同期や後輩の活躍を素直に喜べない。一生懸命仕事をしているのに、なぜあいつばかりが評価され、自分は浮かばれないんだ……。

こんなネガティブな思考は意味がないとわかっていても、どうしても抑えきれない「嫉妬」。そんな感情をどのように乗り越え、気持ちを整理すればいいのでしょうか。

今回は、「R-1ぐらんぷり2016」(以下、R-1)の優勝をきっかけに大ブレイクし、バラエティ番組にひっぱりだこのピン芸人・ハリウッドザコシショウさんにお話を伺いました。

R-1で優勝した当時、ザコシショウさんは42歳の芸歴24年目。ブレイクまでの間、同期や後輩の活躍を目の当たりにしながらも、ひたむきに芸人の道を極めました。破天荒な印象が強いザコシショウさんですが、その裏にあった緻密な「売れるための計算」に迫ります。

同期がブレイクする中、コンビ解散。一度は芸人を辞めていた

ハリウッドザコシショウ
ハリウッドザコシショウ。1993年にお笑いコンビ「G★MENS(ジーメンス)」でデビューし、2003年からピン芸人として活動する。誇張しすぎたモノマネでじわじわと注目を集め、「R-1ぐらんぷり2016」で歴代最年長王者になった。

──ザコシショウさんは高校卒業後、吉本の養成所NSCに通いましたね。同期はケンドーコバヤシさん、中川家さん、陣内智則さん、たむらけんじさんと売れっ子揃い。彼らのブレイクを当時、どのように見ていましたか?

ハリウッドザコシショウさん(以下、ザコシショウ):正直悔しかったですね。同期に負けているところなんて1個もないはずなのに、「なんで?」って。でもあいつらは面白かったから、売れて当然。あいつらが売れるんだから、いつか俺らも売れるんだろうって甘く考えていました。まあ、結果は鳴かず飛ばずだったんですけどね。

──当時、ザコシショウさんは「G★MENS」というコンビを組んでいました。

ザコシショウ:そうです。コンビ時代、吉本で結果を出せなくて別の事務所に移籍しましたが、解散することになっちゃいまして。10年間コンビでやってきて急にピン芸人になったもんだから、当時は右も左もわからなかったですね。1人でネタ見せ(※)に行く勇気もなくて、結局事務所を辞めてしまって。しばらくして芸人自体も辞めました。

(※)お笑い芸人が、ライブ前にスタッフや放送作家にネタを見てもらうこと。

ハリウッドザコシショウ
コンビ時代のザコシショウさん。当時から観客を圧倒するほどのハイテンションな芸を披露していた。※元相方は現在一般の方なので、顔を隠しています(写真提供:ハリウッドザコシショウ)

──芸人を辞めていた時期は、どのように過ごしていましたか?

ザコシショウ:お笑いから離れていた1年間は堕落した生活でしたね。でも何かやりたいという気持ちはあって、漫画を描いていました。コンビ時代に作ったショートコントを4コマ漫画にしたら面白いんじゃないかと思って、原稿を仕上げて出版社に持って行ったんです。でも結局、全然取り合ってもらえなかった。もう戻りたくない1年ですわ。

──新しい道を模索しながらも、再び芸人に戻ってきた理由は?

ザコシショウ:自分は何ができるんだろうって自問したんです。できることを紙に書き出して、漫画、バイト、お笑い、スポーツとかいろんな方向性が見えてきたんですが、フラットな目線で「一番得意なこと」ってなんだろうって考えたら、お笑いでした。

──「一番やりたいこと」ではなく「一番得意なこと」を選んだのですね。

ザコシショウ:当時はもう30歳過ぎていたんで、この歳でまったく新しい世界に飛び込むのは怖えし……。だから得意なことを生かすことにしました。もう大人なんでね。30歳を過ぎたら、やりたいことで動くんじゃなくて、ビジネスとして動かないとなって。

──破天荒な芸風とは反対に、しっかり考えていたんですね。

ザコシショウ:ははは。こう見えてビジネスオタクなんですよ。芸人を辞めていた時はテレビを見なかったけど、芸人を続けるって決めた時からバラエティ番組を見まくって、必死に勉強しました。お笑いをビジネスにするなら、端から端まで理解しないといけないですからね。

──ストイックなんですね! 勉強をすることでどんな成果がありましたか?

ザコシショウ:基礎を身につけてから破天荒な芸をやることで、手持ちの“笑いの道具”がどんどん増えていきました。テレビの番組収録では編集が入るので、どこを使われてもいいように、自分の道具を使っていろんな芸の素材を用意するつもりで仕事しています。

やりたいことをやるために、R-1で優勝しなきゃいけなかった

ハリウッドザコシショウ
「すげえ真面目に話しちゃってるけど、大丈夫っすか?」と取材斑を気づかうザコシショウさん。もちろん大丈夫です。

──新しい事務所に入り、芸人として再スタートを切りました。芸歴を重ねるごとに、同期だけなく後輩も次々とブレイクしていきます。焦りはありましたか?

