取引先との商談で、社内のコミュニケーションで、思ったような返事を引き出せない……。誰しも一度は、そんな苦い経験をしたことがあるはず。

仕事は、利害の異なる相手と妥協点を探っていく作業の連続。しかし、その技術は基本的に経験から学んでいくしかありません。交渉下手で悩む人は、どうすれば自分の利益をはっきり主張し、勝ち取れるのでしょうか。

今回お話を伺った若林翔さんは弁護士としてナイトビジネスに深く関わる中、さまざまな相手と交渉を繰り広げてきました。かつては暴力団関係者に事務所へ乗り込まれた経験もあるとか。

そんな若林さんは、交渉がうまくいかない最大の原因を「目標や終着点を決めずに “モヤっと”話してしまっている」ことと指摘します。「モヤっと話す」とは、一体どういうことなのでしょうか。

タフな経験をしていなくても使える基本的な交渉のテクニックを、交渉のプロに学びます。

夜の世界のトラブルを「交渉」で解決

──法廷で議論するイメージが強い弁護士ですが、仕事の中心は「訴訟」よりも「交渉」なのでしょうか?

若林翔さん(以下、若林):裁判で法廷に立つことも多いですが、裁判になる案件でもその前に交渉をするケースが多いです。そう考えると、訴訟よりも依頼主の代わりに相手方と交渉する仕事のほうが圧倒的に多いです。たとえば契約上のトラブルや、民事でお金を回収するなら、裁判をする前にまず内容証明を送り、そのうえで相手方と話し合いをすることが多いです。訴訟はコストも時間もかかりますから、まずは話し合いで互いの妥協点を見つけていくわけです。

若林翔(わかばやし・しょう)。東京・新宿にあるグラディアトル法律事務所の代表弁護士。早稲田大学法学部卒業。慶應義塾大学法科大学院修了。東京弁護士会所属。新聞や雑誌、ネットメディアなどでコメンテーターとして活躍。趣味は釣りと漫画。

──若林さんは歌舞伎町で働く人たちのトラブルに関わることも多いと思いますが、実際にどんな案件を担当されてきましたか?

若林:本当にいろいろですが……たとえば、店舗従業員の窃盗や横領など。あとは、風俗店の利用客が盗撮や暴力的な行為をしてしまうケースも多いです。いずれも当然「交渉」が必要になるケースですね。

──そうした明確な犯罪行為の場合は、問答無用で警察に突き出すものなのでは?

若林:いえ、そうとも限りません。たとえば、風俗店の従業員がお店の売り上げ数百万円を横領したとしましょう。この場合、たとえ従業員相手に訴訟を起こしたとしても、横領したお金を使い込まれていたら、損害金は回収できないかもしれません。

また、盗撮のケースでいえば、裁判をして大事にしたくないという女性キャストの意思もあるでしょう。だったら、示談交渉で少しでもお金を引き出す方法と可能性をじっくり探ったほうがいいわけです。状況や依頼者の望み、立場によって、交渉するのが弁護士の仕事です。

交渉に臨む前に必ず検討すべきこと

──そんな「交渉」のスキルは、一般の会社員にも必要です。改めて、「交渉の意義」を教えていただけますか。

若林:たとえば、交渉を通じて自社に有利な条件の契約を結ぶことは、自社に利益をもたらしますし、現場担当者の昇給や出世にもつながります。これは交渉の大きな意義でしょう。

社内に目を向けると、たとえば昇給に関わる評価面談で上司と交渉する場面もあるでしょうし、業務の効率化など労働環境を改善するための社内交渉であれば、自分自身はもちろん、全社員の利益につながります。

──ただ、後者の場合、「上司に睨まれないか」「組織の和を乱さないか」と懸念して、なかなか声を上げられないケースもありそうです。

若林:そういう場合もあると思います。会社の雰囲気や上司の性格によりけりなのでしょう。僕自身は、経営者でもあるので、自分の頭で考えて提案してくれる人は評価したいですし、他の多くの会社でもそういう部分はあると思いますけどね。

……仮に、何か意見して疎ましがられるのだとしたら、話のもっていき方がよくなかったり、その意見が的外れだったり、個人的な利益に偏りすぎたりしていることが原因かもしれません。

ですから、まずは交渉にあたる前にご自身の意見をよく検討して、客観視し、交渉相手の置かれた状況も鑑みながら、その主張の適正さや妥当さ(精度)を高める作業が必要だと思います。内容の整合性はもちろん、自分だけでなく会社全体の利益につながるかどうかも十分に検討する。これは、交渉に臨む際の大前提ですね。

交渉のステージに立てない人の特徴

──なるほど。主張の精度を高めるほか、前もって準備しておくことはありますか?

