「周りが認めてくれない」なんて思っているうちは超元気

「仕事で自分が思ったほど評価されなくて、悩んだり傷ついている人のために何か言ってやってくれ」

本コラムはそういう依頼で書いている。

だが、受けておいてなんだが、私は10年以上会社員をやってきて「周りがちゃんと評価してくれない」などと思ったことは一度たりともない。

なぜなら他人に評価されるようなことをした覚えがないからだ。

覚えがないのに認められたら逆に怖い。

「知らん……何それ……怖……」とギャグマンガ日和のようなビビり方をしてしまう。

そもそも「周りが認めてくれない」なんて思っているうちは、超元気である。

何故ならまだ「自分以外のせい」にできているからだ。

上司がバカだから、女を評価しない会社だから、守護霊の奴が、と思えるようならまだ大丈夫だ。

自分に自信があるなら、自分を正当に評価してくれる人や場所と良い守護霊を探せばよいからである。

それよりヤバいのは「自分が無能なせいだ」という真実を手に入れてしまった時だ。

「自分で自分を評価」してほしい

私の場合は真実だったが、世の中には、無能じゃないのに自分を無能と思い込んで、メンがHELLになってしまう人も多いと思う。

私は実際に社会的には無能であり、会社で他人に評価されることは何ひとつしてこなかった、と会社員を辞めて、専業無職になった今でも思っている。

しかし、それはあくまで社会にとって、他人にとって、の話であり「自分」から見ればちゃんと評価できるところはあったのだ。

そこを会社員時代、評価しなかったことは今でも後悔している。

よって、今現役会社員で、自分は無能だ、周りに比べて劣っていると思い込んでいる人は「自分で自分を評価」することから始めてほしい。

それができれば「周りが無能なせい」「守護霊が弱い」と言う元気も出てくるだろう。

そう言われても、自分に評価できることなんかない、と思っている人も多いだろう、だが実はそんなことはないのだ。

私は今でこそ専業無職だが、会社員との兼業無職だった時は、平日は6時30分に起き、8時30分から17時まで会社にいて、帰ってからと土日に漫画やコラムの仕事をしていた。

今思えば「すごい」と思う。たとえ会社で何ひとつ成し遂げていなかったとしても、この生活をしていただけすごい。

同じことをまたやれと言われてもとても無理だ、今の私は、当時の私をリスペクトしている。

つまり、過去の自分をリスペクトできるなら、リアルタイムでリスペクトしても良かったということだ。

無職シミュレーションのすすめ

よって今「自分は何もできてない」と思い込んでいる人は「無職シミュレーション」をしてみると良い。

なんだったら「VR無職」の購入をおすすめする。

そんなものはない。

だが、とりあえず無職になった自分を想像し「無職になったらできなくなるであろうこと」を考えてみるのだ。

たとえば「朝起きれなくなる」と思ったなら「今起きれている自分はすごい」ということになる。

無職になると、さまざまなことができなくなったり、やらなくなったりする。

逆に言えば「あの時できていたこと」が山ほど見つかるのである。

だが、惜しいことに私がそれに気づいたのは無職になってからである。

もうそれらはできていないことなので、今の自分をほめることはできないし。

むしろできていた頃の自分と比べて凹むことすらある。

できていることは、できている時に積極的に褒めててやらないとダメなのだ。

死んでから「あの時の俺は息しててえらかった」などと思っても遅いのである。

私も会社員時代にそれができていれば「周りが評価してくれねえ」という錯覚を覚えるところまで自信を持てていたかもしれない、未だ悔やまれる。

「できた」ことを認めるまでがワンセット

だが「朝起きる」とか「息してる」とか、そんなレベルが低いことで自分を褒めるのは、ただの「甘やかし」であり、ますます人間的に堕落するだけでは、と思う人がいるかもしれない。

