「キャリアの話」をするのが、一番憂鬱だ。寄稿依頼をいただいて「書きます」と応えたものの、もんのすごく憂鬱で筆が進まない。声をかけてくれた編集部の方ごめんなさい。最初に懺悔します。

周りを見渡すと「これから生き残るのは○○な人材」だとか、「20代のうちに経験しておくべき○○のこと」とか、「稼げる人と稼げない人の違い」など、「バズらせてやろう」という意気込みを感じるサムネやタイトルをよく見かけるけれど、そういう考え方から醸し出される独特の空気感が苦手だ。

全部が全部とは言わないけれど、キャリアには“上”と“下”があるという「上昇志向」が暗黙の前提となっており、勝つための正解ルートを辿れば“上”にいけるのだ、という、自分の人生をコントローラブルなゲームみたいに捉えた言説が多いように思う。

上昇志向の“上”ってどこ? “下”ってなに?

そもそもみんな、どこへ「上昇」しようとしているのだろう。年収がいくらだとか、最年少で○○に抜擢みたいな、「より多く、より早く」の尺度が煽り文句としてまかり通っているが、上がるだの下がるだの、その基準はどこにあるのか。たまに逆張りネタとして「出世コースからドロップアウトしたけど幸せです」みたいなコンテンツが差し込まれるのを見かけるけれど、なぜそれを勝手に「ドロップアウト」と称されねばならないのだろうか。

これらの疑問にはあまり触れられないまま、みんなそこで踊っている感じがして、一種の「社交場」なのかなという空気さえある。

本人が望んでやっているならいいんだけど、そもそも本当に自分はそうありたいんだっけ? なんとなくキャリアに悩んでいて、色んなメディアやイベントでキャリア論を摂取しまくっているのにどうもしっくりこない、という人は、まずもって根本から問い直してみるのも手かもしれない。

現時点で「達成したいビジョンが明確にある」という人は、それでいい。この記事を読む必要はないし、そもそもタイトルからしてクリックしていないだろう。あらゆるリソースはビジョン達成のための手段と捉えて、超目的思考で最短距離を駆け抜ければ良い。自分にとっての最適なメンターや情報源をコーディネートできるだろうから、巷の言説に煽られることもないだろう。

ビジョンが具体的にあるわけではないけど、「競争に勝つこと」「成長実感を得ること」そのものがポジティブに機能する人も、ひとまずはそれでいいと思う。「成功者」のノウハウをどんどん摂取して、自分の職場における評価軸の中で“上”を目指せばいいし、快楽が増えるのは悪いことではない、かもしれない。いつかどこかで、それだけでは立ち行かなくなったり、しんどさが勝ってきたり、そもそもの前提を疑ったりしたときは、お役に立てる日が来るかもしれないが、ここまで読み進めてピンと来ない場合は、ブラウザを閉じてもらって構わない。

働く上でのやりがいや意味、ビジョンやミッションを大事にしていきたいけれど、いま現時点で自分にとっての「それ」が何なのか、まだ見えていない人。それが見えないうちは、しゃかりきに働いて競争に勝っていくなんて、とてもじゃないけど耐えられないという人に対しては、本記事が役立つかもしれない。

巷のキャリア論には馴染めないけど、それとは別の価値基準を確立できているわけでもない。とはいえ人生は続くし、働いて食っていかなければならない中で、このままでいいんだろうか? と不安に思っている……そういう人たちのために書こうと思う。

「計画」も「予想」もしない。差し伸べられた手をつかむ

これから提案したいのは、「人生の半分を“他者”に委ねてしまう」というやり方だ。

筆者は現在32歳。ソーシャルセクターの企業で、現場の対人支援、採用、メディアの立ち上げから運営、研究開発…と、毎年部署や役割が変わりながらも6年目を迎えた。副業OKの会社なので、傍らでこうやって文章を書いたり、他のNPOや企業の運営に携わったりもしている。昨年体調を崩したことをきっかけに、自分にADHDの傾向があることが発覚したり、心身に波がありながらもどうにかこうにか食っていけている。

よくここまで生きてこられたなぁという気さえする。所属や仕事内容については、自分自身で「やる」と選んだものの、そのいずれも「計画」や「予想」はしていなかったし、節目節目に、周りの人から「これやってみない?」「一緒にやらない?」などと差し出された手をその都度つかんできた結果のキャリアパスだ。受け身と言えば受け身である。ただ、それがかえって良かったのかなと思う。

実は20代の頃、「所属企業」「業種」「職種」といった、いわゆる名刺の肩書になるような切り口でのキャリアイメージが全く湧かなかった。就職活動においては、志望動機や達成したい目標といった“To Do”の観点から質問が多く投げかけられるが、どうもそれがしっくりこない。入った大学の性質もあってか、同級生たちの多くはいわゆる一流企業や官公庁等に就職していったが、僕はというと、いろいろこじらせた結果、就職活動もろくすっぽやらなかった。

かわりに、自分がどうありたいか、ありたくないかという“To Be”の価値観にはこだわりが強かった。本を読んだり、人と会ったりしながら、こういうことを大切にしたい、こういうふうに人とかかわりたい、こういう生き方はしたくない、ということはよく考えていたし、学生時代から、そうした思考の断片を、折に触れてブログやSNSに書いては放流していたこともある。それは1円にもならなかったし、まわりの同級生からすると、「こいつ、いつも悩んでんな」という感じの不器用さんだったと思う。

