今年60周年を迎えた「吉本新喜劇」の座長でありながら、バラエティ番組などでも大活躍の小籔千豊さん。舞台とテレビを軸にして、俳優業、モデル業、音楽活動などマルチな才能を発揮しています。

でも、新喜劇に入団した当初の小籔さんは、「俺のことなんて面白いと思ってもらわなくていい。カネだけくれ」と思っていたのだとか。それでも加入から約4年という異例のスピードで座長になった理由は何だったのでしょうか。座長として新喜劇メンバーをまとめる小籔さんの「人を動かす力」についても聞きました。

「安定」だけを求めて新喜劇へ

小籔千豊
小籔千豊(こやぶ・かずとよ)。1973年、大阪府生まれ。身長188cm。2001年の吉本新喜劇入団から約4年という異例の早さで座長に抜擢される。「東京にも新喜劇を広めたい」との思いから、東京でもタレントとして活動。お笑いと音楽を融合させた大型フェス「コヤブソニック」を2008年より開催している。

──現在の小籔さんは吉本新喜劇の座長というイメージが強いんですが、当初はご自分が座長になるとは思っていなかったそうですね。

小籔千豊さん(以下、小籔):はい。僕は安定だけを求めて新喜劇に入りましたから。座長になりたいとか、新喜劇が好きやったからとか、そんなんまったく思ってなかったですよ。「俺のことなんて面白いと思ってもらわなくていいから、カネだけくれ」と思ってました。

──そうだったんですか!?

小籔:それまで組んでいたコンビの相方から解散を告げられて、心がボキボキに折れていたんです。ちょうど嫁はんと結婚しようと考えてた時だったんで、芸人はもう引退しようとコンビニで求人誌を見ていました。でも、仲間の芸人たちに「辞めるな」って言ってもらって。新喜劇なら60歳超えた大先輩も活躍してますから、安定のために会社に就職するような感覚でした。

──新喜劇の笑いは、それまでやっていたものとは違いましたか?

小籔:日本球界とメジャーリーグくらい、まったく違いました。どっちがメジャーかはわからないですけど、びっくりしましたね。しかも、僕が入った時は、竜じい(井上竜夫)やら島木(譲二)さんやら、大先輩がみなさんお元気で。スタメンが全部決まってる感じなんですよ。セリフも一言だけしかもらえなくて、どう頑張ったらええねん、ってお先真っ暗だったんです。

──どうやって対応したのでしょうか?

小籔:まず、自分の引き出しにあるものを全部捨てました。今までのお笑いの知識とか、こうやったらウケるんちゃうかなっていうのは1回捨てようと。引き出しを空っぽにしてから、新喜劇の中の理屈を入れていったんです。

──自分が積み重ねてきたものを捨てるって勇気がいりますよね。

小籔:心が折れてたし、カネがすぐ要ると思っていたから、全部捨てられたんです。けど、今から思えばこれがよかった。ある程度、お笑いをやってから新喜劇に入る若手を見てると、前のやり方を引きずっているんですよ。でも、それが足引っ張ってることが多いと思う。1回全部空っぽにしたらええのにな、って。

小籔千豊
それまでやっていたお笑いと新喜劇の笑いは日本球界とメジャーリーグくらい違ったと、つらかった時代について語る小籔さん。

“セリフは一言だけ”を抜け出した転機は?

──そうした努力を続けた小籔さん。セリフも一言しかなかった状態を抜け出したきっかけは?

小籔:吉田ヒロさんのイベントに出させてもらった時のことです。僕はチンピラの役で、セリフは「おい、コラ」の一言だけ。そしたら、始まる5分くらい前に川畑泰史さんが「小籔、『おい、コラ』しか言うてへんから、ネタあるんやったら言うてええで。何かある?」って言ってくれたんです。

──思わぬチャンスが来たんですね。

小籔:何も考えてなかったですけど、そこで「ないです」とは言えません。「あります!」って答えながら、その場で思いついたネタを伝えました。そこから1時間半後くらいに出番だったんですけど、その間にブワーッと考えて必死でネタを作り込んだんです。

小籔千豊
自分がやってきたことをすべて捨てて新喜劇の理屈を学んだ小籔さんに思わぬチャンスが訪れた。

小籔:いざ本番でやったら、とっさに考えた割には受けたんですよ。そしたら、次の週の打ち合わせで川畑さんが「小籔はあのネタがあるから、やったらええやん」って。僕と(レイザーラモン)HGにまたチンピラの役をくれたんです。

──チャンスをものにして、次につなげたんですね。

小籔:これ、僕からしたらビッグチャンスだったんです。レアル・マドリードのスタメンに「1回だけ出てええよ」って言われたようなもので。自分でも「ターニングポイント来た!」と思って、台本もらってからネタを考えました。HGと2人で何回も練習しましたね。

──結果はどうでしたか?

