たとえば、職場の同僚から「キャバクラに行こう」と無理やり誘われた時。なんとなく嫌な気持ちになったけど、「嫌だ」とは言えない――。そんな経験はないでしょうか。

男性が女性に慣れていることは「かっこいい」。男性が女性に食事を奢ることや、仕事で弱音をはかないことも「かっこいい」。

そんな「当たり前」とされてきた価値観を、疑ったことがない男性もいるかもしれません。

でも、それって本当に「当たり前」なのでしょうか?

そんな答えのない問いを男性の筆者(私)と一緒に考えてくださったのは、エッセイスト・タレントのはましゃかさん。

これまで、「サラダ取り分け禁止委員会」「奢られるより、奢ってみたい! を実験してみたら……」など何気ない出来事を題材にしたエッセイで、性別に関わる不思議に「なぜ?」を投げかけてきました。

「男湯に掃除の女性スタッフが入ってくるのが嫌だ」

──「男性は女性に奢るべき」とか「男性は弱音を吐いちゃいけない」など、「男性は〜するほうがかっこいい」と言われることがあります。でも、本当にそんな価値観が当たり前なのか気になっています。そこで、性別にまつわる問題をユニークな視点で掘り下げてきたはましゃかさんはどう考えているのか、それぞれの経験をもとに話し合ってみたいと思っています。

はましゃかさん(以下、はましゃか):インタビューとしてお話をいただいた時、すごくびっくりしました。どうして女性で、専門知識もない私に? と(笑)。私は当事者ではないので、男性のつらさを知ろうとすることはできても、実際には感じられない。

でも、「性別にまつわるトピック」は以前から勉強したいと思っていたので、今回思い切ってこのテーマに向き合うことにしました。一点だけ、「知識のない女性ひとりが語るインタビューではなく、聞き手であり、いち男性であるライターさんとふたりで体験をもちよる対談という形であればぜひ!」とわがままを言わせてもらいました。

──以前から、「男性が女性に食事を奢るのは当たり前なのか」という論争はありました。とりわけ婚活の現場ではホットなトピックで、全国2000以上の結婚相談所が加盟する日本結婚相談所連盟(IBJ)の公式サイトでも取り上げられています。でも確かに、よく考えてみると、なぜ男性が女性に奢らないといけない空気になるのか不思議です。

はましゃか:私見ですけど、異性愛者の男性が家主として生活費を稼ぎ、女性を経済的にサポートしてきた歴史があるからですかね……? 現在は共働きのスタイルが増えたとはいえ、男女の賃金格差がまだまだ問題ですし、リーダー格の給料を得ている女性も少ないので、男女で食事をすると、「男性のほうが稼いでいる」場合が「女性のほうが稼いでいる」場合より多いからなのかな〜? と思うんですが、どうでしょう? 

知人の男性から、男性どうしの飲み会で誰がいちばん稼いでいるかわからない状況の時、暗に「自分がいちばん稼いでいること」を示すための“払うよ払うよバトル”が起こることもある、と聞いて少し納得がいきました。

──なるほど。“払うよ払うよバトル”が起こるのは、奢ることで「稼いでいること」を示したい男性もいるかもしれないということですね。「奢るのが当たり前」という空気に抵抗を感じつつ、不本意ながらバトルに参加している男性もいるかもしれません。

はましゃか:そうですね。私もやけになって参加したことあります。全然稼げていないのに……(笑)。

対談に先立って、私の話より私の周りにいる同世代のシスヘテロ(※1)男性の話のほうが参考になるかなと思い、「男であることの良さを感じた時」と「男らしさにまつわるいやだった経験」について、聞いておいたんです。

話を聞いたのは、会社員をはじめ、さまざまな職業の方です。年齢的には、20代半ば〜30代前半くらいで、Dybe!の読者さんと近いのではないでしょうか。

──どんな意見がありましたか?

