「この先のキャリアどうしよう?」「お金よりもやりがい?」日々悩みは尽きません。でも、そうやって悩めるだけ恵まれているのでは? だって食べていくだけで必死だった時代にはそんな悩みはなかったはず。そう考えた編集部がたどりついたのが、自称「縄文好き」で『縄文ZINE』の編集長、望月昭秀さん。会社も給料明細もなかった縄文人に悩み解決のヒントをもらうなら?

縄文人はタイムカードを押さない

「縄文人に学ぶ働き方」というテーマで依頼されて、この原稿を書いている。といっても、そもそも縄文時代という観点で「仕事」について話を聞くほうが間違えている。

縄文時代には「会社」はなく、社会保険料に有給休暇、給与に賞与だってない。はっきりしたことは言えないけど、だいたいにおいて仕事という概念が今とはだいぶ違っていただろう。

一説では縄文人は1日に3時間しか働いていなかったという話もある。しかしこれもまた「働く」という概念の違いが起こす間違った解釈だと思う。かつては働くことと日常生活はほとんど一体化していて、それを区分するほうに無理がある。縄文人はタイムカードを押さないのだ。

と、いきなり話がそれた。それでも「仕事」について、もしこのサイトの読者に話せることがあるとしたら、僕からはこんなことを伝えたい。

仕事は楽しいし、つらいものだ。上手くいっていたり、自分自身の興味の方向性がすり合っていれば何の問題もないのだけど、そう上手くはいかないのが「仕事」のつらいところ。時には嫌なこともやらなければならないことだってあるだろう。

「楽しいことと嫌なことのバランス、その報酬と自身のキャリアを鑑みれば、自ずと身の振り方がわかるでしょう」と、転職をオススメしたりするのは簡単だけど、なかなかそうはいかないのも「仕事」なわけで……。むしろ優秀な人ほど目の前の仕事が立て込み、自身のキャリアを鑑みる暇すらないというありさまだったりする。

もちろんあまりバリバリやりすぎると身体を壊すので、なるべく規則正しく、休む時はきちんと休み、たまには休暇も取ることも大切なタスクだと思ってやったほうがいい。良い仕事をするには、まず身体の健康管理が大切だ。

では、「心」の問題はどうだろう。身体の異常は比較的気づきやすいものだが、心の問題はなかなか自覚しづらいもの。そこで僕が提案したいのが「マイ儀式のススメ」だ。

もちろん僕自身はただの縄文好きで、精神科医でも何かのカウンセラーでもなんでもない。そのことは前提に聞いてほしい。

切れ目なく続く仕事は何をもたらすか

一部の職種は別にしても、仕事はだいたい切れ目なく続いていて、あまり起伏のない単調な業務も多い。

たとえばプロジェクトごとには区切れがあっても、遂行中のプロジェクトに別のプロジェクトが覆いかぶさったり、それもまたきれいに区切れることってそんなに多くはない。問題には問題が覆いかぶさって、仕事は実にわけのわからない状態になっている。そんな人も多いだろう。

そんな状態を何年も続けると肉体よりも先に心が疲労してくる。これがこのままずっと続くというなんともいえない停滞感を感じたり、絶えずプレッシャーにさらされることで何もかも嫌になって自暴自棄になってしまったり。これがさらに進むと精神の病となってしまうから本当に注意が必要だ。

言うまでもなく、身体の健康と同じくらい心の健康は大切だ。もし心に負担がかかりすぎてもうどうしようもないのであれば、一にも二にも病院に行くのが正解だったりするのだけど、その前段階で縄文時代に学べるものがあるように思っている。

縄文は儀式の時代だった

人の生活や人生の節目節目には必ず儀式があることを覚えているだろうか。

子どもの頃のそれはわりと頻繁だ。生まれてから1年くらいはなんだかんだと色々な儀式が赤子を待っている。それからお食い始めや七五三、小学校の入学式、卒業式、中学、高校、成人式。その合間にもさまざまな儀式を子どもの頃の僕らは通過していった。

もちろん日本だけの話ではない。世界の国々でその地域特有の風習や信仰による儀式は行われ続けている。今ではほとんどのそれは形骸化(特にここ日本では)していることも確かだけど、これを読んでいるみなさんも、最初の会社の入社式では多少なりとも何かを感じたのではないだろうか。

儀式といえば何といっても縄文時代だ。この時代の遺跡から出てくるものは大きく2つに分けられる。考古学者の小林達雄(國學院大学名誉教授)さんは、それぞれを次のように定義している。

狩りや、煮炊き、木を切ったり土を耕したりする道具、いわゆる生活のための道具を「第一の道具」。今では使い方はわからないけどなんらかの儀式で使われた祭祀のための道具を「第二の道具」。こんな風に大きく分類されるほど、縄文時代は儀式の時代だった。

さらに、第一と第二の道具の区別のつかないものもたくさん出土している。たとえば有名な火焔型土器、この土器はその内部のおコゲから煮炊きに使われていたことがわかっている。ということは生活の道具なわけだけど、ただ煮炊きするだけならこの過剰な装飾は必要ない。ということは火焔型土器は生活の道具でもあり、同時に祈りの道具でもあったのだ。

火焔型土器は一例であって同じようなものは他にもたくさんある。縄文時代は生活と祈りの儀式が今よりももっともっと密接で、切り離せないものだった証拠だと僕は思っている。そう、仕事と生活が一体化していたのと同じように。

ビジネスと儀式は相性が悪い?

