一般的に、夢を持つこと、その夢をあきらめないことは素晴らしいとされている。

私も、夢を追う人のことは応援したい。だけどその一方で、「夢を持っていること、夢をあきらめないことを過度に賞賛する言説」には危うさを感じる。

そういう価値観を持つと、夢が見つからない時や、夢をあきらめることを選択した(せざるを得なかった)時、自分を責めてしまいそうだからだ。また、他人に対しても「あきらめちゃダメだよ!」「何か夢を持ちなよ!」などの言葉で追い詰めてしまいそう。

夢って本来はとても素敵なものなのに、取り扱いを間違えると自責や他責の道具になってしまう。それはとても悲しいことだ。かくいう私も、かつては夢をあきらめないことを自分に課し、がんじがらめになっていた。

誤解されたくないのだけど、夢を持つなとか、夢をあきらめろと言いたいのではない。そうではなく、夢で自分を縛っているかつての私のような人に「そんなに思いつめなさんな」と伝えたい。

夢は持っても持たなくてもいいし、あきらめ悪く手を伸ばし続けても、潔くあきらめてもいい。

幸せは、「夢」という要素だけで決まるわけではないのだから。

夢をあきらめたことと、再び夢を追いはじめたこと

私には夢があった。作家になるという夢だ。

学生時代から小説を書いては新人賞に応募していたが、箸にも棒にもかからず、卒業後はバイトしながら小説を書いていた。

しかし25歳の時、小説が書けなくなった。叶わない夢を追うことに疲れてしまい、意欲が湧かなくなったのだ。

「なんであきらめちゃうの? その程度の気持ちだったの?」

「叶うまであきらめちゃダメだよ」

「本当にそれでいいの? いつか後悔するんじゃない?」

そんな言葉で自分を追いつめ、なんとしても書こうとする。しかしどうにも書けない。自分が心の奥底では「書きたくない」と思ってることに気づいてしまい、ショックを受けた。

時間が経つにつれて少しずつ、胸の中から夢の温度が消えていく。あきらめたことを悲しく思う日と、「だってしょうがないじゃん」と納得する日が交互にやってきて、自分でもよくわからない。

だけど確実に鈍感にはなっていて、気づけば「作家目指してた時期があったんだ~」と笑いながら話しても、胸が痛まなくなっていた。

再び文章を書くようになったのはその5年後、30歳を過ぎてから。きっかけは旅をしたことだった。旅で感じたことを書き留めているうちに書く楽しさを思い出し、「書くことを仕事にしたい」という思いがよみがえってきたのだ。今度は小説家ではなく、ライターを志した。

そして、昨年からライターの仕事を始めた。はじめはうまくいかなかったけれど、半年後くらいからポツポツと仕事がもらえるようになり、今年の6月には本を上梓することができた。

今はライター兼エッセイストとして書くことで生計を立てているので、一応は「夢が叶った」と言える。

けれど、自分ではあまり叶った気がしていない。まだ自分の仕事ぶりにぜんぜん納得ができていないからだ。尊敬する先輩ライターさんたちのように、もっと早く、もっと的確に書けるようになりたい。もっともっと、読者の心に響く文章を書きたい。

今の私はとても未熟で、こんなレベルで「夢を叶えた」なんて思えないし、思いたくもない。だから実感としては、今もなお夢を追いかけてもがいている途中だ。

「夢はあきらめなければ叶う!」なんて言いたくない

未経験からライターになって本を出版する過程を、私はずっとnoteに綴っていた。応援のコメントをいただくこともあり、とても嬉しい。

けれど、たまに「ん?」と思うこともある。それは、私の記事を引用して「夢はあきらめなければ必ず叶う!」と言われること。

えっ、私そんなこと書いてないけどな……。

私は、「夢はあきらめなければ必ず叶う!」とも、「だから夢をあきらめないで」とも書いたことがない。

たしかに、あのまま書くことをやめていたら本を出すことはなかっただろう。けれど、書き続けていたら必ず本が出せたかというと、そうでもないと思う。私の場合は運やタイミングの要素が大きいからだ。

身もふたもないことを言えば、誰のどんな夢も、叶うかもしれないし叶わないかもしれない。夢ってそういうものではないだろうか?

