飲むのが好き」「読書が好き」とか、あるはずなんですよ。その小さな「好き」に触れる時間を、伸ばすことが大事だと思いますね。あとは、やったことないことや少しでも興味を持てそうなことを片っ端から試してみることかな。やってみないと「自分が何をしんどく感じるか」がわからないですからね。
──いきなり大きなことを目指さなくてもいい、と。
川原:自分の気持ちを、きちんと紐解いていくことが大事ですよ。芸人の「売れる」にも、いろんなパターンがある。キャーキャー言われたいのか、お金が欲しいのか、大きな仕事がしたいのか、面白いことをしたいのか。何を求めるかで、やるべきことは変わります。まずは、自分の気持ちを理解してから「やりたいこと」「欲しいもの」に向かっていけばいいんです。
川原克己(かわはら・かつみ)
1980年、鹿児島県生まれ。2003年に、瀬下豊とお笑いコンビ天竺鼠を結成。キングオブコント2008,2009,2013ファイナリスト。革ジャンにサングラス、茄子のかぶりものでするピンでのネタも人気。趣味は絵本集め。2019年1月に絵本『ららら』をヨシモトブックスより発売。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。
Twitter:@kawaharakatumi
取材・文/小沢あや(@hibicoto)
撮影/黒澤宏昭
【修正履歴】記事タイトルを変更しました。(2019年2月4日13時00分)