「仕事は成果で評価される」は幻想か?

仕事は何によって評価されるのか、再考するきっかけになった事件が最近あった。

取引先との打ち合わせ、昨今の状況から僕が「オンライン面談でも可能です」と伝えたところ、「このご時世にわざわざ直接会いに来ようとする人を評価している」というワンダーなお言葉をいただいたのだ。

いかにも昭和的な価値観と言えるのかもしれない。ただ、昭和であれ令和であれ、基本的に仕事の評価は、成果に対してなされるべきである。それが当然であって、世の中はそうであるにちがいないと学生の頃から信じていた。

だが実際に社会に出てみると、成果よりも苦労の量が評価につながることが多くて驚かされた。

だらだら仕事をして残業する先輩社員を見た上司に「あいつは本当に頑張っている。お前ももっと残業しろ」と真顔で言われてずっこけたのが昨日のことのように思い出される。

社会人1~2年目の頃、同期のライバルと僕はほぼ同じような数字をあげていた。最終的には僕の数字が上回ったのだが、自分がどれだけ頑張って数字をとってきているのか、苦労ぶりをうまくアピールしていたライバルのほうが評価されていた

僕はそのとき、「この社会では努力賞が一等賞よりも評価されることがありうる」という教訓を得たのであった。

あれから四半世紀近くの時間が経過して、僕は40代後半になった。今でも、なるべく苦労せずに、効率的に仕事をこなしたいと考えている。

でも、残念ながら世の中にはそうは考えていない人たちが、まだ一定の権力を握っているのだ。

仕事を効率化すると社員の待遇が悪くなるという謎理論

先日の会議でのこと。僕は会社の重役たちに「業務を効率的にこなせる仕組みをつくるのが不可欠」という話をした。

すると重役のひとりが一点の曇りもない笑顔を浮かべて、「まったくそのとおり。そして楽になった社員はそれなりの待遇にすればいい」と言い出した。

そう、彼のような人間にとっては、賃金は成果の対価ではなく苦労の対価なのだ。

だから、テレワークを導入したことで、「出社し続けている社員と在宅勤務をまじえている社員は給与に差をつける」などと言い出す。

まったくわかっていない。率直にいって絶望した。

令和の時代になっても努力忍耐をヨシとする負の遺産がしぶとく生き残り、一企業の上層部で力を持っているという事実に絶望した。

仕事効率化は社員をサボらせる!?

当該重役は「仕事とは苦労すること」と考えている人であった。一方、僕が取り組んでいる仕事は、効率的に仕事をして結果を出す仕組みをつくること、である。

つまり、僕の仕事がうまくいけばいくほど、仕事は効率的に楽になるということ。それは当該重役から見れば、「社員が楽をしてサボっている」という状態に近づいていると同義である。

そして彼に言わせれば、仕事が効率化されればされるほど待遇は悪くなっていく一方なので、まさしく地獄である。

会議において、当該重役は壊れたオルゴールのように「組織改革が必要だ。社員には存分に力を発揮できる環境を与えるのが我々の仕事である」を連呼していた。

僕はその言葉を「より効率的に仕事ができる組織にしよう」という意味にとらえていたが、間違っていた。

まさか、「社員にはもっと苦労をさせよう」という意味だったとは

仕事とは「やりたくないことを対価をもらってやってあげること」

しかし、当該重役の考えていることが、まったく理解できないわけではない。それが悲しい。僕の中にも「仕事=苦労」と考えているリトル自分がいるからだ。

たとえば仕事を任せた後輩から、仕事を終わらせたという報告を受ける時に「余裕でした」「楽勝っす」と余計なひとことを言われる。

すると「お疲れ」と言いながらも心の中でリトル自分が「余裕楽勝というのは、僕よりも能力があるから苦労することなくできたと言いたいのか!」と軽くキレているのである。

その根底には「仕事=苦労」説がある。そして、残念ながら仕事=苦労という側面は否定できない。なぜなら人間は苦労したくない生き物だからだ。

できることなら苦労したくない、やりたくない。だが皆がやりたくないことを避けていては社会が回らないので、やりたくないことを対価をもらって代理でやってあげる、つまり仕事にする人が現れるのである。

つまり、仕事とは他人様がやりたくないことをやっているから成立している側面は否定できないのである。

僕が生業としている営業なんかその典型だ。

真夏の炎天下を歩いていって「おたくとは契約しない」と言われることが日常茶飯事の仕事。そして暗い顔をして会社に帰ってくると、経理部門の人間からは「ごらん。あの営業。仕事もしないで涼しいところでサボっているから顔色が悪くなっている」と嫌味を言われる仕事。

できることなら営業のような仕事はやりたくない。だからこそ仕事として成り立っているのである。

なぜ部下や後輩が楽に仕事をすることを許せないのか

冷静に考えれば、成果が同じであるなら苦しむことに快感を覚えるようなマゾでないかぎり、苦労するより楽に達成できたほうがいいに決まっている。

ただ、かつて自分が多少苦労して切り開いてきた道を、後から来る人間がさも自分の力でやってきたように楽にやってくるのがどうも気に入らないのだ。頭にくるのだ。なんとなく自分を否定されている気がしてならないのだ。