それに、夢をあきらめた人生とあきらめない人生、どちらが最善かは人によると思う。

私は専門学校で文芸創作を学んでいたので、同級生には作家志望が多かった。その中で、作家になれた人間は今のところひとりもいない。卒業と同時にサクッとあきらめた人もいれば、私のようにぐずぐずあきらめきれなかった人間もいる。

しかし、夢をあきらめた仲間たちも、今はそれぞれに幸せそうだ。仕事や家庭、趣味などに生きがいを見出している。夢をあきらめたからといって不幸になるとは限らないのだ。

もちろん、「夢は必ず叶うよ。だからあきらめないで!」という言葉が誰かの背中を押すことはわかっている。しかし申し訳ないけど、思っていないことは書けない。

「叶うかもしれないし、叶わないかもしれない。あきらめてもいいし、あきらめなくてもいいと思う」と、馬鹿正直に書かせてほしい。

夢をあきらめるのは悪いことなのか?

作家を目指していた頃の私は、頑なに「夢をあきらめてはいけない」と思い込んでいた。だから夢をあきらめた時、ひどく自分を責めた。

しかし、今になって思う。夢をあきらめることの何が悪いのだろう?

そりゃあ、夢をあきらめざるを得ないのは悲しい。できれば叶えたいし、あきらめたくない。だって、夢だもの。

だけど、悲しいことと悪いことは違う。夢をあきらめるのは「悲しいこと」だけど、「悪いこと」では決してない。モラルも法も犯しちゃいないし、誰のことも傷つけていない。むしろ、自分が傷ついている。

そんな自分に、「悲しいね、本当は叶えたかったよね」と優しい言葉をかけてあげてもよかったのではないだろうか?

叶わない夢に焦がれ続けることは、とても苦しい。破滅的な恋にも似て、胸が焼ける。

その苦しさを知っているからこそ、「夢をあきらめてはいけない」と自分を追い詰めているかつての私のような人を見ると、心配になる。

大丈夫ですか?

あきらめることを、罪悪だと思い込んでいませんか?

夢をあきらめるかどうかで悩んでいる人へ

「私、夢をあきらめちゃったよ」

25歳の私は、下北沢の喫茶店で友人のユミにそう言った。

彼女は専門学校時代からの友人で、当時はデビューを目指して脚本家の先生のアシスタントをしていた。穏やかで聡明な女性だ。

うつむいてじっと私の話を聞いていたユミは、顔を上げるとこう言った。

「夢をあきらめるっていうとすごく重大な決断をしたように感じるけど、今決めなくてもいいんじゃないかな

「え?」

「今は書けなくても、どうせまた、サキちゃんは書くことに戻ると思うんだ。だから、あきらめるかどうかはその都度考えていけばいいんじゃない? 今の決断が一生モノの決断になるとは限らないよ」

当時の私はすぐに白黒つけたがるほうだったから、ユミの結論を先送りにするような言い方はしっくりこなかった。

けれど、今になって彼女の言葉に納得する。

夢はあきらめるかあきらめないかの二択ではない。いっとき手離したとしても、また追いたくなったら追えばいい。いくつになっても再チャレンジはできる。

たとえば「オリンピック出場」のように年齢制限のある夢もあるけど、時間切れになったなら、「シニアの大会に出場」に変更したっていい。私の夢が作家からライターになったように、夢を実現可能な範囲に再設定するのだってアリだ。

夢ってそのくらい柔軟に向き合ってもいいものじゃないだろうか。「夢には真正面から向き合い続けるべき」なんて決まりは、きっとない。

それに、今夢を持っていない人だって、いつか夢を持つ日が来るかもしれない。

夢をあきらめるかどうか、夢が見つかるかどうか。

今の決断が一生を決めるなんて、誰が言えるだろう?

もしもあなたが、夢をあきらめるかどうかで悩んでいるのなら。

どちらがいいとか悪いではなく、あなた自身が苦しまない選択をしてほしいし、もしかしたら今決めなくてもいいのかもしれない。

夢をあきらめても、あきらめなくても。

どっちにせよ、10年後のあなたが笑顔でいられることを信じたい。

この記事を書いた人

吉玉サキ

吉玉サキ(よしだま・さき)

北アルプスの山小屋で10年間勤務したのち、2018年からライターとして活動。不登校、精神疾患、バックパッカー旅、季節労働など、自身の経験を生かしたエッセイやコラムを書いている。

Twitter:@saki_yoshidama

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