最近、私を人にこう紹介していた人がいた。

「お金を稼ぐこと以外は色々と才能がある、劔さんです」

とっても失礼っていうか、なんか引っかかる言い方! 色々才能があるっていうのも怪しさしかないし、抽象的だし、ハードルだけが上がるので勘弁してほしい。知らない人に紹介する時は、事実だけにしてくれよと。ただまあ、ここで唯一具体的な、「お金を稼ぐ才能」、私はこれを、明らかに持ち合わせていないということは事実かもしれない。

大学院進学に失敗、腹をくくってバンドでの成功を目指した

幼い頃からお金が欲しいと思うことはほとんどなかった。

本やCDや楽器など、興味のあるものに対する物欲はそれなりにあったが、いい服を着たいわけでもない。とりわけ美味しいものを食べたいわけでもない。旅行をしたいわけでもない。いい部屋に住みたいわけでもない。さほどお金を必要としなかった人生である。

それでもやっぱり、お金がなくて心挫けたことは何度もある

大学卒業後、大学院に進学しようとしたが失敗。腹をくくって大学在学中から活動していたバンドでの成功を目指すと決め、アルバイト生活を始めたものの、バイトでの収入はだいたい月に13〜16万円ほど。クレジットカードの支払いで給料の現金はほとんどなくなり、またクレジットカードを使う自転車操業の生活だ。貯金もないので、税金の支払いや、何か予期せぬ出費があると一気に困窮した。

ライブが増えれば増えるほどバイトをする時間がなくなる。手持ちのお金がなくなり、「何のためにやっているのだろう」と絶望した時もあった。幸い消費者金融系の借金がなかったのは、物欲も見栄もさほどなかったおかげであろう。友人に2、3000円借りなければならないことはままあったが。

将来への不安がピークを迎えた24歳の時のこと

24歳の時に、バンドのリーダー(実家暮らし)からバンドに専念するためにバイトなんて辞めろと言われる。とはいえバンドの収入は依然ゼロどころか赤字であるわけで、当然そんなわけには行かず、このままこのバンドを続けてもどうにもならないのではないかという将来への不安がいったんピークを迎える。

結果バンドは辞め、小さな広告代理店のデザイン事務所へ就職した。そこでの仕事はデザイン業界にありがちの、徹夜作業に、休日出勤もあたりまえの黒すぎる勤務形態であった。

その年の年末、いつものように終電もなくなった夜中に、何か食べたくなってふらりと事務所を出た時、時間外手当などが若干ついて25万円の給与明細を見て、「ああ、やっと自分も年収300万円になったんだ」と感慨深くなったことを鮮明に覚えている(実際のところ、その月たまたま家にも帰らず異常に働いて、4、5万円いつもより高かったというだけで、まったく年収300万円ではなかった)。

月収25万円は、給与明細を眺めているだけでじんわりと喜びを感じるような、私にとって十分すぎる金額だった。冷たく澄んだ空気がキリッと身を引き締める、月が綺麗な夜だった。

しかし、結局いろいろあってその仕事は1年ほどで辞め、またバンドで頑張ってみたり東京へ出てきてみたりと、私は月収20万円以下の生活を30歳くらいまで続けることになる。

もちろん絶妙なバランスの自転車操業。止まったら死ぬ。止まらなかったのは運が良かっただけだ。しかし、24歳のあの時以降、将来への不安が再びピークに達することはなかった。

私は一度就職を経験したせいか、漠然と「いつかはきっと稼げるようになるさ」と将来を楽観視する気持ちを忘れない、のんびり人間になっていた。

29歳の転機、神聖かまってちゃんのマネージャーとして知られる存在に

転機が来たのは2009年、さすがにのんびり人間でも危機を感じるべき29歳の時だった。ライブハウスの仕事をしていたら知り合った人に誘われ、パーフェクトミュージックという音楽事務所に入ることになる。

初めの給料は月10万円、あとはライブハウスでのバイトを継続。その時に気になっていた「神聖かまってちゃん」というバンドに声をかけ、マネジメントを始めるのだが、神聖かまってちゃんは一気に世に知られる存在となり、私もすぐにバイトなんてしていられないくらい忙しくなった

