自分が天才ではないと気づいたのは29歳の時。あまりにもそれは遅すぎた。

2011年。プレゼンターとしてノリと勢いだけで参加したとあるイベントで、僕はとんでもなくスベった。自信たっぷりで披露した企画だったのに150名の客は誰も笑っていなかったし、その沈黙に耐えきれず何人かは壇上の僕から目をそらした。

会場の空調の音が聞こえる。わきの下から汗が吹き出る。深呼吸をして気持ちを整えようとしたら、左肘がテーブル上のコップを倒した。あわててその水を拭きながら気づく。

「どうしよう、俺って天才じゃなかった」

他者に対し、なけなしの狂気をちらつかせながら陶酔していた29年間。それが本物の狂気でなかったとしても、それでも僕は天才になりたかったのだ。

天才だと信じていた29年間

「あんたは天才よ」

子どもの頃、チラシの裏に描いた絵を見て祖母は言った。不幸にも、その言葉をそのまま鵜呑みにして大人になったのが僕だった。

社内でも社外でも会議には天才として参加した。同僚たちはきっとそんなメッキに気づいていたとは思うけれど、僕の周りはたいていが優しい人間ばかりで、薄ら寒い芝居にもちゃんと付き合ってくれていた。たまに意地悪な人がメッキを剥がそうとしてきたこともあったけれど、そんな時は静かに笑ってやり過ごした。天才は皮肉や批判には動じないし、それは天才ゆえの災難だと信じていたからだ。

ホワイトボードにさまざまなアイデアが並び、課題も見え、本日の会議が目指していたゴールへなんとかたどり着きそうだ。固い表情だった出席者たちの間にも笑顔が生まれる。

しかしそれまで黙っていた僕が、和んだ空気を裂くように発言する。

「あの……そもそもこの企画って本当に必要ですかね?」

今ならわかる。まとめに向かう会議の終盤で「そもそも論」を切り出す奴なんてのは、たいていが空気の読めない自己愛強めのかまってちゃんだ。迷惑極まりない。せめて序盤で言うべきだ。己の奇才ぶりを演出したいがために、たくさんの人の時間を無駄にする問題児。他者の発言を遮り「もう少しで見えそう」などと嘯(うそぶ)く。僕はちゃんと重症だった。

サカイエヒタ
友人と。(2019年)筆者は左

僕はジェネリックな天才になろうと決めた

しかし冒頭の通り、29歳の春に自分が本物の天才ではないことを知った僕は、それをきっかけに会社を休職して引きこもってしまう。石を拾ってコレクションするという奇怪な趣味に没頭し、当時付き合っていた彼女はそんな僕に呆れてホストにハマってしまった。そこにいたのは、天才にもなれず凡人にもなりきれぬ、哀れで醜いかわいい29歳の男だった。

しかし、引きこもりから9カ月目にふと思いつく。

「本物の天才にはなれなくても、天才のトレスならできるのではないか」

社会が必要とする、刺激少なめのジェネリックな天才。会議を中断せず斜め上な意見をくれて、「どうしたらそんな風にアイデアが生まれるんですか」って聞かれたら「シャワーを2回浴びるんです」などと当たり障りのないことを言える天才。急に怒り出したり、サプリメントだけで生きたり、黒板に数式を書き出したりはしないカジュアルで廉価な天才。

僕はそれまでコレクションしていた石を全部捨てた。

ジェネリックな天才の作り方

ジェネリックな天才になるべく、職場復帰した僕がまず行ったのは本物の天才の観察だった。彼らの生息地はだいたいが企画プレゼンの行われる会議室である。

某大手広告代理店に勤めるA氏はとにかくそのプレゼン方法が奇天烈だ。そこがクライアント先の会議室であっても、靴と靴下を脱いで裸足になり、手製の紙芝居を1枚ずつ床にめくり捨てながら企画を説明していく。その異様なプレゼン方法にクライアントは圧倒され、いつのまにか彼の流れに飲まれていた。そんな場面をかたわらで何度も見てきた。

しかし彼の企画内容自体は正直そこまで目新しいものではなく、どちらかといえば保守的で手堅い企画が多い。それでもクライアントが満足そうにプレゼンを聞き終えるのは、彼が裸足でプレゼンを始めるという「つかみ」が効いているからだろう。しかもその内容は見た目に反してまともなのだから文句が出ない。

