活動的な『ぼっち』と呼ばれて

最近「『ぼっち』なのに活動的ですね」と言われることが増えました。

そう言われるたびに、一瞬「悪口かな?」と思ってしまうのですが、どうやら悪意があるわけではなく、純粋に『ぼっち』なのにいろんな活動をしているというのが不思議だ、ということのようです。

確かに僕は現在、執筆、ゲーム実況、和太鼓とさまざまなことをさせてもらっているので活動的と言えなくもないのかもしれませんが、しかしそれはごく最近のことであり、以前の僕はまったくそんな素振りも見られぬ非活動的な『ぼっち』でした。

かと言って、では最近は『ぼっち』ではなくなったのか……と言えばそんなことはなく、どこへ向かうのも大抵一人ですし、誕生日やクリスマスは「え? そういえば今日はそんな日だったっけ?」なんて、明らかに嘘と気取られるとわかりつつも、どうにかダメージを受けていないふりをして過ごしています。

ただ、以前に比べると『ぼっち』の質は変わったな、と思います。それによって、僕は非活動的だった状態から、他者から活動的だと見られる状態へ変化したのではないかと思っています。

子どもの頃から『ぼっち』だった

義務教育時代から僕は『ぼっち』だったと思います。

もちろん、僕の周囲には誰かしら人はいましたし、誰かと遊ぶこともあったのですが、友達と呼べる存在はいませんでした。

そもそも僕は、友達というものが何なのか、良くわかっていなかったのです。

「友達何人いる?」という問いかけに対して「まず友達の定義が何なのか教えてくれ」と答える人は大抵友達が少ないという理論がありますが、僕も同様の回答をする一人でした。

何をどうすれば周囲の人のことを友達と呼んでいいのか、その基準がわからなかったのです。

たとえば、お金を貸せるなら友達なのか。

いや、千円二千円なら誰だって貸せる。ではいくらまで貸せれば友達なのか。

何でも相談できる人が友達なのか。

しかし、僕のドロドロとした心情を吐露できる人なんていない――つまり僕には友達はいないのか?

などと、友達の基準をあれこれ考えてしまうのです。

パッと周りを見渡して「こいつには2000円までは貸せるけど、こいつには1000円までだよなぁ」なんて融資限度額を考えていくと、自然とある思考が浮かびます。

「僕が考えているということは相手だってそういう風に序列を決めているに違いない、そして僕は恐らく下のほうで、限度額142円くらいなんじゃないか……?」

これは被害妄想と呼べるのかもしれませんが、どうしてもそう思ってしまうのです。

元々僕は背が低く、運動神経も悪く、成績も良くない子どもだったので、スクールカースト(当時はこんな言葉はありませんでしたが)では底辺層に位置していたのは間違いなく、またそれを感じ取っていたからです。

しかし、そういった『ぼっち』でいることが、子どもの頃はあまり気になってはいませんでした。

もちろん、義務教育課程においてありがちな「何人組を作って」という命令に対し、仲の良い生徒が思い浮かばず、焦ってきょろきょろと周りを見渡していた経験は何度もあったのですが、同じような子どもと一緒の組になれたり、あるいは一人で膝を抱えていれば良かったなど、最終的にどうにかなっていたのです。

お客さんが呼べない

『ぼっち』であることにより、僕の活動に弊害が出たのは、大学生の頃でした。

大学では演劇学科に通っていて、同期の生徒が創った学生劇団に所属しながら役者を目指していました。

そして、そこで大きな壁にぶつかってしまったのです。

役者がぶつかる壁といえば、たとえば与えられた役に入り込めないという精神的な壁だったり、思ったように体が動かせないという肉体的な壁だったりとさまざまあると思うのですが、僕がぶつかった壁は『集客』という名の恐ろしくぶ厚い壁でした。

僕はビックリするぐらいお客さんが呼べませんでした。

学生劇団といえど、創り上げた舞台を多くのお客さんに観てほしいものです。しかし、所属団員は皆学生であるので、広報力は非常に乏しく、劇団員全員がそれぞれの伝手(つて)をたどってお客さんを呼ぶわけです。

