歌手になりたかった。物心ついたときからずっと。1985年生まれ。小室哲哉オーディションを受け、かつASAYAN世代の私は、同世代の鈴木亜美やモーニング娘。みたいに、いつか「自分だけの才能」が、誰かに発掘してもらえると信じてた。

大学で軽音楽部に入りCDを作ったり、地元だけじゃなく東京でライブをしたりもしたけれど、自分より歌のうまい後輩を目の当たりにして「歌手は無理かも」と薄々気づいてた。

そんななかで、葛藤しつつ、足を踏み入れた就活の世界。「クリエイティブ職」という単語を知ったとき「世間、待たせたね」と思った。私の感性を炸裂させるべき天職はここでした。と、マスコミ・広告業界を受けまくった。落ちまくった。

結局引っかかったのは、大手広告会社。営業職だった。営業だけはしたくなかった。営業というのは「クリエイティブな才能を持たない人が消去法でする仕事」だと思い込んでいたから。

会社に通いながら、あきらめきれなかった歌の専門学校にも通うことにした。早めに転職することを前提に上京し、真っ黒いスーツを着て社会人生活デビューした。

とはいえ「私は顔も悪くないし愛嬌もあるし、営業としてそれなりに売れる」もんだと思ってた。そんな簡単な世界じゃなかった。

私が所属されたのはフリーペーパーの広告を売り、原稿まで書き上げる部署。同期が次々新規契約を獲得するなか、私だけ全然売れなかった。入社2カ月、焦燥と自己嫌悪で何かが決壊した初夏。忘れもしない銀座4丁目。チャリと営業カバンを投げて、地べたに倒れ込んでワンワン泣いた。なにもかも向いてない、そもそもやりたくない。つらいことしかなかった。

思えば、私があの仕事において「特に向いていなかったところ」をあげれば以下のようになる。

~営業!4大お困りポイント~

  1. 【恥問題】
    自意識過剰なので営業トークするのが恥ずかしい!
  2. 【苦手作業問題】
    機械が苦手すぎて、パワポで営業ツールが作れない!
  3. 【コミュ力問題】
    緊張屋なので初対面の人とまともに喋れない!
  4. 【モチベ問題】
    業界に興味がない。そもそもこの仕事自体にモチベーションがない!

そんな課題だらけの私が、4年弱働いてどうなったか。最終的にめっちゃ売れた。賞も取った。営業のお手本をすることもあった。ということでここからはいざ、上記お困りポイントを私がどう攻略していったか。具体的な大革命列伝をお伝えしていく。

入社2年目で出会った上司の名言

ここで開会宣言的に「入社2年目で出会った上司の名言」をお伝えしておきたい。なぜならこれぞ私の社会人生活の超土台となったから。それは……「結果が出てないときは、やってないか、やりかたが間違ってるか、どっちかだ!」だ。

別業種に転職した今でも、脳の最前線に貼ってる言葉。この言葉で最も大事なポイントは、結果が出ない時に責めるべきは自分自身ではないというところ。悪いのは「やり方」。変えるべきは「やり方」のみ。つまりつまり、性格など「自分自身の中身」は変える必要がないのだ。

この考え方を知ってからのわたしは、「やり方だけ」変えながら突き進むことになった。

苦手は克服するものじゃない、避けるものである

まず、私には社会人としてさまざまな「苦手」があった。なかでも最大敵が「パワポ」。

同期や先輩たちはそれを駆使してわかりやすい資料を作るのに、私はといえば画面上に黒い三角形のなにかをピヤピヤ並べたり、言葉をトコトコと載せたり、最終的に怪文書にしか見えないものしか作れず「まじこれ全部手書きで書くしかなくない……?」と頭を抱えていた。

そんな私がその状況をどう打破したか。シンプルに、全部の資料を手書きで書くようにした。

データが必要な場合だけ会社から配布されているグラフ的なものを印刷してハサミで切って、手書き資料に貼った。なにも問題なかった。

「社会人はPC使いこなさなくては」に限らず、とくに営業って暗黙ルールであふれてる気がする。だけど大抵無理にしたがう必要なんてない。かつ、そもそも苦手というのは、克服するものじゃなくできるだけ避けるべきもの。うまく逃げて「やり方」を考えればいいのだ。