それは大きな勘違いである。

自分を責めがちな人、自己嫌悪に陥りやすい人、というのは大体「自分を甘やかす」と「自分を認める」ということを混同してしまっている。

やるべきことをやらない、やろうとしないことを正当化するのが「甘やかし」だ。

しかし「息をしている」という「実際できていること」を認めない、というのはある意味、甘やかしよりも悪いことなのだ。

これは教育でも言えることである。

「家に帰るまでが遠足」「スクショを撮ってSNSに載せるまでがガチャ」なのと同じで「できた」ということは「認める」ところまでがワンセットなのだ。

誰も認めてくれないなら、せめて自分が認めないと、成功体験にならず、自信や自己肯定感が育たず、自己評価の低い、自己嫌悪に陥りがちな人間になってしまう。

落ち込んだ時はまず「今できていること」から数えてそこを認める。

できないことから数えてはいけない、そんなことをするぐらいなら、素数かあなたのキスでも数えたほうが良い。

「俺は、息しててすごい! 朝起きててすごい! ……からの~!」と、ある程度自分を認めたあとで、はじめて「反省」や「他人との比較」に入っていくべきだ。

大体、元気がない時にやる反省なんて、建設的な考えなど一切出ず、ただただ自分を責めるだけという、反省ではなく、ただの「プレイ」なことが大半だ。

仕事のみならず、元気がない時に考えることなど、大体ろくでもない、マイナス思考ばかりである。

まず、どんな手を使ってでも、元気になれることをしたほうが良い。そうしなければとても「反省」や「他人のせいにする」などという高度なことはできないのだ。

自分へのごほうび

よって「自分にごほうび」は積極的にやっていくべきだ。

「自分にごほうび」というと、たいして頑張ってない女が、散財するためのしゃらくさい口実のようなイメージがあるが「金を出すのは自分」という点を除けば、非常に良いシステムなのである。

逆に言えば、金を出しているのは自分なのだから、頑張っているかどうかは自分が決めて良いのだ。

嫌なことがあった日でも「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ」という理由でほうびをとらせても良いのである。

メンがヘリやすい人というのは自分に対する「認め」や「労(ねぎら)い」という給水を忘れて走り続けてしまっている場合が多い。

そして思うようにタイムが伸びないことを「練習不足だ」と思ってしまっているのである。

上手くいってない時は「努力不足」ではなくまず「休憩」と「水」が足りてるかどうかを確認すべきだ。

少なくてもいいから、評価してくれる人を見つける

「仕事で自分が思ったほど評価されなくて、悩んだり傷ついている人のために何か言ってやってくれ」というオファーを完全に無視している。

確かに会社でそんなことを思ったことはないが「自分の漫画や文章が評価されない」ことで悩むことはある。

そんな時は、「すでに評価されてる作家のツイッターをミュートしたり、売れてる作品名をNGワードに設定する」。

会社でいうなら、自分が評価されてないからと言って、評価されている奴に嫉妬したり憎んだりすると、さらに精神が泥沼化するので、評価されている奴ことはまず「見ないことにする」のだ。

その後は「評価してくれてる人の声」を聞く。

私の作品は、確かに多くの人間には評価されていない。しかし、評価してくれる人が皆無、というわけではない、2、3人くらいはいる。

まずは、2、3人の「評価」のほうに目を向ける。

「評価」というのはたとえ数が少なくても嬉しいのだ。やったことないけど、シャブぐらい気持ちいい。

そうなると「もっとたくさん(評価を)キメてえなあ」となり、もっと評価されるために、新しいものを作り出す元気が湧いて来る。

当然だが、漫画や文章も元気がなければとても書けるものではないのだ。

「会社で評価されない」と悩んでいる人は、評価してくれない人のことばかり見て悩んでいないだろうか。

まずは「評価してくれている人」を見るか、探すべきだろう。

いないなら「俺が来ると、存在を評価し、開いてくれる自動ドア」からでも良い。

落ち込む時というのは、大体「ないもの」を数えている時である、どんな時でも「あるもの」から数えたほうが良いのだ。

当然、それもなくなってからでは数えられない。

有職の人は「仕事がある」時点でひとつ数えられるではないか、今のうちに数えておこう。

この記事を書いた人

カレー沢薫

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

1982年生まれ。漫画家・コラムニスト。2009年に『クレムリン』で漫画家デビュー。その他、漫画に『バイトのコーメイくん』『やわらかい。課長起田総司』『アンモラル・カスタマイズZ』『国家の猫ムラヤマ』など多数。また、エッセイに『負ける技術』『もっと負ける技術』『ブスの本懐』などがある。日々、Twitterでのエゴサーチを欠かさない。9月20日に新刊『部屋から出ないで100年生きる健康法』を発売予定。

Twitter:@rosia29