ザコシショウ:事務所の後輩のバイきんぐが「キングオブコント2012」で優勝した時は、おめでとうって気持ちと、やばいなっていう焦りがありましたね。ハリウッド軍団(※)の中でも、バイきんぐは一番弟子みたいな存在でしたから。しかもこの時の受賞が、事務所にとって初のコンテスト優勝者だったんですよ。だから社内もバッと盛り上がりまして、僕はもう先輩の威厳を失っちゃいましたね。

(※)ハリウッドザコシショウが同事務所の若手芸人を集めて結成したチーム。大人数で集まり、ネタ会議やイベントを開催している。

──その頃、すでにザコシショウさんは深夜のネタ番組「あらびき団」で、「キング・オブ・あらびき」と呼ばれるほど人気になっていたと思うのですが。

ザコシショウ:「あらびき団」にはよく出させてもらっていました。正直、自分でも売れているって錯覚していたけれど、あれじゃ全然足りなかった。バイきんぐの活躍ぶりを見て、売れるってどういうことかわかりました。「芸人の誰もが憧れる優勝の瞬間を、俺も味わいたい」と思わせてくれましたね。

ハリウッドザコシショウ
ライブステージに立つザコシショウさん。この芸のスタイルにたどり着くまで、試行錯誤を繰り返したそう。(写真提供:ハリウッドザコシショウ)

──後輩のブレイクに焦りを感じてから、芸に変化はありましたか?

ザコシショウ:とにかくコンテストで勝てるネタを考え始めました。以前R-1で負けた時には「俺はR-1に向いてないかも」って思っていたけど、逆にR-1向きになればいいって考え方を切り替えました。

──R-1向きといいますと?

ザコシショウ:これまで白ブリーフだった衣装を黒のプロレスパンツにして清潔感を出したり、フリップを立ててタイトルを見やすくしたり、「誇張しすぎた」「やりつくされた」という覚えやすいフレーズをネタのタイトルにつけたりしました。覚えやすいフレーズがあれば、R-1以外の番組でも「ザコシ、“誇張しすぎた”のネタやってよ」って振ってもらいやすい。そうやってテレビ番組で重宝される芸を目指しましたね。

──今の芸風は、そういった“計算”から生まれたものだったのですね。

ザコシショウ:そうっすね。テレビでは荒くれ者のキャラクターが定着しているけど、裏では結構考えていますよ(笑)。売れていないと、周りから「ああしろ」「こうしろ」って言われちゃうけど、僕はやりたくないことをやると結果が出せない性格なんです。だから自分のやりたいことができるように、まずはR-1で優勝して売れなきゃいけなかった。バンドでいうところのヒット曲が必要だったんです。

独りよがりはダメ。多くの人に喜んでもらってこそプロ

ハリウッドザコシショウ
「バカなことをしている瞬間が一番幸せですわ」とザコシショウさん。まさに芸人になるべくして生まれた男。

──一時的に離れることがあっても、再び芸人の道へ戻り、コツコツと活動を続けられました。継続のモチベーションはどこにありますか?

ザコシショウ:ずっと好きなことをできているからですね。よく取材で「長い間売れなくて辛かろう」みたいなこと言われるんですが、辛いとは思わなかった。確かに道のりは長かったけど、安酒を飲んで芸人と馬鹿騒ぎしながら、芸のダメ出しをしてクオリティを上げていった。ゆっくりだけど着実に前進していることはわかっていましたから。

──ザコシショウさんにとって、仕事のやりがいとは?

ザコシショウ:自分がおもしれぇ〜って思った芸をして、それをテレビや舞台で見た人がネットで話題にしてくれた時は、やっててよかった、間違ってなかったって思います。好きなことをやっても、独りよがりでは意味がない。多くの人に喜んでもらえる芸を提供してこそプロだから。みんなに笑ってもらえるように、ネタの入り口は広くしています。

──ネタの入り口を広くするとは? どういうことでしょうか。

ザコシショウ:「客に媚びている」と言われることもありますが、それは違う。僕はお客さんが好きなものに合わせてネタを作るんじゃなくて、自分のやりたい“笑い”がお客さんに伝わるように、わかりやすく表現しているんです。

──具体的には、どういった表現で?

ザコシショウ:ある番組で、高校生を替え歌で笑わせるという企画に出たんです。きっと流行っている歌手のモノマネをすれば反応してくれると思うんですが、僕はいつもやっている古畑任三郎のモノマネで勝負しました。古畑を知らない世代の前で「ハンマーカンマー」って歌い続けたわけです。

──大きな賭けにでましたね!(笑)

ザコシショウ:最初はポカーンとしていた高校生も、歌い続けるうちに「よくわかんないけどリズムに合わせてハンマーカンマーって言ってる」って笑い始めました。100%理解されなくても、いろんな世代が笑える“ツボ”をネタに忍ばせるようにしています。

嫉妬しそうな気持ちをどうやって切り替えればいい?

