無能だった。

新卒入社したのは、誰もが憧れるキラキラ企業。そして私はその会社のお荷物だった。最初に任されたのは、業界のシェア分析。分析、たったそれだけのことができなかった。提出してもボツをもらいつづけ、新規プロジェクトの提案どころか、バツのついた書類を前に泣いていた。

夜、消灯後も残って作業をした。帰る時間も惜しいから、オフィスの床に寝た。当時の自社ビルにはシャワールームがあり、たとえ会社に泊まっても人間の尊厳は残されていた。ただ、警備員さんが近付いてきた時「わっ!……死んでるかと思った……」と驚かせてしまったのは今でも申し訳なく思う。

いま思い起こせば、入社直後だから当たり前だろう。同期に話を聞くと、誰もがいっぱいいっぱいだった。だが、当時の私は自分を勝手に追い詰めていた。なにしろ、周りは自分より優秀な人間しかいない。同期もいくら切羽詰まっていたとはいえ、私より優秀だった。自分にできることは、労働時間で能力差を埋めることしかない。

能力を認められてからの転職は、輝いて見えた

それから2年。私は、なんとか生きていた。

入社1週間目でプロジェクトの責任者になり、溺れもがいた。1年後には、後輩ができた。上司は目が回るほど忙しかったので、実務面では後輩を育てることも業務に加わった。採用にも参加した。学生へ「1年目から信じられないほどの裁量権をもらえる仕事です」と語りながら(ほんとだよ、こんなに裁量権もらっても、もう無理だってば~!)と心の中で叫んでいた。

2年後、担当していた製品のほとんどを見られるようになった。新CM、イベント、店頭什器制作、新製品の戦略立案……。大量のプロジェクトだったが、すさまじく充実していた。

他のどこで2年目の社員に何億円規模のプロジェクトを任せてもらえるだろうか? 自分より優秀な人しかいないと信じられる会社は? 2年間で何度も新製品の販促戦略に携わり、勘所も見えてきた。尽きないアイデア、回すぜプロジェクト。

ちょうど傲慢になったタイミングで、私は転職した。

転職で「常識が違いすぎた」

私が1社目に働いたところは「世界のどこでも活躍できるスキルを得られる」ことが強みだった。自社からはトップ企業のCEOを次々と輩出。「ここのマーケティングはすごいな」と思えば、必ずそこには出身者が関わっていた。

だが、少なくとも2社目で「活躍できるスキル」を得たわけではなかった。入社して数週間、私は常識がひっくり返りすぎて、しどろもどろになっていた。

たとえば、1社目では「売り上げは数値で誰でも見えるようにすべき。悪い数字を見ても誰かのせいにせず、全員で乗り越えよう。時にはダメな時もある、だがチャレンジを恐れるな」という社風だった。体育会系で荒っぽく優しい先輩方がいた。

よく先輩方と仕事が終わる0時からワリカンで飲み、熱くビジョンを語り合った。代わりに社員同士が嫌いあった時も壮絶で「お前の会議には二度と同席しない!」と目の前で宣言し、本当に同席しない同士もいた。激しい気性だが、わかりやすくもあった。

さて、2社目で売り上げを数値化したところ、まずお叱りをいただいた。「数字が見えたら、誰が悪いかと責められるでしょう」と。なるほど? ここはチーム戦をあまりしないらしい。社員同士はドライで飲み会はないから早く帰れる。

代わりに売り上げや集客数などの数字などはなるべく共有せず、社内政治をつかってプランを通す必要があった。誰もが会議に出席するが、裏の根回しで通る・通らないが決まる。何も考えず在籍していたのでは、何が起きているかわからないまま干されて終わるだろう。

どちらがいい、悪いではない。あまりに違っただけだ。同じ職種でステップアップとして転職したはずが、短距離走者からマラソンランナーに変わったくらいの変化が求められた。

そしてまた、無能になる

私はそして、無能になった。

これまで「この企画を通せば〇〇%売り上げが伸びる見込みがあります!」とロジックと数字さえ通せばいいと思い込み、鍛え上げられた。

しかし感性と根回しが重要な世界へ入った時、私のスキルはゼロに戻った。また無能に戻ってしまった……。1社目では体力とロジックが必要だったが、2社目は喫煙所で重要な話が進むからと、タバコを吸うべきだったかもしれない。

