私は大学卒業から、ほとんど正社員で働いている。

こうして執筆のお仕事をいただくようになっても、それはあくまで副業であって、本業は会社員だ。

反対に、夫はフリーランスのシステムエンジニア。

知り合った頃にはすでにこの働き方をしており、会社員としてのキャリアより、フリーになってからが長い。

夫がまだ彼氏だったとき、私は彼の「はたらき方」を好ましく思っていた。

時間に縛られることがストレスで、通勤ラッシュが苦手で、やりたくない仕事が人格に影響をきたすタイプなので、働く時間も場所も業務内容も選択できるフリーランスは、彼にとって理想のスタイルであった。

つよい責任感がないかわりに、他人を試すようなところもない性格が好きだった。

身を粉にして働かないので、常に余力があり、気分にムラがなかった。

仕事を生きがいにするのではなく、家族や友人を大事にした。

「人生を楽しむための手段として、働く。」

しんどい仕事をやりきるために息抜きをすることが多い私とちがって、夫はずっと優先順位を間違えなかった。そんな彼が頼もしかったのだ。

しかし結婚してから、夫は折に触れて、自分だけ正社員じゃなくてごめんよ、と口にした。

娘は私の扶養だし、住宅契約も私名義。少し引け目があったのだろう。

「妻が非正規雇用の家庭も多いし、夫婦どっちもが正社員じゃなくてもいいじゃない。」

私はいつもそう答えた。嘘じゃなかった、つもりだった。

ほんとは胸に、小さなトゲが刺さっていた。

娘が1歳をすぎ、私も復職した職場に慣れたころ、突如夫に正社員の誘いがあった。

エンジニアならだれでも知っている、日本屈指の大会社からだった。

「役職もつくし、条件は悪くない。面接受けてみようかな…どうしようかなぁ…」

あのね、ちょっと話があるんだけど…となんだか悪い知らせでも予告するかのように、ごにょごにょと視線をそらせて夫は話した。

聞いた瞬間、私は興奮しまくった。

「すごいじゃない! ものすごいチャンスだよ!! そんな大手から引き抜きなんて、ほんとすごいよ!」

キラキラした目で、夫を称え賞賛した。

語彙を失うくらい、「すごい」と思ったのだ。

その会社で働きたいエンジニアはゴマンといるだろう。

そんな会社からきてほしいと望まれる夫が誇らしかった。

「やっぱ正社員は強いよ。有給もボーナスも退職金もあるし、年金も手厚いしさ~終身雇用が崩れたっていっても、倒産でもしない限りめったに解雇もされないし、数年後の見通しがついてるのは安心だよね、うん。マネタイズや経理だって、自分ひとりでしなくていんだし。」

いまにして思うと、私がマシンガントークで話した「正社員の利点」は、ひっくり返せばそのまま、「フリーランスの不安点」だった。

そう、自覚していなかっただけで、本当はずっと、夫に正社員になってほしかった。

彼にはフリーランスがあっていると認めていたのに、それでもなお、「フリーランスの妻である自分」の未来の見えなさが、不安で心細かったのだ。

私が間違えてしまったもの

私におされて面接を受けだした夫は、選考が進むたびに元気がなくなっていった。

日程が迫ると、「あと何日か…」とめずらしくナイーブなことを言い、寝かしつけのあとで一緒にみるバラエティ番組の録画に、以前ほど笑わなくなった。

「俺には正社員ムリかもな、もうフリーのほうが長いしやれる気がしないかも。」

わかりやすく不安を訴える発言もしていたのに、”大企業社員の妻になれそう”に目がくらんでいる私は、大丈夫、大丈夫! やる前は不安だけどさ、きっとすぐ慣れるよ! 能力あるんだし、平気だよ! きっといま正社員になれば、数年後によかったなって思う日がくるよ! とポジティブ攻撃を嬉々としておこなった。