ハリウッドザコシショウ
他人を羨ましいと思ったらどうすればいいのか。過去のエピソードを交えて陽気に答えてくれました。

──ザコシショウさんが下積み時代、ファミレスで「なぜ自分が評価されないんだ」とケンコバさんとバイきんぐ小峠さんに愚痴って、小峠さんに説教されたというのは有名な話ですね。当時の心境は?

ザコシショウ:そう、この話よくされちゃいますね。実はこの時、酔っ払っていて、自分ではあんまり覚えていないんですよ(笑)。まあ、心の内が出たのかな。今思えば、評価されなかったのは単純に結果を出せていなかったから。ここで決めなきゃ!っていう仕事を決められなかったんです。R-1も逃していましたしね。

──どうやって「嫉妬」の気持ちを前向きに切り替えられたのですか?

ザコシショウ:第三者のアドバイスを聞くうちに「自分らしい戦い方」を見つけられたのはデカかったですね。ここは全力でぶつかるべきとか、ここはあえてクールに挑むべきとか、戦略的に仕事に向き合えるようになりましたから。伸び悩んでいる時ってがむしゃらで視野が狭くなるけど、一歩引いた視点で仕事ぶりを見てアドバイスをもらうことで、自分の強みだったり足りていない部分だったりがはっきりして焦りも消えましたね。

──自分と他人を比較して羨ましいと思ってしまった時はどうしたらいいでしょうか?

ザコシショウ:それで悩む人は多いですよね。正直、他のピン芸人がテレビ番組やCMに出ていたら羨ましいなと思います。でも、売れてるヤツと比較してもしょうがない。売れている影には「見せない努力」があるんですよ。それは本人の努力かもしれないし、周りの人の努力かもしれない。単純に仕事ができるだけじゃなくて、時には人間関係だって仕事を成功させるためには必要です。だって全然話したことがなくて、どんなヤツか知らないに人に仕事を振らないでしょ?

──確かにそうですね。

ザコシショウ:他人と比較して悩むのは、相手の裏の努力が見えていないからじゃないかな。結果だけ見て羨ましいと思っちゃっている気がしますね。同期のたむけんはデビューしてすぐ売れたけど、それでも1回東京に出て、大阪に戻るっていう苦悩の時期もありました。そういう影の頑張りを見てきたから、今の活躍ぶりは納得ですよ。

──売れるにはそれなりの理由がある、と。

ザコシショウ:ありますね。ネタ会議の時に全然アイデアを出さない作家が人気になることもあるんだけど、それはその人が来ると場が和んで、それによっていいアイデアが生まれたりするから。直接結果を出さなくても、他で重宝されて評価されることだってあります。

仲間は大切。あきらめずにいられたのは孤独じゃなかったから

ハリウッドザコシショウ
ライブ中のハリウッド軍団。ザコシショウさんの下積み時代から支え合っている仲間たち。(写真提供:ハリウッドザコシショウ)

──仕事を続ける上で、最も大切だと思うことはなんですか?

ザコシショウ:やっぱり仲間がいることですね。売れていない時は、本当にひもじい生活をしていたけど、実家に帰ろうとは思わなかった。自分と同じ志を持っている仲間と、目標に向かって頑張っている瞬間がなにより楽しかった。孤独じゃなかったから、あきらめずにここまでやってこれたのかな。

──もし一人だったとしたら辞めていた?

ザコシショウ:その可能性は十分ありますね。それくらい仲間って大切。僕は好きなお笑いをずっとやってきたけど、別に好きなことを仕事にしなきゃいけないわけではない。仕事そのものを好きにならなくても、うまく人間関係を築いて、居心地のいい環境を作れれば、きっとその仕事は長続きしますよ。一人で悩むことも減るし。

──悩み事はすぐ、誰かに相談する派ですか?

ザコシショウ:ネタ作りで行き詰まった時は、すぐ作家や芸人仲間に相談しちゃいます。一人で考えると一辺倒のネタになるけど、他人の視点を借りることで切り口の幅がぱっと広がる。でもね、いろんな人に意見を求めるけど、これ違うなって思ったヤツはしたがわない。まったく逆の意見を言ってくる人もいるから、いったん聞いてよく考えて、最後は自分で決める。自分で決めたっていうことが、結果を出すためのいいプレッシャーになりますからね。

ハリウッドザコシショウ(はりうっどざこししょう)

1993年にお笑いコンビ「G★MENS(ジーメンス)」でデビューし、2003年からピン芸人として活動する。誇張しすぎたモノマネでじわじわと注目を集め、「R-1ぐらんぷり2016」で歴代最年長王者になった。

Twitter:@zakoshisyoh

取材・文/水上アユミ(ノオト/@kamiiiijo
撮影/井上依子