下ネタありの痛快ツイートやブッタ斬りのお悩み相談も大人気、Twitterフォロワーは17万人超。そんな深爪さんでも「自分はダメな人間」と落ち込むことも多いのだとか。そんなとき、急に元気いっぱいになるのは無理。それでも低空飛行を続けるには? 深爪さんの実体験から生まれたコラムです。

「とにかく死ぬな」のアドバイスが刺さらない人間もいる

Dybe!の担当者さんから「仕事や人生に前向きになれない時、せめて後ろ向きにならないためのハック術をユーモラスに綴ってください」というご依頼を受けた。正直、「そんなハック術があるなら私が知りたいわい!」と思うくらいには荒んだ生活をしているが、私の経験や考え方が少しでも誰かのお役に立てれば幸いである。

“落ち込んでいる人にかける言葉ベストテン”があるなら、おそらく

「やまない雨はない」

「明けない夜はない」

「生きていればきっといいことがある」

が上位にランクインするだろう。私はこれらの言葉が大嫌いである。

一見励ましているように聞こえるが、要するに「とりあえず我慢しとけ」と言ってるだけじゃねえかと思うからだ。もし、私がめちゃくちゃ悩んでいるときに誰かにしたり顔で「やまない雨はないんだよ」と肩ポンされようものなら、「え? いつ? いつやむの? 令和何年何月何日地球が何回回った日?」と襟首をつかんでガン詰めしてしまうと思う。

少し前に「死ぬこと以外かすり傷」というフレーズも流行ったが、これもいまひとつ私にはハマらなかった。たぶん「どんなにツラいことがあっても死ぬよりはまし(だから頑張ろう)」といった意味なのだろうが、私はその度重なる「かすり傷」の痛みに耐えられないから早々に死んで楽になりたいと思うタイプなので、まったく響いてこない。

だいたい「死ぬよりはまし」という励ましは「最悪の困難が『死』」と考えるタイプにしか有効ではない。「死んだほうがまし」と思っている人間に刺さらないのは当然のことなのだ。

「とにかく死ぬな」とアドバイスする人は相手を追い込んでいることに気がついていない。

「自殺」という選択肢を奪われたら、それこそ死ぬしかなくなるという感覚がない幸せな人たちではないだろうか。

「あなたが死んだらたくさんの人が悲しむ」を励ましの言葉として使う人を見ると「正気か」と思う。もはや脅迫ではないか。私には「いつでも死ねる」という究極のカードがあるからこそ、生きながらえている部分が大いにある。だから、誰かに対して「絶対に死ぬな」なんてことは口が裂けても言えない。先が見えず苦痛な時間を過ごさなければならないとき、「いつでも死ねる」と逃げ道を作ることで、たいそう気持ちが楽になる

「いざとなったら死ねばいいや」は一見、絶望的な思考停止と思われるかもしれないが、それは「生きる希望」を生むこともあるのだ。

「かなりの確率で死ねるよ」ランチの誘いに救われる

ここまで読んで「じゃあ、どんな言葉をかけりゃいいんだよ!」と頭を抱えている方も多いかと思う。私が考えうるベストな回答は「何も言わない」である。落ち込んだ人を見ると「とにかく元気を出してあげなくちゃ!」と躍起になる人がいるが、そっとしておいてあげる勇気も持ってほしい。

このように「悩んでいる人には放置が一番」と常々考えている私なのだが、かつて他人の言葉に大いに救われたことがある。

追い詰められてどうしようもなくなって本気で死のうと考えていた時に、たまたま友人からLINEが入った。前日に放送されたドラマの感想が延々とつづられていたのだが、私は発作的に「悩みがエグ過ぎてしんどい。今すぐ死にたい」と返信してしまった。送信ボタンを押した直後、後悔が一気に押し寄せた。突然友達から「死にたい」なんてメッセージをもらったら動揺してしまうだろう。

すると、1分もたたないうちにスマホの画面に通知が表示された。

「今から一緒に高速に乗ってどっか行かない? かなりの確率で死ねるよ?(笑)」

彼女は免許取り立てだったのである。そのあと、彼女は車で私をランチに連れ出してくれた。同情するでもなくそれでいて優しく、ユーモアのある最高の慰め方をしてもらったと心から感謝している。

「うれしかったこと日記」でポジティブになるには無理がある

私も彼女のようなトンチの効いた慰め方をしたいと思っていたところ、タイムリーにも男友達から

「俺は本当にダメ人間だ。元彼女には死んでほしいと言われたし、自分も死んだほうがいいと思ってる」

と愚痴をこぼされた。

ここはひとつ生きる希望があふれるようなグッとくるコメントをしてあげたい。考えあぐねた結果、口をついて出てきたのは

「道端にゴミをポイ捨てするようなダメ人間がいるから清掃員がお給料をもらえる。ダメ人間が清掃員の生活を支えている。だから、どんなダメ人間にも生きている価値はあると思う」

