もういちどコラムを書いてほしいとDybe!の担当編集者からメールで依頼をされた。

ぼくは2018年の11月に『仕事だけを生きがいにしていると、仕事を失ったときに死んでしまう。』というタイトルで病気と仕事に関するコラムを、知ったような口をきかせながら書かせていただいた。

ありがたいことに反響がおおきく、たくさんの方から感想をいただけた。

自分の考えに感想をいただけるというのはとてもありがたいことだし、自分が書いたコラムが多くの人に読まれるというのはやっぱりうれしいものだ。

編集者からのメールには仕事に関することを書いてほしいという内容と、最後に前回のギャランティよりも、すこし金額が上がったギャランティが提示されていた。このすこし上がったギャランティがぼくの背中を押してくれて、いまこのコラムを書いている。

いきなり矛盾したことを言い出すけど、ぼくは報酬の多寡では仕事を受けないようにしている。ギャラが多くてもやりたくない仕事はうけないし、ギャラが少なくてもやりたい仕事はうけている。

たのしそうなことだったり、好きなことという基準で仕事をやっている。

だからこそ、たのしい仕事でギャラが高ければ感動するほどうれしいし、やりたくない仕事でギャラが低ければ寿命がちぢむほど萎えてしまう。

前回のコラムの結果を担当編集者が評価してくれて、きっと多くはないであろう予算の中からぼくのギャラを増額してくれたことが嬉しくて背中を押されたのだ。

というはじまりで、コラムを書き出したけど、担当編集者から「ギャラ、前回からあがってないっすよ。」と指摘された。どれだけてきとうにどんぶり勘定で生きているかおもい知らされた。よくいままでうっかり死ななかったものだ。

そんな勘違いをきっかけにこのコラムを書いている。

ぼくは写真家をしている、業界人っぽくいうとフリーランスのフォトグラファーだ。

いろんな場所に行って、いろいろなものを撮影している。

こういうことを初対面の人にいうと、だいたいスゴイですね。って言葉が返ってくるけど写真が溢れる時代に、写真家やフォトグラファーというのはそんなにめずらしい存在ではない、もちろんスゴイことをしている意識もない。ぼくからすれば言語も文化も違う日本で働く外国人の方がよっぽどスゴイとおもう。

知っている人もいるかもしれないけど、ぼくはガン患者でもある。

こういうことをいうと、だいたい心配されたりするんだけど、日本人の死因のトップは40年近くずっとガンだ、毎年毎年だいたい一年間に100万人がガン患者になる。

ガン患者というのもめずらしい存在ではない、どちらかといえばメジャーな存在だ。

いまのぼくにはたくさんの仕事の依頼がきている。本業の撮影だけでなく、こうやって文章を書く仕事、講演やイベントの登壇、取材や対談などのお願いなどもたくさんきていて、はたからみれば売れている状態なのかもしれない。

写真家もガン患者もさほどめずらしいものじゃないけど、さほどめずらしくもない2つの属性が重なったら、たまたまおもしろかった。ということなんだとおもう。パンケーキにおおもりのホイップクリームをのせたら人気ができたような、いまのぼくはきっとそんなものだとおもう。

昼間に撮影をして夜にパソコンでデータ処理をする、翌日また撮影に出かける。

そして原稿を書いたり、もうすぐ3歳になる息子と遊んだり、人と会ったり、映画をみたり、本を読んだり、Twitterをやったり。治療のために病院へも行かなければならない。

これではガンで死ぬまえに過労死してしまいそうだ。

何かを削ればいいのだけど、どれもたのしいことだらけなので、どうにもこうにも削りにくく、結果として命を削ってしまっている。

でも本当に過労死しちゃうと自業自得ってバッシングされそうだし、病人が過労死するというのもなんだか希望がない。

そもそもぼくは忙しいアピールする人が苦手なので、Twitterなどでは忙しさを隠してヒマ人アピールをしている。仕事で地方に行ったときは休暇であるように装って投稿している。これでいつ心不全をおこしても、まさか過労が原因だとはおもうまい。

