昨年、戦場ジャーナリストの安田純平さんが、3年ぶりにシリアで武装組織から解放されたニュースが流れたことを覚えてますか? 戦争や紛争が起きている場所に出かけ報道する戦場ジャーナリストは、常に命の危険と隣り合わせの仕事です。

彼らは、なぜ命を落とすかもしれないような危険な場所に行くのでしょう? そんな素朴な疑問を感じた人も少なくないのでは……。

そこで今回、日本で活躍する数少ない戦場ジャーナリストのひとり、常岡浩介さんに取材を申し込みました。なんとアフガニスタンで武装組織に誘拐され、拘束生活を送ったこともあるそうです。

常岡さんが戦場ジャーナリストという仕事を選んだ理由や、命がけの取材のギャラはいくらなのか、武装勢力に拘束された時はどんな生活を送っていたのか、赤裸々にお話しいただきました。

戦場への入り口は少女漫画研究会!?

常岡浩介
常岡浩介(つねおか・こうすけ)。ジャーナリスト。戦場での取材を得意としている。2010年、アフガニスタンで武装組織に154日間拘束された。

──今回は取材を受けていただき、ありがとうございます! 戦場ジャーナリストってもっとコワモテな人が来るかと思ってたけど、全然違いました(会社員っぽくもないけど…)。さっそくですが、どうして戦場ジャーナリストになったんですか?

常岡浩介さん(以下、常岡):元々、漫画家になりたかったんですよね。

──漫画家? ジャーナリストとはずいぶんかけ離れていますね。

常岡:父親は医者なんですが、僕のことも医者にさせたがっていました。ところが僕はそんな父に反発して、高校時代は好きな漫画を描いていて受験勉強なんかまったくしていなかった。受験戦争にも乗り遅れて、入試がとても遅かった早稲田の人間科学部に唯一願書を出してみたら、受かって入学することになりました。そこで少女漫画研究会というサークルに入ったんです。

──少女漫画? 意外です。

常岡:はい。大学2年の時にその研究会の美人の怖い先輩女性2人に『シベリア鉄道に乗ってヨーロッパ行こう』と誘われて出かけて、初めて海外に興味を持ったのがすべての始まりなんです。だからいまだに研究会の人には感謝していますね。

──誘ってくれた怖い先輩のおかげだと。

常岡:そうですね、荷物持ちみたいな扱いでした(笑)。その後大学時代に頻繁に海外に行くようになり、イラクに密入国したりしていましたね。

──その漫画研究会怖いです(笑)。密入国って、どうするんですか?

常岡:93年のイラクでしたが、トルコから国境まで行き、友達がいると嘘をついたらスタンプを押してくれたから、一応密入国ではない(厳密にはサダム・フセイン政権に対して密入国。トルコに対して密出国ではない)んですけどね。イラク側に入ったら、クルド人のゲリラがウェルカムと迎えてくれましたね。

──ゲリラがウェルカム?

常岡:クルドの人たちは、自分たちがサダム・フセインといかに戦っているかとか、水道も電気もなく、泥水で料理しているようなひどい状況で、その苦境を世界に訴えたい気持ちがあったらしいです。日本では報道されていないことがいろいろあるんだな、と思いましたよ。

──なるほど。その体験が今につながっているわけですね。

常岡:そうですね。その後、ジャーナリストをめざすことにしました。漫画家はとっくにあきらめていたので大学卒業後は地元の長崎放送に入りました。

週刊誌で2カ月国内取材して12万円。食えないから、戦場に

常岡浩介

──長崎放送では報道のお仕事を? でも数年で辞めたんですね。

常岡:はい、長崎放送では、サツ(警察)回りやヤクザの取材など、いろいろな経験をしました。でも、学生の頃に知り合ったアフガニスタンの友だちの消息が知りたかったのと、タリバンが台頭してハザラ人を虐殺しはじめたというのを聞き、自分が行けば現場に入れるんじゃないかなと思い、辞めてフリーになることにしました。給料もよくて安定してたんですけどね(笑)。

──それで本当に戦場に……。戦場ジャーナリストと看板を掲げたのはいつですか?

常岡:実は自分から戦場ジャーナリストと名乗ったことはいないんです(笑)。

──そうなんですか?

常岡:フリーになった1発目はアフガニスタン取材でしたが、国内取材でもなんでもやろうと思っていました。でも、腐敗した長崎県警の幹部をひたすら2カ月追いかけて、週刊誌の『FLASH!』で3ページの記事を書いたら、ギャラが12万だったんです。これは食えないな、と。

──2カ月で12万円! いくらなんでも、きついですね。

常岡:それに比べると、海外の話題のほうが、今よりかなり状況が良かったですね。当時は「月刊現代」「論座」「PLAYBOY日本版」など、海外ドキュメントを扱う雑誌が生き残っていたし、テレビもまれに取り上げていたので、やっていきやすかった。だから食うために自然と海外取材ばかりになったんです。

──海外もののほうがギャラが高かったんですね。

常岡:そうですね。あと、テレビのほうが紙媒体よりも総じて単価が高いですね。でも番組や担当者によって相場がまちまちで、3~100万円の幅があります

──でも、戦場に行くとなると死を覚悟することもありますよね?