若林:まず、交渉の対象となる問題・争点の「全体像」を把握して理解する。全体像の把握とはすなわち、交渉の争点はどこか、双方がどんな主張や意見を持っているか、双方の主張のメリット・デメリットは何かを洗い出す作業です。交渉や議論が下手な人は、ここを理解しないまま“モヤっと”話し始めているような気がします。これでは、交渉のステージに立つこともできません。

我々弁護士の仕事の場合、全体像の把握に加え、こちら側に有利な資料や証拠はどれくらいそろっているか。仮に裁判をするとしたら、これまでの判例に照らし合わせて勝算はあるか。勝ったとして、相手からお金を回収できる可能性や金額はどのくらいか、といったことを一つ一つ分析することも重要です。

そうやって分析した結果、相手にしっかり財産があり、裁判をやっても勝てるだろうと踏めば、「まず交渉して、相手がゴネたらすぐ訴訟に進めばいい」と強気に出られる。

会社での重要な取引の交渉だとすれば、一定以下の条件なら契約を解除すると腹をくくるイメージでしょうか。

逆に裁判になるとこちらが厳しい状況であれば、交渉の中である程度妥協して、少しでも得られる利益を増やす方向にシフトしたほうがいいでしょう。

──そのほか、必ず準備しておくことはあるでしょうか?

若林:交渉で何を得たいのか、その「獲得目標」を決めておくことも必須ですね。僕らの仕事でも、まずは依頼者に獲得目標を定めてもらってから、交渉に入ります。理想とする獲得目標を設定したうえで、状況に応じて「最低限ここはキープ」とか、「ここは譲歩してもいいけど、交渉のカードとして残しておこう」と判断していくわけです。

──譲歩できる線引きをいくつか設けて複数の出口を用意しておくと、交渉時の戦略も立てやすいですね。

若林:そうですね。交渉の出口を増やす=交渉のカードを増やすことでもあります。

前述した債権回収のパターンで言えば、1円でも多く獲得したいのか、弁護士費用を賄えるくらい獲得できればいいのか、それとも交渉を早めに終わらせて訴訟に移ったほうがいいのか、などまずは交渉の目的を決めます。

そのうえで、たとえば依頼者から「1円でも多く獲得したいが、最低ラインは80万円」とお願いされたら、どう進めるか。そのまま相手方に80万円を提示すれば、80万円以上獲得できる可能性はゼロです。しかし、最初に120万円を提示し、100万円、85万円、80万円と金額のラインを細かく設定すると、アプローチの方法も広がります。結果、100万円で決着すれば御の字ですし、80万円になっても最低ラインを割っていないので問題ない。交渉の基本ですが、「譲歩したフリ」は弁護士がよく使う手ですね。

交渉の目的は「議論に勝つこと」ではない

──しかし、十分な準備をして交渉に臨んでも、世の中には「そもそも話が通じない人」もいます。たとえば、こちらの主張に耳を貸さず、脅しで圧をかけてくる人や、簡単にウソをつく人、聞いたフリをして動いてくれない人など。若林さんも仕事柄、そうした「交渉にならない人」と対峙することは多いのではないですか?

若林:そうですね。そういう方々と交渉する場面も多いです。請求を受けている側であれば、ブロックすることはそう難しくもないのですが、請求する側で何らかの合意やそれに基づく行動を相手にさせる必要がある交渉だと非常に苦労します。

昔は、暴力団関係者に事務所へ乗り込まれたこともありますよ。ただ、今はほぼないですね。

夜の世界でも、たとえば経営層は一般の人たちよりも、よほど「理性的」に交渉ができる印象です。

──会社員の世界に置き換えると、暴力団とまではいかずとも、パワハラ気質のある理不尽な上司に交渉どころか意見すらできないというケースもあると思います。たとえば、そんな上司に過剰な業務量の是正を求めたい時など、こちらの要望を聞いてもらうための効果的な方法はあるのでしょうか?

若林:責められたり、劣勢になったりすると、怒って解決しようとする人は一定数います。ですから、そもそも「相手を劣勢に追い込むような話し方」をしてはいけません。交渉の目的は「議論に勝つ」ことではなく、いかに自分の利益を獲得できるかです。

パワハラタイプに対しては、改善をゴリ押しするよりも、業務量が多くて苦しんでいることを素直に相談して、頼る姿勢を見せるほうがいいと思います。

「~さんにしか相談できないのですが」といった枕詞をつけることにより「なんだそういうことだったのか。もっと早く言ってくれよ」と態度を和らげてくれるかもしれません。悩みを相談し、頼るという構図を作るのが望ましいですね。

それでも状況が好転しないとしたら、そもそも上司から見れば業務量は適切で、「過重」という認識がないのかもしれません。その場合は、“第三者性”を利用するのがいいでしょう。

──第三者、つまり、他の同僚や上司に同席してもらうということですか?

若林:そうですね。この場合も、上司のメンツを潰さない人選が重要です。その上司が信頼している部下や、上司と仲の良い同期などがいいでしょう。調停の場でも、調停委員など当事者以外の第三者が関与することで、解決に向かうケースは多いですから。特に、膠着状態の交渉においては、アプローチのしかたを変えるというのが有効な手段になります。

──なるほど。ただ、上司は動かせても、社外の交渉では第三者に助けを求めるのが難しい場合もあると思います。たとえば、一方的に責められて言葉に詰まった時など、どう対処すれば良いでしょうか?