小籔:本番ではそれがボカンとウケました。その時の嬉しさたるや……。もう、嫁はんの顔が浮かんで「よっしゃ、安定に近づいたな」っていう。舞台上では平静を装ってましたけど、心の中ではむちゃくちゃガッツポーズしてました。いまだにあの感覚を覚えています。

小籔千豊
こうして小籔さんは「大きい声出したらアバラ折れました〜」という体の弱いチンピラ役などでブレイクしていった。

座長になって「皆さんのおかげ」の意味に気づいた

──新喜劇入団から約4年で座長に。これは異例の早さだとか。

小籔本当に皆さんのおかげですよね。内場勝則さんが「これからの新喜劇は小籔や」みたいなことを言ってくれたらしいんです。そこから一番おいしい役が僕に回ってくるようになって、朝ドラのレギュラーが入ったり、新喜劇以外にも仕事が広がって。その次の年に座長をやることに決まりました。

──先輩方が引き上げてくれたんですね。

小籔:僕、昔から「皆さんのおかげで金メダル取れました」とか「皆さんのおかげでホームランが打てました」とか言う人が嫌いやったんですよ。ホームランは一人で打つものじゃないですか。皆さんのおかげって何やねん、それやったらツレ(友達)多いやつは金メダル取れるんか、って思ってたんです。

でも、自分が新喜劇で座長になった時は、心の底から「皆さんのおかげです」と思いました。皆さんのおかげってこういうことやったんかって気づいて、ちょっと大人になりました。

小籔千豊
04年にはNHK朝の連続テレビ小説『わかば』にも出演。小籔さんは仕事の幅を大きく広げていった。

座長として人をまとめるために心がけていること

──座長として多くの人をまとめるために心がけていることはありますか?

小籔:よその座長だったら、自分で劇団を作って自分のお客さんを集めて、皆さんに給料を払っています。それは社長みたいなもんです。でも、新喜劇は僕が作った劇団ではないので、野球で言うたら選手会長みたいなものなんです。いちばん偉くなるわけじゃないんですよ。僕が座長になっても、めだかさんや桑原師匠、チャーリーさん、島木さんのほうが偉いんです。

──先輩を立てながら、全員をまとめなければいけないんですね。

小籔:台本の責任者は僕だから、僕の采配次第で僕が生まれる前から新喜劇をやっている人たちをスベらせることになってしまう。1回に1000人のお客さんが来るとして、20ステージだったら2万人のお客さんのチケット代が無駄になる。

めちゃくちゃプレッシャーはあるんですけど、だからといって、先輩方に「あれをやってください」「それをやめてください」って強くは言えないんですよ。座長になった当初はこれがしんどかったです。

──先輩に意見するって難しいし、気持ちの負担も大きいですよね。

小籔:でも、今までと同じだったら僕が座長になる意味がないんやから、何か新しいことをやって「ああ、あいつを座長にして良かったな」と思ってもらわなあかん。だから、新しいことをやってもらうように先輩に言うんですけど、あまり強く押して「なんやアイツは」ってなってしまうときつい。

小籔千豊
相手が大先輩でも、座長として言うべきことを言わなければならない。そんな局面を小籔さんはどう乗り切ったのか。

先輩に意見するのは200%の自信がある時だけ

──歴史のある新喜劇で、「何か新しいことを」と考えられることがすごいと思います。どうやって先輩に納得してもらったのですか?

小籔:まず、先輩の意見も受け入れるところは受け入れて、でも押すところは押して。その加減だけめちゃくちゃ気をつけました。それから、先輩の意見を変える時は、「そのほうが絶対にウケる」っていう200%の自信がある時だけしか言ったらアカンと思っていました。

──それは自分の采配で先輩をスベらせるわけにはいかない、という思いからでしょうか?

小籔:たとえば、先輩に「ここで『チェケラッチョ』って言ってもらってもいいですか?」って言うと、「なんでそんなん言わなあかんねん」みたいな顔をされることもあったんです。それはそうですよね。ウケるかどうかもわからないのに、入って4〜5年目のヤツになんで言われなあかんねん、って思って当然なんです。

でも、それが舞台でバカンってウケたら、次にその人にまた言えるようになる。それを1個ずつやっていくのが大変だったなと思います。

──少しずつ信頼を積み重ねていったんですね。

小籔:基本的には僕、大先輩にはかわいがってもらっていて、皆さん優しかったんですけど、芸のことになると話は別です。思ってはることと違うことをお願いする時なんかは、プライドを傷つけないよう言い方を考えたり。ミスしたことについては、できるだけみんなの前で言わないようにしたり。ただ、言うことを聞いてくれなさそうな時は、あえて逆にみんなの前で言う時もあります。

──それはどうしてですか?

