結果は10年後

先日、物書きの大先輩でありお友達の官能小説家、大泉りかさんにお会いしたのだが、とても驚くことがあった。何しろ大泉さんは開口一番「紫原さん、この前公開されてたあの小説、すごくよかったよ〜!」と、ネットに公開された直近の私の仕事を、手放しで褒めてくださったのだ。私は一瞬激しく動揺し、直後に、大泉さんは人に姿を変えた菩薩かもしれないなと思った。

何しろ私が普段書いているのはエッセイやコラムで、小説はまったくの門外漢だ。少なくとも私が書いてきたエッセイと、私が読んできた小説は全然違うものだし、私がたまたまその仕事で必要に迫られて書いたものは、インターネットで読まれることに最適化させた創作であって、それを小説と読んでいいのかもわからなかった。

それに、仮に自分がもし小説家であったとしたら、小説家でないキャリアの浅い物書きが、ちょっとフィクションを書いて、それを“はい小説”ですって堂々と商売している様子に耐えられるだろうか。ましてや、褒めたりなんてできるだろうか。大泉さんが菩薩でなく人間だとしたら、どうしてそういうことができるのだろう。

で、こういった煩悶をそのまま大泉さんに打ち明けたところ、ハハハ、と朗らかな笑顔とともに返ってきた一言に、私はガツンと頭を殴られたような衝撃を受けたのだった。

「一番大事な結果は今じゃないから。10年後、どうなっているかだからね」

一発なら当てられる

インターネット時代は、一億総クリエイター時代と言われている。

私は昨年末に同業者40名弱と集まって、2018年に起きた悲惨な出来事を語り合う忘年会を開催したのだが、年内に親戚の失踪を経験した人が2人もいた。また身内の失踪に負けず劣らず他の人のエピソードも強烈で、誰もが皆、大なり小なりさまざまな物語の中に生きているのだということを改めて実感した。

そんな個々人固有の物語を、ネット上のさまざまなプラットフォームに乗せることで、誰もが表現者になれる。バズコンテンツを作ることだってできる。インターネットではそんな風に、誰しも一発くらいなら当てることができる。もしかしたら、二発、三発くらい続けて当たるラッキーもあるかもしれない。

でも、そんなラッキー頼みでさすがに10年続かないことくらいはわかる。私が文筆を仕事にしたのは2015年からで、今年は4年目。幸いにも今のところお仕事は途切れずにいただいているが、そうはいっても10年の折り返し地点にも立っていないわけで、道のりは長い。

「書かないと世界とつながれない人」

一体、何をどうしていけば10年書き続けることができるのだろう。悩んだ私が、真っ先に相談したのは、大手出版社に勤め、長きに渡り実用書から小説まで幅広く手がける編集者の友人、Sだった。

「書くことを続けられる人と続けられない人の違いってある?」

これまで、たくさんの書き手と仕事をしてきた彼女だからこそ、大きな一つの答えを持っているに違いないと思った。するとやはり「あるよ」ときっぱり。彼女の答えは明確だった。

「喋ることより、歌うことより、踊ることより、書くことがその人にとって一番得意なことで、書かなければ世界とつながれない人。そういう人は続けられる。作家になりたいって人は続かない」

ズシンと重い答えに、何も言えずに黙って深く頷く。たしかに、そうなのかもしれない。何しろ、文章を書くのってものすごく面倒臭いことだから。手間も時間もかかる上に、できあがったものでどれほど正確に伝えられるかというと未知数。思わぬ誤解を受けたり、大事なところが読み飛ばされたりする。

でもそんなのはまだいい方で、一番虚しいのは誰も読んでくれないことだ。特にインターネットで物書きをやるっていうのは、誰か特定の人に手紙を書くのとわけが違って、人が大勢行き交う街中に看板を掲げるようなものだ。みんなが忙しかったり、目に留めてもらう要素が何もなければ、当然誰も足を止めてくれない。それでいてぜんぜんお金にもならない。

書いても読まれないし、稼げないってことが延々と続くと、初期段階では自分って本当にだめだなという無力感に打ちひしがれる。またそれがさらに進むと、自分の能力を認めてくれない社会を逆恨みする、ということになる。社会とのつながりが持てないと、人は途端に邪悪なエネルギーに支配されてしまうのだ。そして邪悪なエネルギーに支配されている人は苦しく孤独なので、書くことのほかに世界とつながることのできる力を持っている人なら、そうまでして書くことにすがりついたりしないのだろう。

で、だからこそ、そこにすがりつくしかない人が残る。

頼まれなくても書いている

彼女はこうも言った。

「書くことしかない人って、たとえ仕事がない時だって、頼まれなくても何かしら書いてるんだよね」

それを聞いて、少しだけ希望の光が差した気がした。

私の場合、書いてお金をもらえるようになったのは4年前からだが、インターネットで文章を書き始めたのは20年前だ。インターネットがなかった小学校、中学校時代には、ノートやコピー用紙に書いていた。子供が空いてる時間にお絵かきをするみたいに、文章を書くのだ。内容は本当に他愛もないもので、アフリカの動物が殺されるドキュメンタリーを見ては「なぜ動物たちは殺されるの」というように感情を殴り書きする感じだ。

先日、ルポライターの高橋ユキさんの書かれた「つけびの村」というルポで、村の人間5人を殺した殺人犯の家の地下の壁に、自作の詩や俳句がぎっしりと貼り付けられていたというのを読んだ。貼り付けるかどうかは別としても、文字にせずにはいられないという点において、犯人の行動はわからないでもない。だから、私に書くことしかないかどうかはさておき、私はきっと今後、仕事が来なくなったとしても、おそらく何かしら書き続けるのだろうと思えた。

