「会社に行く=仕事をしている」という時代は終わるはずが…

こんにちは。フミコフミオです。新型コロナウイルス感染拡大により、人と人との接触を減らすという観点から、全国的にテレワークが推奨されている。神奈川県にある僕の会社も現在、原則在宅勤務である。

今回の動きをきっかけに、仕事のやり方が変わっていけばいい。書類電子化とIT技術で、時間と場所と書類にしばられない働き方がより普及していくだろう。新型コロナが収束しても、この流れが戻ることはない。なぜなら、普通に真面目に仕事に取り組んでいる人間にとって、効率的で楽な働き方であることがわかってしまったからだ。

書類や企画書を作るときは、上司からの呼び出しや同僚からの相談といったノイズが入らないほうが、仕事がはかどる。営業職も、わざわざ会社にいかずに客先を訪問し、移動の合間に書類を作成したほうが効率的なのはいうまでもない。

仕事とは、成果と成果を出すための時間を意味している。「会社に行くこと=仕事をしている」という時代はジ・エンド。どう見ても遊んでいるような給料泥棒や肩書だけで生きている人間が淘汰されるのは、多くの真面目な人間にとって、いい傾向だろう。

こうした働き方がよい方向へ変わろうとしているムードの中で、ひときわ存在感を発揮しているものがひとつだけある。そう、皆さんご存知、多くの会社員共通の敵、ハンコ。

僕が勤める会社にもあった「地獄のハンコ出勤」

印鑑。社印。代表者印。まとめてしまえばすべてハンコ。書面の多くが電子化できる便利な世の中で、ハンコを押すことに命をかけている人たちがいる。時代に取り残された彼らは、「書面は紙! ハンコは実印!」という強い信仰をもって、世の中の流れに抵抗している。その姿はさながらSF映画で見かける、文明社会が滅びたあと生存者に向けてラジオ放送を流しているレジスタンスのようだ。

ハンコ信仰を持ち、趣味でハンコを押すのは個人の自由だ。存分に家族に冷たい目で見られながらチラシの裏に押しまくればよい。だが、それなりの地位にある人がハンコ信仰をもっている会社は不幸である。

自分と相手の命を守るために家にいろ。ステイホーム。とはいえ、危険をおかしても出勤せざるをえない人たちがいる。医療や福祉、公的機関といった止めることができない現場で仕事に従事する人、社外に持ち出せない重要データを取り扱う人。

だが、そうした人たちの他にも危険を承知で出勤する人もいる。それがハンコ出勤。ハンコを押すために出勤。ハンコをもらうために出勤。地獄だ。僕が勤めている会社も、ハンコ出勤をしなければならない会社であった。残念でならない。

重役の口から出た「ハンコを郵送してもいい」という妄言

取引先の事情により、ハンコが必要なケースもある。しかし、そのようなケースをのぞけば、ハンコ出勤は、担当重役のエゴであった。ハンコ重役は、社内決裁にまでハンコが必要だと言い張る。

何度か説得しようとしたが、聞く耳を持たない。「重要書類をデータにしたら停電で消えてしまうだろう?」「印鑑はパソコンに入れられない」「紙ベースなら安全安心」「印鑑があるほうが、箔がつく」。ご高齢の重役からこのような発言を聞かされるたびに、周囲に「無理だ……」とあきらめムードが漂ってしまう。

ハンコ出勤を強要されるみなさんの職場にも、こういうハンコ重役の一人や二人、いるのではないか。

世の中の流れと仕事の効率化を考えるならば、書類の電子化をすすめるのが人の道だろう。だが、ハンコ重役はしない。なぜか。テレワーク導入をすすめたときに、重役から思わぬ抵抗を受けた際の言葉がその理由を表していた。

「だってわからないもん。俺が引退まではこのままでいいよ」。

絶望しかなかった。何度目かの説得の後、ハンコ重役が「そこまでいうなら印鑑を郵送してもいい」という妄言を続けたとき、僕は会話を打ち切った。たかがハンコで精神が崩壊するのを恐れたのだ。

権威を示すため押印を拒否するハンコ重役

ハンコをもらう側の人間にとっては、いい迷惑である。たかがハンコのためにウイルス感染のリスクを冒さなければならないのだ。命をかけて会社に行かなければならない理由などない。

重役にハンコをもらうために嫌々出勤したとき、驚いてしまった出来事がある。ハンコ重役が、まるで印を求めて千里を歩いてくる民にほどこしをあたえる為政者のような風格をたたえていたのだ。わざわざ危険をおかして出勤してきた者を、褒め称えるような構図。謎の存在感である。

