新刊「深爪な“誰にも話せない”お悩み相談」ではセックスレスから就活にいたるまで様々な相談に痛快に答える、自称「無名の一般女性」の深爪さん。Twitterフォロワーは16万人超。会社員でもあり、人との距離感がうまくつかめなかったという深爪さんから、コミュニケーションが得意でない人でも楽にすごせる、人との距離の取り方についてのコラムです。

転校、スカしたイヤなヤツから脱皮しようとして。

人との距離感がうまくつかめない。

初めてそれを実感したのは小学生の時である。東京から地方に転校した私は、早くたくさん友達を作ろうと全力で「イイ人」を演じようとしたのだが、登校初日にいきなり「テレビの言葉をしゃべる」という理由でクラスメイトから「スカしたイヤなヤツ」の烙印を押されてしまった。

「テレビの言葉」とは、標準語のことだ。「テレビ(に出ている人)の(使う)言葉」という意味だろう。このままでは、私の小学校生活が地獄になってしまう。どうにかして、この闇から抜け出したいといろいろ考えた挙句、

「人気者になればいいのでは?」

と思いついた。「スカしたイヤなヤツ」が掲げるにはあまりに無謀な目標設定だが、己を冷静に分析できなくなるくらい追い詰められていたのだと思う。

クラスの人気者たちは、当時大人気の「ひょうきん族」の真似をしていた。休み時間になると、彼らはタケちゃんマンやブラックデビルのモノマネで爆笑をかっさらっていた。なるほど、人気者になるにはモノマネが近道なのか。大きなヒントを得た私は、ある日の朝、教室に入る時に「おはよう」の代わりに「コマネチ!」とビートたけしのギャグをマネてみた。もちろん、股間に両手をスライドさせるというアクションつきだ。教室の入り口でたけしのポーズを決めた私にクラス全員が注目した。一瞬にして訪れる静寂。

その日を境に、私は「スカしたイヤなヤツ」から「空気の読めないバカ」に昇格した。

いきなり距離を縮めるのは、難易度が高い。

友達になるためにはとにかく距離を詰めればいいと考えていた。

親しく話し掛け、自己開示をすれば、すぐにみんなと仲良くなれるものだと思い込んでいた。

しかし、私の渾身のコマネチの例を見てもわかるように、人にはそれぞれ適切な距離の詰め方というものがある。隣に引っ越してきた人がいきなり家に入ってきて「お隣さんなんだし、ボクたちはもう友達だよね!」と勝手に冷蔵庫の中のジュースを飲みはじめたらどうだろうか。とりあえず、引っ越しソバを持ってくるところから始めるべきだろう。長らく築き上げた周囲との信頼関係があるからこそ、クラスの人気者は「コマネチ!」で笑って貰えるのである。新参者が彼らの上っ面だけを真似したところで「空気の読めないバカ」の烙印を押されてしまうだけだ。「フレンドリーさ」と「不躾さ」を履き違えてはならない。「距離感」は、往々にして近すぎるとロクなことがないのだ。

それは、家族も同じである。

ツイッターを眺めていると、やたらと家族の愚痴が流れてくる。「高熱で寝込んでいる私に夫が『俺のメシ、どうなんの?』と聞いてきた」「育児に疲れている妻に旅行を提案したらなぜかキレられた。ねぎらうつもりだったのに」など、そのだいたいは「相手が察してくれなくてストレスが溜まる」に集約される。中には、「どうしたら察してくれるようになるのだろう」と嘆いている人もいたが、私には「エスパーと結婚する」以外の回答が見つからない。

いつも近くにいるから、仲が良いわけではない。

「察してほしい」に代表されるように、家族間における揉め事の原因の大半は相手を「身内」とみなすことによる「甘え」だと思っている。人は言葉にしなければ伝わらない。「以心伝心」や「あうんの呼吸」は幻想なのだ。「夫だから」「妻だから」「親だから」「子供だから」という過剰な期待を捨て、ある種、ビジネスライクに接することが家庭円満の秘訣だと、私は思っている。

家族の言動にモヤモヤしているなら、いったん、彼らを「会社の取引先」と思うようにしてみたらどうだろう。

取引先には「察してほしい」などと厚かましい期待はできないので、おのずと具体的に要求を伝えられるだろうし、時には「ただの取引先の人なのにゴミ出しをしてくれた! なんて親切なの!」と新鮮な喜びが得られるかもしれない。「親しき中にも礼儀あり」というが、親しいからこそ適度な距離感が必要なのだ。

精神的な距離感もさることながら、物理的なそれもかなり重要である。

ここで私たち夫婦について少し紹介させてもらいたい。

1日に10分も会話をすればいいほうで、夫はゲームに夢中で私はネット三昧という、傍から見れば完全に冷めきったカップルだ。だが、これが意外と快適なのである。

そもそも私はイチャイチャしてこそ愛し合う男女と思い込んでいるところがあって、そういう接触がないと不安になるいわゆる“めんどくさい女”だった。一方、夫はいちいち「愛」を確かめ合わなくても、一緒にいるだけで落ち着けるような関係を求めていたので、それはもうしょっちゅうケンカになった。「ラブラブ夫婦なら『お出かけ前のキッス』は当たり前」「ラブラブ夫婦なのに手を繋いで歩かないのはおかしい」など、己の思い描く理想のラブラブカップル像を夫に強いたからである。

