大人の課題図書

Dybe!世代におすすめの一冊を、複数の書き手が読み、それぞれの解釈でインスパイアされたことを書き綴る「大人の課題図書」。

今月は『大家さんと僕』。カラテカ・矢部太郎さんと大家さんのあたたかな交流が描かれた実話漫画です。

今回は、文筆家・書評家の三宅香帆さん、ライターのあかしゆかさん、家電女優の奈津子さんに読んでいただきました。

不必要なところに時間をかけたくない私たち

「ちょっとめんどくさいな」と思うことから、人間関係は始まるのかもしれない。

『大家さんと僕』(矢部太郎、新潮社、2017)というベストセラーの漫画を読んでしみじみと思う。やっぱり、人間関係って、めんどくさいところから始まるんだな、と。

私たちは普段、めんどくさいものを排除しようと思いつつ生きている。だってめんどくさいという感情はつまり「時間をかけたくない」という意味だ。時間はいつだって有限で、大切で、だからこそちゃんと時間を必要なところにかけられるようになりたい。不必要なところに時間をかけたくない、というか、かけてる暇なんてない。

……無意識的にか、意識的にか、私たちはそう思うようになっている。だからめんどくさい関係は遠ざけられる。大切な人とだけ関わりましょう、遠い人とは関わらなくてよいのです、時間をかけなくてよいのです。そんな言説すら聞こえてきそうだ。

だけど、『大家さんと僕』には、一見めんどくさい関係――つまりは「大家さんと僕」の関係なわけだが――から始まる時間の流れが描かれる。

「僕」は忙しくなかった

想定よりもずっと主人公の「僕」(作者の矢部さんなわけだけど)にかまってくる大家さんを、最初は「少しめんどうだな」と感じる。というか、どう接すればいいのかわからないな、と思う。だけどちょっとずつ大家さんの話の面白さに僕が気づく。なんか気がついたら大家さんと時間を過ごしているなあ、と思うようになる。

そして大家さんと僕は、旅行したりプレゼントをしあったりする関係になる。大家さんが、僕の出ているテレビ番組に出演するようになったり、僕のコントのネタになったりする場面すら出てくる。読者は、最初はややめんどうだと思った関係が、その重みに値するやさしい関係に変わってゆく様を見守ることになるのだ。

すごくいいなと思ったのが、僕が、最初は特に忙しくない時期から物語が始まるところだ。

たしかに、人間関係が生まれる時期というのは、ぶっちゃけ暇で、時間の余白がおおいにあることが多い。知らない他人と関係を始める隙間は、スケジュールで埋まっていない場所にこそ存在する。

すごく忙しく、手帳が予定でびっしりと埋まっているような時には、概して新しい人間関係は「めんどくさい」と感じてしまい、始まらないのかもしれない。

新しい人間関係には余白が必要

『大家さんと僕』を読んでいたら、こう思う方もいるかもしれない。

「えー、なんだかいいなあ。こんなふたりの関係。ここまで濃密じゃなくてもいいけれど、自分にも大家さんみたいな、やさしく見守ってくれる他人がいてくれたらいいのにな」と。

「もし自分のマンションに、こんな大家さんがいたら仲良くなれるかも」とも。

だけど本当は、大家さんと僕がこれだけ近しくなったのは、境遇や環境が理由ではないだろう。僕が、人間関係を生みだす隙間をもって、話を聞いたり話したりすることを怠らない人だったからこそ、生まれた関係だ。せかせかしている人はたいてい他人の話を聞かない。それだけ余裕がないからだろう。でも、それだけじゃ、人間関係の芽は、育ってゆかないんじゃないか。

人間関係は、スケジュールの隙間、あるいは自分の余裕のなかにこそ生まれる。だからこそ、私たちは、その余白を抱く時にだけ、新しい出会いを、関係を、手にすることができるのだ。   

この記事を書いた人

三宅香帆

三宅香帆(みやけ・かほ)

1994年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。大学院にて萬葉集を研究する傍ら、2016年天狼院書店のウェブサイトに掲載した記事が2016年年間総合はてなブックマーク数ランキングで第2位に。現在は会社員として働きながら、文筆家・書評家としても活動している。著書に『人生を狂わす名著50』、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』、『副作用あります!?人生おたすけ処方本』、『妄想とツッコミで読む万葉集』がある。

Twitter:@m3_myk