2018年、春。同年代たちが新社会人になった。

18歳から一応、社会人デビューをした私は今年で5年目、ライターとしては3年目に突入した。

「ネットで有名になりたい!」から始まったライター生活は、ありがたいことに軌道に乗り、そこから派生して地上波のテレビ番組出演や、書籍の出版にも至った。もちろん、はじめからうまくいっていたわけじゃない。一記事あたりのギャランティも最初は小学生のお小遣い程度だったし、今でも執筆に手が詰まると「この仕事に向いてないのかな…」なんて弱音を吐くこともある。

何よりも、社会人の先輩として尊敬している父親への後ろめたさも大きかった。

父親にはマドカ・ジャスミンの存在を隠していた

マドカ・ジャスミン

物心がついた時から、父親のように「いい学校に入り、いい会社に入る」という目標を抱いていた。両親の離婚で叶わなかったけど、中学受験もしたかった。

高校は父親の出身校より偏差値が高い学校へ入学できたものの、学校生活はひどいものだった。捨て身で挑んだ大学受験の結果は、全落ち。父親からしてみれば、期待外れかつ、何より好き勝手やったあげく、“働く”に逃げたと思われているのだろうといった負い目を拭えずにいたのだ。

父親は、私と真逆の働き方をしている。国立大学を出て、いわゆる大企業に入り、52歳になった今でも常に意欲的に日々働いている。もっと言えば、サラリーマンとはいえ、一貫して“好き”を仕事にしていて、稼ぎを得ている。

学生を経験しなかった私も“書く”という“好き”を仕事にしているとはいえ、彼と比べればまだまだ稼ぎも微々たるものだ。個人的な価値観から言えば、“好き”で対価を得ていたとしても、それが自分の満足いく額でなかったら、ただの自己満足でしかないと思っている。言ってしまえば、おままごと。

だから、どれだけメディアに出ようが、フリーランスがもてはやされる時代だろうが、いわゆる成功者側にいる父親に「この仕事をしている!」と胸を張るどころか、“マドカ・ジャスミン”の存在すら隠していた。

やれセックスだ、やれ男女関係だをメディアを通して発信していることにポリシーを持っていなかったわけではない。むしろ、仕事として自分の中でのいくつかのルールを設けていたぐらいだ(男性向けAV関係の仕事はしない、あくまで女性視点からの性を表現することが前提etc)。

それでも、世間は好奇の目を向けてくる。誹謗中傷もザラ。思春期時代に避妊の大切さを説いてきた父親だったから、性についての発信を見られるのは構わなかった。父親との長年にわたる信頼関係があったからだ。

だけど、娘が得体の知れない誰かから攻撃され、笑いものになっている状況を見てほしくなかった。私が傷つくのはいい、どんどん来い。でも、それを見て悲しまない親はいない。自分の願望を叶えるために創造し、できあがっていったマドカ・ジャスミン。それは、自分を守る盾でもあり、周りの人間を傷つけてしまう可能性をはらんだ諸刃の剣でもあった。

とはいえ、親も馬鹿じゃない。気がつけば、Twitterもブログもバレていた。

発信内容もそうだけど、ただわがままに生きていると捉えられかねないと思い、話題に自分の仕事を上げることはなかった。が、父親はそうじゃなかったらしい。

マドジャスの父は、“マドカ・ジャスミン”をどう受け止めたのか

今年のお正月、久しぶりに実家へ顔を出した。毎年この時期は、食卓がやたらと豪華になる。この日、食卓に並んでいたのは、一枚一枚フィルムに包まれていた牛肉だった。赤く薄い肉をしゃぶしゃぶ鍋に潜らせながら、父親から知人に私のブログを読ませているという話を聞いた。それも嬉しそうに。びっくりした。

自分の仕事が認められていたのだ。

彼は言う。「お前のことを誰よりも信頼してるからこそ、歯を食いしばって、よくやってると思うよ」。さらにこう続けた。「親として言えるのは、自分が責任を持って選んだ道なんだから、下手に大金を積まれて信念を売るようなことはしないでほしい」。

思春期の頃から、お互いの本音をぶつけ合ってきた。譲れない部分も、逃げずに向き合って話をしてきた。その積み重ねがあったからこそ、こうして父親は私を娘として、一社会人として認めてくれていたのかもしれない。

元々、仕事を進めていく中で父親がいかに頭のキレる人で、多くの仕事を任せてもらえるほどの信頼を得ているのだと気づくことが多かった。サラリーマンとフリーランス、対価を得るためのアプローチは違えど、共通する部分は少なくはない。

