今の仕事や生活に特別不満があるわけではないけれど、ぴったりフィットしている快適さもばっちり目が合っている安心感もない。時間を忘れて没頭するほど夢中にもなれない。かといって他にやりたいことがあるわけでもない。そもそもやりたいことってなんだっけ……?

何かがちがうことだけはわかるけれど、何がちがうのかはぜんぜんわからない。ああ、わたしは誰、ここはどこ、仕事って何?と迷子になった経験はないだろうか。わたしは、ある。

子どもの頃から目標を立てるのが苦手だった

子どもの頃から「大きくなったら何になりたい?」と聞かれても答えられなかったわたしは、大人になっても目標を立ててそこに向かって進むことが苦手で、新年の抱負さえ書けなかった。

過去の手帳を見返すと、2007年「平常心」2008年「出し惜しみしない」2009年「人にやさしく」とあり、これでは目標でも抱負でもなくただのスローガンだ。2009年に関してはただのブルーハーツだ。聞こえるかいガンバレ!じゃあないんだよ。

10年前、ここではないどこかで、これではない何かを頑張りたい。何かを見つけたい。何かに出会わなければと思っていた。でもその「何か」はあまりにもぼんやりしていて、探しても存在するのかどうかもわからなかった。

ただ、やりたいことがないのは欠損で、見つけないといけないと焦っていた。

友人の「やりたいことリスト」に衝撃を受ける

やりたいことが見つからないわたしとは対照的にいつも夢に向かってまっしぐらな友人がいる。彼女が「やりたいこと100リスト」を見せてくれたとき、ものすごい衝撃を受けた。

そこには「揚げ物が得意になる」とか「外国人と自然にハイタッチできるようになる」とか「くびれる」などあらゆるジャンルの欲が大集合していて、胸焼けしそうなほどだった。具体的すぎる内容とオリジナル性、そしてそれを恥ずかしがらずに書ける素直さに驚いた。

その100個を見れば、彼女がどんな人間になりたいと願っているのか、何をもって成功とするのか、どうなるとしあわせなのかが丸わかりだった。社会的に成功といわれることではなく、しておいたほうがいいことでもなく、完全に個人的な欲で、共感できるものはなかったけれど、わたしのリストはどんなものになるだろう?と気になって、書いてみたくなった。

「やりたいこと」がひとつも書けないわたし

「やりたいこと100リスト」わたしも書いてみるね!と友人に宣言し、いそいそとノートを開いてみたものの、いざ書こうとするとピタリとペンが止まって動かない。ほんとうに、何も、書けなかった。どんな小さなことでも、現実味がないことでも、できないことでも構わないから、書くだけだから、とわかっていながらもどういうわけか出てこなかった。

塩が容器の中で固まって振っても振っても出てこないような、ないのではなくてそこにあるのはたしかなのに出てこないもどかしさは、とても苦しかった。

なぜこんなにも出てこないのかわからず、やりたいことを書き出すことよりも書けない理由の方が気になったので、小さなことから少しずつ(あのお店に行きたいとか)なんとか書いてみながら、ペンが止まってしまうときに「なぜ書けないのか」をよく観察してその理由を見つけようとした。

するとこんなこと言ったらバカみたいだとか、こう思うなんて恥ずかしいとか、できるわけないと決めつけているとか、いつか誰かに禁止されたとか、出てこようとするものを抑えるフタがいくつも見つかった。

たとえば「1ヶ月ハワイに行きたい」と頭に浮かんだのに「でもそんなことできないしな」と打ち消しそうになるとき、何がフタになっているのかをよく観察すると、「節約しないといけない」とか「自分が楽しむだけのためにお金を使ってはいけない」とか「そんなに長い間休んではいけない」など、お金に対する怖れが見えてきて、なるほど、わたしはお金に対して不安があるんだな、ガマンしないといけないと思っているんだなとわかったりした。

フタがあると「こうしたい」という思いを抑えて、代わりに「ガマン」をするんだなとわかった。そして、いつのまにかガマンが習慣になり、なんなら得意になり、「ガマン強い」ことが自分の長所だとすら思っていたことにも気がついた。本当にあった怖い話だ。

足りなかったのは、自分を楽しませること

中学生のとき「将来の夢」の作文が書けなかった。世の中にどんな職業があるのか知らないからまだ決められないと思っていた。それに、書くことには力があるので、書いたら自分を暗示にかけてしまうから、まだわからないうちに書きたくないとも思っていた。

我ながらめんどくさい生徒だけど、その言い分は、半分は正しくて、半分はまちがっていた。

そのときに知っている数少ない中から選んで固定してしまうとそれ以上視野が広がらないから、もっといろんなことを知ってから決めたほうがいいよねとも思うし、まだ出会っていない可能性のために出し惜しみをして一歩も動けないよりも、思い込みでもいいから将来を想像して自分を調子に乗せて進んだ方がいいよとも思う。