そういう心理が強く働くから、重役のような「仕事が楽なら、待遇もそれなりでいい」という発言が生まれるのではないか、と推測している。哀しいことである。

ただ反対しているのではないから厄介なのだ

僕が思うに、重役たち(50代~60代)が今、それなりの地位についているのは、若い頃に仕事を効率的にこなして、それによってできた余裕で新たな仕事をガンガンやってきたからだ。

与えられた仕事を、ただ同僚と横並びにやってこなしているだけでは役員になっているはずがない。流れるままに仕事をしていれば役員にはなれない。彼らは、報告の際に「楽勝っす」といってくる若手と同じことをやってきているはずなのだ。

それなのに「今の自分を否定される気がする」というミクロな心があるために受け入れられないのだ。

だからこそ、仕事を楽にすることを「苦労していない」ととらえる重役は厄介だ。ロジカルな理由があって反対しているのではないのだから。

苦労を求める上司を前に僕たちは絶望するしかないのか?

では、「仕事は苦労」説を頑なに信じる重役を前に、僕らは絶望するしかないのだろうか。

結論からいうと絶望する必要はない。

仕事を楽にこなしていくという基本線を守って、「仕事は苦労」説の信者に評価される術はある

ひとことでいってしまえば「部下仕草」を身につければ良い。評価せざるをえない振る舞いをするのだ。本当は楽をしつつ、苦労もしていることがアピールできればいい。

たとえば、ある成果を出すために、従来の仕事のやり方でかかっていた苦労を100とする。仕事のやり方を効率的になものに変えることで、同じ成果を60の苦労で出せたとしよう。言い換えれば40の余裕を生むことができたわけだ。

この時、効率的に仕事をしたことを評価してもらえると考えてはいけない。「40も楽にできてしまいました」と主張するのは間違いなのである。楽することが評価される土俵に、「仕事は苦労」と信じている者が乗ってくるわけがない。僕らが、苦労の量が評価される土俵にあがるしかないのだ。

相手の都合に合わせて思想を変えるという生き方

アニメ『宇宙戦艦ヤマト』に出てくる真田さんというキャラクターをご存知だろうか。真田さんはヤマトがピンチに陥ると、前後の脈絡と関係なく突然、都合の良い発明品を出してくる、実に都合のいいキャラクターである。

僕は、真田さんのように都合よく生きることが、仕事を苦労だと信じている人をやりすごすために必要なことだと思っている。とことん相手に都合の良い人間になってやるのである。相手の都合に合わせて自分の思想を切り替えるのだ。

「仕事が終わりました」と報告する際に、これまで100の苦労が必要だった仕事を「60の苦労で成し遂げた」「40も楽ができた」的なフレーズは、残念ながら封印しなければならない。

そして、相手が「苦労していない」と判断を下すようなら、すかさず真田さんのように都合よく、自分の中から「仕事=苦労説」信者を取り出せばいい

たとえば、まったく別の20程度しか苦労していない仕事をアピールすればいい。新たに取り組みはじめたプロジェクトがあるなら、そのさわりを「仕事がたまたまスムーズに終えられたので、これに取り組んでいます」といって伝えるのである。これを僕は「秘技・追い報告」と呼んでいる。

秘技・追い報告によって、「仕事は苦労」説信者である重役は「もっと苦労しろ」と言い出しにくくなる。そしてあなたは、60+20の80の労力で、結果的に20も楽をして相手を満足させられることになる。

重役は「俺の言いたいことは伝わった」と納得し、一方であなたは「アホな上司を退けた」という充実感を得ることができる。お互いにウィンウィンなのである。

このような事態にあったら真田さんのように都合よく、仕事は苦労という考えを取り出し、己の信念を一時的に切り替えて乗り越えてもらいたい。

僕が次の世代に託したいこと…。

現実的に、仕事を苦労の量で評価する人は多い。僕の経験では、そういう考えの持ち主は僕よりも年長者であることが圧倒的に多い。

もし、そういう考えの持ち主と遭遇したら、何も言い返さずに「俺が仕事を楽に片付けちゃったから、自分自身を否定されている気分になっているんだな」と憐れんで差し上げればよろしい。

仕事は苦労するもの。仕事は楽にこなすべきもの。この宗教的対立、負の連鎖は終わらせなければならない。そう、僕は強く思う。大げさではなく、日本企業が世界で勝てなくなったのはこういうどうしようもないことの積み重ねが原因なのだ。

だから、僕は自分よりも若い、次の世代がこういう「仕事=苦労」という考えを絶滅させてくれることを期待している。残念ながら僕にはできそうにないからだ。

なぜなら、どうしようもない重役のように、僕もまた、若手の仕事ぶりに対して「もうちょっとできるだろ! もっと苦労しろよ」と言い放つ快感から逃げられそうにないのだ。以上。

(所要時間50分)

<イラスト/小田原ドラゴン

この記事を書いた人

フミコフミオ

フミコフミオ

海辺の町で働く不惑の会社員。普通の人の働き方や飲食業や給食について日々考えている。現在の立場は営業部長。90年代末からWeb日記で恥を綴り続けて20年弱、主戦場は、はてなブログ。

ブログ:Everything you've ever Dreamed

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