「認められている」という事実だけで、私は仕事に対する価値観を父親と話してみたいと思った。今の私なら、父親と同じ社会人として、対等に話ができる。体当たりライターと名乗っているぐらいだ、思いついたら即行動。早速父親に連絡した。

「父さんと、仕事の話がしたいです」

かくして父親の快諾により、サラリーマン歴30年目の父親とフリーランス歴3年目の娘が初めてお互いの仕事について話すことになった。

父親と「仕事」について語り合ってみた

マドカ・ジャスミン

明くる日の日曜日。実家へ出向き、慣れ親しんだリビングで話は始まった。父親と向き合うと、何だか照れくさい気持ちに駆られた。同時にいつしか進路のことで話合った日を思い出す。うつむきがちでポツポツと一生懸命に言葉を発していたあの頃の自分。もう、そんな自分ではなくなっていた。

真逆な職業スタイルの父親と私だけど、共通するのは、“好き”が仕事なことだ。

彼はインフラに関わる仕事、私は執筆業でまったく異なるけど、お互い何かを生み出すところは似ている。

しかし、大きな組織に入っているか否かは大きな違いだ。

実際に父親が勤める会社の名前は街中でもよく見かけるし、社会的信用だって十分にある。

同じ“好き”で仕事をしていても、後ろ盾があると無いとでは、大きく異なってくる。

父のアイコン

父親

でもね、中には“好き”じゃなくて、どうしても企業名で会社を選ぶ人もいる。

そういう人は、大体2~3年で辞めていくよ。

マドカ・ジャスミン

マドカ・ジャスミン

私の周りにもいるけど、それって起業するからとかが理由じゃなくて?

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父親

いや、起業できる人は最初から自分に自信があるし、何より目的が明確化されてるの。

対して、ネームバリューが目的になってる人は就職できたとしても、働き始めてみたら幻滅してしまう。俺が働いてる業界なんて、特に激務だから顕著なんだよ。

言われてみれば、ネームバリューで会社を選ぶ人とフリーランスやライター志望の人は同じ理屈なのかもしれない。よく疑問に思う。たとえば、「ライターになりたい!」と声を上げる人に「じゃあ毎日SNSなり、ブログから文章を発信してるの?」と聞けば、答えはNOなことが多い。なぜか? ただ“ライター”の肩書きが欲しいだけなんだろう。

ネームバリューで勤め先を選ぶのも、同じ理屈だと考える。新入社員だとしても、大企業の名前を名乗れる…虎の威を借る狐、とも言えてしまうかもしれない。

「対価を得る」ことは、「責任が発生する」ことでもある

マドカ・ジャスミン

マドカ・ジャスミン

いきなり理想と現実の差に激突するわけですね。まさにモラトリアムの強制終了というか何というか。

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父親

理想を胸に秘めているのは良いことだけど、企業に入った以上、社員はお金を儲けていかないといけない。学校じゃないから当然のことだけど、その意識を持ってる若い社員は少ない印象かな。

フリーランスの場合は、自分で動いた分だけ対価を得られる。逆に言えば、動かなければ贅沢はおろか、最低限の生活すらままならない。事実、私が自分自身を仕事にしているのも、それが大きく関わっている。私は、お金が大好きなのだ。

昔から父親に「お前は自分の買い物の時しか甘えて来ないな!」と怒られていたぐらい、お金が大好きだった。だから、固定給ではなく、自分の能力・行動が直接対価に変換されていくこの職業スタイルは自分に合っているとも考えられる。

マドカ・ジャスミン

マドカ・ジャスミン

とにかく!私はお金が大好きなんですよ!愛してる!

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父親

(笑)

マドカ・ジャスミン

マドカ・ジャスミン

人に気持ちを示す手段としても使える素晴らしいものだと思っています。

でも、若い人たちは無欲というか、『お金は汚い!』的な価値観が強いな、と。

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父親

それもだし、逆に言えば、マドカの世代はわかりやすくお金が入ってこないと働かない印象があるね。

仕事の内容以前に給料の額を優先し、対価が見えなきゃ仕事にやる気を出さない。大きな企業に入れば、その分の対価も大きいよ。安定しているし。

でも、その背景を理解しなきゃいけない。

大企業に入る、その企業名を名乗れるようになる。大きなメリットもあるけど、同時に組織の一員としての大きな責任を背負うことになる。もちろん、フリーランスにだって責任はある。いくら個人での活動とはいえ、自分の名前と請け負った仕事には責任を持たなければならない。私の仕事であれば、発信内容で誰かの人生を大きく変えてしまう可能性だってある。むしろ個人単位でそうした責任を背負うとなれば、それはとんでもない重さだ。

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父親

いくら大きな組織の末端だとしても、企業の名前を背負って対価を得ている以上はその重みを日々感じていなきゃいけない。それが個人の信用、社会の信用につながっていくんだよ。