はましゃか:よかったことは、「生理・出産からくる痛みおよび精神の不調がない」「すっぴんの割合が多く(ヘアセットをしなくても許される傾向にある)外出する準備が楽」「いわゆる『悪い男』や『よく食べる』などのステレオタイプに合わせるとモテた・喜ばれた」「スポーツ人口が多い」など。ちなみに、「よかったことは人間として生まれてきたから経験したことで、男性としてよかったことは特にない」という声もありました……(笑)。

いやだった経験は「女性に奢らないといけない空気や、それを感じてしまう」「出張時や飲み会の後に風俗店やキャバクラに誘われた」といった声のほか、「男性というだけで裸になったり、一発芸をやらされる」というものや「痩せていると“ヒョロヒョロじゃん”や“ナヨナヨしている”と体型やしぐさをからわれる」「体力を求められる」「甘いものを頼みづらい」などがありました。

中でも個人的に気になったのが、「銭湯で男湯に掃除の女性スタッフが入ってくるのがいやだ」というものです。話してくれた本人は「男女逆だったらありえない」「同意なく相手に裸を見せている状態や、『裸を見せても平気』という態度を取らないといけないのが嫌」と言っていました。

──男湯に女性スタッフが入ってくるのは確かにありますよね。男女逆だったら、すぐ問題になりますね。

はましゃか:以前も他の男性から、同じように「女性スタッフが同意なく男湯に入ってくるのはやめてほしい」という声を聞いたことがあります。彼らの違和感はずっと見過ごされてきているな、と改めて思いました。「男性の裸は性的なものではない」という前提を、男性たちと女性スタッフが暗黙のうちに了解させられているというか。

──裸で思い出したのですが、中学生の頃、体育祭のある種目で、なぜか男子は上半身裸にならなければいけなかったんです。僕は当時、体型にコンプレックスがあったので「脱ぐのは嫌だな」と思っていたのですが、自分だけ嫌だとは言えない空気があって、嫌々脱いだ記憶があります。

はましゃか:それは嫌な思い出でしたね……。参加する男性が上半身裸になる決まりのお祭りもありますし、裸になりたくない男性に選択肢がない状況って、考えてみると結構多いなと思います。自分の裸をどこまで隠すかどうかとその理由については、その時々で本人が決められるのが理想というか基本であってほしいのですが、選べない状況ばかりですね……。

──あと、「男なら、たくさん食べろ!」という風潮にも疑問を感じているんです。というのも、まさに以前勤めていた会社の男性上司がそういう考えの人で、飲みに行くと、「締め」に焼きそばとかコロッケとか、大量の炭水化物をオーダーし、「男は食べるもんな」と言いながら、部下の男性にガツガツ食べさせるわけです。そう言う自分は食べないんですけどね(笑)。

はましゃか:私も「男性は女性よりたくさん食べる」と思ってしまう節があるので注意しないと……。この上司の方も、単純に「お腹空いてる?」って聞けばよかったんですよね。

──そうかもしれません。飲み会で「ゆずはちみつサワー」を頼んだ知人が「女の子みたい!」と同席者にいじられるのを見たこともあります。こうした話に限らず、”空気”や”風潮”で男らしさ、女らしさが形づくられることがあるように思います。たとえば「恋愛も結婚もアプローチするのは男性であるべき」のように。

はましゃか:本当にそう! 男性はまだまだ「プロポーズする側」としての圧力を感じながら生きているのか……と。「必ず男性が最後のシュートを決めなければならない」空気がまだあるのだとしたら、私は「誰がシュートしてもよくない?」と思いますね。

でもこの問題も根が深そうです。女性誌ではまだまだ「男性にプロポーズや告白をさせるテクニック」みたいな特集がありますし……。

──はましゃかさんもかつては「男性からいかにアプローチされるか」を突き詰めていたと聞きました。

はましゃか:そうですね……。“男性らしさ“というトピックからちょっとずれる、私という女性の過去の話ですけど……確かに大学生の頃は、誰かにかわいいと言われることを目標に、ひたすらいわゆる「男ウケ」を研究していました。雑誌やネット記事を参考に、男性のためのオシャレをしたり、ぶりっ子したり、サラダを取り分けたり……。当時は男性に食事を奢ってもらうことを期待していましたし、食事の値段=自分の価値といった言説を信じていました。

でも、大人になるにつれ、「“見返り”を求められることがあるな……」と気づいたんです。たとえば、「#ワリカン推進委員会 を発足します」にも書きましたが、交際していた年上の男性と食事に行った時、「(お会計は)払うからいいよ。その代わり、これからも俺にご飯作ってくれればいいからね」と言われたり。奢ってもらうと、同時になにかを要求されていると感じてしまう……。そんな出来事を経験するうち、「評価が下がるかもしれない……」という恐怖を感じながらも、あえて割り勘にしたり、サラダを取り分けなかったりするようになりました。

男性だっておおっぴらに、泣く自由があるのでは?

