職場にも、家庭にも、友人関係にも、「本当に気を許せる場所」「本当の自分でいられる場所」がない。そんなふうに感じる人が増えているといいます。

そこで今回は、「居場所」のあり方をケアとセラピーの視点から描いたヒット書籍『居るのはつらいよ』の著者・東畑開人さんに、「居場所の見つけ方」を聞きました。

休み明けに出勤がイヤになる理由

東畑開人
東畑開人(とうはた・かいと)。臨床心理士。自身の体験を元にケアとセラピーを考察した学術書兼青春物語『居るのはつらいよ』が大きな話題に。十文字学園女子大学准教授。白金高輪カウンセリングルーム運営。

──自分の「居場所」のようなものが見つからず、窮屈感や孤独感を感じる人が増えているようです。そもそも「居場所」とは何でしょう。

東畑開人さん(以下、東畑):ひと言でいうと、「油断できる場所」だと思います。たとえばわかりやすい場所だと、会社の喫煙所とか、なんかたまり場みたいになるところってありませんか。

──喫煙所、わかるような気がします。

東畑:そもそもタバコ自体が“油断型アイテム”ですよね。ホッと力を抜くために吸うのであって、気合いを入れて吸ったりはしません(笑)。油断できるというのは、多少迷惑をかけられることとも言えます。喫煙所だと「ちょっとライター貸してもらえませんか」なんてことも言えますよね。「そこはお互い様なんで」みたいな感じで。

そんなふうに物理的な場所があると居場所はできやすいですが、突きつめると居場所とは「油断できる関係性」といえます。だから、居場所型グループラインとか、SNSなどでも、居場所になり得ます。

──では、そうした居場所を見つけられないというのは、なぜなのでしょう。

東畑:理由はいくつか考えられますが、ひとつは人を頼ってはいけない、人に迷惑をかけてはいけないという声が、僕らの無意識に響いているからではないかと思います。自立して、いろいろなことを自分でコントロールしなくてはいけないというのが、社会の規範みたいになっていて、それを僕らは内面化しているんでしょうね。

あるいは、人への不信感や怖さもあるでしょう。他者というのは恐ろしいものであり、油断すると攻撃されかねないという不安は強まっているように思います。その不安によってだんだん他者との接触を避けて自分の中にこもりがちになることで、さらに人が怖くなってくる。だからゴールデンウィーク明けとか夏休み明けは、学校や職場に行くのがおっくうになりますよね。

──ありますね……。三連休明けとか土日休み明けですらダルいことがあります。

東畑:あれは行くのが面倒なのではなく、普段持っている不安の種みたいなものが、人と会わない間に考えすぎて広がっていくからなんです。しばらく会わないと「やっぱアイツ、ムカつくなー」などと空想してしまう。そして空想すればするほど不信感や被害妄想が広がり、相手への恐怖も強まります。

学校などでも、ゴールデンウィーク明けなどには、休学や退学をしたいという相談が多くなるっていうのはよく聞く話ですよね

“ダメ恐怖症”のおかげで、常に油断ができない

東畑開人

──昔よりも居場所が見つかりにくくなっていたりもするのでしょうか。

東畑:それはあると思います。これもいくつか要因が考えられますが、ひとつは、さまざまなハラスメントに注意が促されているように、 “傷つけない”人間関係が求められていることです。それは基本的には良いことだと思うのですが、他者を傷つけないことを徹底してしまうと、逆に他者といられなくなってしまいます。常に油断ができなくなるからです。それでかえって居場所のなさや孤独感を感じやすくなっている。

──以前より他人を傷つけないように敏感になっていますよね。

東畑:そうした孤独感が浸透してきているからか、一昔前よりカウンセリングに行くことの敷居がかなり低くなっていると、現場にいて感じます。精神疾患があるわけではなく普通に働いている人たちが、心理療法にどんどんやってくるようになっています。