しかしヒマな病人が旅人アピール投稿をすると、その土地のまったく知らない人から「遊びましょう。」という困ったお誘いがたくさんきてしまう、マジだぜ。

まったくなにも情報がない知らない人とは、ドヒマなときでも遊ばないとおもうの。

ヒマと忙しさのアピールはバランスが大切だ。

自分でやる仕事量を減らすために、半年ほどまえから2人のアシスタントにぼくの仕事を手伝ってもらっている、2人とも大学生だ。

Twitterをつかってアシスタント募集をすると、いろいろな人が拡散してくれたおかげで300人ほどの応募がきた。300人のなかから2人を選んだわけだけど、完璧で超優秀なエリート人材かというとそういうわけではない。大学で写真を専攻しているわけでも、写真の仕事を目指しているわけでもないので、2人ともなぜ自分が採用されたのか不思議なようだ。

Twitterで募集をかけると、当然自分のアカウントから応募しなければならない、アカウントには過去の投稿がある。Twitterは過去の投稿を削除することはできても修正はできない。

ヘイトスピーチをしたり、ネット炎上に加わっているような人は避けたかった。

そして好きな趣味やライフスタイルなどもよくわかる。指定されたことを書き、いくらでも綺麗に書くことができる履歴書よりSNSは人柄が現れるのだ。

好きになった人や、ちょっと気になる人ができたらSNSのアカウントをチェックするとおもうんです。それですっごいヘイトなこと書いてたら好きな気持ちも冷めるでしょ? アプリで盛った写真やお見合い写真よりもずっと、相手のことがわかるとおもうんです。

就活する大学生がSNSのアカウントを削除とかしちゃうんだけど、あれって逆だよね。投稿内容に気をつけて積み重ねていったほうがよっぽどいいよ、それが財産になるから。

その財産がいつか恋愛にも仕事にも役立ちます。

ぼくが2人を採用したのは人柄だ。

もちろん人柄がいい人はたくさんいたけど、あとは年齢とか、住んでいる場所とか、写真が好きとか、趣味とか、子どもが好きそうとか、細かいところをあげればキリがないのだけど、重要視したのは2人ともぼくのファンではないことだった。

ぼくが住んでいるのはマイルドヤンキー天国の八王子だけど、飛行機を使うレベルの遠方からの応募もあり、交通費がとんでもないことになるのでお断りすると、交通費は自腹で行きますと返されて困ってしまった。

「タダでいいのでお手伝いさせてください、なんでもやります。」と食い下がる方もたくさんいた。きっとぼくの手伝いがしたいという気持ちで、とてもありがたいことなんだけど、ぼくは人件費を削って利益を出したいというより、お金はちゃんと払うのでしっかりやってね。というタイプだ。

応援してくれるファンの方の存在は本当にありがたいのだけど、仕事においては避けたほうがいいのだろうなと感じてしまった。

ぼくは10年ほどまえに、業界ではわりと有名な女性ファッションフォトグラファーに2週間ほどアシスタントについたことがあり、だいたいずっと理不尽に怒鳴られ続けられた。

人格否定をされた日の翌日、始発の中央線の車内でこのアシスタントが交通費のみでタダ働きであることをメールで知らされた。怒鳴られて人格否定されてタダで働くバカはいない。そのまま東京駅まで眠って、折り返して帰宅した。

タダで人を使う人ほど、びっくりするほど人を荒く使うものだ。撮影後に友達と渋谷でお茶をするけど、駐車場代がもったいないからと、路上に停めた車内で3時間待たされたこともある。こんなことをしたって写真は上手くはならないのだ。

よく現場で顔を合わせるスタイリストのアシスタントの女の子もずっとタダで働いていたので、もしかしたらファッション業界ではそれが常識なのかもしれない。

業界の常識というのは、だいたい社会の非常識だ。

写真業界にはいまだに大正時代の丁稚奉公のような風習が残っている。

ぼくはアシスタントに比較的、高い給料を払っている。

時給で換算すると2300円を下回らないようにしている。

昼食やちょっとお茶するときも、大学生では行きにくいであろう価格帯のお店になるべくつれて行っている。もちろん全額ぼくが出している。彼からからすればおじさんの顔をみながら食事をしなければならないのだ、それくらいしてあげたい。

