落語家の桂三度さんは、これまでに何度もキャリアチェンジを重ねてきました。

お笑いコンビ・ジャリズムのボケ担当としてデビューし、コンビ解散後は放送作家に転身。その後、コンビを再結成してからは「世界のナベアツ」というキャラクターでピン芸人としてもブレイクしました。しかし、2011年に突然再びコンビを解散して落語家に。

芸人に放送作家、落語家と気の向くまま仕事を変えているようにも思えますが、キャリアチェンジの裏側にはひとつのブレない理由がありました。

落語家に挑戦したのは「良い芸人」になるため

桂三度(かつら・さんど)。1969年、滋賀県生まれ。1992年にジャリズムのボケ担当としてデビュー。コンビ解散後は放送作家として活動する傍ら、「世界のナベアツ」としてブレイク。2004年にジャリズムを再結成したが、2011年に解散。同年桂文枝に弟子入りして落語家に転身し、芸名を桂三度に改名した。

──「世界のナベアツ」としてもブレイクしていた三度さん。どうして落語家を目指そうと思われたんですか?

桂三度(以下、三度):簡単にいうと、良い芸人さんになるために必要だったんです。僕はもともとジャリズムというコンビで活動していました。コンビの活動は順調で、大阪では割と人気があったんですね。でも、人気が出れば出るほど、自分の中で「これ、違うな」と思って。地に足がついてない感じで、それがずっと嫌だったんです。

──どういうことでしょうか。

三度:芸人として、フワフワしてる感じだったんです。29歳で一度コンビを解散したんですが、そこでピン芸人を続けるのは何か違うなと思って。それでどうしたらいいか考えた時に、放送作家と落語家をやってみるというのが浮かんだんです。

──放送作家と落語家の仕事が「良い芸人」につながる?

三度:放送作家はテレビの勉強になるので思い浮かんだ意味がわかったんですが、落語家はちょっと謎やったんですね。別に落語が好きなわけじゃなかったし。だから、その時は放送作家を選びました。

──放送作家はテレビを追求するための選択だったんですね。

三度:その後芸人活動を再開して「世界のナベアツ」としてテレビに出られるようになった時、「放送作家をやっていて良かったな」と思いました。前よりは地に足がついている感じがしたんです。ただ、まだちょっと浮いてる。この隙間を埋めるにはもうひとつの選択肢にも挑戦したほうがいいと思ったので、落語家になることにしました。

──そういう経緯があったんですね。芸人の道を完全にあきらめて落語家一本に絞ったのかと思っていました。

三度:そうですね、そこは言っておきたいです。年配の師匠方から「落語家はええやろ。安定してご飯食えるから」とか言われるんですけど、僕はそんなつもりはさらさらなくて。良いテレビタレントになるために落語家になったんです。もちろん、落語家としても皆さんに追いつきたい。単純に欲深いんです。

「欲深いから、お客さんにも仲間のお笑いタレントや落語家、漫才師にも好かれたい。だから一生懸命やるしかない」

──欲深いというか、理想が高いのかもしれないですね。

三度:だから安定は求めてないんですよ。安定どころか、めっちゃ儲けるつもりでいますんで(笑)。こんな状況でずっとやってる場合ちゃうわと。ギャンブルみたいな仕事ですから、当てたいですね。

二足のわらじは履けなかった

──落語家になった時、芸人と放送作家の仕事は辞めたんでしょうか?

三度:すべて辞めようと思っていました。ただ、師匠が「修業しながら今まで通りに仕事は続けなさい」と言うてくださったんで、最初のうちは放送作家もやっていたんです。それはたぶん上方落語協会の広報担当みたいな意味合いだったと思うんですけどね。「テレビの会議でいろんな落語家を紹介してほしい」みたいな気持ちがあったようです。

──なるほど。

三度:ただ、前の日に修業して、師匠の重たい荷物をグッと運んで、次の日にテレビ局の立派な会議室で偉そうなことを語っている。このギャップに耐えられなくなって、「もう放送作家は辞めたいです」って師匠に何回か言ったんです。「あかん」って言われたんですけど、最後は黙って辞めましたね。

──2つを両立させるのは難しかったんですね。

「『世界のナベアツ』の時は放送作家の仕事もやってましたけど、破綻しかけていました」

三度:放送作家を始める時もそうやったんですよね。芸人を続けながら放送作家をやるのも可能やったんですけど、ちょっと2つを同時にはできないな、と思って。別に引退したつもりはないんですけど、芸人は休んでいました。だから、二足のわらじを上手く履けるタイプではないってことですね。

不安は100%。収入は10分の1に減った

──キャリアが大きく変わることに不安はなかったですか?

三度:それはもう不安100(%)ですね。誰でもそうやと思いますけど、不安しかないです。でも、僕の場合はラッキーで、不安に慣れてたというか。吉本(興業)入る時も不安だらけで、放送作家する時も不安で、芸人を再開する時も不安で。他人よりはちょっと不安慣れしているのかな、とは思いますね。

──同じ笑いを取る職業ですが、お笑い芸人の経験は落語家に活きているのでしょうか。

三度:思っていたよりこれまでの経験が活かせなくて、しんどい思いをしています。もちろん弟子修行からのスタートで、今も現場によっては下っ端の仕事をやっていて。こういう世界に入ったので、「ルールを守るのが当たり前」と思って踏ん張ってます。

──実際のところ、収入面ではかなり変化がありそうです。「収入が10分の1になった」とのお話もありました。

三度:ほんまにそれくらいになりましたね。お金の面では「なんてもったいないことしてるんだ」とは思います。でも、天秤にかけてそっちを取ったんでしゃあないですね。

「放送作家を辞めて気持ちはすっきりしましたけど、収入の変化はえげつないですね……」

──収入が減って生活は厳しくならなかったんでしょうか?

