原稿を書くのがすっかりと遅くなって、ずいぶんと編集者さんを待たせてしまった。具体的にいうと最初にお願いされた締め切りからすでに1ヶ月以上も経ってしまっている。

友達というテーマで書いてほしいとお願いされたけど、何を書いたらいいのかまったく浮かばなかったからだ。

ぼくは友達のつくり方を知らなければ、どこからが知り合いで、どこからが友達なのかという線引きや定義もイマイチわからない。“友達 つくり方”でググっていろんなサイトをみたけどピンとくるものはなかった。

ぼくが友達について書いてもピンとくるかどうかわからないけど、締め切りをのばした1ヶ月間に友達について考えてみたことと、いままでの人生経験をおもいかえして、いいかげん重い指をあげてタイピングしてみようとおもう。

だったら締め切りの1ヶ月前からちゃんと考えて、締め切りを守れよっていう計画的なツッコミが聞こえてくるけど、ぼくは夏休みの宿題を夏休みの最終日に、部屋の片付けからはじめてしまうタイプの小学生だった。

毎日のように友達と遊んでいたので、友達はおおかったのだとおもう。中学生になって遊ぶ友達は部活仲間が中心になった。中学生ぐらいから宿題はやらないという選択をはじめた。宿題に合理性を感じなかったからだ。

興味のないことを課題として与えられてもまったく頭に入らない。もちろん先生には怒られて、学力は英語をのぞいて学年で最下位レベルだった。英語は高校の教科書を入手して自主的に勉強していて学年では最高レベルだった。

べつに中二病に罹患していたのではなく、ただ英語が好きだったからだ。学校の成績とは関係なく、英語のコミュニケーションで世界が広がるように感じたのだ。だから英語の宿題は物足りなくて、英語以外の宿題はチンプンカンプンでとてもつまらないものだった。

高校は学区内で最下位レベルの高校に入学した。漫画にでてくるような不良高校だった。不良漫画と違うところはすべてが不良生徒というわけでなく、不良とおなじぐらいオタクがいたことだ。ぼくが高校生だった20年前はオタクはいまほど市民権をえておらず、理不尽な差別や偏見をうけるような存在だった。

不良もオタクも社会にいる大人から蔑んだような目でみられ、居心地の悪さを口にせずともみんな感じていたとおもう。不良にとってもオタクにとっても、自分と似たような友達がいる高校は一定の安心感があったのではないだろうか。学校が嫌いで、勉強もできないのにみんなちゃんと登校をしてきたのは友達がいたからだとおもう。

高校を卒業して一般企業に就職をして数年働き、仕事がつまらなくなって逃げるように写真の専門学校に入学して、その学校もすぐに中退した。右も左も上も下もわからずに広告写真の世界に足を踏み入れた。撮影業界の片隅に身をおいて15年がたつけど、人に自慢できるようなことはなにもしていないし、自慢できることがあったとしても自慢をしたくない。

おじさんらしく15年があっという間だったといいたいのだけど、小学生にもおじさんにも平等に一年は一年という時間が与えられる。おじさんの時間だけがギュギュッと圧縮されているわけじゃない。

もちろん10年しか生きていない子どもの一年と、40年生きた人の一年の価値は当然違うだろう。人生を長く生き続けることで時間のインフレがおきて、一年の価値が下がってしまうから、あっという間に感じるのかもしれない。

さいきん刑務所から出所した男性と会った。彼は3年ほど収監されていたそうだ。刑務所でぼくの著書を読んで、どうしても会って話がしたいと連絡をもらった。ぼくと会ったことですこしでも彼の社会復帰の役に立てばいいとおもったし、ぼくも彼の話が聞いてみたくなったのだ。

「刑務所の一年って長いものですか?」とぼくがビール片手に男性に質問してみると「とても長いですね、でも出所してみるとあっという間です。」と彼が答えていたのが印象的だった。時間があっという間に過ぎるのではなく、おもいかえすとあっという間に感じるものなんだろう。

夏休みの宿題を最終日にやっているような小学生からあっという間におじさんになった人生をおもいかえすと、それぞれの環境でいつも友達はたくさんいたけど、環境が変わるたびに人間関係も変わっていった。

ぼくは2年前に人間関係が大きく変わる出来事があった、血液ガンの患者になったのだ。

仕事関係や友人など知り合いという知り合いから、文字通り山のように連絡がきた。どこで噂を聞いたのか中学校を卒業してから一度も連絡をとっていなかった友人や、えーーっと誰だっけ? とおもわずいいたくなるような記憶の薄いクラスメイトからも連絡がきてiPhoneの通知音は鳴りっぱなしだ。

これを感動話や自慢話にするつもりはまったくなくて、ガンが消えるサプリや健康食品のおすすめだったり、高額で治療効果の薄い民間療法や宗教の勧誘がお見舞いとともにセットになったから感動話どころか、善意で舗装された地獄への道のような話だ。

君の前前前世がどうのこうので罰があたったんだという、よくわからない自業自得論を展開してくる人もいた。二度と会いたくないほど嫌いな人から「今度飲みに行こうよ」という誘いの連絡もあった。健康なときに二度と会いたくなかった人とは、病気になってからは死んでも会いたくないものだ。