コミュ力の不安は簡単に消せる

次は、コミュ力問題。もともと陽キャではない私だけれど、居酒屋のバイト経験もあったし、コミュニケーションは不得意ではないと思っていた。だけど、飛び込み営業という“拒否される前提のコミュニケーション”を実際することとなった。

ただただ、恐怖だった。インターホンを押して、クライアントが対応してくれても、嫌な顔をされるのが怖くて言葉が出てこなかった。

とくに「ヘアサロン担当」になったときが酷かった。名古屋出身の私は、東京の美容師さんを恐れすぎてまともに話せず、建物の陰から中の様子を伺ってはすぐ逃げるということを繰り返したりした。後日勇気を出してそこに飛び込んだ時「きみ、不審者だと思って、先週警察に通報したよ!」と言われた。弁明の末、誤解は解けたが、結局契約は取れなかった。

さて。そんな私がどう飛び込み営業の「やり方」を変えたかというと。できるだけ「相手と直接しゃべらない」ことにした。インターホンを押さず、言いたいことは紙に書いてポストイン。お店に伝えたいメッセージを便箋3枚にびっしり書いたり、自分の日常を綴った手書き新聞を毎週全クライアントに配ったりした。新聞には自分が最近ハマっているテレビ番組や、週末どこにキャンプに行ったか、などの個人情報もびっしり書いた。

「内部事情通信」という名の手書き新聞。圧がすごい

ポストイン以外でも、美容院の中で暇そうにしていたオーナーに向けてガラス越しに言いたいことを書いた紙を向け、紙芝居風に営業したこともあった。

そういうことを繰り返していたら「あ、店長、めっちゃ自分語りする人きましたよ(笑)」という感じで相手から中に入れてくれるようになった。言葉でのコミュニケーションが苦手なら、文字に変えたらいいだけだったのだ。

ただ、いざ商談の場をいただいても新たな壁にぶつかった。不安で精神が詰む問題。ネガティブすぎる私は「うまくいかなかったらどうしよう」と、不安になりすぎた。商談前日は一睡もできなかったり、商談直前には道端でえずいてた(汚い)。

これをどう攻略したかというと、当時何かのバラエティ番組で偶然聞いた言葉を鵜呑みにしたことが大きい(素直な私は当時なんでも鵜呑みにした)。

その言葉とは「すべての不安は、準備不足からくる」というもの。

「不安」は性格の問題ではなく、準備不足が原因なんですね?! と素直にめざめ、商談の準備に精を出しまくるようになった。これは別の仕事でも生かされて、ウルトラ著名人との打ち合わせに不安でえずきそうになっても、一週間かけてその人の過去5年間のブログ記事を読み込み、その人の生い立ちや考え方を熟知した上で挑んだ。

自分自身の不安を消してくれるのは、気合いではなく、準備なのだ。

うさんくさい営業セミナーでモチベーションアップ

次、モチベーション問題。

そもそも私は冒頭触れた通り、営業という仕事になんの誇りも持っていなかった。それどころか営業職のことを【お金のためにクライアントを騙す汚いお仕事】と思っていたのだ。こんな高い掲載料を取るなんて詐欺では……? と、営業トークするたびに罪悪感を抱えていた。モチベーションは常に低空飛行だった。

そんな葛藤を打ち消したきっかけは、たったひとつ。当時の知り合いに無理矢理連れて行かされた、うさんくさい営業セミナーだった。

半分寝ながら聞いていたのに、「営業とは、自分が話すことではなく、相手の話に傾聴すること!」という今思えば営業の基礎の基礎みたいな話を聞き、素直に「そうなんや!」と感動し、その日からクライアントの話に耳を傾けまくるようになった。

繰り返すが、当時の私はなんでも素直に信じすぎた。20万円の水晶を買ったのも、この頃の話だ。

クライアントから何を聞いたかというと、「どんな思いで何をきっかけに今の仕事をはじめたのか / 10年後は何をしたいのか / それに対する今の不安は何か / 生きてる中で実は思い残していることややりたいことはないか / 仕事以外の夢は何か / 家族との時間はどう過ごしているか」などなど。

人によっては失礼と怒られるプライベートな質問かもしれないのだけど、私の場合、聞きながら感動してきて素で「情熱大陸みたい……!」と肯いていたからか、誰からも怒られず情熱の真髄に触れられた。

