せんとくんや鶴瓶師匠などの特徴をとらえたモノマネで知られるTKOの木下隆行さん。今でこそお茶の間を笑いに包んでいる木下さんですが、幼少の頃から、多くの苦労を経験されていることはあまり知られていません。

幼少期には夜逃げ11回、芸歴27年の中で東京進出は4回失敗……。それでもあきらめずに挑戦を続けてこられたのはなぜなのでしょうか。逆境を乗り越えてきた秘訣について、ご本人にお伺いしました。

子どもの頃に夜逃げ11回。でも、自分の家はお金持ちだと思っていた

木下隆行
木下隆行(きのした・たかゆき)。1972年生まれ。高校中退後、ホストやディスコの黒服を経てお笑い芸人の道へ。90年に木本武宏とTKOを結成。2008年、2010年、2011年、2013年のキングオブコントで4度の決勝進出を果たしている。

──聞くところによると、木下さんは幼少期の頃、かなり壮絶な過去を経験されているんですよね。

木下隆行さん(以下、木下):そうですね。学校を11回転校しました。転校というとピンと来ないかもしれませんが、結局のところ、親父の借金が原因で、家族全員で夜逃げを繰り返してたんです。でも、僕、その時のことを壮絶な過去だとは思っていないんです。

──かなり大変なのではないかと思うのですが、どうして壮絶だと思わないんでしょう?

木下:母親が家が貧乏だとか、夜逃げをしていることを気づかせないようにしてくれていたんです。僕以外の家族は知っていたみたいなんですけど、父親が「タカ坊には気づかせるな」って言ってたみたいで。末っ子の僕を気遣ってくれていたんでしょうね。

──優しいご両親ですね。実際、家ではどんなやりとりがあったのでしょうか。

木下:借金取りが家に来るからと、小さいワンボックスカーに6人家族がギューギューになって寝泊まりすることもしょっちゅうだったんですけど、母が「今日は車で寝ますよー!」なんて明るく言うから、「おー!」って兄たちもノリノリで。僕は「なんか冒険みたいやな」としか思ってませんでした。後部座席の一番後ろでティッシュの箱を枕にして……今思うと、僕の中ではあそこが一番落ち着く実家だったのかもしれません。

──木下さんにとっては家族の楽しいイベントだった?

木下:そうなんですよ。なんなら僕、自分の家をお金持ちだと思ってましたからね。18歳の時に免許取りたいからって教習所に行く時も、お笑いの道に進みたいからと養成所に入った時も親父がお金出してくれましたから。

──大人になっても気づいてなかったんですか!? お金を出してもらう木下さんを見て、ご兄弟は何も言わなかったんでしょうか?

木下:他の兄弟は僕のこと見て「いい加減にしろ」とも思っていたでしょうけど、20年以上、僕をだまし続けてくれました。結局、僕が借金に気づいたのは親父が死ぬ時でしたから。「え? なんで借金1億円もあるん?」って理解できませんでしたね。

──多額の借金があったお父さんを、他の兄弟の方、お母さまが見放さないどころか、「タカ坊には」という約束を20年以上守り続けたなんて……。木下さんから見て、お父さんってどういう存在でしたか?

木下:とにかくお人よし、すごく優しい人でしたね。借金もほとんどが、人の肩代わりをしたものなんですよ。借金をしていたことを知らなかった僕からしたら、「やりたいことを全部叶えてくれた」かっこいい親父、理想の親父でしかありませんでしたね。 

──他のご兄弟の方は、お父さんをどのようにとらえていたのでしょう?

木下:みんな愛していましたね。親父が死ぬ前にね、兄たちが仕事を辞めて、焼肉屋やりだしたんですよ。「いつか焼き肉屋をやりたい」っていう親父の夢を叶えるために、また借金して。ホールや厨房に立つ親父がうれしそうでしたね。親父は店を開いてから20日後に亡くなりましたけど、「せっかく親父が残してくれたわけだし……」って兄弟で焼肉屋は続けて。一時は60店舗を超える規模にまで拡大して木下グループなんていわれるようになりました。

東京進出は5回目の正直。つらいことは常に「おもろいこと」に変えた

木下隆行
「かっこいい親父、理想の親父でした」とお父さんのことを語る木下さん。

──そんな木下さんが芸人になろうと思ったのはなぜなんでしょうか?