悪気はなかった。

転職タイミングのいまはプレッシャーも感じるだろうが、ここを乗り切れば幸せな未来が待っていると、本気で思っていた。ノリノリだった。

私は、重要なことがわかっていなかったのだ。

夫婦で話しているのは「夫の転職」の話題だった。

しかし、夫が考えているのは働く張本人である「夫の不安」であり、私の頭をしめていたのは「妻の安心」であった。

同じ話をしているようで、主人公のちがう物語が、幸せな結末になるはずがない。

自分勝手な私がこのことをやっと理解するのは、夫が最終面接を終えた日だった。

ちょっと早いがお祝いにと、夫の好物をたくさんテーブルに並べた。

娘と一緒にクレヨンで絵をかき、「パパ、おつかれさま」としたためた。

夫は疲れた顔で帰ってきて、「ん~あんま話せなかったからダメだったかもな~」と弱気にブリのお刺身を食べた。

それは以前、彼がおいしい! とほめたたえたデパ地下高級店の商品で、会社を早退してまで購入してきた一品だった。

「これ、前に感動してたやつ、はりきって買ってきたんだから!」得意げな私を、夫はおおそうなんだ、わざわざありがとね~、といたわったが、「おいしい」とは、言わなかった。

娘におえかきを渡されたときも、笑って頭をなでてやったが、そこにいつもの覇気はない。

飛び跳ねて、喜んでくれると思ったのに。

そこでやっとハッとした。

夫の普段の明るさ、楽しさ、家族への思いやりは「当たり前」なんかじゃ、ないのだと。

彼はいつでもよき話し相手で、陽気なパートナーで、にぎやかな父親だった。

それは、自分にあった「はたらく」によって、パーソナリティの核を守れていたからだ。

私が執筆業に専念しないのは、正社員に身をおいて、生活の見通しを実感できないと、「書けない」からだ。

この記事に家族の生活が、未来がかかっていると思ったら、きっとやっていけないだろう。

夫にとっては、時間的にも業務的にも制約のある正社員という在り方そのものが、生きる上での大きな障害なのだ。

私がフリーランスになるのが怖いように、彼は正社員になることが怖い。

そんな簡単なことに、やっと気がつく自分に、情けなくて涙がでた。

「パパ、おつかれさま」と描いた画用紙がじんわりにじむ。

この文法は破綻している。

疲れるほど働いたら、私と娘の大好きな「パパ」はいなくなってしまう。

奮発したブリの味だって、わからなくなっていく。

仕事はプレッシャーなく、ほどほどに。

その上に夫の美徳は成立していた。

きっとどこかでわかっていたのに、自分の都合を優先して、「明るく楽しく、なおかつ正社員で安定している夫」を彼に押し付けたのだ。

自分は、なんの努力もせずに、私の欲求を夫が叶えることばかり、期待していた。

すっかり忘れてしまっていたのだ。

「私とは、ちがう彼」が好ましくて頼もしくて、結婚までしようと決めたことを。

その「はたらく」は何のため?

「家族はチーム」「夫婦は運命共同体」これらの言葉を盾にして、私は自分の「正社員のほうが安心」という正解でもなんでもない個人的な価値観で、夫をなぐってしまっていた。

正社員が好きなら、自分が正社員を続ければいい。それだけのことだ。

いくらパートナーでも、まったく別の人間であり、大事にしているモノもストレスを感じるツボもちがう夫を、私の「正しさ」に押し込んでやろうなど、ひどい傲慢だった。

最終面接だった日、夫に「やっぱり、この話は辞退しよう。」と告げた。

ボーナスも退職金もなくていい、いつもの楽しいあなたでいて。

大丈夫、私が正社員で働くし、心も身体も健康に、みんなで仲良く生きていこう。

嘘じゃなかった。今度こそ、本当に。

夫はホッとしたのを隠しもせずに、ありがとう、そうしよう! と大きく笑った。

「はたらき方」はひとつの選択だ。

上下の話ではなく、自分が安心できて、精神を損なわないカタチを探していいのだ。

家族の人数やライフステージが変化しても、誰かの納得より、自分の納得を優先したほうが、幸せになる確率は高いのかもしれない。

誰と生きていくにしても「はたらく」のは自分だ。

人生のために働くのであって、働くために生きるのは、きっと苦しい。

最終面接は、なんと不採用になっていた。

「ごめん、きみいらない」を至極丁寧にマイルドに書かれた、400文字ほどのお祈り文に、ふたりで赤入れをし、ここまで端的な文章にしたほうが、いっそ清々しくて逆に好感度が上がるんじゃね? いやあがんねーよ、とケタケタ笑ってふざけあった。

とても幸福な、いつもの我が家の生活だった。