若林:信頼を失いかねないので、同僚や上司など「味方」には実践しないでほしいのですが、真面目に答えず会話をズラしてみるのも一計です。

──……と言いますと?

若林:たとえば、答えたくないことを答えさせられそうになった時、「今大事なのはそっちじゃなく、こっちじゃないですか?」などと話題を変えてみる。上手くいけば、これで難局を乗り切れるかもしれません。

逆に自分が問い詰める側であれば、「いやいや、話を変えないでください。〜について議論できなければ、話し合いはできません」と逃さない。

「敵」と戦う時は、聞かれたことに正直に答えるだけでは、有利に事を進められない場合もあります。ケースバイケースで対応すべきでしょう。

──確かに、政治家の記者会見はそんな感じですね……。では、交渉する側がそもそも口下手で、交渉の場でうまく発言できない場合は、どうすればいいでしょうか?

若林:勘違いしている人が多いのですが、「たくさん話す人」=「交渉上手」ではありません。意外かもしれませんが“無言”の圧をうまく使うという交渉のテクニックもありますからね。

うちの弁護士でも、口数少なく淡々と交渉し、目を見張る結果を残すタイプもいますし、うなずきと相槌とプラス一言くらいで交渉をまとめる聞き上手もいます。ですから、「口下手」はあまり気にする必要はありません。

それよりも相手の意見をしっかり聞いて、議論の全体像を正確に理解することが大事ですね。そのうえで、大事なところでは短い言葉でもいいので意見を言うとか、言葉に詰まっても場の雰囲気に流されずNOを言う。これらのポイントさえ押さえていれば、うまく話せなくてもしっかり交渉できると思いますよ。

──自分は口下手だと思っていても、交渉は口頭ベースで進めたほうがいいわけですね。

若林:いえ、適切な使い分けができればベストです。たとえば、「証拠」という意味合いであれば、メール等での交渉など、文書での交渉が効果的です。この場合、良い証拠(言質)を取るため、状況に応じて質問の形式を変えるのがポイントです。

相手がこちらに有利な情報をくれそうなら、YES/NO以外のことを自由に発言させるオープンクエスチョンを投げかける。逆に相手がこちらに不利な情報を提示しそうであれば、YES/NOだけで答えるクローズドクエスチョンにスイッチします。

「交渉術」は、覚えるだけでは役に立たない

──ちなみに、若林さんご自身は交渉力を磨くために実践したことなどありますか?

若林:それこそ、交渉や心理学にまつわる本はかなり読みました。(元大阪府知事の)橋下徹さんが15年前に書かれた「図説 心理戦で絶対負けない交渉術」(日本文芸社)は実践的で役に立ちましたね。あまりに生々しい内容だからか、政治家になられて以降、絶版となったようですが……。

あとは、ミラーリング効果(※1)やドア・イン・ザ・フェイス(※2)、イエスバット法(※3)など、有名なテクニックは一通り頭に詰め込んだと思います。

ただ、知識として覚えても実際の交渉の場でいきなりガンガン使うのは、やっぱり難しいんですよ。なんとなく頭の片隅に入れつつ、実戦とセットで習得していくしかないと思います。

──弁護士はそれこそ、毎日のように実戦の機会がありますね。

若林:交渉の機会が多い分、失敗もたくさんしています。うまくいった案件でも、「あそこで強く出ずに、もう少し優しく丁寧に話を聞いていたら、もっと良い方向に着地できたかもしれない……」などと反省し、糧にしてきました。

弁護士ほど交渉ごとが多い職業はめずらしいと思いますが、会社員の方でも、日常生活の中で「交渉」をしているとの意識をもって、自ら交渉力を磨く機会を作ってみてはどうでしょうか。

──そうやって少しでも交渉に慣れておくことで、いざハードな交渉の矢面に立たされた時に心の余裕を持てるかもしれませんね。

若林:そうですね。交渉の場の雰囲気に呑まれず、そして相手方との関係性や場の雰囲気を読みつつ、言いたいことを言うのは意外と難しいものです。だからといって、主張せず一方的に殴られていると、相手の要求がどんどん大きくなっていく。交渉は身を守るための手段でもあります。いざという時のために、準備しておきましょう。

※1…同調効果。相手のしぐさや表情、動作を真似ることで、相手に親近感を抱かせるテクニック

※2…譲歩的要請法。初めに高い難度の要求を出し、相手に一旦拒否させ、それから徐々に要求の水準を下げていくテクニック

※3…応酬話法。相手の言い分を一度肯定し、その上で反対意見を述べるテクニック

若林翔(わかばやし・しょう)

東京・新宿にあるグラディアトル法律事務所の代表弁護士。早稲田大学法学部卒業。慶應義塾大学法科大学院修了。東京弁護士会所属。新聞や雑誌、ネットメディアなどでコメンテーターとして活躍。趣味は釣りと漫画。

Twitter:@devilsadvocate

YouTube:弁護士ばやし

取材・文/榎並紀行(やじろべえ)