木下:単純にモテたかったからです。高校を途中でやめて、ホストやディスコの店員として働く中で「おもしろいね」って言われて好かれることがうれしくて。20歳の時に松竹に入りました。

──20歳! 今、47歳ですから、もう芸歴27年目なんですね。

木下:そうなんですよ。でも、きっとそんなイメージないですよね。僕たち、東京進出に4回失敗しているんですもん。大阪でそこそこウケて、東京のテレビに呼ばれて出向く。僕らの横でネプチューンが売れる、同期は「いいとも!」に出だす。でも僕らは売れずに大阪に戻る。また呼ばれて東京に行く、今度は海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)が売れる、また大阪に戻る……。そんなんの繰り返しでした。

──正直、普通の人なら心が折れそうだなと思ってしまいました。

木下: ですよね。家族にも「お笑い辞めて、木下グループで働いたらええやん。いつ成功するねん」って言われてました。最初の東京進出が93年、2006年にこれが最後のチャンスと決めて挑戦して、5回目の正直で何とか東京に居場所を作ることができたんです。東京に住み始めて11年になりました。

──4回の失敗にも挫けずにいられた理由は何だったのでしょうか。

木下:今思えば「痛い」んですけど、単独ライブを開けば売れている仲間と同じくらいウケてたし、「やれるやん! あと1回チャンスが巡ってきたら売れるやん」って根拠のない自信があったんですよね。

木下隆行
東京進出に失敗すること4回。今では笑福亭鶴瓶さんのモノマネなどで全国区の人気者に。

─支えてくれた人の存在は?

木下:僕らの兄貴の森脇健児さんに「辞めたら終わりだから、辞めんかったら見てる人はいるし、おもろいやつはどっかで引っかかる」って何度も言われていて、とりあえずいつか日の目を見ることを夢に見て続けていたんです。まあ、僕的には今も成功だとは思っていなくて、まだまだ頑張らんとなとは思うんですけど。

──時には落ち込んだこともあると思うのですが、どう気持ちを切り替えて乗り越えてきたのでしょうか。

木下悪いことは全部ネタにしようと思ってきました。腹立つことや、悔しいことがあったら、それをどれだけおもしろく伝えるか考えてネタのストックにしてやろうって。マイナスなことも、自分の都合のええように考えようと思っているんですよ。

──すごくポジティブですね。

木下:幼少期の引っ越しだってそう。引っ越しのたびに付き合う仲間も変わったし、クラブも変えていたんです。そのおかげで、大人になってからも常に刺激を求める僕がいて、毎日話す人も起きる時間も、変化することが当たり前な芸人という天職に就くことができて嬉しいなと思います。眉間にしわを寄せるよりも、楽しく考えたほうがいいですもん。

挑戦するんならライバルが少ないところを狙う

木下隆行
「腹立つことや悔しいことがあったら、どうやったら面白いネタにできるかを考えます」

──Dybe!の読者の中には、「挑戦したい」「自分を変えたい」と思っているけど、勇気が出ずに立ち止まってしまう人もいます。そんな人にアドバイスをお願いします。

木下:僕もそんなに簡単になんでもかんでも挑戦してきたか……と言われたら違いますし、今でもなんでも挑戦できるわけではありません。でも、目の前で「やる」「やらない」の二択があったとしたら、もしそれが実現したらおもろいと思えるかどうかで判断することにしています。おもろいっていうのは、笑い的な意味だけではなくって、ワクワク、ゾクゾクすることもそうです。

──シンプルだけど前向きな決断ができそうな考え方ですね。

木下:あともうひとつ、これは娘にも言ってることなんですが、どうせ挑戦するんやったら、ライバルが少ないところにいくのがいいと思ってます。

──ライバルが少ないところに……どうしてでしょう?

木下:どうせ同じ労力をかけるなら、ライバルが少ないところにいったほうが重宝されるんですよ。同じことをしている人が大勢いる環境にいけばいくほど埋もれてしまいますからね。そもそも僕が吉本じゃなくて松竹に入ったのも、そのほうがライバルが少なくてチャンスがもらえるんじゃないかと思ったからなんです。実際はそんなに甘くなかったんですが(笑)

──そういう理由だったんですね(笑)

木下:だって「ギター弾けたらモテる」なんて言いますけど、今、ギターできる人なんてごまんといるじゃないですか。そこで自分を出して戦うのはしんどいですよ。情報量とコミュニケーションを自分から多く取りに行って、自分が重宝される場所でちやほやされるのがいいと思います。

──ライバルが少ないほうがいいと頭でわかっていても、人と違うことに挑戦するのは勇気がいるのでは?