また、これまでミュージシャンとしてはほとんど知名度のなかった自分が、マネージャーとしてそれなりに知られる存在となり、なぜか個人の仕事も増えた。映画出演、テレビ出演、雑誌の連載、鬼束ちひろさんとのニコ生の番組、さまざまな取材……。

「マネージャーが? 何で?」と思われる方もいるかもしれないが、マネージャーの私をはじめとする周辺人物も含めた、“神聖かまってちゃん”というちょっとしたムーブメントだったのだ。

同時に自分の所属するバンドもようやく人気が出始め、大きな夏フェスやイベントへの出演が増えることで、特に夏場は数カ月休日がまったくないくらいに忙しくなった。ちなみにその時の収入は、一番多かった時で手取り25、6万円ほどだっただろうか。

個人仕事のギャラは、自分のバンドのギャラも含めすべて事務所に入れていた。もし自分でもらっていたら、一番多かった年で年収は100万円くらい違っていたかもしれない。だが、自分への需要はあくまで「神聖かまってちゃんのマネージャー」としてでしかないと思っていたので、調子に乗ってはいけないと常に意識していたし、そういう自分に興味を持つつもりもなかった

仕事に悩み始めた時、背中を押してくれたのが妻だった

神聖かまってちゃんは独自の好き勝手なスタンスが持ち味であったが、人気が出たことによって、関わる多くの人の要望や、いわゆるコンプライアンス的な条件と折り合いをつけなければいけない局面も多くなっていった。そういう中で板挟みになることが多くなった私は、自分のマネージャー・プロデューサーとしての資質に疑問を持つことが多くなった。

よりメジャーな方向を目指すための仕事はやりがいがあったが、日々「今の時代に合わせて、どうやって話題になるか、ニュースになるか」ばかり考えているような気がして、一通り経験してみた上で、本当に自分の目指すものはそれと違うんじゃないかという思いも生まれた

私は会社のみんなのことが心から好きで、仲間たちと車でツアーの仕事に出かけ、いろいろな街で過ごす時間は本当に好きだった。が、それが本当にやりたいことかと言われると決してそうではなかった。実際、私は神聖かまってちゃんのマネージャーとしての終盤は、インタビューなどで「もう今はマネージャーというより運転手です」と自虐していたことが多かった。

結果どんどん自分の居場所を無くしていった私は、2013年にいったんこの仕事を辞めることを考えるが、歩合制の半分フリーランスのような契約で会社に残ることになる。最初はもちろん仕事がないので、月収は手取りで6万円くらいからのスタートだった。

さすがにまずかったので、仕事を選んでいられなかった。それに、大学を出てから、時間に余裕があったことはほとんどなかったので、とにかく仕事をしていないと落ち着かない。そのため、目先のお金のために長い目で見たら自分が損するような仕事もしてしまった。変に張り切ってらしくないことをして、空回りもしていた。

妻の犬山紙子と出会い、一緒にいるようになったのはこの頃である。

神聖かまってちゃんのマネージャーを続けるべきかどうか、仕事に悩んでいた時、「本当にやりたいことは何なのか考えて選んでほしい」という言葉で背中を押してくれたのは彼女だった。彼女と出会っていなかったら、私は悩みながらも変わらずにその仕事を続けていただろう。

手取り6万円の半分フリーランスとなり、闇雲に仕事を受けていた時にも、「単純にお金だけで判断して結果的に損することはするな」と犬山に忠告された。わかりきったことのようだが、言われなければ私には見えていなかった。

30代半ばまでの月収は平均すると15万円かそれ以下

と、まあ長いこと自分のこれまでの職歴のような話をしてしまいましたが…。

結局、改めて思い返してみると、私は30代半ばまで、どれだけ働いても月収25万円程度以上に稼げたことがなかったのである。平均すると15万円かそれ以下であろう。きっといつか人並みになれると信じていたのに、会社でもバイトでも勤めている時はまったくそうならなかった。

