SNSのタイムラインを眺めていると、目の前を駆け抜けていく、キラキラとしたライフスタイル。若くして有能で仕事もプライベートも充実させている人、忙しいはずなのにお洒落な手作りランチ、きらびやかな友人たちとのパーティー……。

そんな「映える」投稿たちを毎日のように眺めていると、心の隅から「私はこれでいいのか?」「自分はどうしてこうなれないのか?」という声が聞こえてくるのは私だけでしょうか?

SNSで映えたい! あわよくばバズりたい! 友人から「あなたの投稿がリア垢にまで回ってきてびっくりしたよ!」と言われたい!

……そこまで切実な欲求でなくとも、友人知人やSNS上の有名人の素敵な投稿を目にした時に、若干の引け目を感じた経験、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。

私、キラキラした人たちに劣等感を刺激されがちです

申し遅れました、私、甘木サカヱと申します。本業を持ちながらライターとして活動し、この春にはエッセイ集を出版、Twitterアカウントはフォロワー約9.1万人(2019年8月現在)。ここだけ切り取れば、仕事も家事もバリバリこなすスーパーウーマンのイメージかもしれませんが、私のアカウントは「映え」とは天と地ほどに程遠いものです。

画像を投稿することもありますが、散らかった部屋もホコリの舞うフローリングも、可能な限りありのままに公開しております。お洒落ですっきりとした部屋に住みたい願望は募れども、もともと片付けが苦手な上に、なにぶん体力気力が足りず、散らかった部屋の中心でもう無理! と叫ぶタイプのアカウントです。

もちろん、投稿する画像を一瞬だけ「盛る」ことはそこまで難しいことではありません。散らかっているものを全部、隣の部屋……いや、カメラの死角になる場所にさえ放り込めば、あとは画像加工アプリを駆使して、そこまで見苦しくない画像にすることはできるでしょう。

では、なぜそうしないのか……。せめて自分くらいは等身大の画像、等身大の生活を垂れ流して、見た人に「こんなにダメでもいいんだ!」とホッとしてほしい気持ちがあるのです。

私自身、昨今の「盛った画像」全盛に劣等感を刺激されがち。タイムラインを駆け抜けていく、何気ない日常の1コマを切り取ったお洒落なユーザーの画像に、追い詰められた気分になることはよくあります。

毎日忙しく働いているはずなのに、余計なものがひとつもない小ぎれいなリビング。おしゃれなカフェのスイーツや、落ち着いたレストランのテーブルに置かれたワイングラス。

ちょっとメンタルの調子が落ち気味だったりすると、それらすべてが、「同じように働いているのに、あなたはどうしてこんなふうにできないの?」と自分を責め立ててくるような錯覚に陥るのです。

もちろん、SNSが全盛になる前から、同じようなことは世間にあふれていました。「隣の芝は青い」のことわざが物語るように、人は他人をうらみがちな生き物です。

問題は、SNSの登場によって、それまで接点のなかった人たちの日常生活を垣間見ることができるようになったことです。本来ならば感じる必要のないはずの劣等感や羨望を、SNSがますます加速させているのです。

そんな完璧な生活、スーパーセレブじゃなきゃ無理

でも、ちょっと待ってください。

「うらやましい」と「自分もああなりたい」は、似ているようで違うもの。あなたは、毎日のようにキラキラした投稿を続けるアカウントの中の人に、本当になりたいのでしょうか? そもそも、そのアカウントの中の人は、本当にあなたが想像しているような、すばらしい生活を送っているのでしょうか?

「映えることそのものが目的じゃなく、そんな素敵な毎日を送ることこそが目標なんだ」……そんな声が聞こえてきそうですね。

しかし、ただありのままを映し出しただけで「映える」生活なんて、本当にあるのでしょうか?

生きて呼吸していれば必ず、顔はテカりあるいは乾燥して粉を吹き、床に抜け毛は落ち、溜まった洗濯物が臭い、料理するのが面倒な日があります。ない? いいえ、あるはず。ないとは言わせません。

毎日レストラン並みの料理を作るのが難しいように、24時間化粧崩れせずにベストな顔面でいられないように、どこを切り取っても素敵な生活なんて、常人にはそもそも不可能なのです。

もしあるとしたら、断言してもいいですが、それは世界中探しても一握りの富豪だけに許されたもの。住み込みのハウスキーパーとか専属ベビーシッターとか執事のセバスチャンとか、とにかくそういう存在が当たり前のスーパーセレブでなければ不可能です。

そうでない一般人が、仮にいつでも素敵な生活を送っているように見えるとしたら、そこには生活感を隠すための不断の努力があるはずです。それは、優雅に泳ぐ白鳥が水面下では必死に水かきを動かしているようなもの。並大抵のものではないはずです。

人はみんな、どこかだらしない欠点があるもの

ここでもう一度、胸に手を当てて考えてほしいのです。あなたが本当に手に入れたいものは何でしょう。素敵なライフスタイルそのもの? それをアピールすることでのSNSでの他人からの評価? それは絶え間ない努力を毎日続けてまで、本当に手に入れたいものでしょうか。そこをハッキリさせておかなければ、永遠にSNSでモヤモヤし続けることになってしまいます。

そりゃ誰だって、「いついかなる瞬間を切り取っても映える、有能でお洒落な人になりたい!」と思うことでしょう。でも、本気で、全力で、迷いなくその立ち位置を目指せるか、というと……? 絶望する人がほとんどのはずです。

なぜなら、ほとんどの人にとって、そんな努力を続けること自体が無理だからです。そもそも、自分を高めるために不断の努力をし続ける、ということが常人には不可能なのです。もちろん私だってそうです。仮に努力を重ねることができても、目指す高みにたどり着くことができるとは限らないとなればなおさらです。

