落語に近い話芸でありながらマイナーだった講談界に入門、「今一番チケットの取れない芸人」「若き天才講談師」と呼ばれるまでになった神田松之丞さん。

大名跡・神田伯山の襲名も決まっています。

現在の成功からは考えられないほど、前座時代はポンコツで、人付き合いも苦手だったとか。

周囲に評価されずとも、自分の夢を信じてブレずに進むことができたのはなぜなのでしょう。

そのシンプルな理由を探ります。

毒舌のつもりはない。他の人が本音を言わないだけ。

神田松之丞
神田松之丞(かんだ・まつのじょう)。1983年生まれ。講談師。高校時代に落語に出会い、浪人時代、芸人として生きる覚悟を決める。大学時代は観客としての目を磨き、卒業後、2007年三代目神田松鯉に入門。2011年二ツ目昇進、2020年真打昇進と同時に六代目・神田伯山襲名予定。持ちネタの数は10年で130を超え、独演会のチケットは即日完売。

──真打昇進決定おめでとうございます。伝統芸能の枠から飛び出し、テレビやラジオでの毒舌も大人気ですね。

神田松之丞さん(以下、松之丞):毒舌っていう意識は特にないんですよ。

──そうなんですか?

松之丞:今、みんな本音を言わなくなってるだけじゃないですかね。コンプライアンスの時代で。文字起こしされて炎上したりするし、下手なことが言えない。

──昔はそうじゃなかったんでしょうか。

松之丞:こんなことまで? ってことまで自由に言ってくれるのが、僕が聞いていたラジオの世界。いちリスナーとして、本音に100%近い形で言ってくれる人のラジオが聞きたいと。だからラジオの話が来た時、自分がそういうふうに持っていこうと考えました。テレビにもそのやり方を持っていけたらなという感じで。今のところ。

これ、いろいろなところで言ってるんですけど、言えば言うほど何か恥ずかしい文句ですね。本音を言ってるって(笑)。

──できない人が多いなか、松之丞さんが自由にトークできるのはなぜ?

松之丞:僕に“なんとかして芸能界で生き残っていこう”って執着はないから、聞いてる人も“なんか馬鹿だな、もー”くらいの感じで。みんな聞き流してくれているのかなと思ってますけど。

──芸能人ではなく、あくまで講談師が本業だと。ある師匠に“くそつまんねえやつ”と言った話には驚きましたが。

松之丞:あ、それは毒舌とかじゃなくて。修業4年目で疲れていたんですよ、精神が。

──“修業4年目”とは、前座時代のことですか?

松之丞:そうです。落語と同様に“前座、二ツ目、真打”という階級があります。その時は前座修業の最後の年。

──“前座”って、先輩である師匠方の前に舞台にあがることですよね?

松之丞:それ以外にも雑用全般といいますか、上の方々の着物をたたんだり、お茶をいれたり。とにかく“師匠方を快適にする”のが前座の仕事。師匠それぞれのお茶の好み、ぬるめとか白湯とか覚えなくちゃいけないし、マニュアルもない。とにかくずっと、怒られ続けて訂正されていくという。

それが修業で、今思えば非常にありがたい時代なのですが、当時はそう思えないんですよね。

──怒られ続けて、4年目に。

松之丞:もう限界だったんでしょうね。「なんでこんなつまんねえやつの着物たたまなきゃなんねえんだ」って言いながら一回仕事して。完全に病気でしたね。今、そんな前座いたら、めちゃくちゃ怒りますよ。過去の自分を全力で棚に上げて(笑)。

その師匠、聞こえてないようなふりをしてくれていましたけどね。わかってない前座でした。反省です。

人脈を広げようとする行為なんて、無駄な時間

神田松之丞

──なんでも上手にこなしそうなイメージですが、前座時代にはそんな辛さが。

松之丞:非常にポンコツ前座だったので。なんにもできないし、気もきかない。

──雑用的な仕事が向いていないということ?

松之丞:着物のたたみ方を説明されても、なかなかできないんです。かといって一生懸命やるでもない。扱いづらいですよね。

──新人らしさもない。

松之丞:なかったですね。昔も今も“高座(舞台)がすべて”だと思っているので。愛想もないから飲みにも誘われないし、ほとんどの師匠方には大きな仕事に連れて行ってもらうこともなくて。

だからそんなダメ前座時代にやさしくしてくれた一部の師匠方には感謝しかないです。二ツ目でも飲みに連れて行ってくれた人も何人かいますね。ダメ時代にやさしい人は、覚えているなあ。少し売れてコロッと態度変わった人も芸人らしくていいなと思いました(笑)。

──当時、人脈を広げる必要性は感じなかったんですか?

松之丞:これは負け惜しみもあるんですけど、僕から言わせれば、人脈を広げようとする行為は無駄な時間というか。人脈は勝手に広がっていくのが理想かなと。

先輩方との飲みの席だったら、人に尽くす時間。あれも修業なんで、その流れの時も当然あるんですけど、積極的に行くのはやめたほうがいい気はしますね。僕は寄席の前座修業だけして、家に帰ってひたすら稽古。それをコツコツ続けられたのは良かったなと思います。それも結果論ですけど。

ブルーオーシャンだから講談を選んだわけではない。

神田松之丞

──同期で修業していたのはみんな落語家?