なんとか彼のプレゼンを真似したかったが、裸足でプレゼンするなんて凡人にはハードルが高すぎる。

サカイエヒタ
友人と。(2019年)筆者は左

そこで僕は、人と会う際に事前に課題や相談内容をヒアリングすることをやめ、会ってからその場で課題を聞き、アドリブで突飛なジャストアイデアをひとつ渡すように心がけた。慣れないうちは、汎用性の高いアイデアを5パターンくらい用意しておけばだいたい対応できる。そのアイデアが出るスピードが早ければ早いほど「つかみ」となり、天才っぽさを演出できるのだ。

この場合、アイデアは大掛かりであったり現実的には実行不可能であったりする方が受けが良いこともわかった。そんな状況で出る馬鹿らしい極端なアイデアは、許されるどころか歓迎される。そしてその後は落ち着いていつも通りの現実的なアイデアで詰めていくとなお天才っぽい。

また、相手次第で企画書を2パターン用意するずる賢い技も覚えた。相手の性格や要望をヒアリングしながら流れを汲んで、より希望に近い方の企画書を出す。もちろん相手にはもうひとつの企画書の存在は明かさないように。さも「予想通りです」といった澄まし顔で話をはじめれば、これもまた即席で天才になれる(「今すごく天才っぽいな…」と陶酔することも大切です)。

そんな試行錯誤の数年を過ごしながら、33歳になる頃にはジェネリックな天才として大小さまざまな仕事をこなせるようになった。いろんな現場で、いろんな人から「さすが。天才ですね」と冗談交じりで言われ、「天才ですみません」と謝った。

しかし、この人生で手に入れたものを振り返ると、僕はどこまでいっても天才を演じる凡人であることを痛感する。

サカイエヒタ
友人と。(2019年)筆者は左

凡人であることの尊さよ

天才に憧れ、天才を演じながら生きてきた僕が手に入れたものといえば、妻と子どもたち、猫2匹、住宅ローンで購入した自宅、中古の国産車だ。昭和の時代から引き継がれたゴリッゴリの「普通の生活」。天才のふりをして手に入れたのは、紛れもなく普通の生活だった。ああ、やっぱり俺は凡人なんだな……と、風呂の追い炊きをしながら思う。

ここ最近、働き方や生き方が多様化してマイノリティな生き方こそが「豊かさ」としてアップデートされた感がある。凡人であることの劣等感。さも自分は「特別な人間」なのだと見せつけて生きなければ、「つまらないやつ」と忘れ去られてしまう。そんな風に怯え、無理して普通でない姿を装っている人は、僕だけではないのではなかろうか。

たしかに世の多様化は喜ばしいことだが、だからといって己の生き方をわざわざ多様化させる必要なんてないのだとも思う。数ある選択肢の中から、それでもこの「凡人」の生き方をわざわざ選ぶことは、とても尊い。不安ならリクルートスーツで面接したっていいし、無理してフリーランスにならなくてもいいと思う。カラフルなランドセルの中から、黒や赤を選んだっていい世の中が僕は好きだ。

会社を起こした際も、天才ではない人が胸張ってものづくりできる会社にしたかった。「特別な才能がない」と下を向く人ほど採用してきたつもりだし、事実弊社には天才が1人もいない(言い切れる)。

サカイエヒタ
友人と。(2019年)筆者は左

僕は天才ではなかったけれど、自分を天才だと鼓舞し、騙し、陶酔し、天才と凡人のいいとこ取りをしてなんとか毎日を楽しく生きることができている。それは天才として生まれてこなかった人間に与えられた、なけなしの、最高の才能なのだと思う。

この記事を書いた人

サカイエヒタ

サカイエヒタ

1981年横浜生まれ。株式会社ヒャクマンボルト代表取締役社長。2011年に「MacBook Airで八宝菜を作る」という記事と動画が大ヒット。WEB制作会社、出版社、編集プロダクション、フリーライターを経て、2016年8月にコンテンツプロダクションとして株式会社ヒャクマンボルトを創業。一般的な編集業務をはじめ、ディレクションやコンテンツ企画、コンサルティング、地域活性プロジェクトの講師(青森県庁主宰)などを手がける。代表的な企画に、失恋するとカット代がタダになる「失恋美容室」や「AV文字起こし」など。2019年、初の編集担当本として『FANZA BOOK』(スモール出版)を発売。

Twitter:@_ehita_