小籔:聞いてる周りのやつが「それ、面白いですね」って言ってくれる可能性があるからです。どうやったら先輩のプライドを傷つけずに、こちらの意見を聞いてもらえるのか、座長になって2〜3年はすごく気をつけました。

小籔千豊
「伝統8割で2割ぐらいは新しいことに挑戦したい」「一子相伝の技を受け継いできたい」という座長就任時の言葉通り、大先輩を立てつつ自分の色も出していった。

「小籔を座長にして良かった」と言ってもらうために

──そうした細やかな気配りが、小籔さんが周りから愛されている理由なんですね。

小籔:先輩にかわいがってもらって、50年くらい続く新喜劇の座長にならせてもらったというのは、僕はすごくセコいことやなと思うんですよ。こういう取材でも、座長として取り上げていただいたり、全国ツアーでも諸先輩方がいっぱいいるのに、僕が真ん中に立って最後に挨拶をするんですよ。こんなセコいことはないんです。

──そんなことはないと思いますが……。

小籔:じゃあ、それをセコいと思われへんためにはどうしたらいいかっていうと、それ以上に新喜劇にメリットをもたらしたらいいのかなと。吉本興業の東京所属になる時も、子どもが2歳だったから、本当はむっちゃ嫌だったんですよ。安定した生活を手に入れるっていう夢を大阪で叶えたのに、東京では安定がないですから。

──たしかにそうですね。

小籔:でも、東京で頑張ってレギュラー番組に出られたら、新喜劇を東京に持って来られるかもわからない。その時に「ああ、小籔、よう入ってくれたな。小籔を座長にして良かったな」と言うてもらえるようになるかな、っていうのがあったから、東京行きを決めたんです。

──新喜劇のためだったんですね。

小籔:今ではTOKYO MXさんで新喜劇が放送されていて、47都道府県でツアーをやっています。あの時に思ったことはちょっとはできているんじゃないかな、と自負しています。

小籔千豊
安定を求めて入団、「カネだけくれ」と思っていた小籔さんだが、今やその活動は「新喜劇を広めるために」という思いが軸になっている。

なぜPerfumeはコヤブソニックに出演するのか

──現在、小籔さんは「コヤブソニック」という音楽イベントも主催されていますね。本当に大規模なイベントで、芸人に加えて、豪華な顔ぶれのミュージシャンの方々も出演されていますが、小籔さんがこれだけのメンバーを集められるのはなぜでしょうか?

小籔:これは本当によく言ってるんですけど、このミュージシャンの人たちが「アホ」やと思うんです(笑)。お金勘定ができて、自己プロデュース能力に長けている人やったら、こんなナニワ感満載のフェスには出ないですよ。

──いやいや、それも小籔さんのお人柄があってのことですよね。

小籔:本当にいい人ばっかりやから助かってるんです。Perfumeだってこんなの出なくていいんですけど「広島出身だから新喜劇好きです」とか言うてくれるんですよ。

──そう言ってもらえるのは、小籔さんが新喜劇のことを考え続けてきた結果ですね。

小籔:僕が昔から好きで、生で見たいなとか聴きたいなっていう人しか呼んでないから、ミュージシャンに対するリスペクトはあります。ただ、出てくれるのは皆さんがいい人なだけです。ミュージシャンのいい人度合いではどこのフェスにも勝ってると思いますよ。

あと、出ている芸人のチョイスに関しても自信はあります。僕はもともとお笑いオタクだったので、今でもやるより見るほうが好きなんですよ。後輩でも心の底から面白いなと思った人しか呼んでないので。料理人が薦める料理みたいな感じで、ここの説得力に関してはマジでほかと違うと思いますね。

【KOYABU SONIC 2019が開催】

小籔千豊さんが企画・主催する音楽イベント「KOYABU SONIC 2019」が開催されます。

  • 開催日:2019年9月14日(土)
        15日(日) 16日(月・祝)
  • 時間:9:30会場/10:30開演
  • チケットKOYABU SONIC 2019

小籔千豊

小籔千豊(こやぶ・かずとよ)

1973年、大阪府生まれ。身長188cm。1993年、お笑いコンビ「ビリジアン」を結成。2001年に解散し、吉本新喜劇へ。入団から約4年という異例の早さで座長に抜擢される。「東京にも新喜劇を広めたい」との思いから、東京でもタレントとして活動。お笑いと音楽を融合させた大型フェス「コヤブソニック」を2008年より開催している。

Twitter:@koyabukazutoyo

Instagram:@koyabukazutoyo_shinkigeki

取材・文/ラリー遠田(@owawriter
撮影/鈴木勝