とはいえ、そうやって書くことは続けられたとしても、やっぱり仕事として続けられていなければ、物書きとして10年生き残ったとは言えない。仕事と思わずにやれば楽しいことも、仕事と思った途端にしんどくなったりする。そもそも私は今後10年、仕事を続けていけるんだろうか。できれば、そうしなければ食べていけないというような消極的な理由でなく、もう少し積極的に、ストレス少なく仕事を続けていきたい。

自分だけのミッションに出会えるかどうか

そこでやむなく私は、次はこの人に相談するしかないと、山本に話を聞くことにした。

いきなり登場した山本というのは大変手前味噌ながら私の現在のパートナーなのだが、彼は趣味で始めた読書会を13年続けている変人だ。しかも、読書会というとこじんまりとしたものをイメージするが、彼が当初仲間4人で始めた読書会は今や全国に4拠点を持ち、年間延べ8000人が参加する大コミュニティである。彼曰く、彼の日常の約7割は読書会の運営に占められていて、本業(建築業)には残り3割の余力で臨むのだという。それでいて彼は、読書会の運営で1円も収入を得ていない。

人の集まる場には当然、日々さまざまな問題が生じる。読書会の設営のみならず、そんなさまざまなトラブル対応に翻弄されながら、お金にならない仕事を続ける山本。そんな彼ならば、しんどいと感じてしまう仕事をそれでも続けられるコツを知っているのではないかと思った。

山本は私の質問を受けて、こんな風に切り出した。

「仕事を続けられるかというのは結局のところ、自分のミッションと出会えるかどうかだと思う」

ミッションというのは?

自分にしかできないこと。どうしても自分にしかやれないと思えること。大学時代、サークルの合宿があるっていうんで3日間ほとんど寝ないで準備したことがあったんだよ。あのとき、大変だったのにとてつもない快感があった。で、考えてみると俺はいつも、誰かのための場を作ることに特別な充実感を得てきたんだよね」

場作りというのはたしかに、読書会の運営を通じて彼が今行っていることを端的に表している。

「それをやることである種のフロー状態(特別に熱中した状態)になれること、それくらい、自分を特別に充足させてくれることの中に、自分に与えられたミッションがあるんじゃないかと思う。俺の場合はそれが場作りだった。本業の建築業だってもっと本質的な場作りだからね。仕事を続けられるかっていうのも結局のところそんな風に、その作業を通じて、自分のミッションだと思えることに出会えるかどうか。そこに尽きると思う」

自分が特別に熱中できることの先にこそある、自分だけのミッションに出会う。なるほどなぁ、と納得させられた。自分にしかできないことがあるという実感は、社会と何よりも強いつながりを持ち得ているということでもあるのだろう。仕事が苦しくても楽しくても、ミッションであるという強固な自覚があれば、続けられるような気がする。

「でももし仕事をしている途中で、自分のミッションが仕事とは別の場所にあるとわかったら?」

ふと気になって尋ねると彼は言った。

「その時は潔く転職したらいいと俺は思う。人生の中で自分のミッションはこれだ、と思うもに出会えるのはとても幸運なことだと思うよ。それだけ難しいことでもあるんだろうけどね」

「最後は自分の感覚を信じる」

ここまで、書き続けることと、仕事を続けることの秘訣をそれぞれ聞いてきた。最後にやはり、仕事として書き続けることについて、どうしても同業の先輩に話を聞いておきたいと思った。そこで連絡したのは、女性誌を中心に、コラムやインタビューを数多く手がけてこられた、大先輩ライターの芳麗(よしれい)さんだ。

物書きとして長くやっていくために一番大事なことを教えてください、と唐突に教えを請う私に、芳麗さんが少し考えて教えてくれた答えは、こうだった。

「……最後には自分の感覚を信じること。いっぱいあるけど、一番はこれだと思う。文筆って一人で好きにやれるように見えるけど、どうしたってマーケットや読者を意識せざるを得ないし、編集者さんの意見も真摯に受け止めなくちゃいけない。それに、長くやるってことは、変わっていく時代に柔軟に対応していかなくちゃいけないってことでもあるよね。だけど最後の最後には、やっぱり自分の感覚を信じることを大事にしたほうがいい。そうでないと凡庸なものになるし、何より、やってる自分が楽しくないから10年続かない」

最後に自分の感覚を信じる。芳麗さんの言葉を心の中で反芻する。たしかに、私がこの仕事に就いてたった4年の間にも、時勢はめまぐるしく変わった。あるべき読み物について、あるべき物書きの姿について、さまざまなところで、さまざまな人が、さまざまなことを言う。

そんな中で、必要な柔軟さを保ちながら自分の感覚を信じること。きっと簡単なことではないけれど、それをやり通せた先にこそ、10年生き残ってきた、と胸を張って言える未来があるのだろう。

改めて、誰もが一発なら当てられるこの時代に、本当の答えが出るのは10年後だ。私達の仕事において、最も大事な結果というのは今ではない。……そんなわけだから皆さんぜひ私の現在の仕事については、軽い気持ちで心おきなく褒めまくっていただければと思う次第である。

この記事を書いた人

紫原明子(しはら・あきこ)

紫原明子(しはら・あきこ)

作家、エッセイスト。著書に『家族無計画』(朝日出版社)、『りこんのこども』(マガジンハウス)。東洋経済オンライン、クロワッサンweb、BLOGOS等で連載中。

Twitter:@akitect