理不尽に怒鳴ったりということは絶対にしないようにしている、もちろん注意したり指摘することすることはあるけど、怒ることはない。人格否定なんて論外だ。

どちらかというと褒めるように心がけている。とくに苦手な部分ができたときは、かならず褒めるようにしている。

仕事は2人にある程度の裁量を与えて、そのなかで自由にやらせている。

細かく指示などは出さないで、考えてもらっている。

もちろん考える時間も与える、煽るということもしない。

だから2人ともびっくりするほど、たった半年でメキメキと成長をした。

すでにぼくをあっさりと抜いている部分すらある。そしてとてもよく頑張ってくれる。

こうなってくると辞められちゃうと困るので、ますます大切に扱わなければとおもう。

すこし大げさにいうと、ぼくの寿命を延ばしてくれる存在なのだ。

彼らはどんどん性能が上がっていくスマホのようなものだ。

割れないように、大切に扱わなくてはならない。

彼らのことを評価しているから、高いお金を支払っているのだ。

これがタダ働きで、怒鳴り続けていればやっぱりここまで成長はできないとおもう。

そしてタダでもらったスマホなら、もしかしたら割れても壊れても気にしないかもしれない。

彼らはいつか辞めてしまうから、ぼくはそのときにまた別の人材を探さなければならない。そしてきっと、またすぐにぼくを追い抜くような人が現れてくれるとおもう。

ぼくにとってアシスタントは、いくらでも代わりがきく存在なのだ。

でも2人にはきっと大切な人がいて、その人にとっては代わりがきかない存在なのだ。なによりも2人は人生という絶対に代わりがきかない、リセットもきかない自分の道を歩んでいる。道の途中で景色が変わるように、彼らの人生の途中にぼくがちょっといただけだ。

写真業界にいて理不尽に怒鳴られたりする人を見るたびに、もっとこうすればいいのにと感じることがたくさんあった。ぼく自身もいろいろなフォトグラファーのアシスタントを経験したけど、もっとこうすればいいのにと疑問に感じることがたくさんあった。

疑問の答えあわせを、2人のアシスタントと一緒にやっているようなものだ。

職場で自分の代わりがいないと、口にする会社員の方がよくいる。

私が辞めたらみんなに迷惑がかかる、私が休んだら仕事が回らない。こうおもっている人が少なくない。

残念だけど、そんなわけはない。アメリカの大統領ですら代わりはきくのだ。

そして本当に代わりがきかない人材なのであれば、大切に丁寧に扱われる。

賃金でも休日でも、仕事内容でも、代わりがきかない人のなりの扱いをされる。

低賃金で長時間労働をしている人ほど、あなたの代わりはいくらでもいるのだ。

感謝の言葉だけで低賃金で長時間労働をしてくれる人ほど、ありがたい存在はない。

あなたの代わりがきかないのは、あなたの人生においてだけだ。

そしてあなたの後輩も先輩も、かわいい部下もウザい上司だって、その人にとって代わりがきかない人生の主人公をしている。

世の中には自分が若いときに経験した理不尽で非効率的なことを、後輩や部下に指導できる立場になったときに改善しないで、また押し付けてしまう人がいる。

あれはきっと自分が苦労したことを、若い人が経験しないのが許せないのだとおもう。それ以外に説明がつかない。

小学校でシャーペンが禁止なのは、きっと鉛筆をナイフで削っていた時代の押し付けだ。

学校の意味不明なルールというのは、だいたい理不尽なルールだ。

だからぼくは若い人にできるだけ、いいおもいや、うれしい経験をしてほしい。

苦労も必要かもしれないけど、それは寿司にはいったワサビみたいにちょっとでいいのだ。

平成から令和になったのだ。

ぼくはいまの若い世代が日本を変えることができると信じている。

いいかげん、もう変えなければならないのだ。

うれしい経験をした若い人が10年後、後輩や部下を指導できる立場になったとき、理不尽なことはしないのではないだろうか。

ぼくはそう信じている。

この記事を書いた人

幡野広志

幡野広志(はたの・ひろし)

1983年、東京生まれ。2004年、日本写真芸術専門学校中退。2010年から広告写真家・高崎勉氏に師事。「海上遺跡」で「Nikon Juna21」受賞。 2011年、独立し結婚する。2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。2016年に長男が誕生。2017年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。著書に『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)、『僕たちが選べなかったものを、選びなおすために。』(ポプラ社)などがある。

Twitter:@hatanohiroshi

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