大人の課題図書

Dybe!世代におすすめの一冊を、複数の書き手が読み、それぞれの解釈でインスパイアされたことを書き綴る「大人の課題図書」。

今月は『漫画 君たちはどう生きるか』。主人公のコペルくんはおじさんとのやりとりを介し、人生の教訓や人間としてどうあるべきかなどを学んでいきます。

今回はライターのひらりささん、内科医のFujiponさん、ライターの大木亜希子さんに読んでいただきました。

勉強するのが苦じゃない子どもだった。物心つかない頃から、街なかの看板を一生懸命読み上げては親に正解を聞いたり、「公文式」の学習教材をコツコツとこなしたりして育った。

成績は良かったわりに、協調性がなくて怒られ続けていた。通知表には延々と「人の話を聞かない」と書かれてきたし、スイミングスクールでは「列にちゃんと並ぶ」が守れずに最低クラスからしばらく上がれなかった。

そんな特性では公立中学ではやっていけないのではないかと心配した母親の勧めで、中学受験をした。校則が4つしかない、考えうるかぎり最も自由な中高一貫女子校に進学したが、フリーダムさを前提としたコミュニティでも人間社会のコミュニケーションルールは当然存在している。

それを理解できないまま就活で爆死し、他者となんとか折り合いをつけられるようになったのは、結局社会人になってからだった……という話を綴ったのが、以前Dybe!に寄稿した『かつて面接に「うさ耳パーカー」で臨んだ私が、今だから言える「自分らしさ」のこと』だ。

おかげさまで反響があったからか、今回、『漫画 君たちはどう生きるか』を読むという企画の提案をいただいた。

10代の子どもに向けた本だよね?

ベースとなっている古典『君たちはどう生きるか』のことはもちろん知っていたし、読んだことがある。といっても、公文式か学校の教材で一部を精読したというだけで、「まあ何となく知ってるし、あくまで子ども向けのものだろうなあ」と決めつけていた。『漫画 君たちはどう生きるか』がこんなに売れているのも、10代の子を持つ親による需要なんだろうと思っていたくらいだ。

だから、自分で『漫画 君たちはどう生きるか』を読んで、初めて自分の認識の間違いに気づいた。そこには、大人として社会で働き、生きていくうえでのヒントとなる考えが、散りばめられていたからだ。

主人公の本田潤一は、旧制中学の2年生。大きな屋敷で不自由なく暮らし、学業も優秀で、母親もやさしく穏やか。しかしすでに父親を亡くしており、その寂しさをほんのりと抱えている。そんな中、母の弟であり、元編集者の「おじさん」が近所に引っ越してくる。潤一は、学校生活や日常の中で感じた、社会に対する疑問や自分の考えをおじさんにぶつけるようになる。おじさんはそんな潤一の思索を評価し、彼を「コペル君」と呼ぶようになり、積極的に話し相手になっていく……。

『君たちはどう生きるか』の原作・漫画に共通するあらすじは、だいたいこんな感じ。

コペル君は、クラスでいじめられている同級生・浦川くんや、彼を助けようといじめっ子に立ち向かったせいで上級生に目をつけられてしまうガッチンなどとの関わりを通じて、「自分はこの社会でどんな役割を果たせているか」と考えるようになる。

「大人になったら」が今でも実践できない

コペル君が抱く問いの数々を、子どもの頃にちらっと読んだ時は「大事なことだなあ」とうなずきつつも、そこまで深く考えずにスルーしてしまっていたように思う。というのも、それぞれの家庭の教育事情にもよるだろうが、10代の頃の私は、「親が頑張って働いたお金で学校に通っているのだから、自分は頑張って勉強していい成績を取るのが一番の仕事」と思っており、他のことは「その先」で考えればいい、実践すればいいと割り切っていたからだ(それゆえに、就活でうさ耳パーカーを着るなどのトンチンカンぶりを発揮していくわけなのだが)。

現在、30歳になった私はすでに「その先」を生きている。生きているのだけれど、改めて漫画で読んでみて、子どもの頃は「大人になってから考えればいい・実践すればいい」と思っていたことの数々を、自分がたいして深められないまま生きているな、とちょっと恥ずかしい気持ちになった。

でもぶっちゃけて言えば、本書で描かれているような問いに対して、ぶれない回答を心に持ち、日々実践できている人間、大人であっても少ないんじゃないだろうか。

たとえば。

人から理不尽な仕打ちを受けている人に手を差し伸べられるか、とか。
経済状況が違うために苦しんでいる友人に何ができるか、とか。
長年当たり前とされている常識にどう抵抗するか、とか。
他人の信頼を裏切ってしまったあとどうするべきか、とか。

たぶん頭の中では「こうあるべき」と自分の倫理を持てていても、いざ現実でそういったシチュエーションに直面すると、その場しのぎの振る舞いをしてしまう人はたくさんいて、私にも残念ながら身に覚えがある。きっと、この文章を読んでいる人にも、心当たりがあるのではないかと思う。

大人として生きていくために

それはきっと―—現代で働くいち社会人として思うのは―—道徳心が育ってないからというよりは、みんなあまりにも「余裕がない」からではないかと思う。選挙に行く時間が取れなかったり、最新の社会問題を知らなかったり。自分が暮らしていくのに働くのにいっぱいいっぱいで、それ以外のことに鈍感になってしまうような例が、山ほどある。

実際、原書『君たちはどう生きるか』発刊の経緯を調べても、1930年代の日本で、軍国主義による閉塞感が高まる中に書かれたそうで、まさに「余裕がない」大人たちが蔓延していたからこそ、子どもたちにメッセージを伝えようとしたのだろうと思う。

余裕なく常識を疑わずに生きてるんじゃつまらなくない? だって人間として生きてるんだから、ということが、本書が投げかける最も根本的な問いだろう。

僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。

だから誤りを犯すこともある。

しかし―—

僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。

だから、誤りから立ち直ることもできるのだ。

そして、コペル君、君のいう「人間分子」の運動が、ほかの物質の分子の運動と異なるところも、また、この点にあるのだよ。

(『漫画 君たちどう生きるか』299ページより)

最近、「自己肯定感」という言葉が流行っている。かいつまむと、自分の人生を幸せと感じるには、他者に頼らず、自分で自分の機嫌を取れることが肝要という論だ。

これ自体は完全にその通りで、家族や恋人、友人、(そして仕事)など外部の要素に「肯定」を求め続けている人は、歳を取るとともにバランスを崩してしまうだろう。

ただ、「生きているだけでえらい」「自分のやれることをやっていればよい」というのは、重要なことだけど、やっぱりあくまで最低限度の話だなあとも思う。

「大人」として生きていくには、他者や社会に対して何ができるかということを―—今すぐ何かできないにしても―—考え続ける姿勢を持たなければならないなと、本書を読んで再確認した。逆に言えば、その姿勢がありさえすれば、いつだって大人なのかもしれない。

余裕がない人こそ、一度立ち止まって「自分が何をしたいか」を考えるために、この本を読んでみてください。

この記事を書いた人

ひらりさ

ひらりさ

平成生まれのアラサー腐女子。BLと酒を主食に、会社員のかたわらライター活動をしている。同人サークル「劇団雌猫」としての企画・編集・執筆も行っており、近著に『一生楽しく浪費するためのお金の話』がある。

Twitter:@sarirahira