結局、「世界のどこへ行っても活躍できるスキル」なんてなかったのだ。

3つ目の職業で、蝶よ花よと褒められて

約2年後、私は前夫の転勤に帯同するため退職した。それを機にライターとして独立。業界どころか、会社員からフリーランスへの転換。「また無能に戻ろう」という覚悟で挑んだ、二度目の転職だった。

そして数カ月後……。私は蝶よ花よと褒められまくっていた。なぜか。ちなみに私の文章力はライターの世界でも底辺に近い。評価していただけたのは、書き手としての能力ではなく、ビジネス寄りのやり方だった。ライターでも作家寄りの方は、作品への思い入れが強い。しかしライターは本人の美意識よりも納品する媒体さんの特性や、読者に刺さるコンテンツを提案する立場だ。

読者を分析し、媒体に最適な文章を提供する……。それは、これまでに私がやってきたマーケティングの延長上にある仕事だった。「〇〇媒体様ですと、こういう読者がいらっしゃるから、他社さんとこう差別化しましょう。XXの切り口でしたら〇月〇日までに納品できますが、いかがでしょうか」といった提案が、媒体さんに受けた。なぜなら、発注者の目線と同じ観点で受注しているからである。

それが私にできたのは、以前発注者の立場にいたからだ。まさかこんなところで、前歴で培ったスキルとのマッチングが起きるとは……。転職とは摩訶不思議である。

幸い、優しくご指導くださる編集さんにも恵まれ、こうして独立から4年となる。なんだかんだ、ライターが私の職歴で現在、最長のキャリアである。

この世に「絶対的な有能さ」などない

同様の話を、他の方からも聞いた。ある女性は食品業界の営業で第一線にいたが、あまりのストレスに適応障害となってしまった。会社のエレベーターに乗るだけで吐き気が止まらず、一度は「私はもう正規の職につけない」と自分を責めたという。

しかし半年の休養を経て、彼女は別業界のCSR部門(※)に転職した。別業界、かつ営業成績が数字で出る部門から、むしろ企業の社会的な責任を負うオフィスへの転職。転職の中でも前職とのギャップが激しく「あたりまえ」が通用しないだけに、ストレスが溜まりやすいはずだ。

※自社の利益追求だけでなく、社会的な責任を果たすことを推進する部署

しかし、彼女は輝いていた。今の彼女はこう語る。

―CSRといっても、結局はその活動を通じてお客様の好感度を上げて、売り上げへつなげていくお仕事です。CSRにいらっしゃる方でも、それを前提とされる方が少なかったからか、重宝していただいています。

たとえば複数の企業に出資していただく形の基金を設立したことがあったんですが、そこでも「基金設立をどう御社のPR、ひいては販促につなげていくか」をご提案できたことで、もともと社会貢献に興味がなかった法人の社長さんも参加してくださりました。

労働時間? うーん、減りましたね。以前は23時退社でしたけど、今は18時には帰れています。体調もかなりよくなって。もう前の暮らしには戻れないです。

過去の経験の何が活かされるかわからない、それが転職の面白いところだ。努力すればある程度合わない業務でも慣れ、「有能になる」ことはできる。しかし相性や適性の高さは、努力を吹き飛ばす力がある。人が苦労している業務で「なんでこんなこと、みんなやってないの?」とスイスイ泳いで行ける仕事、それが相性のよい業務だ。

相性に勝る努力はないのだから、転職でつまずいても、自分のせいにしないでほしい。相性のいい仕事はある。あとは、たどり着くかどうかだ。

この記事を書いた人

トイアンナ

トイアンナ

慶應義塾大卒。P&Gジャパン、LVMHグループで合わせて約4年間マーケティングを担当。その後は独立し、主にキャリアや恋愛に関するライターや、マーケターとして活動。著書に『就職活動が面白いほどうまくいく 確実内定』や『モテたいわけではないのだが ガツガツしない男子のための恋愛入門』などがある。

Twitter:@10anj10