松之丞:僕は講談、他の前座はみんな落語でしたね。だから「このネタむずかしいよね」とか、話し合えない。わかりあえないんですよ。今考えると、そういう面では孤独でしたね。

一人だけ違う競技をやってるような感じ。

でも、みんなと仲良かった気はしますね。みんなダメな奴にもやさしいんですよ。

──講談と落語の違いがあまりわからないのですが、修業はいっしょに。

松之丞:落語は会話で、講談はナレーションでとか説明してるんですけど、仲間うちではそんなに意識してないですよ。僕も両方好きだし。

講談界はまじめなんで、落語界の、“ちょっと斜めから見る”みたいな感じは僕みたいなダメなやつにとっても良かったなと思います。落語界の人たちと一緒に活動せずに講談だけだったら辞めてたかもしれないですね。

──落語も好きなのに、入門の際に講談を選んだ決め手はありますか?

松之丞:向いているかなと思ったのと、目標を定めて着実に動くキャラクターみたいなことも含めて、そういう講談師が観たいたなって思ったんですよ。生意気で野暮な芸人。

で、当時、講談界にそういう人がいないから、自分がやろうかって。プロデューサー感覚みたいなのはあったかもしれないですね。

──目標や戦略を明確に持っている感じがします。

松之丞:全部、結果論ですけどね。

「落語と比べて講談のほうが人数少なくてすぐに売れそうだから選んだんだろ」とよく言われるんですよ。そんなことは全然なくて。

──ブルーオーシャン的な発想ではないと。

松之丞:みなさん当時の講談の状況を知らないのでブルーオーシャンとか言うんですけど、そもそも需要が少なかったので、“売れそう”にならないんですよ。本当に廃(すた)れまくってましたから。

扉をガチャッとあけたら「血圧の薬が」「うつで」とか、病気の話ばっかり。暗いんです。笑い話よりネガティブな話が多い印象でした。

今は、前座も多くて変わってきたような気もしますけど。やっぱり若い前座が多くいる楽屋はいいです。未来を感じるので、自然に人はポジティブになる気がします。

──そこに風穴を開けられたのはなぜでしょう?

松之丞:業界の人もみんな、そういう講談師を待っていた感じはありましたけどね。そこに、たまたまズボッてはまったのかもしれません。あとは僕がすごい講談が好きだから、それが伝わったのかもなあと。

根拠のない自信からはじめて、実績と責任を積み重ねていく。

神田松之丞

──“好きかどうか”は伝わるもの?

松之丞:伝わるんですよ。お客さんにも伝わるし、仲間内でもわかります。うまさはあるけど、落語、講談が、そんなに好きじゃないやつって実はいっぱいいます。

──そうかも。好きだからこその職業のような気もします。

松之丞:僕も本当にダメなやつだったし、今もダメなんですけど、“講談好きなんだな”っていうのが先生方師匠方にも伝わってるんで、許してもらえたところもあるんでしょうね。“生意気なやつだけど、ネタ(演目)も真面目に覚えてるな”って。

──“好きという気持ち”、“コツコツ真面目に努力すること”。シンプルで、大事なことですね。

松之丞:それしか他に良いところがなかったんです(笑)。でもそれがすべてだと僕は思っていますけど。

たとえば談志師匠は落語がすごい好き、アントニオ猪木さんはプロレスすごい好きっていう。情熱、純粋さみたいなところに、人って一番惹かれる気がするんです。そこに嘘がないのがいいなと。

──自分の道を信じて一人で進むことへの不安はなかったのでしょうか?

松之丞:“根拠のない自信”って、若者にはけっこうあるんじゃないですかね。それをどこまで信じるかは別として。

──根拠のない自信を元に、将来の夢を思い描いていたんですね。

松之丞:その自信も、だんだんすり減ってくでしょうね。僕は今36ですけど、20代のほうが物覚えが良かったなとか。

自分の考えていたことを少しずつ実現してるので、ここからは実績とかキャリアを、一生懸命積み重ねていこうと思っています。

──それは根拠がない自信に代わるものになりますか?

松之丞:二ツ目なりたてくらいの頃に、よく会に来てくれるおじちゃんがいたんですよ。いつも明るく楽しそうにしていて。でも、たまたま他の場所で別の人が見かけたら、仕事中なんでしょうか、営業帰りなのか、それはもう地獄みたいな顔をしていたらしくて。

多分演芸の時間をすごく楽しみにして、仕事のつらさやなんかを乗り越えていたんですよね。がんばんなきゃな、裏切れないな、と思いました。

そういう責任みたいなものも増えていって、それがまた自信につながるのかもしれませんね。

──そしてお客さんの数は桁違いに。その頃と、1000人クラスの大ホールとで、届けるものは、変わらないのでしょうか。

松之丞:最初にお客さんを呼んだ会はトナカイ小麦店というところで、来たのは8人。そのうち3人が親戚と友達だったんで、純粋なお客さんは5人だったんですね。でも、うれしさでいったら、その時が一番うれしかったかな。

会場が大きくなっても届けるものは同じですし、またトナカイ小麦店からはじめたっていいんです。結局、前座時代から大ベテランの真打までやることは一緒です。

コツコツ稽古して、ネタおろししてっていう、それだけです。いい波が来る時もあれば、悪い波が来る時もあるだろうけど、それだけおさえておけば、講談師として何も怖くない。

神田松之丞(かんだ・まつのじょう)

1983年生まれ。講談師。高校時代に落語に出会い、浪人時代、芸人として生きる覚悟を決める。大学時代は観客としての目を磨き、卒業後、2007年三代目神田松鯉に入門。2011年二ツ目昇進、2020年真打昇進と同時に六代神田伯山襲名予定。持ちネタの数は10年で130を超え、独演会のチケットは即日完売。著書に「”絶滅危惧職”講談師を生きる!」(新潮社/聴き手・杉江松恋)、「神田松之丞 講談入門」(河出書房新社)

Twitter:@kanda_bou

公式サイト:神田松之丞 オフィシャルサイト

取材・文/樋口かおる(@higshabby
撮影/奥本昭久(Kili office)