それにより何が起きたかというと。「クライアントひとりひとりに、唯一無二の、大事な人生があるのだ!!!!!!!」という人間界の超基礎みたいな事実に気づいた。それにより2つの変化が発生した。

「バージンロード出現」と「提案のクリエイティブ化」である。

バージンロード出現:「私が幸せにします!」

相手の人生をすみずみまで知ってしまった私には「私が絶対にお前を幸せにするからまかせろ!」という新郎のような責任感が湧いてしまった。

それにより、クライアントがいる建物に入る時必ず「私があなたを幸せにします」と声に出して唱えるようになっていた。健やかなる時も、病める時も、まじで相手の人生丸ごと私が背負って、このフリーペーパーで幸せにしてみせるから! と。

その半年後、私は、そのエリアの新規契約獲得売上げのギネスを叩き出すことになった。ちなみに今も、この原稿を書き始める前にも、読者を想像して「私があなたを幸せにします」と唱えて続けている。

提案のクリエイティブ化:「世界でひとつの提案を作る!」

そうして、目の前のクライアントひとり一人と向き合うようになった。いつのまにか、夢中で働けるようになっていた。

「各クライアントの魅力をここまで理解できるのは私だけ! 私だけの、しかもこのクライアントにしか贈ることのできない世界でひとつの提案を、毎日作る!」と本気で想える日々は、あまりに楽しかった。

ある美容院の魅力や課題が盛り込まれた提案資料

そのまま夢中で駆け抜けて、何度か営業賞や原稿賞も取りながら4年間を駆け抜けた。

営業という経験が私にくれたもの

その後転職した私は、コピーライターとCMプランナーになり、アートプロジェクトの代表も務め、現在フリーランスのエッセイストとして執筆活動をしている。いわゆる“クリエイティブ職”の人になった。

そんな今だからこそハッキリと思う。すべての仕事において、最も大事な要素は「営業」なのでは? と。

新卒から4年弱、とことん「営業」を経験したからこそ、今の私がある。営業を辞めて広告の制作会社に入った頃、コピーやCMコンテを書いて関係者にアピールして仕事を取った。アートプロジェクトの仕事では憧れのブランドや媒体のお問い合わせ窓口に片っ端からコンタクトを取り仕事を作った。もうすぐ出る初書籍だってたくさんの人に読んでもらうために動きまくってる。

営業の経験があったからこそ「自分を売り込む」が徹底できている。

……と書こうとした瞬間違和感が走った。私が活かし続けている営業の力って……そんな表面的な話なのか?

この原稿を書き始め、3日迷走した私は改めて、営業時代の自分の資料を見返した。すると、ダンボールの奥に、見覚えのない紙の束を見つけた。中からは、当時のクライアントからいただいた、大量の手紙が出てきた。なんと、契約を受注することができなかったクライアントからの、お断りのお返事もあった。

私の手書き資料にドン引きしまくってたクライアントたちも、いつしかたくさん手紙をくれるようになっていたことを、10年ぶりに思い出した。愛は、愛で返ってきていたのだ……両想い……。

読者の方も、「結局、何の話!?」となってきていると思うので、そろそろこの原稿をまとめる。

営業という経験が私にくれたのは「仕事でも相手を愛しぬく勇気」だったのかもしれない。だから私は今も、読者や媒体や関係者すべてを思い切り愛したまま、思う存分重めなコミュニケーションでクリエイティブを作ることができるのかもしれない。

歌手にならなくても、クリエイターにならなくても、私たちは、自分らしく働ける。

むしろ「売りさえすれば何をしてもいい」とも言える「営業職」こそ自分の表現しがいのある、無限の可能性を持つステージだとも思うのだ。ということで、読者のみなさん。ここに書いた私のエピソードはだいたい忘れてくれていい。ただ、あなただけの「やり方」見つけてね。

この記事を書いた人

スイスイ

スイスイ(すいすい)

1985年名古屋生まれ。大手広告会社での営業を経て、コピーライター・CMプランナーに。2015年cakesクリエイターコンテストで入賞し、「メンヘラ・ハッピー・ホーム」でエッセイストデビュー。初書籍『すべての女子はメンヘラである』(飛鳥新社)が2020年8月6日発売。

Twitter:@suisuiayaka