たぶん、わたしに足りなかったのは、自分の将来はいいものだと思い込む力と、自分を楽しませるために調子にのる力だった。

両親が働く姿を見て、なんとなく仕事は大人を苦しめるいやなもので、働くのはつらいことだと感じていたので、将来について考えるときにワクワクと明るいものを見ていなかったし、「調子にのるな」「勝手なことをするな」といつも言われていたので、自分の好きなことをしてもいい、自分で決めてもいいと思っていなかったのだろう。

「やりたいこと100リスト」が書けない理由と同じで、この頃からすでに、がんばるとか努力するとかは何かをガマンすることだと思っていて、楽しいことや好きなことを続けた先に仕事があるとは思えなかったのは、我ながら不憫だし残念だ。

今振り返るとこうして「将来の夢」の作文を書けなかった理由がわかるし、仕方がないと思うけれど、やっぱり書けた方がいいよなと思う。

どんなに実現がむずかしいことでも、バカみたいなことでも、誰にも賛成されなくても、「こうなりたい」という思いを、いつも自分だけは許してあげたほうがいい。フタをしてしまうと、その後何年も出てこなくなってしまうから。

選択をくり返すほど未来は広がっていく

「将来の夢」がなかったわたしは、大人になってからも、みんなは一体どうやって仕事の選択をしているんだろうと不思議に思っていたので、いろんな職業の人に知り合うたびに「どうしてこの仕事をしているんですか?」「これが得意だといつ気が付いたんですか?」と訊ねた。すると、かなり多くの人が「たまたまあの人が褒めてくれたから」などと答えた。

それは、小学校の先生に「上手だね」と褒められたとか、バイト先の先輩に「才能あるんじゃない」と言われたとか、ほんの些細なことばかりだった。そんな誰かの言葉をきちんと真に受けて「え、そうかな、才能あるのかも」と調子に乗って、がんばることができる素直さは、とても大事なのだと思う。

それに、だれもが自分の意思だけで進んできたわけではなくて、案外みんなたまたまなんだなあと知って、中学生のわたしに「全部の職業を先に知るのは無理で、たまたま誰に会えるかが大事だから、おもしろい人がいそうなところに自分から行ってみるといいよ。じっと待っていても誰も教えてくれないよ」と教えてあげたいなと思った。

一度決めてしまったらそれ以外を選べなくなってしまうじゃないか、と思って作文を書けなかったわたしは、未来に向かう道は、選択をくり返して絞っていくものだと思っていて、ひとつ選ぶと他の選択肢が消え、道はどんどん狭くなっていくのだと思っていた。

だけど本当は、ひとつのドアを選んで開けると、そこからひろがる広場があらわれる。道は狭くなるどころか、選べば選ぶほど世界が広がっていく。未来へ続くのは道ではなく広場で、実は、選ばないと広がらないのだった。

だから、明確な理由や唯一無二の才能などなくても、たまたま出会った誰かの言葉でも、なんとなく楽しいなという感覚でもいいから、自分で選んでドアを開けることに意味があるのだと思う。

「やりたいこと100リスト」を書いて、欲を抑えるフタを剥がそう

やりたいことがないのは欠損ではない。未来を想像できないとき邪魔をしているものはだいたい過去で、いつかのガマンのフタを剥がして捉え直すことで未来に目が向けられるようになる。

「やりたいこと100リスト」を書いてみることで、自分の中から些細なものでも欲を見つけて出してあげることと、欲を抑えるフタを見つけて剥がしてあげることの、ふたつが同時にできる。

それは、転職しなくても、運命の人に出会わなくても、誰でも、ひとりで、タダで、今すぐできることだから、まずは書いてみるといい。

書いてみると、大小様々な欲を抑えるフタが見つかるけれど、いちばん大きなフタは「しあわせになりたい」という願いを抑える「自分はしあわせになれない、なってはいけない」という思い込みのフタだ。

「ハワイに行きたい」と書くのに「しあわせになってはいけない」と禁止しているなんて大げさなと思うかもしれないけれど、その大ボスのフタを剥がさなければ、小さな欲も出てこなくなるのだと、ペンが止まって書けなかった固まった右手で身にしみてわかった。

「やりたいことを見つける」とは、運命のたったひとつの何かに突然バッタリ出会うのではなくて、小さなよろこびや自分がアガることを見つけて、それをガマンしないで、自分をよろこばせ続けていたら、気がついたらすでに手の中にあるようなものなのかもしれない。

努力をするとかがんばるとかは苦しいと思ってしまう人が多い昨今、あえて言いたい。いやなことをガマンする努力ではなくて、自分がアガること、自分をよろこばせることが何かを知って、自分をしあわせにする努力をしようと。

聞こえてほしい あなたにも ガンバレ!!

この記事を書いた人

桜林直子

桜林直子(さくらばやし・なおこ)

1978年東京生まれ。会社員として洋菓子業界で12年間勤めた後、クッキー屋「SAC about cookies」の経営をはじめる。noteで「夢組と叶え組の話」などを執筆。小学生の頃からイラストレーターとして活動している娘のあーちんは、ほぼ日刊イトイ新聞にて「くまお」「たべびと」を連載。

Twitter:@sac_ring

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