もし、そんな努力ができる人ばかりだったら、世の中には自己啓発本なんて必要なくて、虫歯の人も生活習慣病の人も勉強ができない人も太ってる人も一人もいなくなってしまう(先天性の病気を持つ人などは除いて)。そうなれば「できない人」への風当たりはひどく強いものになるでしょう。

世界を構成するほとんど全員が、どこかしらだらしない欠点があり、ある程度なあなあで生きているからこそ、この世界は(多少は)優しいのです。

人に褒められる自分になりたいか、自分が納得できる自分になりたいか

一般人の毎日は、そのほとんどが「映えない」日常の積み重ねです。でも、人間としての成長や、人生の充実は、「映えない」日常の積み重ねの中にあるものではないでしょうか。

仕事で、同期と比べて自分だけできなかったことがやっとできるようになった。子育てで、子どもを怒鳴りつけたいところを必死で我慢して諭すことができた。ものすごく嫌な顧客にも、奥歯を噛み締めながら礼節を保って接客ができた。自分は何も食べたくないほど疲れているのに、家族の夕食を用意した。

そんな「映えない」日々の小さな積み重ねこそが、あなたの人間としての厚みを増していくのに違いありません。

私は10年近くSNSを続けてきましたが、最近つくづく思うのです。一般人のSNS映えとは、頑張った自分や、精一杯とりつくろった外面の、「褒めて!」という叫びの場、ここ一番の晴れの舞台であるのだ、と。それだけ多くの人が、他者からの賞賛を求めているのでしょう。

でも、「他人から褒められる自分」を第一の目標にするのはいばらの道です。どれだけ社会的に成功しても上には上がいるし、評価軸を他者からの承認においた時点で、それは絶対に勝てないレースです。そして何よりも、他者から褒められなければ自分の価値を認められない、自分に自信が持てないのは、とても不自由な生き方だと思いませんか?

他人から褒められる自分になりたいか、それとも、自分が納得できる自分になりたいか。どちらかを選ばなくてはいけない二択では決してありません。どちらも両立すればいい。そして、他者からの称賛は、自分を充実させた結果ついてくるおまけのようなもの、と考えていいと思います。

どんなに地味でも、「映え」とはほど遠くても、あなた自身が、先月の自分、去年の自分と比べて成長したことを考えてみませんか。来年の自分がどうなりたいか、キラキラした理想像抜きに、地に足をつけて考えてみませんか。

それに向かって歩き、達成した時、それはどんな数のいいね!よりも、あなた自身の確固たる財産になると、私は思います。

たまには自分を褒めて、あわよくば人からも褒められてほしい

そうはいっても人間、そんなに地道な努力ばかり続けられるものでもありません。どうか、たまにはそんな日々の自分を褒めてあげてほしい。あわよくば、他人からも褒められてほしい。疲れた時は足を止めて休んでもいい。そんな、ここぞというタイミングでぜひ「映え」るべきではないか、と私は思います。

自分へのご褒美として、ちょっとだけお金をかけた際のディナーや、あるいは普段は絶対こんなに頑張らないというくらい気合を入れた料理、そこに記念日のプレゼントなどをさりげなく映り込ませれば完全に「映え」です。この瞬間のタイムラインの主役はあなた。「映え」は人生の発表会です。

もしプレゼントをくれる人がいなければ、自分で自分にご褒美をあげればいいのです。もし自分で買ったことが恥ずかしいと思うなら、黙って見る人の想像に任せればいいと思います。嘘さえつかなければ責められるいわれもないでしょう(でも、自分へのプレゼントって、誰に恥じることもなく、とても素敵だと私は思いますけどね)。

そうやって最大限に盛ったあなたの投稿にはきっと、過去最高数のいいね!がつくに違いありません。思い切り褒められて、一瞬の充実感を最大限に楽しみましょう。私は、それは決して無駄なことでも、意味のないことだとも思いません。

一般人の「映え」は、幸福の最大瞬間風速です。タイムラインに流れてくる、他人の盛った画像たちも同じ。その人の幸せの最大瞬間風速を切り取ったものだと思えば、変に卑屈になることなく、素直な気持ちで拍手(といいね!)を送れるのではないでしょうか。

繰り返しますが、SNSだろうと現実世界だろうと、他人からの評価は追いかけるものではなく、自分自身を充実させた結果、後からついてくるもの

「盛る」「映える」にこだわるのもいいと思います。ただし、それにとらわれすぎると、「できない自分」「なれない自分」にばかり目線がいってしまって卑屈になってしまう。あるいはもっと悪いことに、中身が伴っていないのにうわべだけ偽ることばかりが上手になってしまう。

上手にSNSを利用し、たまには盛った投稿をするのも、自分の気持ちを盛り立てるのには有効です。でも、それはあくまで非日常。決して「映え」にとらわれすぎず、等身大の「映えない」自分を、少しずつでもいいから大きく育てていきましょう

きっとその先には、他人の評価に揺らがない、地道に成長し続ける自分への自尊心がしっかりと育っているはずです。

この記事を書いた人

甘木サカヱ

甘木サカヱ(あまき・さかえ)

「よく眠りたまに色々考える主婦」の名でフォロワー数9.1万人(2019年8月時点)を超える大人気ツイッタラー。ワーキングマザー(男児×1、女児×1)をしながら義父母と同居する嫁。ついでにうつ病持ち。体力と気力と家事能力のない主婦。

Twitter:@toppinpararin

note:甘木サカヱ a.k.a よく眠りたまに色々考える主婦|note