公演日が迫ってくると、皆が無言で携帯電話をポチポチと触り出し、名前と顔が一致しない連絡先を呼び出すようになるのは『劇団あるある』だと思います。

「それはもう知り合いじゃないよね?」と言われてもおかしくないくらいか細い伝手をたどって、とにかく自分の劇団が公演をすることを伝えるのです。

そこで、僕はビックリするぐらいお客さんが呼べませんでした。

それはもう、こうして二度書くぐらい客を呼べなかったのです。

「僕は40人呼んだ!」

「私はこれで50人!」

皆がウキウキと告げる中、自分は片手で数えられるくらいしか呼べていない(しかも全員家族)ということもザラでした。

主な原因としては、僕のリセット癖が災いして中学、高校時の知り合いの連絡先がほとんどわからず、交友関係が大学の同期に絞られてしまっていること。また、劇団員は同じ大学なので、呼ぶお客さんがかぶってしまっていること。さらには、皆のほうが僕よりも大学の同期たちと仲が良かったことなど、さまざまな理由があげられます。

自分の弱いところを人に見せたくなかった

友達作りが下手なのは相変わらずで、周囲の人たちが恋愛相談や人生相談などで親睦を深めていく中、僕は誰に何を相談することもありませんでした。

誰かに悩みを話したところで解決できると思えなかった……という理由もありますが、自分が思い悩んでいる様を他人に見せたくなかったというのが正直な理由になるでしょう。

子どもの頃からそうだったのですが、僕はどうにか自分を格好良く見せたいと必死で、自分の弱いところを人に見られたくなかったのです。

大学を卒業した僕は、「自分には役者の道は向いていない!」と悟ったふりをして、「演劇は人数と時間がかかり過ぎる、これからはコントだ!」とコントユニットを結成するのですが、そちらもまた上手くいかず、「コントも何だかんだで人手がいる。これからは一人でも創作が可能な小説だ!」と作家の道を目指すようになりました。

夢が形を変えるごとに、そこに関わる人数を減らしているのがとても悲しいところです。

そんな間も同級生たちは皆、それぞれの輝かしい将来に向かって邁(まい)進しているように思えてならず、かたや自分が落ちぶれているという様を他人には見せたくはありませんでした。

誰にも連絡をせず、誰からの連絡も受け取らないようになるのに、そう時間はかかりませんでした。

そして、ついには、自室に引きこもるようになってしまいました。

心の中での『ぼっち宣言』

引きこもりをしばらく続け、「これはもう自分の人生終わったかも……」と悲観に暮れていた僕を救ってくれたのは、深夜に流れてくるラジオ放送でした。

めちゃくちゃ失敗した、とても恥ずかしい思いをした――そんな格好の悪い話を、深夜ラジオのDJは笑い話として面白おかしく話していたのです。

とても嫌な経験が、面白い話になるのだということを、僕は深夜ラジオから学びました。

そして、ダメな自分を笑ってもらえるのなら、今までの人生で、恥ずかしくて誰にも言えなかった思い出のひとつひとつが、この逃げ場のない現実までもが武器になるのではないか……?

そんな風に考えるようになったのです。

ここが、僕の『ぼっち』の質が変わったターニングポイントであったと思います。

『ぼっち』であることを隠さないようにしよう――僕の心の中で『ぼっち宣言』がなされました。

では、自分のダメさ加減を披露する場所はどこなのだろう――それは小説であったりインターネットであったりと、さまざまな場所が思い浮かびましたが、貯金もいよいよ底をついていましたし、先立つものがなければ発信することすらままなりません。

まずは引きこもりからの脱却が先決でした。

この状態で働くのはとても怖かったのですが、それもいつか笑い話にできるかもしれないというネガティブ思考とポジティブ思考が合わさった精神状態になっていました。

人はそれを『自棄』と言うのかもしれませんが、実際のところ脱却はなかなか難しいものでした。働くことから始めようとしても、なかなか自分の希望通りの仕事が見つかるものではありません。

なかなか決まらないアルバイト

実は引きこもりの脱却を決意した以前から、そろそろ働かなければ……とは思っていて、アルバイト情報のサイトを眺めることはあったのですが、持ち前のプライドの高さと加速した人嫌いが合わさり、僕の希望条件はたいそう厄介なものになっていました。

(とりあえず週3……いや2回からで!)

(でも土日は行きたくない!)

(時間は5時間……いや3時間くらいで!)