対価の発生=責任の発生。これを理解して社会人生活を送っている人は、果たして何人いるのだろうか。大金を稼ぐことは、それだけの責任も必要となる。責任を果たすには、能力に裏づけられた自信が必要不可欠だ。それは、私でいう今までの執筆記事たちやメディア実績、彼でいうこれまで携わってきた建築物たちに違いない。

能力に自信があるから、難しいとされる仕事にもチャレンジできる。責任を背負っていける。大きな対価を得ていける。対価は、何も肩書きに支払われているのではない。自分の能力に対価が支払われるようになって、初めて自分の肩書きとなるのだ。

サラリーマンより個人事業主や起業家が偉い?

マドカ・ジャスミン

マドカ・ジャスミン

逆に『サラリーマンだと、稼げる額に上限がある』という意見があったり…。

今の時代は何故かフリーランスなどの個人事業主や起業をしている人が偉い!すごい!みたいな風潮があると思うんですよ。サラリーマン蔑視と言いますか。

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父親

サラリーマン以上に稼いでいたとしても、フリーランスはどうしても社会的信用に欠けると見なされがちという現実もあるよね。

サラリーマンなら、企業名を出すだけで銀行がお金を貸してくれるし、それこそ賃貸契約なんてあっという間にすむ話。それがサラリーマンの最大の強みとも言えるかも。

そう。フリーランスは生活において、不自由が生じることも多い。父親の言う通り、私自身も賃貸契約などで悩まされてきたし、サラリーマン以上に稼いでいるであろう有名ブロガーでさえも住宅ローンを組めないことだってあった。

昨年、日本のフリーランス人口は1000万人を超えたとはいえ、社会はまだまだフリーランスに優しくない現状がある。いくらお金を持っていようと、社会的に認められるものが無ければ、家に住むことだってできない。「時代遅れだ!」と思う半面、それが紛れも無い現実だとも捉えられる。

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父親

サラリーマンが蔑視されている時代だからといって、一方的にフリーランスがいいとも限らない。

“好き”を前提にしても、企業に入る利点はたくさんある。社会的信用も得られるし、仕事でミスを犯しても一定額の給料が入ってくるんだから。

マドカ・ジャスミン

マドカ・ジャスミン

ぐうの音も出ません…

もしも今の仕事に疑問を抱いているのなら…

父親との会話を終えての正直な感想は、こんなに頭がいい人だったのか…と改めて驚愕。尊敬し、感謝もしているが、正直な話、根っからの仕事人間でろくに趣味すらない父親を軽蔑していた時期もあった。仕事ばかりで人生を楽しんでいなさそうに見えたからだ。でも、それは間違いだった。

彼は“好き”を仕事にしているからこそ、未だに向上心を忘れず、昼夜問わず、どれだけ苦しいことがあっても仕事に励んでいる。そして、しっかりと会社についても考えている。組織の一員としての立場でありながら、責任の重みを十分に理解していた。だからこそ、娘の仕事も理解し、受け入れてくれたのかもしれない。

現代は、「サラリーマンVS.フリーランス」の図式で盛り上がりがちだ。お金を組織で作るか、個人で作るか。どちらが優れているか、勝っているかなどを言い合うなんて、時間の無駄以外の何物でもない。

私たち親子は、2人とも“好き”を仕事にしている。職業スタイルは似ても似つかないけど、根本にある意思は同じだ。なぜなら、組織の中で働くことが性に合ったか、個人で働くことが性に合ったかのわずかな差でしかないから。

サラリーマンもフリーランスも、どちらにも大きなメリットとデメリットがある。であれば、自分の“好き”や興味のあることを仕事にするに越したことはない。組織が向いていないのであれば個人で、個人で限界があるなら組織でやっていけばいい。どちらだから偉いわけではなく、賞賛されるでもない。そんなつまらない議論をしている最中、“好き”で仕事をしている人はどんどん進化していく。

今の仕事に疑問を抱くなら、つらいなら、自分に問いかけてみてほしい。

「その仕事、好きですか?」

好きこそものの上手なれ。

昔からある一つの真理は、今の私たちにとっても無視できない大切なものだろう。

この記事を書いた人

マドカ・ジャスミン

マドカ・ジャスミン

エバンジェリスト。多種多様な人脈や行動力を武器としたライティング、またSTD(性感染症)やHIV防止啓蒙活動も行う。その豊富な経験とユニークな着眼点から人間模様を中心とした執筆内容が支持されている。雑誌や地上波TV番組への出演多数。

ブログ: マドカ・ジャスミン オフィシャルブログ

Twitter: @mdk_jasmine