「もう4冊も本出してたら、会社で働かなくてよくない? なんで会社入ったの?」

と、新卒1年目にして言われたことがある。なんでそんな会社員を悪く言うんだろこの人、と心の中では毒づいたけれど。

現在26歳、会社で新卒2年目、院卒、上京2年目。

本業では出版にも本にも関係ない企業の会社員(響きがいいのでできればOLと名乗りたい)。副業で作家業。

……この現状を話すと、「本の依頼来てるんでしょ?」「なんで会社員続けてんの?」と、よくみんなの頭に「?」が浮かぶ。

しかしみんなの「?」を前にしても、ひとまず私は会社員を続けていくつもりだ。

なぜか。ふたつ理由がある。

ひとつ、会社員を続けるほうが、健康だから。

ふたつ、会社員を続けるほうが、筋肉がつくから。

……なんだか筋トレ番組のていをなしてきたけれど、ちょっとお付き合いいただきたい。大丈夫、私は運動音痴で、筋トレもできない脆弱人間である。

能力を発揮できる環境を自分に与えたい

ひとつめの話から。私は会社員をしつつ副業でフリーランスの仕事をするほうが健康だと思っている。

そもそも会社で働くことを選んだのは、2018年初夏。当時の私は文系の大学院にいた。研究は楽しかったが、私を襲ったのは、ある衝動である。

「あかん、人としゃべりたい………」。

大学院という場は、とにかくしゃべる人がいない。ゼミや研究室はあるものの、日常の大半を人と喋らず研究する時間を占めていた。

私はそもそも本を読むのが好きで、ひとりの時間が好きな人間だと思っていた。しかしそんなひとりでいるのが好きな自分は、「毎日しゃべる人がいる」という基本的な状況に支えられたうえで成り立つものだったらしい。

そこで気づいたのは、仕事の「内容」と同じかそれ以上に、「環境」も大切だ、ということ。能力を発揮できる環境が、ちゃんと自分に与えられること。そうしてはじめて精神の安定が保たれる。そして精神が安定してはじめて、自分は自分の能力をちゃんと使うことができる。

精神の安定しない、苦手な環境や嫌いな人間関係があれば、人はそもそも能力が発揮できない(これは私の場合の話で、「あまり他人と一緒にいないほうが能力上がる」、「毎日同じ時間に出社しないほうが能力上がる」など、精神の安定する環境は人によってちがうだろう。仕事の内容が精神安定につながる人もいるだろうし。みんなそれぞれ自分の能力を発揮できる環境があるだろう)。

私にとっては、「毎日人としゃべることができる」が、マスト事項であるらしかった。

まず自分の能力が発揮できる精神衛生の安定を、自分に与えてあげなければならない。そのために私は、就職した。

会社員だからこそ身につく筋肉がある

さて、長々と書いてきたからお忘れかもしれない。私が兼業ライフを続けたい理由はもうひとつある。「会社員を続けるほうが、筋肉がつくから」だ。なんだかマッチョな言い方になってしまって恐縮である。

よく誤解されるのだけど、会社にいる理由を「ぶっちゃけ副業(作家業)だけで食べていけないからでしょ?」と言われることは多い。いや、そりゃ会社は、毎月お給料を口座に振り込んでくださるありがたい組織だけど。でもお金のためだけだったら、もっと株とかがんばりたいよ私は。ていうか電車乗りたくないよ。

しかしなぜ重い体を引きずって週5で電車に乗り、会社で、働いているか。それは「作家業で身につく筋肉と、会社員として身につく筋肉は、別」という認識があるからだ。

作家業をがんばることで身につく筋肉は、もっと面白くものを書ける力。あるいはたくさんの人に読んでもらえるキャッチ―さを生み出す力。調べものを速く多くしたうえで深く切り取る力。たくさん書けば書くほど、「書く筋肉」がついて、書けるものも増える(と私は思う)し、書いてくださいと言ってくれる人も増える(と私は信じている)。

しかし残念ながら。作家業に必要な筋肉は、「書く筋肉」だけではない。作家業といっても、結局は個人事業主だ。私はまだまだできていないけれど、本当は、開発部も、営業部も、広報部も、経理部も、総務部も、ぜんぶ自分一人の中におさまっているのが「個人事業主」なはず。

私は作家業を始めたころ、自分のなかの広報部や営業部が、まったく機能していなかった。いったいぜんたいどうやったら広報力を伸ばすことができるのか、まったくわからなかった。本を書いたはいいけど、そこからどうしたら人に届けることができるのか。作家業をやっているだけではわからない。