迷惑なことに、これまでデスクで寝ているだけのハンコ重役が、存在感の高まりに合わせるかのようにヤル気を出し始めていた。その副作用で円滑に流れていた書類業務が滞りはじめていた。新型コロナは、眠っていた龍を起こしてしまったのだ。

ハンコ重役は適当にハンコを押していたかつての自分を恥じるかのように、「字体が気に入らない」「ここに空白を入れないかぎり押せない」という些細な指摘とともに、ハンコを押すことを拒否しはじめたのだ。書類の内容についての質問は一切なかった。

「ゴシックはダメですか?」「スペースはひとつでいいですか?」という社員の質問をハンコ重役は聞き流していた。外来語の意味がわからなかったのだろう。

主役はハンコなのか、それとも人なのか

一部官公庁が「申請の際に紙と印が必要」としているのが、ハンコ重役にお墨付きを与えていた。「ほら。〇×保健所の営業許可申請書には紙の書面に印が必要だろう?」と言われたときには返す言葉がなかった。テレワークを推し進めながら、紙と印にこだわっている行政機関はアホなのか、それともサイコパスなのか。迷惑なのでどちらかにしてほしい。本当に勘弁である。

実は、テレワークの導入の話合いの中で、「印鑑を郵送」という話が出てきたとき、ハンコ重役は一瞬、ためらった様子を見せた。ハンコ重役は悟ったのではないか。これではハンコが主役で自分が脇役になってしまうということを。

その気持ちは僕にはよくわかった。もしもビックリマンチョコに生まれ変わるなら、誰だって脇役のお菓子ではなく主役のシールになりたいものだ。シールだけが手に入るのなら、お菓子を買い求める子どもなどいない。

ハンコ重役は「印鑑を郵送」という自分の存在を否定するようなフレーズはそれ以降いっさいに口にしていない。

たかが道具に消耗しないために

世の中の流れは確実に脱ハンコである。ハンコ重役は年老いて、思考スピードも衰えてきてはいるものの、自分自身を守ることに関しては僕よりもずっと長けている。そうやって何十年も会社組織で生き残ってきたのだ。その経験は馬鹿にできない。そして去り際も知っている……はずだった。

昨日、ハンコ重役から電話をもらった。「これからの仕事の進め方について話をしたい」と切り出す声に、並々ならぬ決意が感じられた。「ついに退かれるのか……」、そう思った次の瞬間、僕の予想は外れたことを思い知らされた。

彼はこれからの仕事の、否、ハンコ押し業務の未来を語った。彼は「私がハンコを持参してハンコが必要な社員の自宅を回ってもいい」と無駄に熱い覚悟を僕に語った。なぜその情熱を、ハンコをなくす方向へ向けられないのか。

僕は、ハンコ重役が社員の自宅を訪問する異様な光景を想像した。返すべきことばが見つけられなかった。しかたなく「いいアイデアですね」と言った。「だろう?」というハンコ重役の声が今も耳に残っている。きっつー。

ハンコ廃止に限らず、新しい動きや改革には、古い価値観をもった人間が抵抗勢力として現れる。往々にして抵抗勢力は、社内でも古株の肩書きと力を持った人でもあるので、改革の動きは潰される。うまくいかない。

だが、あきらめる必要はない。ハンコ重役に象徴される抵抗勢力は比較的高齢の方が多いので、彼らが引退すれば一気に世界は変わるはずだ。ウチの会社ならハンコ重役は70歳近いのであと数年待てばいい。いずれにせよ、近いうちにいなくなる。

何年か後に振り返ったとき、今が転換期だったことが証明されるだろう。たかがハンコという道具に消耗する必要はどこにもない。時折でいい、「あなたが必要ではなくてあなたのハンコが必要なんです」というメッセージを伝え続けよう。そうやって少しずつ存在価値を削いでいけば、抵抗勢力も、心が折れてポックリ逝くか、ハンコを投げ捨てるときがくるかもしれない。僕は近いうちに、重役の名前のハンコを必要な社員全員に持たせるよう交渉してみようと思う。

(所要時間46分)

この記事を書いた人

フミコフミオ

フミコフミオ

海辺の町で働く不惑の会社員。普通の人の働き方や飲食業や給食について日々考えている。現在の立場は営業部長。90年代末からWeb日記で恥を綴り続けて20年弱、主戦場は、はてなブログ。

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