常岡:自分でも危ないところに行くのは怖いので、事前に怖くないルートを確保して、できるだけ危険を避けてるつもりなんですよ。それでも見通しと準備が甘くて、捕まって人質にされたこともあります。

戦場で捕まり、タリバンの対抗組織に154日間拘束

常岡浩介
最近までイスラム国支配下だった、モスル近郊の集落にて。

──もしかしてタリバン(※)に捕まったんですか?

※アフガニスタンのイスラム原理主義組織

常岡:学生の時に友だちになったアフガニスタンの友人が、タリバンの幹部になっていたんですよ。

──ええっ

常岡:彼がいろいろ紹介してくれたので、タリバン幹部のインタビューもできましたし、タリバンに捕まらないように手配もしてくれました。

──そんなことがあるんですね!

常岡:そうしたら、タリバンと戦ってる側に捕まった、と。

──タリバンだけじゃないんですね……。

常岡:結局154日間、拘束されました。彼らは日本大使館側に、仲間の釈放か身代金約1億円を要求しました。でも仲間の釈放を日本大使館に頼んでも仕方がないので、タリバンのように装うための見せかけの要求でしょうね。日本大使館は、『身代金は払わない、即時無条件解放を要求する』と。その結果、無償解放されました。

──ギャラが出るとはいえ犠牲が大きすぎる気が……。拷問とかは受けなかったですか?

常岡:1発も殴られなかったですね。でも、ずっと捕まってるとストレスが溜まるんですよ。人質になった場合、犯人を刺激しないことが大事なのですが、かなり罵っていました。向こうもかなり頭にきていたと思いますが、とうとう手は出されなかったです。

──食事は?

常岡:もらえましたが、パン一枚とお茶しかない時期がひと月ありました。でも、解放1カ月前になったらおかずが3品、デザートまでつきました。犯人たちは解放した後に「扱いが悪かった」と言われるのを嫌がるので、それで釈放されるだろうとわかったんです。

──なるほど。

常岡:こいつら僕を太らせようとしている! と思ったんですが、欲望に逆らえず全部食べていたので、すごい健康そうな見た目で解放されました(笑)。

──でも、安田さんは痩せてガリガリになっていましたね。

常岡:安田くんの場合は、虐待に抵抗するために出てきた飯を拒否し続けて、生命のギリギリまでハンストを続け、犯人たちを逆に追い詰めました。

僕はそんなことできない(笑)。

──(笑)。扱いが悪いとどうして思われたくないんでしょうか?

常岡:遠方からの人は無条件にもてなすというアフガニスタンの民族性と文化じゃないですか。イエメンで誘拐がすごく流行ってた時も、人質はすごく歓待されてたそうです。だから誘拐されることに憧れてわざわざイエメンに行く人もいたくらい。逆に人質が虐待された場合は、イエメンの恥だといって一般の民衆が犯人グループに抗議のデモまでしていました。

──「人質をもてなせ!」とか? 方向性が違う気が(笑)。じゃあ殺される場合は食事内容でわかるんですね。

常岡:1カ月パンとお茶だった時は、まだ自分を殺すつもりがあったんだろうなと思います。

──その時はどういう気持ちでした?

常岡:犯人がかなりいい加減な奴で、イスラムの断食中も食っていて。こっちはパンとお茶だけなのに、頭にきてカッカしていました。毎日、犯人に『おい、出てこい!』って叫んでましたね。

──常岡さん穏やかそうなのに。

常岡:とにかく退屈なんですよ。なんでもいいから字が書いてあるものをくれと頼んでいたんですが、ついにくれませんでした。その地域の人たちがほぼ文盲だったので、本も何もないんですね。水道も電気もなくて石器時代みたいな生活でした。

──どんな部屋なんですか?

常岡:泥で塗り固めたレンガの家で、窓はあるけどガラスが入っていませんでした。夏は40度を超えてすごく暑かったです。

──トイレは?

常岡:犯人が銃を持って見張っているところでする感じです。庭の茂みでとかが多かったですね。

食うために選んだ、日本で最底辺の仕事

常岡浩介
イラク北部モスル近郊にて、イスラム国に占領されたモスルの奪還作戦を取材。

──大変な生活でしたね。それにしても日本で芸能人の取材とかしていたほうが、命の危険はないしよっぽど楽だとどうしても思っちゃいます。

常岡:食えるならそうします。でもそちらの人脈はないし、食っていけないですからね。

──死を覚悟したことは?