恐ろしく自分に都合の良い条件ばかりをあげておりますが、こんな条件で雇ってくれる職場はまずありません。

しかも、応募さえすればまだ望みはあったかもしれませんが、そのページに載っている職場の写真――笑顔で働いている、いずれ上司、同僚となるかも知れない彼らの姿を見ると、途端に尻込みをしてしまうです。

「今まで何をやってきたんですか?」

「おいくつなんですか?」

「その歳でもまだあきらめないんですか?」

なんて言われるんじゃないかなと思ってしまい、「今日はここまでにしておいてやるか!」と応募ページをパソコンのモニターの隅へ追いやる日々が続いていました。

しかも不思議なもので、アルバイト募集のページを眺めただけで、何故だか満足感が得られ、少し働いた気になってしまうのです。

当然、しばらくすれば応募期間は終了してしまいます。

「今回はご縁がなかったということで……」

なぜか僕のほうからそんな言葉を発し、再びゲームをしたり漫画を読み始めていたのです。

これじゃあいけない。

そもそも自分こそ不適格・不都合人間なのだから、僕にだけ都合のいい職場などない。

そう思い立ち、決死の覚悟で週5日で働かなければならない短期のアルバイトに応募したら、見事に受かってしまいました。

受かってしまうと、途端に弱い心が顔を出します。

働きたくない……そう思いながら職場に通う半年間は、引きこもりにとってはつらい時間でした。

「働いている」ということが自信につながった

しかし、人間とは単純なもので、お金に余裕があると自信が付くものです。

何よりも、実際に働いているという事実が、僕を世間へと引き戻すことになりました。たとえば誰かにばったり出会ったとしても、「いまはここで働いてるよ。短期だけどね」と自慢することができるのです。

「何を当たり前のことを」と思われるかもしれませんが、今まで何をやっても上手くいかなかった僕は、そこでようやく世間と張り合うことができた気がしました。

今まで働いていなかった僕にとっては『働いている』ということが自分の最大の自信だったのです。全国の働いている人は、もっと自信を持って良いと思います。

半年間の労働の末、心に余裕ができた僕は、しばらく小説を書き進めた後、また別の職場で働きながら、執筆やゲーム実況という活動で「自分はダメ人間です、ぼっちです」と発信し始めるようになります。

「自分はダメなぼっちだ」と発信することで、他者との付き合い方も変わっていきました。

実況動画を投稿していると、同じゲームで遊んでいる人や、同じく動画を投稿している人たちと知り合いになっていきます。活動を続けているうちに、自然と同じ活動をする者同士のコミュニティができ上がり、知人の輪は広がっていくものです。

だからといって、では友達ができたのかというと、そういうわけではありません。

しかし、周囲にいる人は前もって「こいつはダメ人間なんだ」「こいつは『ぼっち』らしい」と、自分の属性を知ってくれているからか、あまりガッカリされないし、たとえガッカリされてもさほど気にしなくなっていました。

その後、そんな僕の様を面白く思ってくれたらしき面々とゲーム実況活動を共にすることになり、また、傍(かたわ)らで執筆活動を続けるうちに、運良く本を出版させてもらい、『ぼっち』に関するエッセイやコラムを書かせてもらえるまでになったので、『ぼっち』だと公言したことが思わぬ副作用を呼んだことになります。

僕は相変わらず『ぼっち』のままではありますが、あの時、もし自分が『ぼっち宣言』をしていなかったら――ひょっとすると僕は今でも、アルバイトの応募先をモニターの片隅に追いやっていたかもしれません。

自らを『ぼっち』だと認める『ぼっち宣言』は、ぼっちが活動していく中でとても大切なことだと、あらためて思う今日この頃です。

この記事を書いた人

賽助

賽助(さいすけ)

東京都出身、埼玉県さいたま市育ち。ゲーム実況グループ「三人称」にて「鉄塔」名義でも活動中。また、和太鼓パフォーマンスグループ「暁天」所属。著書に『はるなつふゆと七福神』(第1回本のサナギ賞優秀賞)、『君と夏が、鉄塔の上』がある。ホーム社文芸図書編集部「HB」 にてエッセイ『ところにより、ぼっち』を連載中。

YouTube:SANNINSHOW

ニコニコ動画:三人称

Twitter:@Tettou_