「私は大変じゃない」。小学校の集会で、泣いて暴れた

会社を2カ月、休職した。

実家に戻り、寝ることくらいしかできなくなった私を救ってくれたのは、知的障害のある弟。

私はいつも、弟に助けられて生きてきた。

でも、世間は逆の先入観を持っている。

小学生の時、集会で先生が言った。

「奈美さんには、知的障害のある弟さんがいます。大変なのに頑張っているので、学校では皆で助けてあげましょうね」

瞬間、私はブチ切れた。

後にも先にも、私が人前であんなに泣いて暴れたのは、初めてだ。

家に帰っても悔し涙が止まらず、母に「私は大変じゃない」「良太はかわいそうじゃない」と、何度も言った。

強がりじゃなく、本音だった。

私は弟・良太といることで、数え切れないほど得をしてきた。

友達に囲まれる弟と、人付き合いが苦手な姉

良太はダウン症という染色体の異常で、知的障害の判定は重度。今は24歳になるが、知的レベルは2歳児に近い。簡単な単語しかわからないし、発話も不明瞭だ。

そんな良太に、母が教え続けてきたことがある。

「皆と同じように話せなくても、勉強ができなくてもいい。でも“こんにちは”、“ありがとう”、“ごめんなさい”の3つだけは、話せるようになろう」

当番のやり方を教えてもらったら、クラスメイトに笑顔で「ありがとう」と言える。そんな良太の周りにはいつも、友達がいた。

ある日、学校から帰ってきた良太が、コンビニの袋を持っていた。中身は、ペットボトルのジュース。もちろん良太は、お金なんて持っていない。母と私は「これどうしたの!」と青ざめた。ふと、袋に入っていたレシートの裏を見ると「お金は、今度で大丈夫です」と書かれていた。

母が慌ててお金を握りしめ、コンビニへお詫びに行った。

店員さんは笑って「下校中に喉が乾いて困ったから、ここへ来てくれたんですよね。キッシーに頼ってもらえて、嬉しかったです」と言ってくれた。

通学路ですれ違うたび、知らない大人が、良太に「よっ! キッシー、元気?」と声をかけていたし、地域の人たちも、良太のそばにいた。

一方、私はといえば。

人づきあいが苦手な子どもだった、と思う。

流行りのテレビやアイドルにどうしても興味が持てず、ついていけなかった。

その代わり、インターネットのテキストサイトや掲示板を見るのが大好きだった。

授業中も、夢中で自由帳に自作のコラムのようなものを書いていた。

いじめられていたわけではないが、クラスではいつも浮いた存在で、居場所のなさを感じていた。

そんな私も、良太と一緒に行動すると、得意げになれた。

友達やお店の人から声をかけられ、おまけに試食品も多くもらえた。

キッシーのお姉ちゃん。

私は、そんな私を誇らしく思った。私たち姉弟は、大人が思うよりもずっと、Win-Winな関係を築いてきた。

どちらかと言えば、助けてもらってきたのは私だ。

そんな日々を「大変なのに頑張っているので」と、先生に言われたことが、悔しくて、悔しくて、たまらなかった。

メンタルダウンして、会社を休職

時間は流れて、私は社会人になった。

大学1年生の頃、2歳上の先輩たちと創業したベンチャー企業「株式会社ミライロ」に就職した。

コンセプトは、障害を価値に変える、バリアバリュー。車いすに乗っている、目が見えない、耳が聴こえない、上手く話せない……といった、障害があるからこそ、気づけること、伝えられること、を仕事にする会社だ。

そこで私は、バリアフリーのコンサルタントとして、夢中で働いた。

母も下半身麻痺の障害を持っている。

私の仕事が、いつか家族を笑顔にできたら、と願っていた。

東京で一人暮らしを始めると、実家のある神戸にはあまり戻らなくなった。

良太は、電話もLINEもしない。たまに母から送られてくる写真には、大抵なにかをたらふく食べている良太が映っていた。

姉弟の会話は、めっきり減ってしまった。

そんな折に、私がメンタルを病んでしまったのだ。

もともと私は大雑把で、細かいことが苦手。気をつけよう、ちゃんとしよう、と思っても、ついタスクが頭から抜け落ちてしまう。一つのことに熱中すると、周りのことが見えなくなってしまう。紙に書いたり、手に書いたり、工夫をしてみたものの、なかなか治らなくて、歯がゆい日々を送っていた。

「なぜ当たり前のことすらできないのか、イライラする」というようなことを、信頼していた同僚が陰口で言っていたことを知った。いつもなら苦笑いで受け流せるのに、なぜかその日だけは、言葉が棘のように刺さって、胸から抜けなかった。

たちまち、他人が信じられなくなった。

皆が私のことを「ダメな奴」と、笑っている妄想に取りつかれた。コンビニでお弁当を買って、箸がついていないだけで、「私の態度が悪かったから、わざとお箸をくれなかったんだ」と思い込み、家で布団にくるまって泣き続けていた。