──たしかに、カウンセリングが身近になった印象はあります。

東畑:普通に生活できてはいるけど、小さなうつのようなものがあって、何かがおかしい、他者と切り離されて孤独だという感覚があるんですね。そういうものに取り組むために、カウンセリングが利用されているように思います。はた目には広い人間関係を持っているように見えて、自分の心の中で起きているものすごくプライベートな孤独感があるわけです。だからこそ、それはどこか秘密が守られる場所じゃないと、取り扱えないんですよね。

それと、居場所のなさを感じやすいもうひとつの要因は、生産性・効率性を追求する世の中の流れもあると思います。

──どういうことでしょう。

東畑:昔はよく、仕事の成果はあまり出さないけど、いるだけで周りを和ませるような人がいました。たとえば『ワンピース』のウソップとか。普段はあまり役に立たないけど、不思議と愛くるしさがあって、いざという時に輝く、みたいな。そういう人がいると周りもいい具合に油断ができるし、場に“仲間感”みたいなものが生まれます。

──そういう人がいると、結果的に居場所となりやすくなると。

東畑:そうです。でも組織が成果をより重視するようになり、そういう人が排除されやすくなった。「あいつは何も生み出してない」と。効率化というのは、そうやって人のダメな部分を憎むことでもあります。でも、それは必然的に自分自身のダメな部分にも向けられます。だからどんどん油断ができなくなる。要は、社会が「ダメ恐怖症」になっているんです。

──ダメ恐怖症……。

東畑:生産性至上の社会では、役に立たないとか、成果が出ないことが悪になってしまうんです。だから、組織の中のどこが成果が出ていないかがチェックされて、不断に改善が求められます。それは組織自体が、自分の中のダメな部分を憎んで排除しようとしているということだし、ひいては僕たち個人個人が自分の中のバカな部分も憎んで、それをなんとか押し殺そうとすることでもあります。

でもそれではあまりに窮屈で、シンプルに言ってしまえば幸せじゃないんですよね。そもそも労働者は、幸せに生きるために働いているわけです。だから居場所のためには、ダメな部分を許容してもらえることがとても重要なのだと思うんですね。

傷をなめ合うって、最高なんです

東畑開人

──自分の中のダメをさらけ出す。どうすればいいのでしょう。

東畑:それってあくまで笑いになるダメな部分であって、本当にダメな部分って自分で言葉にできるもんじゃないと思うんです。とてもセンシティブですから。

むしろそれは普段の生活で漏れ出している部分だと思うんです。自分ではね、まともに見せているつもりなんだけど、結構ダメな部分って漏れ出しているものです。それは自分にとってはとても恥ずかしいんですけど、案外周りの人は「しょうがねーなー」と思ってくれていて、足りないところを手伝ってくれたりします。ダメな部分って、弱点であるからこそ、その人らしさでもあり、本来愛すべきところだと思うんですよね。

そういうところ込みで付き合ってくれると、「ああ、ダメでもいいんだな」と、すごくラクになります。それが居場所なのかなと。

──確かに自分を取りつくろう必要がなかったら、すごく居心地がよさそうです。

東畑:愚痴ってそういうものだと思うんですよ。外から見ると、愚痴って結構醜いじゃないですか? でも、仲間内で愚痴ってても、それは醜いとは感じない。そういうのがいいんですよね。油断して、内側のモノを外に漏らしている。だから、「あいつホントにムカつくよな」「いやあ、おまえはよくやったよ」と傷をなめ合うようなコミュニケーションはとても大事です。傷をなめ合うって最高なんですよ(笑)。

いいじゃないですか、そういう時間があっても。それによって万全じゃなくても、多少ダメでも、明日も仕事に行ってもいいかなって思えるわけです。

──では、まずは仕事周りで仲間を探すのがよさそうですね。

東畑:ただ難しいのが、そういうのって作ろうと思って作れるものではないことです。むしろ「絶対に仲間が必要だから作ろう」と義務的にやるほど、居場所ではなくなりやすい。居場所は傷つきやすいんです。仲の良いゲートボールクラブを永続化させようと思って規約やルールを定めたとたん、クラブがバラバラになってしまう、というような。