しかし、よくよく考えると、私は別に「お出かけ前のキッス」がしたかったわけでも、手をつないで歩きたかったわけでもなかった。単にその手の行為を根拠に「ふたりはラブラブである」と安心したかっただけなのである。だが、その思いとはうらはらに、私が無理強いをすればするほど夫の愛情は冷めていった。当然である。自己満足のために相手の気持ちをないがしろにするような人間を誰が愛せるだろうか。

ある日、夫は「もう疲れた」とうんざりとした顔で呟いた。

それを目の当たりにして、精神的にも物理的にも少しだけ彼と距離を置こう、と決意した。

「『お出かけ前のキッス』と愛情の深さは無関係」と思うようにし、必要以上にベタベタすることもやめたのである。

すると、夫の態度がみるみる変わっていった。

強いられる状況から解放されて苛立ちがなくなったのか、以前よりずっと優しく接してくれるようになったのだ。結果、私は「お出かけ前のキッス」がなくても、手を繋いで歩かなくても安心できるようになった。今では、「会話がないのに居心地が悪くないってのは、最高の夫婦関係なのでは?」と思えるほどである。

会社でも、適度な距離を保つことが大事。

適切な距離感を保つことは、会社においても大切ではないだろうか。

「上司や同僚に馴染めない」「飲み会の強制参加がしんどい」など、業務外の問題に悩む人は多い。私も入社直後はお偉いさんに媚びることでなんとか自分の立場を確保しようと必死だった。努力の甲斐あって、上司の「お気に入り」のポジションを獲得し、周囲から一目置かれる存在になれたのだが、その上司が問題を起こして異動させられると状況は一変。人間関係に依存するのは非常に危険なのだ。

それ以来、余計な“政治活動”はせず、ただひたすら「与えられた仕事はキッチリこなす」に専念するように。駆け引きをしなくてすむので精神的にとても楽になったし、結果を出せば自ずと周りは認めてくれる。無理に馴染もうとする必要がなくなった。

また、気が進まない飲み会はきっぱりと断るようになった。ノリの悪いヤツと思われているかもしれないが、会社は大学のサークルではないのである。みんな仲良くする必要はないのだ。そして、会社は「仕事をして給料を貰う場所」と割り切ってしまうととても楽。「ツラくなったら会社なんてやめちまえばいい」とアドバイスする人もいるが、これは貯金が100憶万円ある人にしか通じないライフハックなので、私は「とりあえず行けばお金が貰える場所、と思うと会社がめちゃくちゃ素敵なところに思えてくるのでオススメ」と提案している。みなさんにも是非、参考にしていただきたい。

みんなの中での孤独もある。ひとりはダメと決めつけない。

「ひとりで食事ができない。寂しい人だと思われたくない」と相談を受けることもある。

コマネチ事件でもお分かりの通り、私は、空気が読めずに孤立していた時期が長かったため、幸か不幸かひとりで行動することは苦ではない。むしろひとりでいるのが好きな部類なので、正直、この手の人の気持ちがよくわからない。だが「中華料理屋の回転するテーブルの上に正座してひとりでチャーハンを食ってるとかでもない限り『寂しそう』とは思わない」と答えておいた。あくまで個人の感想なので納得していただけたかどうかはわからない。

他人から「寂しい人」認定されることにやたら恐怖心を持つのは、誰よりなにより自分自身が「ひとりは寂しい」と思い込んでいるせいだろう。そして、これはおそらく、童謡「1年生になったら」が関係しているのではないだろうか。「友達100人できるかな?」という呪いの言葉が沁みついているのだ。

本当に、たくさん友達がいれば寂しくないのだろうか。

私は、ひとりでいる時よりも大勢でいる時に感じる孤独感のほうがはるかにツラいと思っている。それに、大して仲良くもない“友達”と無為な時間を過ごすよりは、ひとりで好きなことを楽しんだほうがよっぽど有意義だ。学校は「みんな仲良く」と教え、「友達は多ければ多いほどよい」という価値観を植え付けがちである。もちろん、コミュニケーション能力を培うことの重要さはわかる。だが、「ひとり飯」に恐怖を感じる人を生み出さないためにも、ひとりでも楽しむことができる能力の大切さや素晴らしさをもっと訴えてほしい。

他人と距離をおき、そして、自分自身とも少し距離をおくことで見えてくるものがある。

「心の距離感」を調節することで、モノの見方がぐるりと変わることもある。悩んだ時には、いちど、自分の立ち位置を変えてみるといい。

なにごとも、相手を変えるより自分が変わるほうが手っ取り早い。

そしてなにより、ずっとずっと効果的なのだ。

この記事を書いた人

深爪

深爪(ふかづめ)

コラムニスト/主婦。2012年11月にTwitterにアカウントを開設。独特な視点から繰り出すツイートが共感を呼び、またたく間にフォロワーが増え、その数16万人超(2019年2月現在)。主婦業の傍ら、執筆活動をしている。主な著書に「深爪式 声に出して読めない53の話」「深爪流 役に立ちそうで立たない少し役に立つ話」(ともにKADOKAWA)。また、女性セブン(小学館)にて隔週コラム「立て板に泥水」を連載中。芸能、ドラマ、人生、恋愛、エロと、執筆ジャンルは多様。

Twitter:@fukazume_taro