何年も顔を合わせていない、名前と関係性もいえるかどうかうっすらと怪しい親族がお見舞いにくる。高校生のときに付き合っていた女性からも連絡が来たりする。お見舞いや激励をすることがマナーや礼儀なものかもしれないけど、死にかけているぼくとしてはとにかく迷惑だった。

いまおもいかえせば彼らはみんな不安だったのだとおもう。自業自得というほうが自分は安全という理由づけにもなるし、和解をしてぼくが死んだあとの居心地の悪さを解消したり、ぼくの知らない誰かの死を後悔してて、そのリベンジをしようとする人もいた。

不安の理由は人それぞれだけど、共通していたのは哀れみの目でみられて「がんばってね」といわれることだった。こちらはすでに死なないギリギリのところでがんばっているのだ、ガン患者だけに。

彼らの感情を消化するためのサンドバックにぼくがなっていたら、病気で死ぬまえにストレスで死ぬか、生き地獄を味わうことになるとおもい、友達や親を含めた親族関係もほぼ全ての交友関係を断ち切った。

鳴り止まない携帯電話を解約して、メールやSNSのメッセージも全て無視してラインはサクサクとブロックするという、すこし強行な手段をとった。冷たくてドライな判断だったかもしれないけど、おもいかえせばこの判断はとても残念ながら正解だった。

おかげで人間関係のストレスから解放されて、治療と遊びに専念できている。そして病人という環境に身をおくと、病人の友達があたらしくできる。医師や看護師などの友達もできて、いまでは日本全国に友達がいるような状況になった。病気になってからの友達は、哀れんだ目で見てくることがないのでとても楽だ。

何年も付き合いのある友達の良さはもちろんあるだろう。おなじ時代や環境を一緒に過ごした時間はとても価値があるものだ。あっという間の時間がより、鮮やかになるのだ。

しかし、必ずしも付き合った時間の長さが友達の豊かさを決定させるものではない。それよりも付き合った時間の質のほうが大切だとぼくはおもう。ぼくにとっては環境に合わせて友達が変化していったほうが、ストレスはない。いまでは息子の保育園でパパ友もできてきた。またあたらしい環境での友達だ。

友達の作り方なんてイマイチわからないけど、きっとそれぞれの環境のコミュニティにいれば自然とできるものだ。たまたまおなじ地域でたまたまおなじ年度内にうまれただけで、保育園や小学校なんかで友達ができるのだ。

大学の学部やサークルだってたまたまそこの環境にあるコミュニティだ。震災で避難所になった体育館や、いきつけの料理屋さんや、刑務所ですら自分の身の回りの環境にあるコミュニティだ。

環境が変わるのだから、もちろん付き合い方も変わる。小学生男子ならウンコネタで盛り上がれるかもしれないけど、いきつけの料理屋さんでそれをやったら最悪の場合は出禁だ。大人には環境にあわせた付き合い方も大切だ、それが成長だともおもう。

4月からあたらしい環境になった人は、不安も戸惑いもあるかもしれない。とくに新社会人は学生時代との違いに疲れてしまうかもしれない。理想と現実や未来とのギャップに疲れてしまうものだ。

アラサーぐらいの人は友達が減ったと感じるかもしれない、結婚ラッシュとか出産ラッシュみたいなものもあると会話の内容がだんだんと合わなくなってなんだか遊びにくくなるかもしれない。アラサーは仕事に慣れて余裕ができてきたがゆえに、過去とのギャップに疲れるものだ。

運動をすると筋肉痛がきて筋肉が増強されるように、疲れにもだんだんと耐性ができて慣れてくるものだ。ぼくは運動をしないぽっちゃりデブなので筋肉とは無縁なんだけど、きっとそういうものだとおもう。若い人からすればおじさんたちはつまらない人種のように見えるかもしれないけど、おじさんだってけっこう楽しい。

学生時代のように頻繁に顔を合わせることだけが友達じゃない、何年会わなくとも友達は友達だ。死んでるわけじゃないんだから、減っているわけじゃない。小学校から進学を続けてきたように、大人になってもそれぞれの環境にすすんでいるだけだ。それが成長している証拠なのだとおもう。

きっとどんな環境でもコミュニティにいれば意識しなくても自然と友達はできる。でも一つ大切なのは、こちらから笑顔をみせることだとおもう。ぼくが病人になったことで不安になった周囲の人に、ぼくが笑顔でかえすとみんな安心するのだ。それくらい笑顔には効果がある。

笑顔でいるためには、たのしいことを補給するにかぎる。美味しいものを食べるだけで人は笑顔になる、そんなにむずかしく考えなくても大丈夫だ。

この記事を書いた人

幡野広志

幡野広志(はたの・ひろし)

1983年、東京生まれ。2004年、日本写真芸術専門学校中退。2010年から広告写真家・高崎勉氏に師事。「海上遺跡」で「Nikon Juna21」受賞。 2011年、独立し結婚する。2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。2016年に長男が誕生。2017年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。著書に『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)、『僕たちが選べなかったものを、選びなおすために。』(ポプラ社)、『なんで僕に聞くんだろう。』(幻冬舎)などがある。

Twitter:@hatanohiroshi

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