──どうして、そうなってしまうのでしょうか。

東畑:そもそも居場所とは、自発的に沸き起こってくるものだからです。気付いたら仲良くなってるのが友達ですよね。たまり場とかも、「ここにたまろう!」と決めたら、もうなんか面倒くさいですよね。義務や必要性が前に出てしまうと、居場所とは感じにくくなってしまう。外側から「ここ、居場所です」と決められても、居場所にはまずならないという。

流されまくることで、居場所にたどり着く

東畑開人

東畑:なので、ある程度、流されるのは大事ですよね。いけすかないと思っていた人が、なぜか昼休みに声かけてきて、一緒に昼ごはん食べてみたら、そのあとからなぜかたまに誘われるようになって、気づくといつものメンバーになっていたという話はありふれています。

──不意に居場所ができたと。

東畑:はい。ポイントは、居場所を作ろうとしたのではなく、外からやってくるものを拒まずに受け入れたところです。結局、居場所を作るというのは、そういう感じなのかなと思うんです。それまで接点のなかった人や状況を、いかに受け入れるかという。

だから居場所がないと感じているのであれば、誘われたら「とりあえず行ってみる」ことではないでしょうか。人からの誘いや働きかけにホイホイ乗ってしまう受け身の力。多動力ならぬ「受動力」ですね(笑)。

──「受動」することで、なぜ居場所が生まれるのでしょう。

東畑:受け身から始まるって、相手に依存し、任せるところから始まっているということですよね。人と仲良くなるって、相手に任せるということだと思うんですよ。僕らは主体的に他者と親密になることはできなくて、基本的にはうっかりと親密になってしまう。そういう意味で、受動力って、他者への信頼がベースにある力だと思うんです。他者を信頼してみる勇気ですね。

──とはいえ、いざ流されてみたものの、本当に自分とは全然合わない、というケースもありそうです。

東畑:難しいんですよね。「流される」というのは傷つきやすい状況に身を置くということですから。当然、一緒にいて苦痛が大きい人とは、関係を切断する必要があります。自分を守るために、切ることが必要になります。そう思うと、最初から流されないほうがリスクマネジメントになるんですね。だって、どういう人だったら切るべきで、どういう人だったらつながり続けてもいいのかって、本当にあいまいですからね。人間関係とは不確実性そのものの世界です。

そしてだからこそ、「この人、実はこんな人だったのか!」とか「意外と俺、こういう人と気が合うんだな」という驚きや発見が生じるのも人間関係なんですね。それが妙味でもあり、苦しいところでもある。

──期待せず、頑張りもせず、とりあえず流されてみたほうが、かえって居場所にたどり着きやすい。逆説的で、とても興味深いお話です。

東畑:居場所って、そもそもが壊れやすいものだと思うんです。なぜなら、人はそれぞれが自分の人生を生きていて、たとえある一時期にそこが居場所であっても、人生のステージが進むと、いつのまにか居場所とは感じなくなっている。だから居場所って、それぞれの人生が偶然交差する、奇跡的な瞬間でもあるのかなと思います。でもその奇跡はありふれているんですね。いろいろなところに居場所が生じ続けている。奇跡が起こり続けている。

東畑開人(とうはた・かいと)

1983年生まれ。臨床心理士。関心は精神分析・医療人類学。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。沖縄の精神科クリニックでの勤務を経て、現在、十文字学園女子大学准教授。2017年「白金高輪カウンセリングルーム」開業。著書に『居るのはつらいよーケアとセラピーについての覚書』『野の医者は笑う―心の治療とは何か』など。

Twitter:@ktowhata

HP:白金高輪カウンセリングルーム

取材&文/田嶋章博(@tajimacho
撮影/小原聡太(@red_tw225