病院へ行くと、ストレス起因の適応障害という病名がついた。

常に憂鬱さや不安感があり、ベッドから起き上がれなくなった。

電話に出る、メールを返す、料理をする、という当たり前のことが、少しずつできなくなった。

そして、会社を休職。自分が情けなくて、しかたがなかった。

逃げるように、実家へ戻った。

待っていた良太は、いつもどおりの良太だった。

「姉ちゃん、休み? どこ行く?」と、目を輝かせて聞いてくれた。

何も知らない弟とぶらり、三重県へ

そして私は、良太と旅に出た。

行き先は良太の好みを全面採用し、三重県のパルケ・エスパーニャになった。

良太は、遊園地と温泉が大好きだった。

事件は、パルケ・エスパーニャに向かうバス停で起きた。

長蛇の列に並んで、ようやく自分たちの番になろうかとした時。係員さんが「電子マネーは使えません。両替もできませんので、小銭のご用意を」と言った。私はたまたま、小銭を持っていなくて、パニックになった。

もう一度列に並び直すのは嫌だったし、良太を一人で残すのも不安だった。

苦肉の策で、私は良太に千円札を握らせた。駅の方角に見える売店のような建物を指差して「あっちで、渡して、くずしてきて」と、良太に一抹の望みを託した。

良太は、真顔のまま、のっしのっしと逞(たくま)しく歩いて行った。

背中を見送りながら、思った。

くずす、っていう表現、良太に伝わるのかなあ、って。

慌てて、親指と人差し指で輪っかを作り「ゼニ」のポーズをした。でも良太は、そんな下世話なポーズを振り返ることはしなかった。

ドキドキしながら待っていたら、良太がまた、のっしのっしと帰ってきた。

左手に小銭を、右手にペットボトルのジュースを持って。

またジュースかよ! と懐かしく思いながらも、衝撃だった。

たぶん、彼の行動はこんな感じだったのかな、と思う。

「姉ちゃんが丸いお金を欲しがっとる。ようわからんけど」

「自動販売機にお金を入れたら、丸いお金が出てくるはずや。知らんけど」

「せや! どうせなら、僕が好きなジュース買っといたろ」

という。

極めて単純なアクションを想像して、私は泣き崩れそうになった。

自分で作った決めつけと押しつけから、逃げられた日

良太は、お金の計算はもちろん、大人が決めた常識やルールを、ちゃんと認識できていないと思う。

でも良太は、24年間、言葉も通じないこの世界で生きてきて、「なんかよくわからんけど、これしたら、こうなる」という、彼なりの経験と自信を持っている。たぶん。

誰に笑われても、同情されても、まったく気にしない良太。

もし今、宇宙人が襲来してきたとしても、逃げ惑う私達を横目に、良太はきっと、宇宙人と誰より早く共存する。

だって良太にとっては、それが今までの日常だったから。

人が決めた“こうあるべき”は、良太には関係なくて。

笑われることも、後ろ指さされることも、良太にとっては何でもなくて。

きっと良太には、それよりも大切な「姉ちゃんが困ってる。僕がなんとかせな」という目的があったから。

自分にできることを、いつも精一杯やりきっているから。

ああ、私は、良太みたいに生きたかったんだな、と。

ようやく気がついた。

誰が作ったかもわからない常識にとらわれて、勝手に思い込んで、勝手に落ち込んでいたのは、他でもない私だった。

「自分は当たり前のことすらできない、恥ずかしい」と、周りの人と比べるから、つらい思いをしていた。

私が肯定しないといけなかったのは、私自身だった。

私には私にしかできないことが、沢山あったはずなのに。

いつの間にか、そこに目を向けない自分になっていた。

格好悪くても、理想と違っても、私が大丈夫と思っていたら、大丈夫なんだ。

良太を見てたら、ようやく、わかった。

バスで爆睡する良太の横で、ぼろぼろ泣いた。

会社にはそれからすぐ、復帰した。今も元気でやっている。

ヒーローの後日談

余談だけど。

私はしこたま、男運が悪い。もしくは、見る目がない。

付き合った彼氏にはなぜか後から、スーパーマザコン、サイコパス、カルト宗教家だということが判明してしまう。

良太は、そんなダメ男たちを、瞬時に見分ける。

多分、知的障害のある自分に分け隔てなく接するか、目線は合うか、などを彼は瞬時に判断して「好き」か「嫌い」かを、感じてると思うんだけど。

ダメ男を良太に会わせると、「姉ちゃん、こいつはやめときな」と目配せしてくれる。

神戸市北区のジェイソン・ステイサム、と私は呼んでいる。

私のヒーローは、いつも、岸田良太。世界で一番、誇らしい弟だ。

この記事を書いた人

岸田奈美

岸田奈美(きしだ・なみ)

ユニバーサルデザインの考えのもと、社会に新たな価値を創造する株式会社ミライロの創業社員・社長特命担当、ライター。100文字ですむことを、2000文字で伝える28歳。2019年6月から始めたnoteが、SNSで合計10万以上シェアされ話題に。母は下半身麻痺の車いすユーザー(岸田ひろ実)、弟はダウン症。11月からWEBメディアの編集長も務める。

Twitter:@nami_mirairo

note:岸田 奈美@ミライロ|note