だった。我ながらなかなかいい出来だと思ったのだが、めちゃくちゃキレられただけに終わってしまった。慣れないことはするもんじゃないと思った。

「きっと本当の悲しみなんて自分ひとりで癒やすものさ」と渡辺美里も歌っていたように、

基本的に悩みは自分で解決するものだと思っている。だから、私は悩んだときにはいつも自力でなんとか乗り越えようと試みる。

書店に走って「ポジティブに生きるために今できること」とか「心が軽くなる100の言葉」みたいな本を片っ端から手に取ったり、ネットで自分と似たような悩みを持つ人の人生相談を漁ったりするのだ。

その中に「手帳に毎日うれしかったことを無理しても書こう。そうすれば、目がそういうものになっていく」というハック術を見つけた。うれしいことだけに注目すれば、おのずと毎日が楽しいものになっていくはず、という理論である。

これなら簡単だし、即効性もありそうだ。早速、手帳を購入して「うれしかったこと日記」をつけはじめた。

初めのうちは

「可愛いネコを見た」

「国産霜降肉が半額だった」

「『え? 30代じゃないんですか?』と言われた」

など書くことがいろいろあったのだが、そんなに毎日毎日うれしいことは起らない。一週間もすると

「めちゃくちゃデカいウンコが出た」

くらいしか書くことがなくなってしまい、むしろ死にたさが加速してしまった。

そもそも私にはこの手の「現実逃避型ポジティブ」は向かないのだ。

視点を変える、今に注目することで悲しみをやり過ごす

視点を変えることは大切だ。

悲しみや苦しみにとらわれ過ぎて視野が狭くなると、追い込まれるあまりどうしても頭の中に「死」がちらつきはじめてしまう。そんなときには物事を別の角度から観察してみると、新たな発見をすることがある。

この前、とても悲しいことがあって地獄みたいに泣いたのだが、翌朝起きると悲しみがすべて怒りに変わっていた。

「悲しみ」も「怒り」もネガティブな感情には変わらないが、不思議なことになんだかとても気持ちが楽になった。悲しみは自己否定だけれど、怒りは「私は正しい。お前ら全員バカ」という自己全肯定から生まれる感情だからかもしれない。これは新たな発見だった。死にたくなったらとりあえず怒ってみるといい。怒りは時として生きる力になるのだ。

そして一番大切なのは、「今」に注目することである。

悩みの大半は「過去」への執着や「未来」に対する不安だ。過去を変えることはできないが未来は変えることができる。「今」の積み重ねが未来につながると考えれば、何をすべきか自ずと見えてくるだろう。そして、大まかな道筋が見えたのなら、もう細かいことは気にしない。足元の小さな砂利を気にして「歩きづらい」と絶望するのではなく、目の前に道が開けているなら視線を高くして前に進めばいい。幸も不幸もすべては己の視点に左右されるのである。

と、ここまで書いていて、ふと、近頃あまり死にたくならないことに気がついた。

昔は、ツラいことがあると食事も喉を通らず、悲しみを反芻しまくっていたものだが、最近はネガティブな感情を持続する体力がないのか、だいたいのことは一晩寝ればどうでもよくなってしまう。おそらく、記憶力の低下も原因となっているのだろう。老化現象は忌み嫌われるものだが、この一点において年を取るのも悪くない。

20歳を超えると毎日、10万個の脳細胞が死んでいくらしい。つまり、普通に生きているだけで、徐々に記憶保持能力がなくなっていくというわけだ。中年のみならず、若い皆さんの悩みも日々、脳細胞と共に“物理的に”死んでいる。「やまない雨はない」とは言わないが、事実として毎日雨量は減っているのだ。そう考えれば、明日に対してほんの少しだけ前向きになれるのではないかと、私は思うのである。

この記事を書いた人

深爪

深爪(ふかづめ)

コラムニスト/主婦。2012年11月にTwitterにアカウントを開設。独特な視点から繰り出すツイートが共感を呼び、またたく間にフォロワーが増え、その数16万人超(2019年2月現在)。主婦業の傍ら、執筆活動をしている。主な著書に「深爪式 声に出して読めない53の話」「深爪流 役に立ちそうで立たない少し役に立つ話」(ともにKADOKAWA)。また、女性セブン(小学館)にて隔週コラム「立て板に泥水」を連載中。芸能、ドラマ、人生、恋愛、エロと、執筆ジャンルは多様。

Twitter:@fukazume_taro