常岡:チェチェン(※)の取材のためアブハジアで従軍取材していて、ロシア軍の攻撃ヘリにミサイルを撃たれて、その時はさすがに死ぬと思いました。そのあと1年間はさすがに海外に行けなかったですね。

※ロシア連邦北カフカース連邦管区に属する共和国(アブハジアはグルジアから独立を求めている地域でロシア軍が駐留)

──ミサイルを撃たれたんですか! それでも今のお仕事を続けているんですね。

常岡:いやこれでも僕、自分でもプロ意識がないなあと思っているんですよ。ナイジェリアに進出した企業の駐在員をしたこともありますし、先月は通訳として海底探査船に乗っていましたし。

──海底探査船ですか? 

常岡:人の紹介でもらった仕事で、1カ月船に乗りっぱなしで60万円。海底探査船といっても潜るわけではなくてずっと海の上に停泊しているんです。飯はうまいし楽しかったですよ。留学もしたことないしアメリカも行ったことないんですが。

──ジャーナリスト以外のお仕事も経験されてるんですね。

常岡:つまり僕は何でもやるんです。ジャーナリストの仕事も、国内の取材では食っていけないけど、戦場の取材でならなんとか食えるから行っているだけ。

──意外です。強い使命感をお持ちなのかと思っていました。常岡さんのような戦場ジャーナリストは日本では今何人いるんでしょうか。

常岡:昔は多かったですよ。国際情報誌が7誌くらいあり、海外で戦争取材している人もいっぱいいました。2000年代に次々引退され、数十人いたのが今は数人です。

──そんなに減っているんですか……。

常岡:日本では、僕のようなジャーナリストは社会の最底辺ですよ。地位が低い。ヨーロッパなどと違って、日本は自力で民主主義を打ち立てた経験がないですよね。革命を一度も体験していないから、なぜ報道が必要なのか、その理解もなく、危ないところに取材に行くのは悪いことだと思われるんです。

日本と欧米では、報道されているニュースの内容が違う!?

常岡浩介

──日本と欧米では、報道の意義に対する理解がだいぶ違うのでしょうか。

常岡:理解とレベルが低いですね。僕はシリアを取材していますが、日本のメディアで事実を書いていることがほとんどないと感じます。欧米のメディアはアサド政権側だけでなく、危険を冒して反体制派にも取材して発信しています。どちらが正しいかは、両方取材しないとわからないですからね。

──そうなんですね。

常岡:僕がやっている程度の危ないことは、欧米の認識では危ないことには入らないんですよ。僕は反体制派側には危なすぎて怖いから2014年以降は入っていないけど、そこに今も入りこんでがんがんニュースを出しているのが欧米のメディア。本当に足元に及ばないですよね。だから大したことないことをやっているのに、危ないと言われているのがおこがましいくらいです。

──日本と欧米ではメディアのレベルが違うということでしょうか。

常岡:僕は、学生に日本のテレビも新聞も見るなと言っているんです。日本のメディアは、プーチンがシリアに対して言ったことを注釈なしでそのまま出していたり、アサド政権のインタビューをそのまま流していたりする。でも、欧米のメディアは客観的な事実や注釈と併せて報道しています。それは、プーチンもアサド政権も自分たちにとって都合のいい情報しか出さないから。つまり、日本のメディアはその自覚もないままにプロパガンダ(政治的な宣伝)に加担しまくっているんです。それを批判する人も少ないですよね。

──考えたこともなかったです。

常岡:国際情報に関しては日本のメディアは壊滅状態です。日本のメディアが海外から撤退していて、戦場取材をする人は数人しか残っていません。

──ご家族は心配されますね。

常岡:妻も記者で転勤が多いため、現在は別居婚状態です。次の彼女の転勤のタイミングで一緒に住んで、もし子どもが生まれたら戦場ジャーナリストは引退かな〜と。

──え、いいんですか?

常岡:いいんです。僕はプロ意識が低いので、食えるから戦場に行っているだけですから(笑)。使命感にあふれたジャーナリストじゃないんですよ。地方で主夫をしてもいいかなと。

──主夫も似合いそうですね。最後に、戦場ジャーナリストを続けてきて得たものを教えてください。

常岡:海外にいる友だちですね。あとは、他の仕事ではなかなか見ることができないものを見れたのはよかったなと。それは貴重な経験だと心から思っています。

常岡浩介(つねおか・こうすけ)

1969年生まれ、長崎県出身。早稲田大学卒業後、長崎放送の報道部で長崎県警の内部犯罪を取材・発表した。4年半後に退社し1998年から戦場での取材を開始。2000年にイスラム教に改宗。2010年タリバンになりすました政府側組織のひとつに5カ月拘束されるなど、何度か誘拐されている。2012年同志社大学と協力し中田考氏とともにタリバン公式代表らを京都に招き、和平についての協議を行い注目された。著書に『ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』など。

Twitter:@shamilsh

取材・文/有馬美穂
撮影/工藤真衣子