──はましゃかさんが恐怖を感じながらも、サラダを取り分けることを止めたように、男性も「男性は〜するのが当たり前」という空気に抵抗してもいいはずですよね。でも、正直「勇気がいる行動だな……」と思ってしまいます。

はましゃか:なぜ勇気がいるのかというと、それが「当たり前」と思っている人がたくさんいる場で、そうした言葉を口に出すと、「外される」かもしれないから。自分が所属するコミュニティから外されるかもしれない恐怖。

私はもっとシンプルに「権利を知ろう」という話ではないかと。裸にならない権利、パートナーを持たない権利。弱音を吐く権利。こうした権利は、当然誰にでもあると思うんです。だから、権利を知れば、それらの権利がないがしろにされることから生じるつらさや苦しさを男性どうしで共有して、助け合えるかもしれない。

──たしかに、「裸にならない権利」があると認識されて、それが守られれば、体育祭や飲み会で服を脱ぐことを強要されなくなりますね。でもそれは、とても難しいように思います。そもそも、エスコートしたくないとか、女性を求めない、パートナーを持ちたくないということは、男性としてはなかなか口にしづらいように思います。

はましゃか:「女性を求めない人間」や「モテることに価値を感じない人間」は、「モテるかどうかで勝ち負けが決まるルール」を当然視している人たちから理解されてこなかったのかもしれません。さまざまなセクシャリティの人が、そうやって苦しい思いをしてきたのかなと思います。

私も、女性を性的に(ヤレるか、ヤレないかとか、胸の大きさがどうだとか)ジャッジすることが常識だと思っている男性の集団に「仲間として」認めてもらいたくて、彼らと一緒になって年下の女の子を値踏みした経験があります。それはよくない構造に加担したことだったんだ、と、後になってとても悔やみました。

(わからない~!専門家と話してくれ~!となっている図)

──自分だけで、もう少し気軽にアクションを起こせたらいいですね。

はましゃか:お会計の時、気軽に「別々で〜」と言えたら楽になるかもしれないですね。それから、職場の女性を比べて「誰とヤりたい?」などと値踏みするような人に「それヤバいよ」と釘をさすとか。風俗店やキャバクラが苦手だと表明したり。おおっぴらに「悲しい」「泣きたい」と言ってみたり、そういう発言を「女々しい」「男らしくない」といった言葉で非難しないとかですかね……? 男性同士の飲み会で、遠慮なく「ゆずはちみつサワー」や「カルピス」を頼んでもいいですよね。

──ただ口に出すだけでもいい、それなら多少気が楽になりますが、それでも、「ゆずはちみつサワー」を頼むのも、「裸になりたくない」と言うのも、すなわち「男はこうあるべき」みたいな空気に逆らうことですよね?  先ほどの質問にも戻ってしまいますが、それはやっぱり「勇気がいる行動」ではないでしょうか?

はましゃか:私もサラダを取り分けなかった時は、めちゃくちゃ怖かった。人から評価されている、と信じていた行動をやめるわけで、評価が下がる恐怖感しかなかった。

実際、サラダを取り分けなかったら「あなたは気が利かないね」ってある人に言われました。「ほら! やっぱリスクあるじゃん」と思いましたが……(笑)。

でも、得られていたものを失う勇気を持たないと、いつまでも我慢したり、誰かの価値観を無視し続けたりする。私の場合は、生きやすい空気が与えられるのを待つより自ら作ったほうが早かったし、その先に面白いことがたくさんありました。

──はましゃかさんが身近な出来事を通じて「らしさ」に抗ったように、できることから始めていきたいですね。

はましゃか:この記事で「男らしさ」に興味が出た人は、とりあえず「ホモソーシャル」というワードでググっていただけたらと。加えて、それに関連する本を読むことをおすすめします!

参考までに、私が今読んでいる『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』(レイチェル・ギーザ著)、『男らしさの終焉』(グレイソン・ペリー著)の2冊を紹介します。私の主観を聞くよりも、この2冊を読んだほうが、ここまで話してきたことをより深く知れる。男性の社会や権利、それを知って日常生活に取り入れるまでのアクションが詳しく解説されています。ぜひ手に取ってみてください。

(※1)心と体の性別が同じで、異性愛者のこと

はましゃか

1994年、北海道出身。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。エッセイストとしてのほか、モデル、役者、イラストレーターなど様々な形で表現者として活躍するフリーランサー。

Twitter:@shakachang

note:はましゃか|note

写真/関口佳代