まあでも、当然といえば当然なのかもしれない。結局ずっと、じんわりながらも音楽でどうにかなりたいという夢が最優先だったので。バイトでも就職した会社でも、それで頑張ろうという気があったわけではないし、目先の仕事が大変で努力はしても、お金を稼ぐためにどうしたらいいかという意識をしたこともなかったのだから、そんな人間にお金が回ってくるわけがない

もし、チャンスがあったとしたら神聖かまってちゃんのマネージャーとしてちやほやされていた時。あの時もっと自分の欲を出して、会社の内外でアピールしていたら違っていたかもしれない。

それもチャンスを活かす生き方として立派だと思う。でも、仮にそうやってうまく行っても、最終的に私には合わなかっただろう。自分の力を認められず、居心地の悪い思いをしたのではないか。

2013年頃から時間はあるけどお金がなかった私と、仕事をしたいから家のことを誰かにやってほしい犬山のギブ&テイクが一致したこともあって、私たちは結婚し、私は主夫になった。今は、自分の本当にやりたい表現活動だけに仕事を絞り、あとは外で働く犬山をサポートしながら暮らしている。

主夫をしつつ稼ぐ収入は独身時代のいつよりも多くなった

ただこれだけは嘘をつくわけにいかないのでここで言っておく。いま現在、主夫をしつつマンガや音楽活動で得ている私の収入は、独身時代のいつよりも多いのである。いや、正確には2017年はかなり多かったけど、2018年は一緒かちょっと少ないくらい…? 自由業なので変動は大きい。

それでもとにかく結婚してからのこの4年を平均すると、手取り月収25万円が最大だった独身時代よりずっと稼げている。休みもなく働いていた頃と実働時間を比べるとずっと少ないので、20〜30倍くらい稼いでいるような感覚すらある(もちろん、家事育児の賃金外労働もありますが)。

これがなぜなのかというのは、正直わからない。犬山からは「本当は才能があるのに、自分のために使おうとしてこなかったからだよ」と言われるが、果たしてどうだろう。とにかく、今も決してお金を稼ぐ才能があるわけではないと思う。

多くの人に何となく知られるより、誰かの一番になりたい

2014年に、20代の頃ハロプロファンとしてともに過ごした友人たちと、その一人の死を描いた『あの頃。』というコミックエッセイを出版した。もっと余命ものとしての側面を強めた内容を推してプロモーションしたほうが売れるのではないかという意見もあったが、あくまでハロヲタの物語として表現したかったので、そうはしなかった。

私は今、たとえ数は少なくても、自分の作品や仕事を喜んでくれる人たちに向けたものを作りたいという想いがある。神聖かまってちゃんと過ごしたメジャーの現場では、聴く人を選んでも、その人にとってかけがえのないものとなる様子を間近で見て、それが正しいのか否かという議論を繰り返す日々を経験した。それによってたどり着いた結論である。

たとえビジネスになるほどには売れない作品でも、それを心から求めていて、それで救われる人がいるのなら、そういうものを作る立場でいたい。多くの人に何となく知られたものより、誰かの一番になることに価値を感じたのである。

主夫となり犬山と支え合っていることで、今の仕事のしかたが許される限りは、そういう感じでやっていこうと思っている。仕事を選ぶことは自分には贅沢な話だとも思うが、そういう人が一定数いないと、世の中があんまり面白くならないというか、多くの人が求めることばかり意識してしまうと、どうしても表現の幅に広がりがなくなっていってしまう気がして

と言いつつ、誰かの一番になるというのは本当に難しい。自分にそれができるだろうか。わからないが、力の限り続けてゆくしかない。

この記事を書いた人

劔樹人(つるぎ・みきと)

ベーシスト、漫画家、元マネージャー。あらかじめ決められた恋人たちへのベーシストとして活動する一方、主に自身とその周辺を題材とした漫画作品を発表している。妻はエッセイストの犬山紙子。犬山と結婚後は、主夫として家事を担当。

Twitter:@tsurugimikito