大人の課題図書

Dybe!世代におすすめの一冊を、複数の書き手が読み、それぞれの解釈でインスパイアされたことを書き綴る「大人の課題図書」。

今月は『大家さんと僕』。カラテカ・矢部太郎さんと大家さんのあたたかな交流が描かれた実話漫画です。

今回は、文筆家・書評家の三宅香帆さん、ライターのあかしゆかさん、家電女優の奈津子さんに読んでいただきました。

夢中で綴った、亡くなったおじいちゃんのこと 

4年半前、おじいちゃんが亡くなった。

それは、新卒で東京の会社に就職し、地元である京都から離れ「よし、心機一転東京の地でがんばるぞ」と思っていた矢先のことだったので、そして私は家族の中で誰よりもおじいちゃんっ子だったので、そして人生ではじめての身近な人との「別れ」だったので――心にぽっかりと穴が空いてしまったような気持ちになって、おじいちゃんにもう会えないというそのことが、しばらくの間は実感できなかった。

その時、私は当時の自分のブログに、おじいちゃんとの思い出を、記録した。

「謹厳実直、努力と実行」「家族は、大切にしなあかん」「悪い男にひっかかったらあかん」「幸せに、ならなあかん」「ゆかがおらな、わしは淋しい」。

よく一緒に行った宇治のさくらまつり。お餅から作るおじいちゃんお手製のおかき。登るのに一苦労な、清水寺の茶わん坂。それを登ったあとの、夏のかき氷。お正月に食べていた、味が濃すぎる数の子。白いタンクトップ。「腹冷やしたらあかん」と言って渡される腹巻き。家の自販機の、業者からもらえるジョージアのジャンパー。家の前でおばあちゃんのことをひたすら首を長くして待つ姿。

今覚えているおじいちゃんの姿を何かに残さないと、本当にもう二度と、会いに行けなくなると思ったのだ。「記憶の中でいつでも会いに行ける」なんて嘘だと思った。自分の記憶力の悪さをなめてはいけない。すぐに人は、人のことなんて忘れてしまうのだ。そう思って、夢中で書き記した。

私はこのブログを定期的に読み返す。すると私はいつだって、記憶の中でおじいちゃんに会うことができるのだった。

『大家さんと僕』は忘れたくない日常の記録

『大家さんと僕』を読み終わった時に真っ先に思い出したのは、前述のおじいちゃんとの日々を記録したブログだった。

まるで「僕」である作者のカラテカ・矢部太郎さんが、同じような理由で――「矢部さんが大家さんにいつでも会いに行ける」ように、大家さんとの大切な日々を残したのではないか、と思った。そしてその結果、この物語を読んだ人は、別れてしまった(あるいは別れていなくても)大切な人のことを思い出すことができるのだ。私がおじいちゃんに、久しぶりに会いに行こうと思えたように。

『大家さんと僕』のあらすじはこうだ。

ひょんなことから、芸人である「僕」は、50歳も年上の老婦人「大家さん」が1階に住む物件の2階に住むことになり、そこから物語はスタートする。隣人というには物足りず、共同生活というには充分すぎる、ちょっと不思議なその関係性。

そこに描かれているのは、本当にささやかで、けれども宝物のように大切な、大家さんと僕の日常である。

たまに伊勢丹で一緒に過ごすランチの時間。季節を大切にしている大家さんから贈られてくる旬のおすそ分け。「僕」をテレビで見て、役者だと勘違いするお茶目なところ。そして、確実に人生の「終わり」を見つめているその小さな背中。

(c)矢部太郎/新潮社

大切な人との、取るに足らないちょっとした日常。でも、それらこそが、私たちが一番大切にするべきことで、一番忘れたくないことなのではないだろうか。

思い出を何かに残すということ

私は、人生で一番切ないことは、思い出にしたくないような愛おしい日々が思い出になってしまい、さらにはその思い出すらも、時間が経つにつれて色あせてしまうことだと思っている。

『大家さんと僕』には、その誰もが経験する「思い出にしたくないような愛おしい日々」が、矢部さんの見事な漫画の表現力で、まるで真空パックに詰め込まれているような純粋な密度でギュッと閉じ込められていた。だからこそ、本の扉を開くと、私たちは思い出したかったそのことが頭の中にフラッシュバックし、その思い出の「強さ」にいやが応でも感動してしまうのだ。

漫画、写真、動画、文章、手段はなんだっていい。大切な人との愛おしい日々を記録する。そのことのかけがえのなさについて、この本は改めて教えてくれたように思う。

幸いにも私には文章という手段がある。ずいぶんと長い間、そういった文章を書くことからは離れてしまっていた。私も大切な人との日常を、記録していきたいな、と思う。いつかの自分が、ちゃんと大切な人に会いに行けるように。

そんな大切なことを思い出させてくれた矢部さんに、心から感謝を申し上げたい。

この記事を書いた人

あかしゆか

あかしゆか

1992年生まれ、京都出身、東京在住。 大学時代に本屋で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者を目指すように。現在は、ウェブや紙など媒体を問わず、編集者・ライターとして活動をしている。

Twitter:@akyska

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