木下:僕はコントで多くのキャラをやってますけど、TKOの木下っていう素の僕が軸になっているからいろいろ挑戦できるんだと思ってます。ひとつのキャラがウケずに失敗しても、素の僕に戻ってまた別のキャラに挑戦すればいい。でも、たとえば一発屋と言われる芸人さんたちの芸って、すごく完成度が高いし面白いんですけど、それが飽きられてしまったら戻る場所がないんですよ。だから次につながらない。いつでも戻れる軸を持つことって大事だと思いますね。

背伸びをしすぎず、カッコつけすぎず、いつも自然体で

木下隆行
何かに挑戦するためには「いつでも戻れる軸を持つことが大事」と真剣な表情で。

──お話を聞いていて、ご家族の中でも末っ子として愛され、鳴かず飛ばずの時代を森脇健児さんに励まされ、周囲の人からとても愛されているように感じました。

木下:愛されているとまではおこがましいですけど、たしかに僕は人に助けられて来たし、人に恵まれているなと思います。親父のような存在の鶴瓶師匠をそばで見ながら、常に本音で、嘘つかず、自然体で背伸びせずにふるまう大切さに気づかされたというのはありますね。それを見て、自分もそうでありたいなとは思うようになりました。

──思い出に残ってるエピソードはありますか?

木下:まだ売れてなかった頃、僕らはエキストラさんたちと同じロケバスに乗ってたんですが、鶴瓶師匠がわざわざ僕らのバスに乗ってきて「どうや?」って声かけてくれたんです。少し話した後に師匠が「見ときや」ってバスを降りて、近くにいたおばちゃんたちに声をかけたんですよね。

──それでどうなったのでしょうか。

木下:高速道路のパーキングだったと思うんですけど、そんなところで鶴瓶師匠に声かけられたおばちゃんたちは、そらもう驚いて。でもね、最初は緊張していたおばちゃんたちがあっという間に打ち解けて、「鶴瓶ちゃん!」とか言いながら師匠のことベタベタ触ってるんですよ。近寄りがたい雰囲気とか偉ぶるとか一切ない。「愛されることが大事」って言うのは簡単ですけど、師匠は言葉じゃなくて、実際にやって見せて僕らに教えてくれたんでしょうね。そこから僕自身、肩の力が抜けたように思います。

──自分に自信がなかったり、自分らしさがどんなものかわかってなかったりすると、自然体でいられずに自分とは違うキャラを目指したり、人に好かれる自分を演じたりして失敗することもありますが……。

木下:僕にもそんな時がありましたね。バンドブームの時にはバンドやったし、チェッカーズがはやっている時にはマネしたし、ホストやっている時はカッコつけてました。でもね、カッコつけるとバレるんですよ。若い時に地元の仲間に「お前らとは違うねん」ってふるまった時に、「いやいや、うそうそ」って超笑われたことがあるんですけど、いまだに酒飲んだらその話になるくらいネタにされてますもん。

──本当の自分は身近な人たちが知っているということでしょうか。

木下:そうですね。自分らしさとか、自分のいいところっていうのは周りの人たちとの関わりの中で自然とわかってくるものだと思います。結局ね、バレるんですよ。背伸びしても。それなら、本当の自分を知っている人たちから愛してもらったほうが幸せですから。背伸びしすぎず、かっこつけすぎず、自分が心からワクワクすることを見つけて挑戦していけたらいいんじゃないでしょうか。

木下隆行

木下隆行(きのした・たかゆき)

1972年生まれ。高校中退後、ホストやディスコの黒服などの経験を経てお笑い芸人の道へ。90年に木本武宏とTKOを結成。2008年、2010年、2011年、2013年のキングオブコントで4度の決勝進出を果たしている。

Twitter:@tkokinosita

Instagram:@tko.kinoshita

取材&文/於ありさ(@okiarichan27
撮影/黒澤宏昭