儀式というと、宗教や古臭いものというイメージもあり、ビジネスの世界ではそういった慣習を壊すことを良しとして、それをイノベーションとしてもてはやしてきた。だからビジネスと儀式はイマイチ相性が悪いように感じる。しかし、その古い儀式にも良い面もあることも見直すべきだと思う。

儀式というものをもう一度考えてみると見えてくる。儀式には本来、絶え間なくシームレスに続く日常にきちんと句読点を置く役割というものがある。それによって人は昨日までの自分に別れを告げ、次のステップに進むことができる。

また、儀式には自身を規定する役割もある。儀式は自分らしさを担保する“よりどころ”にもなり、自分自身を肯定してくれるものにもなる。たとえばイチローの朝カレーや、バッターボックスに入るまでのルーティンなどはそういうことなんだと思う。儀式によって普段の力を出し、儀式によって自分自身を見直している。

儀式は単なる因習ではない。縄文時代から、いや、人の生活が始まった時からそこにある、人の生活に必要な習慣なのだ。

良い仕事をするために、「マイ儀式」のススメ

だからといって縄文時代のように、節目節目で歯を抜くようなエクストリームな儀式は現代的ではないだろう(地域差はあるが縄文時代は、成人のタイミングと結婚、出産のタイミングで歯を抜いていたと考えられている)。どこかの宗教に入信を勧めているわけでもない。今は現代だし、急にどこの誰かもわからない神は信じられない。

ここで僕がオススメするのはずばり「マイ儀式」だ。

このみうらじゅんライクな響き(多分に影響は受けている)の「マイ儀式」とは、読んで字のごとく、自分だけの儀式のことだ。

たとえば仕事で失敗した時には、「マイ儀式」として「田舎の母親に電話して、元気かどうか聞く」とか、たとえばひとつの仕事がうまくいった時には「寿司を食べてそのあとサウナに行く」でもいい。自分自身の中で納得ができるバランスは自分で考えればいい。

気になるあの人と一言も声を交わせなかった時は「飼っている愛犬の鼻をペロっとひと舐めする」なんて、その微妙で残念な塩加減がちょうど良いバランスのような気がするし、いつも嫌なことを言ってくるクライアントがいたら、そのクライアントの「名刺を焼く」なんてのも縄文時代のモノ送り(使い終わったものや死んでしまったモノを自然に帰す行為)みたいで効果がありそうだ。

ただし、何も儀式だからと言って既存の宗教がやりそうな儀式や、スピリチュアルな儀式を執り行う必要はない。あくまでも「マイ儀式」だから自由でいい。

「マイ儀式」に名前を付けてみよう

そして、おすすめなのは儀式に名前を付けることだ。名前を付けるだけで、格調高い雰囲気になるし、儀式のもつ力もグッと強まる気がする。名刺を燃やすのは、「名前焼きの儀式」なんて名前にしてもいい。「鼻舐め儀礼」や「親電儀礼」、「寿司サウナ儀礼」……。どれも名前があるだけで、なんだか本格的な気分になる。

もっと日常的なシーンでも「マイ儀式」は有効だ。毎朝の日課に儀礼のような名前をつけてもいい。朝起きてストレッチをするなら、そのまま「ストレッチの儀」で良い朝を迎え、眠る前にオリジナルのダンスを踊る「入眠の儀」を執り行えば、きっと良い眠りにつけるだろう。

こんなふうに「マイ儀式」を行ったあとは、行う前とは違う自分になれたり、本来の自分を取り戻せたりする。「マイ儀式」に合理性はたいしてない。しかし確実に心に効く。

たとえば僕個人の最近のマイ儀式としては、縄文の遺跡に訪れたらまず地面に触り、土の匂いを嗅ぐことにしている。たいていは土の匂いしかしないけど、時代を超えてあの頃とつながる気がするのだが、そのうちこの儀式が発展して土を舐めるくらいまでいきそうな予感がして、今から口の中が気持ち悪い。

名前をつけてはいないけど、似たようなことをすでにもうやっているよという人、「隠れマイギシキタン」は、実は多いと思う。ビジネスの現場でも、日常でも、僕たちが自分らしくいられるために、そして良い仕事をするために、「マイ儀式」オススメです。

この記事を書いた人

望月昭秀

望月昭秀(もちづき・あきひで)

フリーペーパー『縄文ZINE』編集長。1972年、弥生の遺跡である登呂遺跡で有名な静岡県生まれ。株式会社にルソンデザイン事務所代表。著書に『縄文人に相談だ』(国書刊行会)など。

『縄文ZINE』Twitter:@jomonzine

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