すると頼りになるのが、会社員として身につく能力である。

会社員をやってみてはじめて気づいた「仕事のやり方」

会社という大きな組織の中で、自分が何をがんばれば、どこを細かく見れば、役割を果たせるのか。自分に何が足りなくて、何ができていないのか。会社の中で使う経理能力、営業能力、広報能力。ひとりでやっているだけでは「足りない部分」が、会社員としてがんばっていると、見えてくる。それはきっと個人事業主にも生かされる。

「ああ、人の指示って、こういうところを重点的に聞くべきなのか」

「私の伝え方って、ここがわかりづらいんだな」

「わからないことがあったとき、これくらい気軽に聞いていいのか」

「〆切に間に合わなさそうなときって、とりあえず現状を相手に見せて、そのうえで相談してみていいもんなんだな」

……すべて、会社員をして、先輩たちの仕事を見てはじめて気づいた「仕事のやりかた」である。

さらに会社にいると、会社という大きな組織が、どう組み立てられ、どう決断し、何を見据えているのか、見ることができる。個人事業主という小さな組織(まあ一人だが)では見ることのできない、決断や交渉のタイミングが見える。営業部が強ければどういう企業になって、広報部が強ければどんなブランディングになるのか。それがわかる。

だから個人事業主をしている人こそ、本当は、会社という大きな組織を観察すべきだ、と私は思う。会社がどう動いているか、何をもって事業拡大してくか、どう決断して、何を大切にしていくか。本当は、個人事業主が手に入れるべき知識がそこにある。

私はたぶん、ちゃんと会社員として、一度、同年代やもう少し上の、仕事ができる人はどう仕事しているのかを見て、自分に取り入れてみたかったのだ。そして自分も会社員として大きな組織がどう動いているのかを知りたかった。だから会社にいるのである。

会社員のほうが、見える「世の中の範囲」がぐっと広がる

兼業はいいぞ~とこれだけ言ってきたのは、そもそも自分が「兼業」に向いてるのかも、と思うときはある。昔から、部活に勉強、サークルにバイトと、ふたつのことをやっている時間のほうが長かったし。

私は会社員の立場でいながら作家活動をしているが、大学院にいたときよりももっと切実に、「ああこういうことを世の中の人は考えているのか」とわかることが増えた。要は、書きたいネタが増えたのだ。よかった。会社に感謝である。

それでも兼業ライフを続けるうえで自分のルールはある。土日のどちらかは家でひきこもって仕事する。できないことがあっても過度に落ち込まない、落ち込んだら寝る。できるだけ個人事業主のほうで人と交渉しようとしてみる(交渉する技術を身に着けたい)。繁忙期がかぶったらまず会社のほうを優先する。

そんなルールを決めたり修正したりしながら、今後も、自分にとって快適な兼業ライフを続けていくつもりである。きっと「兼業はもう無理だ」と思ったら、だれかに「もう無理だよ」と言われるはずだ。だったら、その時までまずはやってみようと思う。

本当は、たとえばものを書く上でも、それ以外の仕事でも、「世の中の人がいま何を思って、何を感じているか」を考えるのは大切だろう。家のなかでSNSをつついていると、どうしても「世の中の人」が偏ってしまうけれど。会社員をしていれば、自分が見える「世の中の人」の範囲がぐっと広がる。きっと自分のやりたいことをがんばってみたいときに、会社員をしていたほうが、むしろ世の中の人の反応を予想しやすいんじゃないだろうか。

ふたつの仕事をすることは、腕の筋肉と足の筋肉を両方鍛えるようなもので、まあ腕が疲れたら足のほうをがんばるか、と思える気楽さがある(こんなにのほほんと仕事してるって会社にばれたら怒られそうだけど)。

会社か個人か、の二択ではなく。自分に合った働き方がみんなできるようになるといいな、と私は思う。

この記事を書いた人

三宅香帆

三宅香帆(みやけ・かほ)

1994年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。大学院にて萬葉集を研究する傍ら、2016年天狼院書店のウェブサイトに掲載した記事が2016年年間総合はてなブックマーク数ランキングで第2位に。現在は会社員として働きながら、文筆家・書評家としても活動している。著書に『人生を狂わす名著50』、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』、『副作用あります!?人生おたすけ処方本』、『妄想とツッコミで読む万葉集』がある。

Twitter:@m3_myk