三度:そこは芸人っていう特殊な仕事なので、あんまりケチすぎると面白くないと思うんです。お金があったら使うし、お金がなくても使って、その分だけ頑張ろう、みたいな感じなんです。僕は吉本入る前も朝から深夜までバイトしてたんですけど、それは休みの日に遊ぶためだったんです。だから、楽しみたいと思ったら人ってなんぼでも働けるんじゃないですかね。

──不安があっても収入が減っても、高い理想を持って頑張れる原動力は何なのでしょうか?

三度:芸人も何千人といますけど、その中で一番きれいな五角形を作りたいって目標があるんです。落語家としては古典落語と新作落語の二刀流になりたいですし、いつかは芸人と落語家の経験を融合させるのが野望です。人それぞれゴールは違うと思いますけど、僕のゴールはそれです。

──それが「地に足のついた芸人になる」ってことなんですね。

三度:もちろんです。背伸びしすぎかもしれないんですけどね。

──落語家に転身されて10年目を迎えました。これまでの選択はいかがでしたか?

三度:年を追うごとに一応マシになっているので、とりあえず今までのやり方は間違ってないんだなと。いばらの道でお金ももうからないですけど、いつかでっかく回収するための道のりだと思ってます。

落語家に転身後は弟子修行からスタート。腰が悪いため、重い荷物は兄弟子に持ってもらうこともあるそう。

不安があっても、自分で選択すれば後悔しない

──世の中には、転職など新しいことに挑戦しようとしても、不安でなかなか一歩踏み出せない人がいます。

三度:うーん……。もちろん不安ですよね。僕がやったのは2パターンあるんです。ひとつは、いったん自分を追い込んでみる方法。放送作家になった時、お金ないのにベンツを買ったんです。そしたらベンツのローン払わなあかんし、ベンツに乗って現場に行くからそれなりの仕事せなあかんし。まあ、全然いい仕事できてなかったんですけどね。よく「クソッ、俺ベンツ乗ってんのに今日もあかんかった」って車の中で泣いてました。

──たしかに、自分を追い込んでしまえば頑張るしかないですね。

三度:もうひとつは、死ぬほど働いて、お金を貯めてから転職する方法。「貯金がなくなるまでに転職先で成功しよう」って考え方はどうですかね。ゲームみたいに、手持ちのコインがなくなるまで挑戦できるって考えたらいいじゃないですか。それぐらいしかアドバイスはできないですね。

──なるほど。まずは挑戦できるだけのお金を貯めておくんですね。

三度:「何とかなるよ」とか簡単なことは言えないですからね。しんどいですもんね。僕が40過ぎて落語の世界に飛び込もうと決めたのは、間寛平さんを見たことがでかかったんです。寛平さんがアースマラソンに挑戦されていたじゃないですか。60過ぎて地球1周を走るっていう。命が危ない病気になって、途中で入院して、手術してまた走る。

僕はその時40ぐらいやったんですけど、「おじいちゃんくらいの年齢の人が、こんなに頑張っている。それ考えたら余裕やん」って思いました。だから、自分よりしんどい人いっぱいおるで、頑張っとる人いっぱいおるで、って思えたら余裕なんじゃないですかね。

──他の人を見て勇気づけられることもあるんですね。

2018年にはNHK新人落語大賞を受賞した三度さん。「やっと落語家としてスタートが切れた気持ち」と顔もほころぶ。

三度:でも、結局、僕が落語家になったのは勘なんですよね。もらった仕事を勘で断ったりしてマネージャーにはすごい迷惑かけてるんですけど、何でも勘で選ぶようにしているんです。

──勘ですか!

三度:昔は、AとBという道があって、本当はAに行きたくても、誰がどう見てもBに行かないといけない状況だったらBを選んでいたんです。それでことごとく失敗してきたんです。

──空気を読んだ選択はダメだったんですね。

三度:それでもう嫌になって、自分の勘に頼りたいと思うようになったんです。失敗しても、自分のせいだからすっきりしますよね。自分で選んでいない道に行って失敗したら、人のせいにしてしまうじゃないですか。

──確かに、自分で選べば失敗しても後悔することはなさそうです。

三度:僕は寄り道ばっかりして、遠回りしてきているんです。でも、このやり方をすごく気に入っていて、自分には向いてると思っているんです。死ぬ時に「よし、OK」って思って死にたいだけなんです。悔いが残らないように生きていけたらいいんじゃないかと思いますね。

桂三度(かつら・さんど)

1969年、滋賀県生まれ。1992年にジャリズムのボケ担当としてデビュー。コンビ解散後は「アメトーーク!」、「笑っていいとも!」、「めちゃ×2イケてるッ!」などの番組で放送作家として活動する傍ら、「世界のナベアツ」としてブレイク。2004年にジャリズムを再結成したが、2011年に解散。同年桂文枝に弟子入りして落語家に転身し、芸名を桂三度に改名した。2018年には「NHK新人落語大賞」を受賞。

Twitter:@katsurasando

取材・文/ラリー遠田(@owawriter
撮影/鈴木勝