ただ、そんな僕のことを面白がって見てくれる先輩たちがちらほらいて、その人たちがその時その時の自分にとって実りある経験をもたらしてくれていた気がする。

シューカツは1度もしていないけれど…

大学の学部卒業は2011年。みんなが就職していくなか、僕はひょんなご縁から宮城県の石巻市へ。東日本大震災後の沿岸部で、地元の人たちの新たな仕事をつくるプロジェクトに参加することになり、現地で暮らして働かせてもらっていた。

そこに連れて行ってくれた人は、大学卒業後に全国の集落を旅した結果、地域づくり関係の仕事をフリーでやることになった不思議な人だ。「卒業していきなり20万も30万も給料が入ることがしっくりこなくて、ゼロから10万までの手応えを自分で持ちたかった」という。行き先も決まらずカネもないのにこれからどうしたものかと途方に暮れていた僕にとっては、「ああ、ゼロから始めればいいのか」と、自分の所在なさをポジティブに捉え直すきっかけとなった。

石巻でのプロジェクトを立ち上げて1年ほど経った頃、その歩みをまとめた書籍をクラウドファンディングで出版しようということになった。もともとブログをよく書いていた敬意もあり、「ゆうへい、文章好きなら、本の中身をメインで書いてくれ」と彼に提案されたのだ。それがきっかけでご縁がつながり、いくつかのメディアや雑誌で、ライターの仕事をさせてもらえることになっていった。

今の会社はというと、大学の先輩から声をかけられたことがきっかけだ。「障害のない社会をつくる」というビジョンを掲げ、株式会社という形態で「事業活動」を通した社会課題の解消に挑戦している、ユニークな立ち位置の会社だ。

大学の学部時代から接点はあったのだが、東北での仕事や海外留学などを経て、3年越しに入社。「君はフリーでもやっていけると思うけど、ビジョンや理念を大事にしながら組織を大きくしていくという、一見矛盾することを経験してみるのも面白いと思うよ。合わなかったら辞めてもいいし」と、自分のこれまでの遍歴やこじらせ具合も知った上で手を差し伸べてくれたので、まぁ1回やってみるか、と入社を決めた。

入社してからも、発達障害のある子どもたちの支援、研究所の立ち上げ、新卒採用、新規事業でのメディア立ち上げ…と、色々な仕事を経験した。とはいえ、自分から特に具体的な希望を出していたわけではない。その都度その都度、目の前の仕事をやっていたら、ある日、機会がやってくる。

「こういうこと始めたいんだけど、どう? やってみる?」

「はぁ、そうですかぁ…うーん、やってみます、やります」

いずれの転機も、「計画」や「予想」して対処できるものではなかった。自分にとって未知の世界、苦手だと感じる仕事もあったが、振れ幅はありつつも点が線に繋がりながら、どうにかこうにかやってきた。

生き方の“To Be”にはこだわって、あとは流れで

振り返ると所属や仕事内容が大きく変わるタイミングには、いつも「外」からの影響が大きかったことに気づく。自分のことをよく見てくれている人たちが、そのときの自分に足りないもの、自分に見えていないものに気づく機会を与えてくれた。

人間は多面的な生き物だ。自分のことは自分がよく知っているようで、他者から見た方がわかりやすい「盲点」がある。僕が良い機会に巡り合えたのは、少なくとも自分が見えている範囲、考えていることについては言葉にして発信してきたからだと思う。その分、周りからすると「こういうことしたらもっと良いのにな」「こういう経験を積んだら良さそう」という刺激のしどころがわかりやすかったのだろう。

未来に何をするかという“To Do”は決められなくても、これから先どうありたいかという“To Be”を表明しておけば、自分のことをよく見てくれている人が、次の1歩を提案してくれることもある。

人生の半分を“他者”に委ねると書いたのは、そういう意味だ。

「キャリア」という言葉の語源は、車輪の通った跡、すなわち轍(わだち)だという。巷のキャリア論の中には、キャリアを大きな建築物のようにとらえ、すべて自分で石を積み上げてつくるものかのような語られ方もあるが、車輪の轍というのは、車が通った「後」を振り返ってはじめて見えるものだ。

先回りの計画は立てられなくても、どうありたいかの“To Be”さえ間違えなければ、周りから差し伸べられた手をしっかりつかむ「主体的な受け身」というキャリアもありだと思う。

この記事を書いた人

鈴木悠平

鈴木悠平(すずき・ゆうへい)

文筆家・インターミディエイター®。

LITALICO 社長室 チーフエディター / NPO法人soar 理事。

1987年生まれ。一人ひとりが<わたし>の物語を紡いでいける社会を目指して、執筆・編集業を中心に活動。

現在は、株式会社LITALICOおよびNPO法人soarでの事業運営や文筆活動を通して、障害や病気、その他さまざまな要因で生きづらさを感じている人たちとかかわりながら、人が物語を通して回復していくプロセス、<わたし>と<あなた>の物語が響き合うなかで新たな希望が見出されるプロセスの探求、伴走、創出をこころみています。

Twitter:@YuheiSUZUKI